第4話 積雲に妄想を 下

「人からもらう台詞セリフってさ、ほしいときになんにももらえないくせに、絶対いらないときに絶対いらない言葉をもらっちゃったりするんだよね。そして、傷ついたときには大きな孤独感が襲う。でも後々になって、『あんなこと思っていたのは自分だけじゃなかった』って思うんだよ。だから大丈夫だよ。自分になんか心配しなくても」

 珍しく私は饒舌になっていた。少女は驚いているのか呆れているのか、脱力した表情をしていた。私でさえ自分に驚いているのは事実で、こんなこと言ったこともなかった。

「たしかに、あなたも妄想癖っぽい感じしてますね」少女は力なさげに笑って私の方を見た。「ありがとうございます」

 少なくとも少女に何かを伝えることができたのだと思うと、私は安心してほっと一息をついた。

「じゃあ、訊きますね」そう少女は切り出すと、私に向き直って問うた。

「妄想癖は、治りますか」

 またまた答えに困る質問だった。治りますか、ってまるで病気のようではないか。たしかに話の流れからして想定できる問いかけだけれど、医大の教授にやまいについて話をきいてみました、みたいなテンションで言われても私は困ってしまう。

 だから私は、

「個人差ありますが、ほぼ治らないでしょう」

 とだけ、おちゃらけを入れて答えた。気分はやぶ医者だ。少女は、ですよね、とつぶやいて笑ってくれた。私もつられて首をひねり微笑むと、ちょっとだけ場がほっこりしたような気がした。

「……では妄想癖どうし、面白いことでも話しましょうよ」

「……いいね」

 謎に開き直り意気投合した私たちは、各々話のネタを探した。

 しばらくお互いそれぞれの方向を向いて、黙ったまま考え込んでいると、私の脳裏にひとつ、面白い単語が浮かんだ。一人でにやけると、無性ににその単語を少女に囁きたくなった。

「空飛ぶ魔法」

 そう少女の耳元で囁くと、少女は「うわあ!」と声をあげた。

「びっくりするじゃないですか」

 そんな少女の驚きっぷりに微笑んでいると、少女は頬を膨らませてぶっきらぼうに言った。

「魔法──なんて信じませんから。私」

 少女は驚かされたことに怒っており、そしてへそを曲げていた。それは少女の顔を見れば瞭然たることであり、私は少なからずそれを見て楽しんでいた。

「空を飛んでみたい、そう思ったことってない?」

 私は少女の耳元で、尚も低声で話し続ける。少女の耳がだんだんと赤く染まっていき、びくんとその肩がうごいた。

「そんなこと──!ありませんっ!」

「魔法じゃなくても──例えば青い狸がお腹から出す黄色のプターでも?」

 私は笑いながら続けた。少女は私の言葉に呑まれきっていた。少女の目が見開かれる。

「あれはっ!猫です猫!かつお腹じゃなくてポケットです!そして──“プター”ってなんですか“プター”って!そっそんな単語、ありませんよ!」

 プターがなんなのかは私にもわからなかったけれど、どちらにせよこの話題を投げかけたのは正解だったようだ。

 私は少女の耳元から口を遠ざけて、再度訊いた。

「でも、空を飛んでみたいって、一度は思ったことあるでしょう?」

 少女はまじまじと私を見ていたが、やがて渋々首肯した。その顔は、なぜか勝負バトルに負けた男子とそんなに違いがなかった。

「たしかに、空を飛ぶことに憧れていたときはありますよ」

 やっと認めてくれた。そのときの私の顔は、きっと勝負バトルに勝ちきった男子のそれと違わないものだったのだろう。実際、私はなにかをやり遂げたあとの充実感を感じていた。

「空を飛んでいるときの“景色”に憧れるんだよね……」

 私の方から、それっぽいことをふってみる。この少女のことだから、どんな話でも食いつきそうだけれど。

「私は……」少女は言ってから、しまった、という顔をした。私の言葉に無意識のうちに反応してしまったのを後悔しているのだろう。しかし少女はそのあたりもう大人だった。なにもなかったかのように続けた。「雲の上にずっといたいです」

 とてもメルヘンチックだった。まさか雲の上で遊ぶ、なんてことは──

「雲の上に乗って、踊ったり、寝たりしてみたかったんです」

 あった。なんてことがあった。

 少女は言い切ってから再び、しまった、という顔をした。まるで百面相だった。

「雲の上で、か……」

 私がそう言うと、少女に「ちょっとおじさん臭いですよ」と言われてしまった。おじさん臭いよりは子供臭いほうがいいな、と思った。

「たしかに、雲は触れるものだって自分も思ってたな……」

「でしょう?!」

 妄想癖二人、やっぱり違うところで盛り上がってしまった。私たち二人、思っていたよりアブナいのかもしれない。

「積もった雪、そんな感触しそうだよね」

「えええ、私は羽毛って感じがいいです」

 そこは個人差、ズレがあった。しかし私からしてみれば、羽毛の方が幼い感じがしないでもない。まあ私も小さな大人の端くれ、そんなことを言葉に出そうとはしなかった。

「でも、乗るのは小さい雲では心許ないですよね。学校のグラウンドくらいの大きさはほしいです」

 彼女の小学校のグラウンドがどれほどの大きさか分からなかったが、私は頷き合点した。

「落ちたら大変そうだ」

「思う存分遊べません」

 言ってからふふふとお互い微笑むと、ほぼ同時に空に浮かぶ雲へ顔を向けた。綿雲がいくつか漂っており、──あたりまえにも聞こえるけれど──先ほど少女が言ったよりもはるかに大きい雲があれば、今にもちぎれちぎれになってしまいそうな弱々しい雲もあった。それらを眺めて、私はふと頭によぎる事があった。

「そういえばあの雲、どうなったかな」

 少女はその言葉に、『あの雲?』とクエスチョンマークを浮かべるような表情をしたが、すぐに思い出したようでぱっと口を開いた。

「あの雲ですねあの雲!大きくなる、ならないって予想し合ったやつ……」

 たしか──と、彼女は西側の空を指差した。

「あのあたりに──」

 二人で探したが、果たして話していた雲は見つからない。どれでしょうねえ、とつぶやいて少女は私の方を見た。

「どれだろうねえ」

 私もつぶやいて、大空全体を仰いだ。案の定、あまりにも雲は多すぎて、目的の雲は見つかりそうもない。

 それからしばらく──どれだけの時間かは分からない。ただ、それだけ真剣に集中して探していたのだ──二人で沢山の雲を仰ぎ眺めていたが、二人ともの意見が一致する雲は見つからなかった。そのことに私が、「やっぱり消えちゃったんだよ」と言ってみると、少女の睨みで黙殺された。

「まあ、どこかで元気にしてますよ」

 どこの旧友なのか、とも突っ込んでみたいけれど、敢えて私は対抗する。

「良い雲だった。あいつのことはもう諦めるんだ」

「その言いよう、まるで雲がきえてなくなってしまったみたいじゃないですか」

 睨みあっていたが、ばかばかしいのも瞭然で、そのまま睨み合えるほど私たちは意思のつよい者同士ではなかった。

「もう、仕方ないですね」

「しょうがないね」

 そう言い合って、ふふふと笑う。──あの雲は、

「消えてなくなって」「大きくなって」

 声が重なる。

「「いきましたよね」」

 やっぱり両者譲らなかった。

 結果的に、この話題については決着つかず、答えは神ならぬ空──空のみぞ知る、ということになった。

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