第23話 襲撃

 翌日。

 わたしは昨夜の暴飲暴食がたたって、少し胃がもたれ気味であった。

 宿屋のロビーに降りていくと、ちまりのむくんで丸くなった顔が青ざめていた。

「いつも以上にひどい顔だな」

「いつの以上は余計ですよ!全く……。昨日、ギルガルに追いかけられる夢見ちゃって、寝起きは最悪です」

 まあ、分からんでもない。あれだけの恐怖体験、トラウマになっても致し方ない。その反面、春風はるかぜは食堂で、食欲全開、いつもと全く変わらぬ様子でばくばく朝食を食べていた。昨夜、ギルガルの肉を一番多く食べていたのは春風だった。男性自衛官たちも驚く、鉄の胃袋である。左沢あてらざわや牧野が、何故それだけ食べてそのスタイルの良さなのかと、驚愕していた。

 最悪気分のちまりとは正反対の爽やかスマイルで、ユウリが入口の外から宿屋に入って来て、

「おはようございまーっす!」

と、我々に挨拶をした。

「馬車の用意ができました!」

 勝道が用意してくれた高機動車二台のうち、一台は屋根部分が大きく破損し、もう一台は1tトレーラーの牽引装置が破損してしまった。このままでは旅ができないので、勝道は新たに車両を手配するためにキューブがあるヘルゲンの自衛隊施設まで戻って行った。

 つまり、わたしたちはジョーガバーズの街に足止めされていて、少なくとも今日一日、何もすることがないのだ。

 そこでわたしは、昨日ギルガルに追い掛け回されている際に、逃げ込んでしまい、結果滅茶苦茶にしてしまった畑の持ち主に、お見舞いを持って行こうと思い、ユウリに馬車の手配を頼んだのだ。幸い、ギルガルの肉などが高値で売れたために懐は温かい。この金がなければ、畑が滅茶苦茶になってしまったのは、わたしたちが悪いわけではない……、はずであるし、しらばっくれるところだが、とにかく、お見舞いくらいしないと何だか後味が悪い。

 ユウリが手配してくれた馬車は、母衣もないシンプルなものだった。その馬車を茶色の馬が引いていて、ヴァンドルフが御者台に座って手綱を握っており、その隣にリリミアが座っている。

 わたしは、宿のすぐそばにあるコンビニで、急いで朝食などの買い物をし、ちまり、春風とユウリともに馬車に乗り込む。マヤは、宿屋で留守番である。馬はヴァンドルフの合図でゆっくりと馬車を引き歩みを進める。速度はのんびり自転車をこいだ時に出る速度くらいか。急ぐときは、魔法をかけて馬の脚力を強化し速度を上げるらしい。何と便利な。

 この速度であれば昨日のギルガルから逃げ回った場所まで二時間ほどかかるだろう。天気も良いし、のんびり馬車に揺られて異国の地を行くのも悪くはない。本来わたしは、こういう旅を覚悟していたのだ。

 昨日と同じ道を馬車は行く。今日もジョーガ湖は美しく、湖面は太陽の光をきらきらと反射させていた。

 わたしは、朝食としてコンビニで買ったおにぎりを食べながら、景色を楽しんでいた。

「そう言えば、先輩。ギルガルのお肉、お城にも納められるらしいっすよ。お姫さまも、食べるかもしれませんねえ」

 ちまりは、ようやく顔色が元通りになって元気が出てきたようで、わたしと同じく朝食のおにぎりを食べながら言った。

 昨日、肉問屋が買い取っていったギルガル肉は、すぐさま売りに出され、街の人たちが我先にと買い求めていった。

「いやいや、こりゃあ一生に一度の御馳走だ!」

「じいさん!寿命が十年は伸びちゃうね!」

「わはは!これ食ったら、元気になっちまうなあ。こりゃ、四人目を作っちゃうかあ?」

「いやんだあ、この人ったら」

などと、皆が幸せそうな笑顔で買い求めている様子を見て、ギルガルも、『お肉』になった甲斐があろうというものだ、と思った。

 肉問屋の主人に聞いたところ、ギルガルの肉は王都にも運ばれるとのことだった。

「お城や、貴族のお屋敷にも納めさせていただきます。一番良いところをお届けしますんで、ええ」

「ぼくたちもその一番良いところを食べられるんでしょうね?」

「がははっ!そりゃあもちろんでさあ、旦那!がははははは!!」

わたしの問いに、主人の、すごくわざとらしい笑顔と答えが返ってきた。

 また、ギルガルの肉は、燻製肉や干し肉などにも加工され、しばらくするとまた店に並ぶのだという。

 そこで、ちょっと考えたのだが、もしも、食肉用にドラゴンを飼育する牧場を作って、日本に出荷したら、儲かるのではないか?――と。こちらでは牛のように荷車を引くドラゴンは、年を取って労働力として役に立たなくなった場合など、さばいて食べてしまうのだそうだ。今までの感謝をこめて、特別な祭りの日などに食べることが多いらしい。これを、食肉用に手をかけて育てれば、味の良いドラゴンが生産することができはしないだろうか。

 ドラゴンは、一回で複数の卵を産むらしい。一頭から生まれてくる子供は牛よりも、多い。ただ、成長にどれくらい時間がかかるかだ。牛のような大きさのドラゴンを、数年で出荷できれば良いが、食べ頃になるまでそれ以上かかってしまってはコストがかさむし、繁殖できるようになるまでさらに時間がかかっては、牛よりたくさん子供を産む価値が薄れる。鶏サイズのドラゴンもいるという話だったが、それは、食べられるのだろうか。ドラゴンについては、もっと知らねばならないと、思った。誤解のないように付け加えておくが、決して食い意地や金のためにではない。あくまでも好奇心。純粋に好奇心からそう思ったのだ。

 また、ドラゴンは、皮もさまざまな革製品に加工される。セレブが愛用する高級感あふれるバッグや、武具防具や、馬具など、用途はたくさんあるのだそうだ。ちまりに、異世界にやって来た思い出にバッグでも買ってはどうかと言ったところ、即拒否された。

「そんな思い出の詰まったバッグなんていらないです、絶対に」

「ん?お前ブランドもんのバッグ欲しがってたじゃないか。ドラゴン革のバッグなんて、日本じゃ誰も持ってないぞ?」

「嫌です。そんなバッグ手元に置いてたら、またギルガルに追いかけられてる夢、見ちゃうじゃないっすか……!うなされるっす!安眠できなくなるっす!質の悪い睡眠はお肌の敵!」

「そうか。じゃあ、買ってやろう」

「どこまでSなんすか!」

 とはいえ、ギルガルの革は、その量が限られていて、恐らく同じようなドラゴンの革はそう簡単には入手できまい。と、なれば、ギルガル製の商品は相当なレア物ということになる。

 きっと値段もお高いことでしょう。母や姉に土産に買って行こうかとも思ったが、どうしようか思案中である。わたしが、高くて買えないかも知れないのではないかと言うと、ブランド物には全く興味が無いはずの春風がお茶を飲みながら言った。

「キーケースとか、小銭入れとかなら、買えるんじゃない?」

「あー、成程。でも売られてるかなあ」

「キーケースとか、キーホルダーとかは無いかも知れませんねえ。でも、財布や小銭入れくらいは作られるかも知れませんよ。聞いてみてはどうです?」

「んー。だな」

 皮を買い取っていった業者にはギルガル製の革製品ができたら、見せて欲しいとは伝えてある。その時、手頃な値段の物がないか、聞いてみよう。

 そんなことを話しながら馬車に揺られていると、昨日の畑と、その奥に小さい集落が見えてきた。農具を担いだ男がわたしたちに気付いた。昨日、変わり果てた自分の畑の前で呆然としていたおじさんである。

 見れば、畑のあちこちに、高機動車が突っ走った際にできた轍と、ギルガルの大きな足跡がくっきりと付いている。

 わたしが、お見舞いに来たと言うとたいそう驚き、喜んでくれた。おじさんの名はベチットといった。ベチットおじさんは、二十年ほど前からここで小麦や野菜を育てながら質素に暮らしているのだという。ベチットの腰に、小さな女の子がしがみつきこちらの様子をおどおどしながら窺っている。

 ベチットの八番目の子供だという。

 上の方の子供たちは独立したり、嫁に行ったりしてここにはもういないが、まだ五人の子供の子育てに日々追われているらしい。生活に余裕などなく、全滅を免れたとはいえ、畑の作物の半分近くが駄目になってしまい、どうしたらよいか頭を抱えていたようだ。

「はいどうぞ。美味しいよ」

 わたしは、コンビニの袋から、朝食と一緒に買ってきたアメを取り出して、ベチットの娘に差し出した。

 初めて見る異世界日本のお菓子に、女の子は首を傾げていたが、包み紙を開けてあげ、口の中に入れて舐めてごらん言うと、おそるおそる口の中に入れる。そして、すぐに満面の笑みを見せ、父親に向かって、美味しいよ、甘いよ!と喜んでアメの美味しさを伝える。

「よかったなあ。いやあ、ありがとうございますぅ。お見舞いまでいただいただけでなく、こんな珍しい物をいただいちまって……」

 その後、ベチットは自分の家にわたしたちを案内した。ベチットが住む家のある集落は、四世帯が細々と暮らす本当に小さな集落だった。皆、近くに畑を持って作物を育てている。もう少し東に向かうと、小さな村があり、その周辺にはここと同じような集落がいくつか点在しているのだそうだ。

 ベチットが、自宅の玄関のドアを開けて、中に向かって大きめの声で、

「おおい、いるか母ちゃん!お客さんだあ、あいさつしろ」

と言うと、その声に呼ばれて、ベチットの奥さんが顔を出した。わたしたちが来訪したわけを聞き、ベチットに渡したお見舞いの金が入った袋を覗き込んだ奥さんは、

「き、き、き、金貨が入ってる!あんた!金貨!ああ、ごめんなさい!あ、あ、あ、ありがとうございます!こ、こんなにたくさん!」

と、ベチット以上に喜んで頭を下げてきた。見舞金をどれぐらい渡せばよいか、リリミアやユウリと相談し、多めに持ってきたが、畑の損失分を補ってもお釣りがくるくらいだったようだ。何せこちらは懐がほっかほかである。気にすることは無いと告げた奥さんの足に、アメをあげた女の子の妹がしがみついていた。その子にもアメを上げると、目を大きく真ん丸に見開いて驚き、そして姉と同じように満面の笑顔を見せて喜んだ。

 さら二人の娘と男の子が一人、家の中から出てきた。そこで、一番上の十五歳くらいの娘に、アメと、チョコとスナック菓子の袋を丸ごと渡して、みんなで食べるように勧める。

 それからは、子供たちがみんなで姉を取り囲んで、お菓子の争奪戦が始まった。

 その騒ぎを聞きつけた、近所の家の人たちも姿を現す。で、今度は昨日肉問屋に切り分けてもらったギルガルの肉を、ベチット家を含めて皆に配った。ユウリがかけてくれた冷蔵保存の魔法がばっちり効いているので、新鮮なままである。

「いやあ、ベチットさんよお、こんなに良くしてもらえるんだったら、うちの畑もぐちゃぐちゃにしてもらうんだったわあ」

 と、隣の家のふくよかなおかみさんが、げらげら笑って言うと、全くだと顔を出した近所の皆も声を揃えて笑いながら言う。

 その後、家の前にあった木箱をイス代わりにして腰掛け、ベチットの奥さんにお茶をいただきながら、二人に色々な話を聞いた。日々の生活の様子や、どんな農作物を育てているのか、独立した上三人の子供たちの話や、下の五人の子供たちの話、新しく、農作業用に馬を買おうか考えている話などなど。

 わたしの母方の祖父は畜産業を営んでおり、乳牛をたくさん育てていると話すと、ベチットは興味津々で、質問攻めにあった。

「もし日本に行けるんなら、子供たちに日本の牛の育て方を勉強させてみるのも良いかも知れねえなあ。なあ、母ちゃん」

 と、ベチットが笑いながら言ったのが、印象深かった。

 ベチットのような庶民、しかも生活に余裕のない農民の家に生まれた子供たちに、将来の選択肢は少ない。学校で学んで、高い教養を身に付けているわけではないため、就ける職は限られている。ベチットの一番上の男の子は、大きな牧場に働きに出ていて、いずれ戻って来て畑を受け継ぐことになるが、二番目の男の子は、受け継げるものなど期待できないので、早々と軍に入隊したという。

「軍なんて、心配じゃないんですか?」

と、軍という言葉にすぐさま反応して、ちまりが素直に訊いた。軍=戦争。ちまりにはそのイメージが強いようだ。その問いにベチットは笑って答える。

「なあに、戦なんて起こるわけじゃなし」

 デューワ王国は平和の時代を謳歌している。内乱も、近隣諸国との戦争の気配もない。軍隊が活躍する場はほぼ無いが、それでも、無くてはならない。

 軍事力を、ある程度持っていなければ近隣諸国との外交で舐められる。下手をすれば侵略を受けてしまいかねない。そうならないためにも、抑止力としては持っていなければならないという事実は、こちらの世界も変わらない。

「じゃあ、いずれあの子も軍に?」

 わたしは、春風と一緒にお菓子を食べて、嬉しそうにはしゃぐベチットの三男に目をやって言った。

「ううん、どうかなあ?あの子は二番目と違って体も小さいし、あんまり丈夫でもないし……、できれば軍以外の道があればと思うんだけどねえ……。女の子は、良い人がいれば嫁に出しちゃえば、幸せになれるんだけどさあ……。って、嫁に出すのも、淋しいんだけどよ、ははは!」

 きゃっきゃと、楽しそうな子供たちを見て、複雑な思いがわたしの胸に生まれていた。

 わたしは、だらだらと生きてきて、特に自分の未来にたくさんの夢を描いているわけではない。だがそれでも、何か目標のようなものを見つければ、あの子たちよりは簡単にそれに向かって一歩を踏み出せるのだ。それが、何だか申し訳ないような気にもなる。

 そんなどうしようもない感傷的な思いに、どっぷりと沈みかけていたわたしの視界の端にふと、異質なものが入ってきた。


 30mほど先に立つそれは、ヒト型の、――しかし人ではない『何か』だった。


 前身は淡い茶色。細身で、その手には、何か棒状の物を持っていた。そして、じっとこちらを、多分、見ている。

「……?何だあれ?」

「は?」

「あれ」

 わたしが指差した先をちまりも見る。

「案山子?」

「いや、あれ、歩いてないか?」

 それは、確かに動いている。少しずつ、ゆっくりと。

「ちまり。カメラを構えてろ」

「へ?」

 直感。そうとしか言えない。あれは、何か『』存在だ。わたしはそう確信していた。

 そして、少し離れた所にいた、ヴァンドルフに向かって、声をかける。

「ヴァンさん、あれ。あの茶色いの。こっちに……」

 と、わたしが言い終わる前に、その茶色い物は、いきなり走り出し、こちらに向かって突っ込んできた。わたしたちとの距離を一気に詰めたそれは右手に持った、太い棒を大きく振り上げ間髪入れずに一気に振り下ろす。

「おおー?」

 わたしは、間抜けな声を上げつつも、ちまりを突き飛ばす。

「ふぎゃ!」

 突き飛ばされて地面に転げ落ちたちまり。同時に、茶色のそれが振り下ろした棒の一撃によって、ちまりが座っていた木箱が粉砕される。

「な――――――――っ!」

 カメラを持ったちまりが、粉々になった木箱を見て声を上げた。わたしの直感が正しかったことが証明された。こういう時のわたしの直感は実に素晴らしい。しっかりとやらかしてくれたそれは、顔に付いた真っ黒のガラス玉のような目で、転げ落ちたちまりを確認すると、一歩前に踏み出して、再び棒を振り上げた。

「逃げろちまりぃ。頭つぶされっぞぉ―」

「いやあああああああ――――――!!」

 ちまりがじたばたしながら地面を這うように逃げた。それは、逃げるちまりを追うようにさらに一歩前に進み、ちまりに向かって棒を振り下ろそうとしていた。

「うら!」

 わたしが、それの背後から、腰に前蹴りをぶち当てた。一応、ドンちゃんの伯父さんがやっている空手道場でちょっとだけ空手を習ってはいたが、それは子供時代の話。対して効き目はなく、それはバランスを崩して、二、三歩よろけただけだった。そしてそれは再びちまりにゆっくり視線を送ると、棒を振り上げる。

 ちまりが、ふひい!!とけったいな声を上げて恐怖のあまり強く目をつぶる。

「ぬうん!!」

それが棒を振り下ろそうとした瞬間、ヴァンドルフが駆けつけてそれの腕を大きな剣で切り落とした。

 棒を握ったままの、それの腕が、ぼとりと地面に落ちる。

 巨漢の剣士は、痛みすら感じていないようなそれの首を刎ね飛ばし、さらに、胸の中心に剣を突き刺した。

「はふ!はひ!ふひ!!」

 鼻水と涙を垂れ流しながら、ちまりががたがた震えていた。

「ちゃんと撮ってたか?自分が殺されかけた衝撃映像」

「ま、ま、ま……!」

「ま?」

「マジ殺されるとこだったんですよ!だ、だ、大体先輩!先輩は何でそうのんきでいられるんですか!」

「あー。ヤバい時ほど抜けた声になるんだよ。悪いな」

 わたしはちまりに手を貸して、足腰から完全に力が抜けて立てなくなっているちまりを立たせた。

「で、……」

 これは何?と、疑問を口にしようとした瞬間。

「きゃあああ!!」

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