セレシェイラ、と言ったの

 立ち上がって私を指差したキアロに皆唖然としている。おいおいキアロくん、人様を指差しちゃいかんと教わらなかったかね? 全く、相変わらず単細胞だなー。

 まあ、別に私は構わないけど、売られた喧嘩はきっちり買うよ。私はもう『リーチェ』じゃないし、約束はもう反故だよね?

 だから、特別に『リーチェ』と交わしたあんたの秘密をバラしてやろう。


「別にいいわよ、認めなくたって。てか、あんたに認めてもらおうなんて思ってないし」

「なっ!」

「だってあんたが崇拝してたのは『リーチェ様』でしょ? 今の私は『リーチェ様』じゃないからね。気に入らないんなら今すぐここから出て奥さんとこに帰れば? 私は痛くも痒くもないしね」


 私がキアロの秘密を暴露すると、他の全員が驚いた顔をした。


「え?! キアロに奥さんいたの?!」

「それは初耳だ」

「……びっくりだ」

「なっ……! リーチェ様! あれほど内緒にしてくださいって言った…………あ!」


 自分で肯定してどうすんのさ、キアロくん。ホントに単細胞だなー、なんて思いながら苦笑していたら、ジェイランディアが溜息をついた。


「わかったなら座れ、キアロ。話す前に暴走するなといつも言ってるだろう?」

「……すんません」

「あれ、もう終わりですか? つまんないの」

「つまんない言うな!」


 ハンナの「つまんない」発言に、私以外の全員が楽しそうに笑う。私も形ばかりの笑みを浮かべはするものの、それはいつもの光景なのでそのままにしておくと同時に、その輪の中に入れるはずもないことに寂しさが込み上げる。

 なぜならば、彼らは『リーチェ』が死ぬ前も、死んだあとの時間すらも共有し、今まで仲間として家族として過ごした時間があるからだ。確かに私には『リーチェ』の記憶はあるが、最早『リーチェ』ではないのだと実感してしまった。

 ……最初から――『リーチェ』の記憶の封印が解けた時からわかっていたことだ。だからこそ、彼らには会いたくなかったのに。

 ふっ、と溜息をつくと、ジェイランディアが心配そうに「大丈夫ですか?」と聞いて来たので、大丈夫と答えて話し始める。


「じゃあ、私からいろいろと質問していい?」


 そう聞くと全員頷いたので、足元にあった鞄から地図を出す。バカ王にもらった例の地図だ。彼らに勘付かれる前に、これがどこの地図で、どこまで正確なのかを確かめなければならない。それによって、今後の方針を決めよう。


「王に要求されていた地図、ですか?」

「そう。『リーチェ』は神殿周辺の場所と王都にしか行かなかったし、行く時も必ず案内役がいたから地図は必要なかったよね。世界や大陸の大きさ、その名前や国の名前は王太子に嫁ぐことが決まった時にざっと勉強したけど、詳しく勉強をする前にフーリッシュと交代して殺されちゃったしね。それもあるから詳しく勉強したいって言うのもあるし会えるとは思ってないけど、もし会えるなら、いずれはアストやレーテにも会いたいとも思ってるの。だから、この地図が正確かどうか知りたいのよ」

「それだけですか?」

「何が?」


 それだけですか、と聞いて来たのはジェイランディアだった。


「王には『冒険者か旅人になって、死ぬまでにあちこち見てみたい』と仰っていたではありませんか」

「あんなはじっこにいたのによく聞こえたねー、ジェイランディア様。さすがだねー、神殿騎士団長は伊達じゃないねー」

「恐れ入ります。って、リーチェ様、誤魔化さないでください!」

「あー、もう。はいはい。あれは、地図をもらうための、う・そ!」


 嘘ではないが、今ここでそれを言うわけにはいかない。私は一人で、自由にあちこち旅してみたいのだ。


「嘘、ですか?」

「ああでも言わないと、あのバカ王は地図なんかくれそうにないじゃない。それに、この国はいずれは滅ぶのよ? 私はそんな国にいつまでもいたいとは思わないわ。『滅びの繭』が見えたジェイランディア様ならわかるでしょ? 神官長のラーディ様はともかく、他の皆も『滅びの繭』が見えているはずよ? 違う?」

「もしかして、この黒くてふわふわ浮いているのが『滅びの繭』……?」


 微妙な顔をしながら、『滅びの繭』を突っついた――実際は指がすり抜けた――のは、ハンナとキアロだ。それにつられるように、皆も突っついたりしている。

 本来ならば、『滅びの繭』は中級以上の巫女や神官でないと見えない。だが、彼らは神殿を辞したにも拘わらずその努力が女神に認められたのか、今や中級巫女と同じかそれ以上の力がある。尤も、今は彼らに教えてあげるつもりはない。


「そうよ。あの神殿ほどじゃないけど、ここにも『滅びの繭』が漂っているってことは、ここもいずれは滅ぶわ。だから、まだ『滅びの繭』の数が少ない今のうちにこの国を出ないと、皆も巻き添えを喰うわよ?」


 死にたいなら別だけどと言うと、皆少しの間俯いた。それはそうだろう。旅ならいずれは帰って来れる。だが、これは国を捨てるための旅だ。誰が好き好んで生まれ故郷や長年過ごした場所を捨てたいと思うのか。

 でも、彼らには生きていてほしい。そう願うのは『リーチェ』が彼らを大事に思っていたからだ。


 最初に顔を上げて口を開いたのはラーディだった。


「でしたら、準備はできるだけ早いほうがいいですね」

「あ! だったらオレ、今から家に帰ってスニルを連れて来る!」

「キアロ様、奥さんと一緒に住んでないの?!」

「いや、住んでるよ? 敷地内にある、この屋敷の隣の小さな小屋に、だけど」

「あ、アホかっ! 隣にいるなら今すぐでなくていいから!」


 だから小屋に住みたいと言ったのかと言った他の皆に少々呆れながらも、猪か、キアロは! と心の中で突っ込みを入れた。まあ、そのおかげで突っ込みを入れられずに済んだけどね。


「で、キアロ様、話を進めたいんだけど?」

「あ、はい、すんません」

「元に戻ってしまうけど、この地図はどこの地図? どこまで正確なの?」

「これは、ユースレスの東……つまり、神殿の東側の地図と、隣接する国の地図の一部ですね」


 地図を確認しながらそう言ったのはマキアだ。その言葉にマクシモスも頷いている。


「神殿の東側ということは、アストが嫁いだ国?」

「はい。街道の分岐点や村の名前などが書かれておりますし、かなり正確に書かれている地図です。ちなみに、この家はこの辺りとなります」


 マキアが指差したのは神殿よりもさらに東側にある森で、神殿に近い場所だった。隣国に行く途中に村が二つほどある。街道の分岐点も二つほどあり、一つは南へ、一つは東南へと行くものだった。


「あー、なるほど。神殿がこんなに近いから、神殿のほうから『滅びの繭』が流れこんでるのか。何か納得した」

「納得しないでください」


 眉間に皺をよせたラーディはため息をついた。


「それで他には?」

「そうね……。『リーチェ』が死んで、何年たった?」

「……三年、です」

「あら。あの時点で『滅びの繭』が出てた割には、意外とったわねー」


 フーリッシュとの恋に浮かれ、盲目になる前まではそれなりに優秀だったと聞いていたから納得するし、もしかしたら持ち直してそれなりに踏ん張ってたのか、あの王は。それとも、単なる悪足掻きをしてただけなのか。

 まあ、今さら足掻いたところで、遅かれ早かれ結果は同じだ。


「……そうですね」

「で、その間、皆は何してたの? あ、言いたくないなら言わなくていいから」


 私のそんな言葉に、皆何処かホッとしたような顔を浮かべる。まあ、何気に皆腹黒いからそれなりのことをしてたんだろうし、『リーチェ』には聞かれたくない話なんだろう。私にはどうでもいいことだけど。


「あと、これも言っておくわ。私は『リーチェ』であって、『リーチェ』じゃない。異なる世界から召喚された、『黒木 桜』という人間なの」

「リーチェ様?!」

「いいから最後まで聞きなさいって。確かに私には『リーチェ』としての記憶があるし、巫女の力もある。でも、ユースレスの『リーチェ』はもう死んでるの。死んでる人間の名前を呼んだら、周りは皆をどう思う? 頭がおかしいと思われるだけだわ。そうでしょ? それに、皆はアストの託宣を聞いているから『リーチェ』だと知ってるし、召喚の場にいたジェイランディア様もマキア様も錫杖を見たから、私が『リーチェ』だとわかる。でも、他の人はそうじゃない。最高位の巫女『リーチェ』は過去の人。そうでしょ?」

「……はい」

「だから、私のことは『桜』と呼んで」

「シャクーヤ?」

「いや、シャンクーラでしょう?」

「……シャクーリャだろ?」


 おっ? マクシモス、惜しい! って、そうじゃないし!

 口々に私の名前を練習するが、やはりきちんと発音できないでいた。おおい、マジか! これも物語的なお約束なのか?! と頭を抱える。

 何で『さ』がきちんと発音できんのだ?! てか、『さく』と続けて言うのが難しいのか?!


(どうしよう……)


 私が必死に考えている間も、『桜』と言う名前はどんどん変化し、今や名前すら変わってしまっている。

 うーん……単純なところで、チェリー……は嫌だ。旅をするなら安全面からも男の格好をしたほうがいいだろうし、そんな格好の時に『チェリー坊や』とか『チェリーくん』とか言われたら、さすがに目もあてられない。

 まあ、坊やという年齢じゃないし、男でもないけどね。


 その時ふと、florフロル de cerejeiraセレシェイラという言葉が浮かんだ。ポルトガル語で『桜』と言う意味だ。『黒』はnegroネグル

 ポルトガルを旅行したくて、最近ずっとポルトガル語を勉強していた。それがこんなところで役に立つとは思わなかった。

 それはともかく、貴族じゃない限り、日本の名字にあたるセカンドネームはいらない。旅をするならファーストネームだけで充分。だったら。


「セレシェイラ」

「は?」


 私が突然そう名乗ると、名前を練習――練習なのか?――していたのを止め、きょとんとした顔で私を見た。うん、今ならちゃんと聞いてくれそうだ。


「セレシェイラ、と言ったの。『黒木 桜』がいた国とは違う国の言葉で、『桜』を縮めたものよ。これなら言えるでしょ?」

「セレシェイラ、ですか?」

「セレシェイラ、ですね」

「言いづらかったら、さらに縮めて『シェイラ』でもいいわよ? まあ、私はどっちでもいいけど」


 冷めてしまった紅茶を啜ると、ハンナがパアッと笑顔を浮かべて嬉しそうな顔をした。そう言えば、私だけ紅茶を飲んでないことに今更ながら気づいた。うん、ごめん、ハンナ。話に夢中になってて忘れてたよ。

 口々に『セレシェイラ』と『シェイラ』を連呼する皆を、紅茶を啜りながらぼんやりと眺める。先ほどと同じように、『リーチェ』にとってはいつもの光景だった。見たくないのに、仲良く話すジェイランディアとマキアの姿が目に入る。


(『リーチェ』の記憶に引き摺られてるなぁ……)


 『リーチェ』の記憶と世界の理が巫女の力をあたえたと言うのなら、あの時、ついでに私から『リーチェ』の記憶を消してもらえばよかったよ、と今更思っても後の祭。

 『リーチェ』の時はこんなに辛かったっけなあと思いつつも、いつもの光景を見たくなくて目を伏せ、小さく溜息をついて紅茶を啜っていた。



 ――そんな様子を、ジェイランディアが見ているとは思わずに。


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