第5話

もういちど、アンジェラは息を吐きました。

長く深く。身体に巣食った膿を全部、吐き出すように。


風が、微笑んで見ています。


アンジェラは、なぜ、じぶんが、いまのような姿に、なったのか、まるでわかっていませんでした。


息を吸い、長く、深く、また、息を吐いて、くりかえします。


ですが、その、いまわしい記憶の、断片が、あたまにこびりついているのでした。


「さぁ、ここで飛んでみろ」

その男はアンジェラを鞭で打ちました。


満月に近い月が出て雲が漂い時折その光を怪しく遮り、男に歪んだ笑みが漏れます。


崖に、残されたアンジェラは、そのときの様子を、からだが覚えていることを、ひどく思い知りました。


羽根に力を与えようとしましたが、うまくゆきません。


怯えで体が細かく震えます。


―――だいじょうぶ。さぁ、力を抜いて。


風は、やさしく、すっかり縮こまってしまったアンジェラを包みます。


しおれて、羽根をたたんでしまったアンジェラに、男は、激怒して激しく鞭を振るいます。


記憶だけで、心象に、痛みが、はしります。


風は、なおも、やさしく、アンジェラの両の目から零れる涙をも、みつめて、拭います。


男と、対峙していたときの、アンジェラのことも、風は、みつめていたのでした。


突風が、アンジェラとその男を引き離し、アンジェラの羽根を広げ、大きく空へ吹き荒れて。

そうして、気がつくとアンジェラは雲のベッドにいたのでした。


そのときも、暖かい陽光がアンジェラを、眩しく包んでくれました。


だけれども。


目の前は、まばゆい白で、他の物はいっさい見えず、ふいに凍えるような寒さが、アンジェラの体を貫いたのでした。

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