俺が返り討ちにしてくれる!10

「佐川さんを返してください」


 これは原野の声だが……佐川を返せ? イマイチ要領を得な……











「あ、田中君。僕ちょっと、用事があるから……」









 あの時か……あの時だな佐川! 

 奴め。様子が妙だと思ったら、さては誘い出されたな? どのような手を使われたかは知らんが油断しおって。護衛役が人質となるとは本末転倒もいいところではないか。情けなし。









けい。京、京、京! 俺はずっとお前を見ていたぞ! なぜ斯様な軟弱男やあの馬鹿者と一緒にいるのだ! もやし、うつけのどこがいいのだ京よ! お前は、虎のように強く、狼のように気高い男、つまるところ、俺が最も相応しいのだ! 目を覚ませ! 京よ!」


 あの馬鹿者とかうつけというのは俺の事か? 相変わらず失礼な奴だな。



「……けだものというただ一点においては、虎や狼に類似した部分はあるかも知れませんね」




 抜かしおる。さすが魔女か。窮地にありながらも、一筋縄ではいか……



 !




 打音。そして、絶叫なのかえづいているのか分からぬ苦悶の声……どうやら佐川はくつわをはめられているようだな。そして、あの音は……





「! やめてください!」




 殴られたか……原野ではなく佐川の方が。

 堪えろよ佐川。ここが踏ん張りどころだぞ!




「やめる? 嫌だね。京。俺は堪えられないんだ。お前が斯様な惰弱を体現したような、情けなく萎びた男と共にいるのが俺には堪えられない。先にも言ったが、最近お前はいつもこの軟弱と、あの田中とかいう蝿のように煩わしい男と一緒にいる。何故だ……何故お前は自らの価値を貶めるような真似をするのだ!? お前は俺と生を供にする事でしか真の価値を、輝きを持つ事ができないんだぞ!? なぁ京! 分かってくれよ! いや、本当は分かっているのだろう京? 分かっているのに、お前はわざと分からないふりをして俺を困らせているのだ。それはいったい何故……あぁそうか……お前はこうして俺が現れるのを待っていたのだな? ずっと俺に相手をしてもらえないから拗ねているんだろう。そうかそうか。そうか……ならば、ならば仕方がないなぁ京! やはりお前は俺が必要なのだ! 許してやろう! その傲慢を、その慢心を! 美しい人間は時にエゴイズムに酔いしれる事があるというが、今がまさにそれなのだろう! よかろう! 俺は寛大だ! すべてを認め、また、これまでの無礼も水に流してやろう! だから早く言うのだ京! 俺を好きだと、愛していると! さぁ早く! 京! 京! 京!」



 




 ……これは駄目だ。死ななければ治りようの病を患ったな爬虫類。もはや手の施しようがないぞ。




「どっちがエゴイストですか……あなたのそういうところには随分笑わせてもらいましたけれど、もう飽きました。迷惑です。どこぞなりへと消え、二度と京の前に現れないでください」

 

 あぁ原野よ。病人に、左様な正論を申しては……



 !


「……!」




 再び聞こえる打音と漏れる声。

 などと冷静に分析している場合ではない! 佐川! 大丈夫か!? 無抵抗で殴られ続けては後遺症が残る危険もある! これはいかん! さっさと助けねば!



「京よ。貴様が強情を張れば張るほど、この男が苦しむのだぞ? 素直になれ。俺に抱かれろ京」



 ……本音はそれか? 目的は原野の身体か? なんと浅ましい……ほとほと見下げ果てた奴だ。





「……卑怯者」


「卑怯はどちらだ京。俺の優しさに漬け込み、散々勝手を言ってきたのはお前ではないか」


「事ある毎に京を殴ってきた貴方に、どのような優しさがあるというのですか!」



「暴力は性欲の代替行為だ。貴様が身体を捧げていれば痛い思いはしなかったのだ。そして、過去に一度でもお前を抱いていたら、俺も斯様な真似はしなかったかもしれん。何もかも、お前が悪いのだ。俺に抱かれなかった、貴様がわるいのだぞ?」




「……最低ですね」




「どうとでも言うがいい。どの道、今、貴様が取れる行動は二つだ。俺と再び男女の仲となりここで契りを交わすか、あくまで抗い、無理やりに花を散らすかのどちらかしかない。もっとも、後者を選んだ場合はこのもやしが死ぬかもしれんが……それでも構わぬのなら、それもいい。さぁ、選べ京」


「……下衆」



 




 ……そろそろか。双方膠着状態が続いているが、このままでは原野の奴、本気で身体を差し出しかねん。助けになるかは分からんが、足留めくらいはできよう。俺が囮となっている内に、原野と佐川には逃げてもらう。後は、撮影を終わらせたスマートフォンで壱壱零番けいさつだ。どこまでもつか分からぬが、耐えろよ、俺の身体……





「ふざけるな!」



 突如鳴る怒号……この声……佐川か! 奴め、どうやら自力で轡を外したようだな。中々やるではないか! そして、これで終わりではあるまい。どれ。せっかくだ。男の言葉、しかと聞いてやる!



「先ほどから聞いていれば妄言ばかりじゃないか! いったい君は何様のつもりなんだ! 彼女を物か何かと勘違いしているんじゃないのかい!? 大概にしておきなよ!? 原野さんは気持ちがある! 心がある! ちゃんとした人間なんだ! それを無視して手前勝手ばかりをのたまい! 挙句暴力で屈するよう迫るとは卑劣漢としか言いようがない! 左様な人間を、原野さんが愛する事などできるはずがないじゃないか! 原野さん! 君はこんな人間を相手にしちゃ駄目だ! 僕はどうなってもいい! だから、君は……」



 !


「佐川様!」





 打撃音と原野の悲鳴。カンと、何かが落下したような、乾いた音……歯が折れたのか!? 大丈夫か佐川ぁ!?






「ごちゃごちゃとこうるさい。分かった。先に息の根を止めてやろう。恨むなら、貴様の差し出がましい口を……」




「黙れ!」





 くうを震わせる豪声。

 男の気概がこもった一声。

 魂に宿る灼熱が噴き出したかのような気迫。

 声の主は、勿論……




「殺すなら殺せ卑怯者! だが、貴様は僕の、いや、僕達の想いを! 誇りを! 尊厳までを殺す事はできない! なぜなら貴様は既に精神で屈しているからだ! それを肝に命じておけ哀れな負け犬! 僕は死ぬまで貴様を笑ってやるからな!」







 時間が止まったかのように思えた。見えるわけはないのだが、扉の向こうの二人も、俺と同じように声すら出せないのが分かる。誰もが、佐川の覇気に呑まれている。






 俺は此れ程胸を震わせた事がない。佐川の啖呵に、男に惚れたのだ。よもや奴にここまでの気概があるとは思わなかった。なんという男だ佐川よ。俺は今、自然に拳を胸に当てている。貴様に敬意を表さずにはいられないのだ! よかろう! 頃合いだ! 待っておれ佐川! 今行くからな! むざむざ貴様を殺させはしない! 死ぬのはそこにいる爬虫類面と、そして……!



「佐川ぁ!」



「! 貴様は!?」



「田中様!」


「田中君!」




 俺だけで十分だぁ!







 扉を開き一目散! 目指すは爬虫類だ! 疾走! 疾走! 疾走!



「……!」


 着弾と同時に均衡が崩れた! 

 爬虫類め! 反応が遅かったな! まさか入室早々タックルを決められるとは思っていなかったのであろう! 迂闊!



「原野! 警察だ! さっさと電話せよ!」



「え、あ、は、はい!」



「覚悟せえよ爬虫類! 貴様の悪行! この田中が許さん! 地獄で裁きを受ける前にまずはこの俺が罰を下してくれる! さぁ! 歯をくいしば……」


「……」



「……おい。爬虫類。おい。ど、どうした?」



 ……はて。様子が変だ。こいつ、何やらビクビクと痙攣して……え、あ、嘘だろう!? 打ち所が悪かったか! あ、こいつ泡まで吹いておる! これはまずい!



「は、は、は、原野! 救急車……救急車!」




「は、はい! ちょ、ちょっとお待ちになってください! わ、私、何が何やら……」




 いかん。冷静にならねば。ここは一旦深呼吸だ。落ち着け俺。平常心。平常心……



 あ、いかん! 卓球の試合が始まるではないか! 俺は第一試合だ! 逃げたと思われては堪ったものではない! ど、どうしたら……あ、佐川! いいところにおるではないか! 貴様、ちょっと代われ!



「佐川君! 後は任せた!」


「え!? 任せたといっても、僕は縛られているよ!?」



 知るか馬鹿! 先までの気迫はどうした! というか血塗れだぞ貴様大丈夫か? 早く手当してもらった方がいいぞ? 



「田中君! ちょっと田中君! 待って! 出ていく前に紐を! 紐をほどいてくれないかい! 後生だから!」



 えぇい手間のかかる奴め! 



「ちょっと待て……よし! 緊縛解除完了! それでその爬虫類面を簀巻きにするといい! では!」





 





 その後。この事件の事は大きな話題となり、ワイドショーでも取り上げられた。


「バレてもいい。いや、露見上等であった。あいつが俺の女だと、認めさせたかった」


 爬虫類面は、白昼の学校で原野を襲ったわけをそのように供述したのだそうだ。わざわざ視聴覚室の鍵を破壊までしていたらしく(俺が佐々に使われていた日のことである。昼は警備システムが切ってあるのを奴は知っていた)、その計画性が、刑罰の裁量を左右するだろうと報道されていた。

 一連の事態に面を苦くしている教員ども見るのは傑作だったが、何故か俺だけ罰を受け、教員便所の掃除をさせられたのが納得いかなかった。そして……





「喜劇王田中よ! 貴様があそこまで滑稽劇を演じられるとは思わなんだぞ!」


「あぁ! 遅れてやって来たと思ったら、既に洋袴ずぼんが破れていたとはな! あれには爆笑させてもらったぞ!」



「えぇいうるさい! 少し黙れうつけ共!」



 あの日、川島を制圧する為に疾走し、その影響で洋袴が破れていたのである。そうとも知れずに卓球をし続けた俺は笑われに笑われ、望まぬ悪目立ちの末、校内中の嘲りの対象となってしまったのだった。


 まったくとんでもない話である。これでは道化以下ではないか。俺のイメージがどんどんと悪化していく。憂鬱だ。憂鬱で仕方がない。そうだ、憂鬱といえば……






「やぁ田中君。おはよう」


「……佐川君か。今朝も、二人で登校かい?」


「うん。おかげさまで、幸せな朝を送らせてもらっているよ」


「……そうかい。そいつぁよかった」


 あの後、佐川と原野は交際を始めたのであった。佐川に先を越されるなど憂鬱にも程があろう。


 くそったれめ! 俺だけが幸福になれんのは納得がいかん! まったくこれでは損ばかりではないか! おのれ! だらけた顔をしおって佐川め! 貴様のそのだらしない顔を見ると鬱憤が募りに募るわ! かくなる上は、貴様らが破局するよう裏で天蚕糸てぐすを引き……


「そうだ田中君。京さんがあの日のお詫びにって、君へ」


「お、そうなのかい? なんだか悪いね。貰うけれど」


 なんだ。気がきくではないか原野よ。どれどれ。早速開封といこうか。何が出るかな……何が出るかな……






 ……



「ハーフパンツと、卓球の、ラケット」





 なるほど。






「……佐川君」


「な、なんだい田中君……」


「俺は原野を殺そうと思う」


「いや、ま、待って田中君! 京さんも冗談だと思うから!」



「冗談で済むか! この上はあの女めを辱めるだけ辱めて烏の餌としてくれる! 邪魔立てするというのであれば、例え君でも容赦はしないよ佐川君!」


「た、田中君! 話し合おう! 田中君! 田中君!」






 秋風が一段と冷たくなってきたこの季節。俺は、友に訪れた遅い春に若干の嫉しさを覚えつつ、退屈な毎日に過ごすのであった。


 今日もまた、日が昇り、落ちる。

 俺は迫る期限に焦燥しながらも、日毎に変わりゆく風に身を任せ、なんだかんだと言いつつそれを心地よいと思っていた。




 そうして、今日もまた、新たな風が俺を包む。喜びとは、ひょっとしたら今のような事をいうのかもしれない……

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