事件当日 放課後(2)

「へえ、こんなところが」


 生徒用玄関をいつもの帰り道と逆方向に曲がると、鬱蒼とした木々の間に何とか人が一人通れるぐらいの獣道が現れた。


「さすが旧校舎。誰も使ってないって訳か。雰囲気出てるな」


 足元でぱきっと音がして小枝が折れる。

 先導している姫宮の顔は見えないが、その足音から漏れ聞こえる感じでは笑っているようだった。


「いや、昨日も言ったとおり部室棟になっているからね。人通りはあるよ。ただ、こんな道から来る人は居ないんだ」


 靴が汚れるからね、と付け加える。

 なんだそりゃ。

 ここまで一本道だったじゃないか。他に行くとしたら、道なき道を歩くしか思いつかない。それこそ靴が汚れるどころじゃない。

 そんなオレの疑問を姫宮は一言で解決してみせる。


「本校舎から渡り廊下があるんだよ」


「……何でこのルートにしたんだ」


「冒険感が出るかなって」


 どっと疲れが沸いてきた。

 周りを見渡せば前も後ろも木に囲まれていて、どのくらい歩いたかも分からない。姫宮は疲れなど無いのか、足元が悪い中をスキップでもするように飛び跳ねて移動してる。おかげでアイツの鞄はがんがん枝に当たっている。自分の持ち物を汚すのが気にならないのだろうか。


「ほら、焼却炉あるぞ、焼却炉。男の子は好きだろう、火とか」


 少し開けたところに出て、姫宮がはしゃぎながら言った。

 酷く錆びていたし、腐葉土に埋もれていてわかりにくいが、確かに言われてみればそう見える。人二人分入りそうな大きな口が生き物みたいにぽっかりと開いていた。はっきり言って不気味だ。

 ましてオレは、別に火は好きじゃない。火と言えば遊佐じゃないか……アイツも別に火は好きじゃないか。


「そうだな、ところでまだなのか旧校舎は」


「わかりにくいけど、もう着いてるよ。今は入り口に向かってるとこ」


 そうなのか。薄暗くてよくわからない。

 校舎自体が汚れていて周りの景色と同化しているんだろうか。言われてみれば、歩きやすくなってる気はする。

 それから一分もしないうちに、旧校舎入り口に着いた。入り口側からはグラウンドに出易いのかと思ったが、そんなこともなく相変わらず木々で視界が遮られていた。部室棟は文化系だけの棟なのだろうか。


「入るよ」


 姫宮が開けると、扉は大きな音を立てて軋んだ。

 いかにも普段使われていないといった感じ(というか他の生徒が渡り廊下で来るなら掛け値なく使われていないのだろう)だが、じゃあ何で鍵が開いているのだろう。


「鍵が壊れてる、って言ったよね」


 オレの疑問を見透かして、笑顔で言う。

 あれは美術室の話ではなく、旧校舎自体のことを言っていた訳だ。侵入経路が知りたいと思っていたオレの疑問には、ちゃんと答えていた訳だ。

 姫宮に続いて中に這入る。なんとなく土足で上がりそうに成ったが、姫宮が脱いだのを見て慌てて靴を脱ぐ。それにしても靴を持って歩いている二人というのは、本当に侵入者みたいだ。


 階段に向かう途中、明かりが着いた部屋がいくつかあった。中からは楽しそうな会話が聞こえるところもあれば、物音一つないところもあった。恐らくは文芸部的なものだろうと予想し階段を上る。旧校舎二階には姫宮の言う渡り廊下があった。そこからさっき通った道のりも見えたのだが、直線距離にして五十メートルもなかった。確かに上から来ていたら冒険感はなかっただろう。


 五階まで階段で行くのは相当に疲れた。途中獣道も通っているので、息が切れたものだが、姫宮は平気そうにしていた。そう言えば、毎日のように通っていたらしいからな。華奢に見えてオレよりも体力はあるみたいだ。


「ここだよ」


 五階の端まで歩いたところで、姫宮が言った。

 ちなみに五階には活動してる部活はないのだろう、電気の点いてる教室は一つもなかった。オレは姫宮を追うように教室に入った。姫宮が電気を点けなかったから良く見えないのだが、普通の教室よりは広いぐらいだろうか。埃っぽい部屋の中にはダンボール箱や、そこにつっこまれたよくわからないもので溢れていて、宛らそれらがこの空間を構成しているかのようだった。試しに携帯で照らして見ると、ようこそ師走高校へと書かれた看板が見て取れた。文化祭か何かで使ったものだろうか。作っていたときは楽しいが、誰が貰う訳もなく、かといって捨てる訳にも行かずにここに置かれているのだろう。他の構成物も似たような感じだった。


 夢の跡だな、ここは。

 姫宮はというと、窓際で机に腰掛けて外を見つめている。スカートが埃まみれになるのも気にしていない。その姿が絵になっていて、携帯の明かりを思わず消した。

 夕日に照らされたそれは、一つの芸術作品のようだった。


「ケンもこっちにおいでよ」


「……おう」


 照れくさくて少し離れたところに座る。

 窓の外ではいつも授業を受けている校舎が橙に染められていて、影が長い。いつもお前はここで授業を受けているのだ、と言われたら違和感がある。こうやって外から見るだけで随分変わるな。ふと、姫宮の横顔を見る。姫宮はオレよりやや視線が下に落ちていて、校舎なんか見ていないのが分かる。


 まあ、良い。オレはオレで楽しもう。

 こうして、暗くなるまで外を見つめて過ごしていた。会話も無かったが、不思議と気まずくは無かった。だけど、なんか嫌な予感がするような。


「ふう。そろそろ帰るべきだろう」


 恐らく最後の一人を校門まで見送ったからだろう。姫宮が立ち上がった。最後の一人は野球部だった。もしかして遊佐はアイツを待っていたのだろうか。ここからではアレが神谷なのかは見分けられなかった。


「帰りは渡り廊下から帰れるんだよな」


 オレも立ち上がって言うが、姫宮は首を振っている……この暗がりでも分かるぐらい大袈裟に振っている。


「もう、施錠されているよ。帰りも獣道だ」


「まじか……」


 嫌な予感的中。

 またあの道を通るのか。さっきと比にならないぐらいに視界が悪いだろうに。思わず溜息が出る。


「まあまあ、そう嫌そうにしない。秘密の出口を教えてあげよう」


 何だその面白そうな出口。

 ちょっと心が動かされた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る