第21話

「辛い……いや、辛味ではないのか……酒精の強さなのか?」


 小さなショットグラスをまじまじと見つめるクラッセンは、驚きのあまりぶつぶつと独り言を呟き始めた。


 こういう時は驚きを表に出さずに、さも「知ってますよ」的な風を装うかと思っていたが、素直に表情に出してしまう程にこの安ウイスキーがショッキングだったのだろうか?


「酒精の強さですよ」


 あまりのリアクションの良さに、ついニヤニヤとしてしまうと、クラッセンは再び表情を引き締めた。


「ああ、ふむ……まあ、珍しい酒ではあるな……」


 未だに動揺をしているのか、ガッシリと握りしめたショットグラスにもう一杯、安ウイスキーを注いでやろうとすると慌ててグラスを平行に保つ。


「この小さなショットグラス一つで、ジョッキ何杯分の酒精が楽しめるかと考えると、ケチ臭くてこの大きさのグラスにしている訳ではなくて、関わった人間の労働力に対する感謝からこの大きさになったと理解頂けると思います」


 クソ安いウイスキーのボトルを掲げて、もっともらしい事を言ってニコリと微笑んでやると、クラッセンは少し恐縮したように姿勢を正してお代わりのグラスを差し出した。


「た、確かにその小さなボトルを満たすのに必要なエールやワインの量は、樽一つや二つではすまなそうではあるな……」


「正直、酒に対して畏敬の念を抱かずに、ガブガブと消費するだけの連中には飲ませたくないのです。その点クラッセン殿はこの酒が出来上がるまでの背景を理解していらっしゃる」


「う、うむ……そうですな、普通の酒を造るだけでも大変な手間暇と、途方も無い時間がかかる事は本職程では無いが理解しているつもりだ」


「ええ、そうでしょうとも。あまり大きな声では言えませんが、この酒がそこら辺の安酒屋でガバガバと消費されるのは、どうにも我慢ならんのです」


 うっそでーす!


 貧乏大学生の頃に道端でゲロを吐く為だけに存在した安ウイスキーでーす!


「任せておいてくれ、タットバよ。キチンとこの酒の価値を理解して、それ相応の価格を飲む事の出来る者に売る事を約束しよう」


 俺は沸き起こる笑いを誤魔化すのに必死で口元を押さえていると、クラッセンが目尻に涙を溜めて俺の手を握ってくる。


 あ、お代わりですね。


「しかし、この酒精の強い酒を好む者は限られて来るな……」


 クラッセンが今更ながら売るのに難色を示し始めた。まあ、多少の値切りは礼儀のうちだ。


「確かにこれだけの酒精だと、少し工夫をする必要はあるかも知れませんね……この国ではあまり一般的では無いらしいですが、他所の国に出入りをしている方から聞いた話ですがね」


「他所の国? それはどこの?」


「それが、教えてくれなかったのですよ。軍人ぽかったですね、山の中で食い物を売って欲しいと言われて十日分の乾物をお売りした御仁です。何しろ見た目は屈強な方でしたから、無料で渡せと言われるよりは遥かにマシと、さっさとお売りして火の側に座らせて夕餉をご馳走して酒を軽く飲ませたのですよ」


「ああ、成る程。飯と酒を振舞われてしまったら、いかな名のある悪党であっても多少は仏心も沸くものだ」


 クラッセンは俺のでまかせ話を商人特有の武勇伝の一つとして聞いているのか、好奇心丸出しでうんうんと頷きながら聞いている。


「まあ、その時に聞いた話だと、酒の飲み方の工夫は各地方によって様々な物があり、その酒場にしか無い独特の工夫や、その国のどこの酒場に行っても飲めるスタンダードな物。そしてそのカクテルには必ず名前が付くらしいのです」


「ほほう。単なる水割りとか、臭み消しのハーブ漬けとはまた違うのですかな?」


「まあ、似た様な物ですが、例えばそうですね……」


 市場で購入したレモンを鞄から取り出して、クラッセンの飲みかけのウイスキーに果汁を少し絞り落としてから、俺の手持ちの革水筒の中からミント水を少しだけ注ぎ入れた。


 こちらで皆んなが普通に使用している革水筒の水は非常に臭いので、俺はいつも道端のミントを臭い消しとして突っ込んでいるが、かなり大量にミントを入れているのでアケミやヨシエからは不評だ。


「飲んでみて下さい」


 俺の作った即席簡単カクテルに口をつけたクラッセンは、先程の噎せる様なウイスキーと比べて驚きの表情をする。


「飲みやすくなっている……」


 そりゃあミント水で加水しているので飲みやすいでしょうね。


「この酒は出回っていないお酒なので、まだスタンダードなカクテルは出来ていません。そうですね、悠久の時を思わせるどっしりとしたリカーの飲み口と、厳しさを思わせるレモンの酸味、飲み終わった後に鼻を抜けるミントの爽やかな香りはまるでクラッセンさんの様です。この飲み方の名前をクラッセンと名付けましょうか、リカーを売る際には必ずクラッセンカクテルのレシピを付けて売りましょう。国中の酒場で何年も何十年もこのカクテルの名が呼ばれて続ける事でしょう『クラッセンを一つ』とね……」


「おお……」


 クラッセンがぶるりと身体を震わせて、熱にうなされた様に顔が紅潮して来る。


「とか言ったら高く買ってくれます?」


 一瞬キョトンとした顔でこちらを見たクラッセンが、大きな溜息を吐く。


「なんてこった……商人の俺が口先で踊らされるなんて何年振りだ……」


「これも込みの値段で買い取って頂ければ幸いです」


「確かに貴族相手に売り込もうとは考えていたが……タットバよ、お前自身が売り込んだ方が良いのではないか?」


「私はこの町では新参者です。右も左もわからないこの町でクラッセンさんを敵に回すのと、クラッセンさんを味方につけるのではどちらが賢い選択でしょう?」


 俺を睨み付けたクラッセンがニヤリと獰猛に笑う。


「適当な所で身ぐるみを剥いで放り出してやろうかと思っていたが、仏心が沸いてしまったな」


 あんたは名のある悪党か!



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