05 鷹能先輩の謎②

 大根とねぎの頭が飛び出した、主婦のような買い物袋をぶら下げている美しいギリシャ彫刻。

 絵面がシュールすぎて悶々としていた思考が即時停止する。


「それは残念だったわね。でも卵なら、月曜の “生鮮ぞろ目市” で九十九円になるんじゃない?」

「今日の特売はお一人様一点限りで三十九円だったのだ。せめてもう三分早く到着していれば……」


 無機質な表情で思いのほか悔しがっている様子の鷹能先輩もたいがいだけれど、そんな彼に対して美しい眉ひとつ動かすことなく切り返す咲綾先輩も通常運転すぎる。

 この雰囲気から察するに、この手の会話は二人の間で常に繰り広げられているに違いない。

 少なくとも、近所のスーパーの特売デーと卵の値段を咲綾先輩が覚えてしまうくらいには。


 呆然と立ち尽くす私の前で、鷹能先輩は咲綾先輩との会話を続ける。

「後は俺が彼女を案内することにしよう」

「その前に、その袋に入った食材をボーン部屋に置いてきたら?」


「あのっ! 私そろそろ帰らないと……っ!」

 はっと我に返った私が慌てて口をはさむと、二人が驚いたようにこちらを見た。

 だって……この状況、一度きちんと頭を整理してからでないととても飲み込めそうにない。


「そうか。今日は急に連れてきたりして申し訳なかった」

「タカが強引に連れてきちゃってごめんなさいね。でも、もし興味が湧いたらまた明日もうんりょーへ来てね!」

 意外にもあっさりと帰宅を許されてほっとしたのも束の間、「では俺が駅まで送っていこう。食材を置いてくるから少し待っていてくれないか」との鷹能先輩の申し出に、「いえっ! まだ暗くなってもいないし一人で帰れますありがとうございましたさようなら!」と速攻でお断りして青雲寮から飛び出した。


 正門前まで戻ると、あれだけひしめいていた勧誘の列はもう見当たらず、夕方の冷たい風が舞い散る桜の花びらにオレンジ色の西日をのせている。

 すっかり熱が消え去ったその場所に走り着くと、息を切らせた私は大きく深呼吸をした。


 アッセンブリィの後から続いた怒涛の展開を頭の中で整理してみる。

 高校では部活をやらないと決めた私が剣道部の先輩につかまって、そこを助けてくれたギリシャ彫刻に青雲寮まで連れて行かれて、魔窟と呼ばれるボロい洋館を案内されて、ギリシャ彫刻はあの青雲寮に住んでいるんじゃないかという疑惑が出てきて――


 生活臭漂う調理場に、現役で使われているお風呂場。スーパーの特売日に買い物に出かける鷹能先輩。

 点と点はやっぱり線で繋げられるけれど、そうなると今度は新たな疑問が雲のように湧き出てくる。

 彼はなぜ部室に住んでいるんだろう。家族はどうしているんだろう。学校はそのことを知っているんだろうか。


 すごく気になるけれど、気にしたら負けだと思う自分もいる。

 確かに彼は美しい人だ。顔のつくりはもちろん、スタイルも、高潔な佇まいも、知的で上品な身のこなしも、すべてが完璧に調和している。手にぶらさげたスーパーの袋ですらアバンギャルドな芸術だと思わせるほどに。

 トランペットの孤高の音色と共に彼の完璧な美しさは私の心を捕らえてしまうのだけれど、湧き上がる疑問を辿ろうとすれば、きっともう引き返せなくなる。

 彼との接点は今日を限りに断ち切った方がいいんじゃないか。


 彼とつないだ手のひらを冷たい風が撫でた。

 ごしごしとスカートの腰でその感触を拭い去り、私は駅までの道を一人歩いて家路についた。


 🎶🎺🎶


「知華ちゃんっ! 昨日は大丈夫だったの!?」

 翌朝、教室へ入った私にいの一番で茉希ちゃんが突進してきた。

「おはよ、茉希ちゃん。……って、昨日がどうかしたの?」

「どうかしたのって、昨日の放課後に騒ぎになってたんだよ? 知華ちゃんが吹部のヤバい先輩に強引に連れて去られたって」


 そっか。鷹能先輩と剣道部の先輩とのやりとりは、その場にいた人達から注目されていたっけ。その後私が手を引かれていったところまで皆が見ていたってことか。


「大丈夫だよ。部室を案内されただけだし、すぐに戻ってきたから。……ところで、私を連れて行った人が “ヤバい先輩” ってどういうこと?」

 鷹能先輩に対して必要以上に怯えた様子の剣道部の先輩の反応を思い出す。


「私は昨日軽音楽部に見学に行ったんだけど、そこの先輩達から話を聞いてさ。知華ちゃんを連れ去った紫藤って人こそが、暴力団がらみの事件を起こした張本人らしいんだ。なんでも、入学して早々にこの学校の中で大ゲンカして、木刀を振り回して何人も病院送りにしたんだとか」

「えぇっ!? あの鷹能先輩が!?」


 信じられない。あの優雅で落ち着いた立ち居振る舞いの鷹能先輩が、そんな物騒な事件を起こしただなんて――


「とにかく、昨日は何事もなくてよかったよ! その先輩に目をつけられたら何をされるかわかったもんじゃないから、知華ちゃんももう関わらない方がいいよ」

「そう、だね」

 茉希ちゃんに諭され、相槌を打った私。

 けれども、鷹能先輩のその噂は昨日浮かび上がった幾つもの謎に新たな点となって加わり、やっぱりそれらの点を繋いで彼の輪郭を明らかにしたくなるような興味に駆られる。


「ちょっといいかな」

 私と茉希ちゃんの会話に、突然誰かが割り込んできた。

 見ると、傍に座って携帯をいじっていた男子が顔を上げてこちらを眼差している。

 十五歳という成長期真っ只中のクラスメイトの中では一足抜きん出て身長の伸びた彼。

 黒より少し明るいトーンの地毛はさらりとお行儀よく斜めに流れ、甘いマスクをほんの少し大人っぽさに寄せている。

 クラスの女子の中で「彼、結構いいよね」と密かに囁かれている内山田光亮こうすけ君だ。


「星山さん、昨日無理矢理 “魔窟” に連れて行かれたの? しかも、ヤバいって噂のある先輩に?」

 内山田君は顔をしかめながら心配そうに尋ねてくる。

「あ、うん。けど、昨日見た限りでは “魔窟” って呼ばれるほど変な場所じゃなかったし、先輩もヤバい感じはしなかったよ?」

 なんだかこれ以上青雲寮や鷹能先輩の悪い噂を広めたくなくてそう答えると、寄せていた眉根を解いた彼が微笑んだ。

「そっか。でも、斐川ひかわさんが言う通り、その先輩にはもう関わらない方がいいと思うな」


 爽やかに助言されたけれど、もう一度相槌を打つのには抵抗がある。

 私は仕方なく「へへっ」と曖昧な笑みでお茶を濁した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る