うんりょー!

侘助ヒマリ

交響詩 “うんりょー!”

第一楽章 序曲 ~君をずっと待っていた~

01 うんりょーが君を待っている①



 桜舞い散る午後のけだるい空気を纏い、凛として佇む彼。

 ギリシャ彫刻のごとく凄絶に端正なその顔貌に感情の色をのせることなく彼は言った。

 無機質に、高潔に。


「うんりょーが君を待っている」と――――




 🎶🎺🎶




「あー。お尻いたーい……」


 呻くように独り言ち、私は右半分のお尻にかかる体重を、ゆっくりと左半分に移動させた。

 体育館の硬い床にひたすら体操座りっていうのも苦行だよ。ほんと。

 壇上で話す誰かの声はマイクを通して退屈な音声に変換され、トンネルとなった私の耳を淡々と通り抜けていく。


知華ちはなちゃんはどの部活にするかもう決めてるの?」

 重心を完全に左に傾けると、隣にいた女子が肩をくっつけるように傾いて耳打ちしてきた。

 一昨日の入学式で知り合ったばかりのこの人は、斐川ひかわ茉希まきちゃんという。教室の席が前後という縁で、この三日で下の名前で呼び合う仲になった相手だ。今日は高校生活初のお昼休みを彼女と教室でお弁当を食べて過ごした。

「私は帰宅部だよ。部活、興味ないもん」

 茉希ちゃんにそう答えると、私は彼女から体を離し、再び重心を右のお尻にかけ直した。


 私立藤華とうか学園高等学校の恒例行事である “新入生歓迎アッセンブリィ”。

 要は部活動紹介の場で、今はその真っ最中なのだ。

 運動部、文化部、合わせて三十ほどの部活動が壇上でパフォーマンスを行い、我が部へどうぞと新入生こちらへ向けて熱心にアピールしている。

 けれど私にとっては、どんなにウケ狙いのパフォーマンスも退屈でしかない。

 こんな無駄な時間を過ごすなら、早く家に帰ってスマホ見ながらバイト探ししたいんだけどなぁ……。


 私はもう部活になんて入らない。

 中学生なりの全精力を傾けて、二年三ヶ月という時間を捧げて――

 それなのに、ほんの一瞬のミスで。たった一度の敗北で。

 こつこつと地道に築いてきたすべてのものがあっけなく崩れ去った。

 絶望と激しい後悔、そして襲ってくる虚無感。

 もうあんなに苦しい思いは二度としたくない。

 高校生活という二度と得られない青春を謳歌するならば、学校帰りに友達とカフェに寄ったり、バイトして可愛い服を買っておしゃれしたり、そんな風に過ごした方がよっぽど楽しいし後悔がないに決まってる。

 落ちこぼれなければエスカレーターで藤華大学へ行けるわけだし、勉強だってそこそこでいいんだもの。

 これからは自由でお洒落なハイスクールライフを満喫するんだ!


 お尻の痛さを紛らわすべく、そんな夢の高校生活を妄想しかけていた私の耳に、突然これまでとは違う波長のざわめきが入ってきた。

 見渡すと皆の視線は壇上に上がってきた数人の上級生達に注がれていて、周囲のクラスメイトとさかんに囁き合っている様子。

 何か問題でも起こったんだろうか。

 クラスメイト達の視線を辿り檀上に目をやれば、そこには数人の上級生達がそれぞれ楽器を手に持ち一列に並んでいた。

 トランペットに、フルート、サックス、クラリネット、それから大太鼓。

 どうやら吹奏楽部らしい。


「ここの吹奏楽部、ヤバいらしいよ」


 背筋を伸ばして檀上を見上げていた私に、再び茉希ちゃんが耳打ちしてきた。

「ヤバいって、どういうこと?」

「先生が手に負えないくらいの問題児が集まって、“魔窟” と呼ばれる部室で好き放題やってるって。暴力団がらみの事件を起こした先輩もいるみたいだし、吹部に睨まれたらただじゃすまないってさ」

「そうなの?」

 私はもう一度よーく目を凝らして檀上を見つめた。

 上級生らしい堂々とした佇まいと、文化部らしい落ち着いた立ち居振る舞いの中、手にした楽器が体育館の照明の光を集めて華やかに煌めく。

 とても物騒な人たちには見えないし、むしろ知的で上品な雰囲気すら漂っている。

 特にフルートを手にした黒髪ロングの女の先輩は遠目から見ても艶やかで、大輪の百合のようなオーラを纏っているのがわかる。


 檀上一列の右から一人ひとりの容貌を滑るように確かめていた私の視線が、左側のある一点で止まった。


 銀色のトランペットを片手に持った、背の高い男の先輩。

 照明で茶色く透けた髪は風を含んだように柔らかく踊り、その下にある小さめの輪郭はシャープですっきりとした陰影をつくっている。

 目鼻立ちはくっきりしているけれど、切れ長の目元は涼やかでくどくないし、引き締まった眉と口元が意志の強さを感じさせる。


 ギリシャ彫刻みたいだ――――。


 なんていうか、無機質で、高潔。

 首元できっちりと締められたネクタイもこの人に限っては息苦しさを感じさせずむしろ爽やかで、顔つきも佇まいもすべてが完璧に調和している。


 芸術品のような美しさに目を奪われていると、その隣に立つ男の先輩がマイクで話し出した。


「ほーい。こんちゃ! 吹奏楽部でーす」


 軽っっ!


 随分チャラい先輩だな。

 隣のギリシャ彫刻には及ばずともなかなかのイケメンなのに、この空気よりも軽い話し方が台無しにしている感が否めない。


「まあ、吹部なんてどこにもある部活だから今さら説明なんていらないよね。色々噂があるみたいだけど、俺らはコンクール入賞めざして毎日練習してるチョー真面目な部活でっす。青雲寮で練習してるから、興味あったらいつでも来てね♪ んじゃ、入学祝いに一曲演奏りまーす」


 新入生のざわつきは気にも留めない様子で飄々と話していたチャラ男先輩が、くるりと背中を向けて両手を掲げた。

 どうやら指揮をするらしい。

 軽快に腕を振り始めた瞬間、音の重なりがやわらかい響きとなり、一瞬にして体育館を華やかに彩る。

 皆が良く知っているJポップスの人気曲。サビが始まる頃にはパラパラと手拍子があちこちから聞こえてきた。


 音楽のことはよくわからないけれど、雑味のない澄んだ音が時にやわらかく、時に明瞭に、重なりの変化を伴いながらざらついた空気を楽しげな色に塗り替えていく。

 とりわけギリシャ彫刻の先輩が吹くトランペットの音色は、他の楽器と調和しつつも溶け込むことがない凛とした美しさで──。

 硬質で高潔なその音は銀色の楽器を吹く彼の佇まいそのままで、私の視覚と聴覚はいつの間にか完全に彼ただ一人に囚われていた。


 乾いた拍手の音で我に返る。演奏が終わったのだ。

 壇上の数人は一礼すると華やかな余韻を残して去っていき、さざ波が寄せ返すかのようなざわめきが再び広がる。


 今見聞きした限りでは、この吹部のどこがヤバいのか私にはわからなかった。

 けれども──

 ギリシャ彫刻の先輩の鮮烈すぎる印象は、今後の接点は皆無と見込まれる私の胸に、ヤバいくらいにしっかりと刻みつけられてしまったのだった。

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