第27話 Outrageous Order

 上段から振り下ろした寧の単分子ナイフは、最後に残った動力装甲服パワードスーツの頭部へ何の抵抗もなく潜り込み中身ごと両断する。可動部である首に刃が達する前に引き抜くと、確実なとどめとして横に払った刃で目の辺りを切り裂く。


 側面に低摩擦コーティングを施された単分子ナイフも、動力装甲服パワードスーツの可動部ような強い力に挟まれては、タイミングよっては食い止められ最悪破損する事もある。

 ステフのように足指の力で掴み止めるのは論外としても、戦闘の場においては予想もし得ない損害を被る事もある。

 予知能力を持っている寧であっても、完全な未来を知る事は出来ない。特に殆どの超能力を失っている今は、予想しうる最悪のパターンを確実に避けなければいけない。


 五感だけに頼るのに不安はあるが、瞳孔を横に開き視界を広げながら周囲を確認。三体の動力装甲服パワードスーツはどれも、その五体にとってもそれを纏う者にとっても致命的な部位を撃たれ切り裂かれ、完全に活動を停止している。

 対して寧の損害はスカートの端が破れた事と、ガウスライフルの弾丸を半分使った事。そして交戦開始から四十秒の時間を浪費した事だ。

 片手で端末を操作しながらの戦闘でなければ、超能力の殆どを失っていてもこれくらいは容易い。


 端末の操作を中断していても、やるべき仕事は殆ど終えている。

 地下に存在する対人ドローンを初めとした警備システムには、トッドと別行動をした時点でトミツ技研特製のプログラムを送信してある。更にトッドが後を追えるように、ハードウェアキーが運び出されぬように、研究所の隔壁や防火シャッターはその殆どを閉じてある。

 強行突破されるだろうが時間稼ぎにはなるはずだ。

 終端装置T・デバイスに腕利きの技術屋がいたとしても、寧の仕掛けた干渉を復旧するのに十五分はかかるだろう。

 幸い、ステフが地上で暴れているおかげで、研究所を統べる基幹システムに物理的な障害も発生している。

 マクファーソンカンパニーの研究所だけあって、基幹システムが停止ダウンするような事は無い。そして半端にでも使用可能であればそれにすがりたくなるのが人間だ。

 時間をかければ直ると思わせられれば、それこそが寧の思うつぼだった。




 寧は警戒を続けながら、最後に脳裏に浮かんだ予知をなぞるように、研究所の廊下を走り出した。

 入り組んだ地下であっても、基幹システムに干渉して記憶した図面と、予知の中に現れた映像をすりあわせ、欠片の迷いもなく進んでいく。


 この研究所は、セカンドバベル本体である軌道塔で使う物資を製造する工場も兼ねている。トミツ技研も同様の施設を持っているが、それらに共通するのは『軌道塔及び中央区画へ直通する専用輸送機関の存在』だ。

 この様な輸送機関を持つ事を許されているのは、セカンドバベルでも社会的な信用も高い企業――具体的には七大超巨大企業セブンヘッズのみが専用の輸送機関を持つ事を許されていた。

 セカンドバベル中央区画と周辺区画を繋ぐ橋が七本なのも、こうした理由があってだ。設計段階から七大超巨大企業セブンヘッズがそれぞれの専用輸送機関を橋に造る事を許されているのだ。

 トミツ技研は大型のトラックが通行可能な片側三車線の地下道だが、マクファーソンカンパニーは貨物鉄道を専用輸送機関に選んでいた。リニア駆動ではなく前時代的な蓄電池式機関車であるが、バッテリーやモーターの技術発展により、大質量かつ大量の物資輸送においても問題が出る事は無い。


 もし専用輸送機関を使われた場合、中央区画と周辺区画に挟まれた内海に面するこの研究所からは、容易に中央区画への脱出が可能となってしまう。

 その懸念があるからこそ、寧はトッドに後を任せてハードウェアキーの追跡に移ったのだ。

 中央区画へ逃げられる前にハードウェアキーを確保しなければ、強奪すら難しくなる。例え七大超巨大企業セブンヘッズであっても、中央区画での戦闘は御法度だ。その禁を犯してしまえば、データチップとハードウェアキーを揃えたとしても、今後のセカンドバベル開発計画や来たるべきサードバベル開発において、重大なペナルティを科される事にもなりかねない。

 それが国をも跪かせる超巨大企業が国連の言いなりになる理由だ。

 最悪の場合、勢力図が書き換わるどころか七大超巨大企業セブンヘッズが一つ減る。

 七大超巨大企業セブンヘッズはどこもそれだけは避けるために、中央区画での戦闘行為を自主的に禁じていた。


 間に合うかしら――僅かに芽生えた焦りに、寧は奥歯を軽く噛みしめた。

 以前に比べれば精度も具体性も著しく低い予知の中で、失敗の可能性は色濃く感じている。

 研究所の隔壁やシャッターは閉じていても、動力装甲服パワードスーツ辺りなら少しの時間で突破出来る。


「初めまして、トミツ技研の魔女」


 廊下に作られた小さな休憩所のベンチに、その男は座っていた。背を丸めるようにした初老の男は、寧を見て穏やかに微笑みかける。

 反射的に足を止めガウスライフルを構えるが、男はベンチに座ったままで一切警戒していない。通りがかった知り合いに話しかけただけのように、温和な笑みすら浮かべている。

 気配の消し方が上手いとか、生易なまやさしいものではない。声がするまで人造人間の知覚に引っかからない人間なぞ、これまで出会った事がなかった。男が話しかけなければ、気づかないままに通り過ぎていたかもしれない。


 周囲に男以外の人間はいないようだが、たった今いないはずの相手に声をかけられたのだ。どんな伏兵が潜んでいるか分からない。


「私は善市郎。久司くじ善市郎というしがない老骨だ。マクファーソンカンパニーで終端装置T・デバイス第四課長なんてやらせてもらってる。魔女の噂はここに来る前からよく聞いているよ……してやられた事も多いからね」


 その名前には聞き覚えがあった。

 セカンドバベルにおける終端装置T・デバイスを統括する、マクファーソンカンパニー非合法活動部門たたき上げの男だ。

 しかしトミツ技研が知り得た情報の中では、別段高い戦力を持っている訳ではない。

 本来厳重に情報を秘匿されている非合法工作員でも、その情報が他の企業や個人に漏れてしまう事は偶にある。その殆どは内部からの漏洩や外部からの諜報活動によるものだが、あまりに規格外の能力を持つ場合は秘匿しきれず自然と広まってしまう事がある。

 トミツ技研の魔女と言われる寧がそのタイプであり、また善市郎もそうだった。


 人造人間の知覚をくぐる隠密能力は確かに脅威ではある。もし善市郎が銃を持っていたとしたら、今の寧ならば初弾だけは食らってしまう可能性もあった。

 だが善市郎は自ら声を掛け、千載一遇の機会を潰した。


 ベンチに座ったまま、善市郎の両手は膝の上で軽く組まれている。視覚や聴覚、嗅覚で判断する限り機械化を行っている形跡はない。仮に寧の知覚で判別出来ない機械化を行っていても、行動の起こり・・・を捉えて善市郎の攻撃態勢を整える前に、構えたガウスライフルの銃爪ひきがねを引く事は容易たやすい。

 懐に銃は隠しているようだが、それを抜く暇を与えるつもりもない。


「その物騒なものは物は捨てたまえ。うちの製品を使ってくれるのはありがたいけれど、それは私に向けるものじゃないだろう?」

「そうね」


 寧は言われるままに銃を投げ捨てた・・・・・・・

 ガウスライフルが床にぶつかる音に、寧の体は一瞬硬直し、無意識的に腰の後ろへと手をやり単分子ナイフを抜き放つ。


「動くな」


 善市郎の一言で、寧は単分子ナイフを逆手に構えたまま動きを止める。

 何か力が加わった訳ではない。

 声を出す事も出来ず、寧の体は自ら動きを止めていた。


「不思議かい? 七大超巨大企業セブンヘッズでも名の知れた魔女が、こんな老骨の言いなりになるなんて」


 善市郎はゆっくりと立ち上がり、ポケットから出した煙草に火を付けた。唇の端に煙草を引っ掛けて穏やかに微笑んだまま、ナイフを構えている寧に近づいていく。

 一歩、二歩。そしてただ横に振るうだけで首の落ちる間合いに入っても、善市郎は欠片も警戒していない。

 天井に紫煙を吐き、皺だらけの顔を一層破顔させながら寧の全身に視線を這わせる。


「面白い服を着ているね。これは魔女の趣味かな? それとも誰かに着せて貰ったのかな? 君のような可愛い子が着るととても似合うが、この場には似つかわしくないようにも思える……いや、ミスマッチだからこそ良いのかな」


 トッドが買ってきた制服への評価をしながら、善市郎は半ばまで吸った煙草の火を寧の首筋に押し当てて揉み消した。

 人造人間の皮膚は煙草の火程度では火傷にもならない強靱さを持っているが、その熱さは感じられる。だが痛みよりも、煙草の灰がトッドからの贈り物を汚すのを見て、寧は強く奥歯を軋らせた。


「トミツ技研の魔女……寧、と言ったね。研究所の封鎖を全て解除して端末を壊すんだ。それが終わったら武装解除だ。出来るだろう、寧」


 善市郎の言葉に従い、寧は指輪型の端末を操り閉鎖していた隔壁や防火シャッターを全て開放する。

 そして単分子ナイフで端末を切り裂くと、そのままナイフを投げ捨てた。床を滑るナイフは壁に当たって止まり、善市郎は横目にそれを見て嬉しそうに頷いた。


 遅滞なく善市郎の命令を遂行しながらも、寧の意識は必死に目の前にいる敵を殺そうとし、その体を動かそうとしている。

 例え素手でも、人間一人など腕の一振りで殺せる。

 だがその一振りが出来ない。

 指一本すら寧の意志に従う事はなく、初めて出会った敵の言葉通りに寧の体は動かされている。


「おっ、ま……まさ、か……」


 全力で喉から搾り出した途切れ途切れの声に、善市郎は目を丸くした。


「驚いたな、喋れるのかね。流石は魔女としか言いようがない。だが、動いてはいけないよ。分かっているね?」

「はい。分かっています」


 善市郎への返事だけは、発しようとした言葉を圧して滑らかに口から出ていく。


「よろしい。では服を脱いでついてきなさい。この研究所はもう駄目だが、他の場所で君の機能を調べさせてもらうよ。嬉しいだろう? 私の役に立てて」

「はい。あなたの役に立てて嬉しいです」


 思ってもいない言葉を引き出され、寧は叫び出したいほどの怒りと動揺を抱えるが、それを言葉にすることすら出来ない。

 悔しさのあまり涙がにじんでくるが、寧の両手は肩紐をずらすとスカートのホックを外してチャックを下げる。するりとスカートが落ちると、そのままブラウスのボタンに手を掛け一つずつ外していく。

 脱いだブラウスを床に落とし下着姿になった寧は、激しい怒りと羞恥に頬を赤くし、小さく震えながら善市郎を睨み付ける。


「もしデータチップを持っているのなら、今のうちに渡しなさい。服は置いていくからね――ああ、残りの服も置いていくよ」


 寧はしゃがみ込むと、スカートのポケットからデータチップの入った容器を取り出し、善市郎に差し出した。

 それを受け取って中を改めると、善市郎は満足げに頷いた。そして目の前で下着すら脱ぎ始める寧に目をやり、笑みを深くした。


「確度の低い噂だが、トミツ技研の魔女は人造人間と聞く。外見だけなら、ただの少女と変わりないものなのだね。君を調べる事で、我々も人造人間の開発に本腰を入れられるよ」


 敵の罠にかかり自由を奪われ、重要な物を差しだした上に裸を見られる。

 これまで味わった事のない屈辱に、寧の瞳から大粒の涙がこぼれた。




 トッドが信頼し預けてくれたものを、寧の体は躊躇無く敵である善市郎に渡してしまった。

 それが悔しく、腹立たしい。

 理不尽な命令で装備を外され、服を脱がされるのは屈辱ではあるが、それよりもトッドの信頼を裏切った事が悔しくてならない。

 超能力や人造人間としての知覚を使うまでもなく、トッドは寧を信じてあの場に残った。

 数日前は命を狙う敵だったにも関わらず、彼は超能力を失い狼狽する寧を慰め、その力と行動を信じた。


 非合法な社会で暮らしている癖に、人が良すぎるにも程がある。

 そんな人の良いトッドの信頼を自分は裏切ってしまった。


 善市郎が何をしかけたか、それは分かっていた。

 寧と同種の、だが今の寧とは比べものにならないほど強力な精神感応だ。

 超能力そのものは2143年現在の科学で、多少は解明がされている。その範疇に精神感応――テレパシーと言われる能力も含まれるが、これほど強力なものは知られていない。

 寧もたった今まで、自分の使う精神感応は凡人の使うか弱い超能力と比べものにならないと思っていた。しかし例え本調子であっても、寧には善市郎ほど細かな命令を効かせる事は出来ない。

 至近距離まで姿を隠していたのも、恐らくは精神感応によるものだ。自分の姿を認識の外へと追いやってしまえば、人造人間であっても善市郎を知覚出来ない。


 せめても精神感応が使えれば善市郎に抵抗出来るのだろうが、寧の脳裏に閃くのは作戦失敗を示す予知だけだ。

 ここまで来て――内心で歯噛みする寧の前で、その体をじっくりと眺めていた善市郎が視線が逸れた。間髪入れず休憩所の中へと跳び退った善市郎がいた場所を、空気との摩擦で炎を上げながら一発の弾丸が通過し、衝撃波が寧の髪をなびかせる。僅かに遅れて耳に届く轟音に、寧は目だけを動かす。


「おいっ! 何やってんだテメエっ!」


 涙で歪む視界の端で、特効薬パナシーアを両手で構えたトッドが怒鳴るのが見える。

 寧自身も気づかなかったが、その顔には安堵の笑みが浮かんでいた。

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