第20話 欲しいもの、失ったもの

 トッドは大型の投影式モニタに目をやりながら、十五本目の高カロリー流動食を飲み干すと、空の容器を錆の浮いたゴミ箱に投げ入れた。普段の蛍門工業公司製ではなく、気分を変えてトミツ技研傘下が作った物を飲んでいるが、やはり食事に比べれば味気ないものだ。

 まだ全身の耐衝撃性脂肪層に栄養が回っておらず、いつもと違って引き絞られた体躯にタンクトップを着ていたが、サイズは全くあっていない。


 命からがらに逃げ込んだセーフハウスは、まだトッドが一人で仕事をしていた時のもので、装備も着替えも最低限の物しか置いていない。

 一時的に痩せてしまった時の服などあるはずもない。だが着替えを一揃いしか置いてなかったステフに比べればまだ良かった。

 そのステフはテーブルを挟んだ向かい側で、下着姿にホルスターをつけたラフな格好のまま、工具を手にガウスカノンの分解整備をしていた。




 娼館を中心に建物十数棟が跡形もなく消し飛んだ事件は、世界中でニュースになっていた。様々な思惑や危険の渦巻くセカンドバベルにおいても、これほど大規模な事件として表沙汰になる事は滅多に無い。

 特殊な爆弾が使用された事により、周辺の被害も大きく死傷者は多数で、事件発生から半日は経過した今も正確な死傷者数は判明していない。メガフロートの構造躯体にも影響があるほどの兵器が使われたと、ニュースはこぞって報道している。

 爆発の数十分前から周囲の監視カメラが乗っ取られ、詳細は分からないが激しい銃撃戦が行われていたとの情報も出ていた。


 各局が様々な視点から事件の解説をしているが、真実を伝えているところは一つも無い。

 メディア関係では絶大な力を持つ七大超巨大企業セブンヘッズの一つ、BBBLスリービーエルグループですら、国連発表の記事を流すだけだ。

 爆弾を持ち込んだとされている環境テロリストグループは、声明を発表して事件への関与を否定しているが、これまで何度も同様の事件を起こしながら関与を否定しているグループなので、今回も世間の目は彼等が行った事件と見なすだろう。


 トッドやステフの名前は欠片も出ていなかった。

 二人に繋がるもの――七大超巨大企業セブンヘッズの存在を気取られないようにする方策だろうが、その点は二人にとっては助かった。


「環境テロリストも溜まったもんじゃねぇな。何でもかんでも責任押しつけられてまあ……」


 十六本目の流動食の蓋を開けながら、傍らのソファへと目をやった。男物のアロハを着ているが、ソファに横たわっていたのはトミツ技研の作り上げた人造人間、寧であった。

 ステフは整備していたガウスカノンから顔を上げ、トッドの視線に気がついて口を尖らせる。


「ダディ。何見てんのよ」

「目を覚まさねぇなと思ってただけだ。何もしねぇよ」


 トッドとステフを救ったのは、寧の超能力だった。

 爆弾が起爆する間際、寧は単分子ワイヤーの嵐を床に叩き付けて地面を崩し、三人を丸ごと包む念動の盾を展開した。そのまま爆圧によって瓦礫ごと地下の浮力層にまで叩き込まれたが、寧の超能力はその全てを防ぎきった。

 直後に気絶した寧を抱え、今いるセーフハウスに戻ってきたのが半日前の事だ。それから丸一日近く経った今も、一向に目を覚ます様子が無い。セーフハウスにある機器で測定してみたが、脳波が特殊な波形を示している以外はただ眠っているのと同じ数値を示している。


「そいつが起きないんじゃ、どこにも行けないしなー……殺っちゃうわけにもいかないしねー」

「命の恩人相手に物騒な事を言うんじゃない。寧がいなかったら、俺もお前もあそこで消し飛んでたぞ」


 手の中で工具を弄びながら、ステフは目を細めた。細い指が工具をテーブルに置いた瞬間、寧に向けて冷たい殺気が溢れ出す。


「やめろステフ」

「起きるかと思ったけど駄目か……ダディさ、捕まってる最中、ほんとに何にもなかったの? なんかすっごく肩もってない?」


 トッドの視線と声音はたしなめるというには鋭い。

 しかしステフにとってはそれが不満の種だった。ステフの服ではサイズが合わないからと、普段はステフが袖を通すのも嫌がるトッドの服を着せているのも腹立たしい。


 ステフの目から見ても、養父トッドには甘いところがある。依頼人だけではなく、場合によっては敵の事情も斟酌しんしゃくしてしまう。その結果としてステフは今トッドの元にいるのだから、それを否定する事は出来ないし、譲れない一線はある事も知っている。

 それを知っていても、寧への態度を、気遣いを見るだけで胸が煮えるようだった。


「ステフ。お前もだが、人造人間と言ったって、突き詰めりゃ心の根っこって言うか……俺ら人間と変わりゃしねえ。それが良く分かったから、今は生かしておく」

「だから? だからなんなの? こいつさ、ダディ殺すとこだったんだよ? あたし、ダディ殺しかけた奴を生かしとくのやなの。確かにこいつはあたし達を守ったけど、それは成り行きじゃん? 生かしといたらまたトミツのとしてあたし達と殺りあうよ?」


 喚くようにまくし立てるステフを前に、トッドは流動食の入った容器を置く。


「俺は一度寧に殺されかけたが、二度命を救われた。二度目の事、お前の目ならよく見えてたろう? 寧はお前と俺、両方の手を取ってから盾を使った。単分子ワイヤーを使う時も、敢えて俺達を避けて床を崩した。違うか?」


 人造人間ステフの動体視力は寧の行動を全て捉えていた。その行動に敵意が無かったからこそ、ステフは寧を止めなかった。


「寧には寧の思惑があるだろうし、それに沿った行動をしたんだろう。だが俺は成り行きと言え娘の命を救ってくれた奴を、寝てる最中に殺すなんて事はしたかない。寧が起きた時に、まだやりあうってんなら構わん。俺もお前を失う訳にゃいかんしな」


 ステフは唇を強く噛んで俯いた。

 言い返したいが、言葉が出ない。

 危険な七大超巨大企業セブンヘッズの手にある人造人間。大事な家族を奪いかねない女。だから、排除したい。しなければいけない。

 養父トッドの言いたい事は分かる。納得も出来る。それでも言い負かして、寧を排除したい。


「でも、でも……」


 人間など歯牙にもかけない人造人間の思考速度も、堂々巡りになっては答えを出す事が出来ない。

 ステフの口から出てきたのは、我が儘な幼子のような喚きだけだった。


 トッドは一つ大きく息をつくと立ち上り、ステフに歩み寄ると目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。

 まっすぐに見つめる機械化された瞳に写ったステフの顔は、今にも泣き出しそうだった。

 大きな手がステフの頭をそっと撫でる。少しだけ歪んだ視界の中で、トッドは笑っていた。


「俺の娘はお前だけだ。俺の家族はお前だけだ。俺はどこにも行かんよ」




 何度も見た父の笑顔。

 それが向けられているだけで、さっきまでの煮えるような気持ちもどこかへ行ってしまうようだ。

 思い返せば、再開してからまだ頭を撫でて貰っていなかった。

 これをしてもらいたくて、また会いたくて、工作員の待ち構える場所へと乗り込んだのだ。




「……感動の対面、ですか」


 割って入った声に、ステフは体を堅くしながらもガウスガンを抜く。だがトッドはまるで声がかかるのが分かっていたかのように、ステフの肩に手を置いた。


「悪いかね? 家族ってのは良いものだぞ。人生が潤う」


 寧は体を起こしながら、皮肉げに片頬を歪めて視線を外す。


「分かりませんね、そんな凡人の好む括りなんて」

「起きてまず最初がそれ? 何か他に言う事あるんじゃない?」

「……私を着替えさせたのはどちらですか?」


 着ている服が替わっているのに気がつき、咎めるステフを無視して寧は二人を睨み付けた。ステフが無言で自分を指差すと、安心したように息をつく。

 雨や埃にまみれた服はそのままにしておける状態ではなく、トッドは自分達も着替えるついでに渋るステフを説得して着替えさせていたのだ。


「寝起きで悪いが、幾つか用を頼んでいいかね? 状況が大きく変わってな、俺達もなりふり構っちゃいられなくなった」

「私が言う事を聞くとでも……?」


 寧の左手が持ち上げられるが、そこで動きが止まる。元から白い肌から血の気が引いていくのが二人にも分かった。

 両手を見下ろし、辺りを見回し、蒼白になった顔が驚愕に歪むと声すら出せずに寧は震えた。


「何? ワイヤーの容れ物なら外してあるよ」

「違う、違う――」

「何が違うのよ、使えないの……」


 目に見えて狼狽する寧に毒気を抜かれたのか、ステフはガウスガンを下げると呆れるように言った。


「だからワイヤーは――」

「何も動かせないのよっ! 空にも浮けないし、目でしか見えないし……私の力、使えなくなってるのっ!」


 絶叫じみた声が散らかったセーフハウスに響いた。

 予想していなかった答えにステフは目を丸くし、トッドは眉間に皺を寄せながら髪をかき上げる。

 目に涙を溜めながら、寧は震える体を縮こめて膝を抱きしめた。


「どうしようどうしよう、これじゃ帰れない……帰ったら処分されちゃう……嫌だ嫌だ……」

「ね、ねぇちょっと。ほんとに何にも使えないの? あんたの出来る事って、色々あるでしょ」


 しかし寧はステフの言葉が届いていないのか、うわごとのように「嫌だ」と繰り返すばかりだ。

 業を煮やしたステフは歯を軋らせ、寧に詰め寄ろうとした所をトッドの手が止めた。そしてもう一度ステフの頭を軽く撫でると、ソファの上で膝を抱える寧の傍らで膝を突いた。


「済まんが、俺達にゃ君の不安を推し量る事しか出来ない。拠り所を失うのは辛いだろうが、マクファーソンカンパニーの手を凌ぐにゃ、どうしても君の協力が必要なんだ。トミツの存在や君の超能力を当てにしてなかったと言えば嘘になるが、何よりも寧、君がいないとどうしようもないんだ」


 寧の唇はわなないたままだが、震える声は止まった。

 トッドはまだ小さく震えたままの肩に大きな手を乗せた。


「協力してくれ。代価として、データチップは渡す。マクファーソンの手からハードウェアキーを取り返せば、君の本来の目的は達成されるんだ。君が処分される事も避けられると思う」


 セカンドバベルの今後に関係する計画書と、サードバベルの根幹に関わる計画書。世界中の企業が欲してやまない物なら、三人分の命を贖うに足りると踏んでの事だ。

 しかしそれも完全な形で揃っていなければ、話にもならないだろう。

 そして揃えるための戦力は一人でも多い方が良い。例え超能力を失いステフに劣る肉体能力しかなくても、人造人間としての運動能力や培ってきた戦闘での勘が消える訳では無い。


「ダディ、それでいいの?」

「しょうがあるめぇよ。マクファーソンまで出てくるのは予定してねぇ。あいつ眼鏡屋の言った通り、逃げときゃ良かったと思わなくもないが……やれる事はやっとかんとな」


 ため息交じりに答えたトッドは、肩に置いた手に少しばかり力を入れ、寧の震えを抑えようとする。手に伝わる震えが、次第に小さくなっていくのを感じながら返事を待った。

 ややあって、呼吸を整えながら鼻を啜った寧はわなないていた唇を引き結び、傍らのトッドを見やる。


「マクファーソンカンパニー……と言いましたね。その情報は確実ですか?」


 まだ目の端に涙はあっても、その表情からは動揺が消えていた。


「確実だ。ミーナと、恐らくはアルフと一人二人の重役は、オメガからマクファーソンへの鞍替えを企んでた。その手土産に今回のデータと……トミツ技研の魔女の命をと考えたんだろうな。オメガの持つ情報も土産にゃあるんだろうが、そこまでは俺達も分からん」


 “眼鏡屋オプティシャン”に解析を任せたままだったミーナの暗号文は、オメガインテンション本社へ宛てた物だったが、その内容はマクファーソンカンパニーへの移籍計画の報告書だった。

 解体された暗号文はトッドも目を通したが、ソフトウェアによる暗号化に加えて符丁を多用した文章は、事情を知り暗号解読に長けた“眼鏡屋オプティシャン”の注釈がなければ読み解けなかった。

 だが内容を考えれば、これでもまだ足りないくらいの秘匿性が求められる計画だ。


「分かりました。マクファーソンカンパニーの動きが捉えにくかったのは、オメガを隠れ蓑にしていたからでしたか……これで腑に落ちました」

「それで、俺達への協力は出来そうかい? 重ね重ね悪いんだが――」

「しなきゃ殺す。今すぐ殺す」


 ステフの物騒な脅しに顔をしかめたのはトッドだけで、寧は軽く目をこすって涙を拭うとガウスガンに手を掛けたままのステフを睨み付けた。


「その手の脅しに、私が屈するとでも? 力にのみ頼りすぎる交渉は下策ですわよ」


 “眼鏡屋オプティシャン”に言われた事を思い出し、ステフは小さく唸りながら唇を噛んだ。

 ステフをやり込めた寧は、左だけ口角を上げ片笑む。しかしトッドへ顔を向けた時には、表情を引き締めていた。


「マクファーソンが動いているのなら協力しましょう。あなた方ではとても対処出来そうにないですし、私としてもあなた方を失うのは避けたいですからね」


 言い方に険はあるが、返答を聞いたトッドは破顔して寧の肩を叩いた。


「助かるよ。君がいれば心強い」

「……私がいないとどうしようもないのでしょう? トッド・エイジャンス、あなたの言葉を借りるなら『しょうがあるめぇよ』って事です」


 寧はトッドに応えるように、悪戯っぽく笑った。

 その仕草に人造人間としてではなく、娘として引っかかるものを感じ取ると、ステフは小さく舌打ちし、口の中だけで呟いた。


「やっぱり殺すか、この泥棒猫……」

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