第8話 バベル・プロトコル

 自分のセーフハウスに帰るのだと言うのに、トッドはドアの前で足を止めて出てくる時に仕掛けた幾つかの罠を確認した。

 セーフハウス内外に設置した監視機器のデータはこれらの罠が無事だと示しているが、それも疑ってかからないといつか足を掬われる。軍務に服していた時についた癖は、退役してから十年以上経った今も忘れていなかった。

 無事を確認すると、わざと音が出るようにしてドアを開ける。


「ミーナ、戻ったよー」


 トッドが口を開こうとしたところで、後ろのステフが明るく声を上げる。タイミングを逸したトッドは、ソファに座っていたミーナに手を振った。


「ああ、無事だったんですね。おかえりなさい」


 ミーナは二人に笑顔を向ける。ここだけ見れば騙されてしまいそうなほど自然な笑顔だ。


「服買ってきたよっ。あとご飯もいっぱーい」


 ステフは体が隠れそうなくらいの大荷物を床に置き、その中から服の入った袋をミーナに渡した。


「シャワー浴びて着替えてきたら? その間にご飯作っとくし、片付けしてくれたから汗かいたでしょ?」


「作っとくって、作るの俺だろ。料理なんざ暖めるくらいしか出来ないのに、さも自分が作りますみたいに言うんじゃ無い」

「味見だって立派な料理っ! あ、ほんとミーナはシャワー浴びてきていいよ。どの道作るのに時間かかるし」


 ステフの推しに負けたのか、ミーナは荷物を持ってシャワーを浴びに行った。脱衣所の扉が閉まると、ステフは口の中で呟く。


「強引だったかな」


 トッドは頷いて肯定しながら、監視機器の位置を指さしてから親指を下に向けた。

 足音もさせずにステフはそれらを点検し、監視機器のハードウェアに何か細工をされていないか確認を行う。それと同時にミーナが何か仕掛けをしていないかを確かめていく。


 甲斐甲斐しく動くステフを横目に、トッドは料理を始めた。

 ステフは運動機能が高い分かなりのカロリーを必要とするし、トッド自身も空腹には変わりなかった。

 時計を見れば、普段ならもう夕食を食べている時間だ。養殖物の魚に包丁を入れながら、トッドは何の気なしに呟いた。


「家族の健康に気を遣わにゃならんのも父親の務めかねぇ」




 夕食は少なめに四品だけだったが、その量はゆうに十人分はあった。

 その殆どはステフの胃に収まり、トッドは早々に高カロリー流動食に切り替え、ミーナは一人分も食べ終わらぬ所でフォークを置いた。

 トッドはミーナの顔が少しげんなりしているのを見逃さなかったが、理由は分かるので何も言わなかった。


「ごちそーさまっ!」

「一人で粗方喰いやがって……その分働いて貰うからな」


 ステフが食べ終えるのと同時に、トッドも流動食の入ったカップを置いた。笑顔で応えるステフにハンカチを渡しながら、トッドは話を切り出した。


「さて、そろそろ本当の所を話しちゃくれんかな。君は何を持っていて、どうして大企業に狙われているんだ?」


 目を瞬かせて、ミーナが二人を交互に見やる。


「企業? 私が狙われているのはSADで――」

「依頼の裏取りくらいはさせてもらった」


 それを聞くと、ミーナは口を噤んで表情を強ばらせた。

 大きな体をかがませるように前に傾けながら、トッドは続ける。


「ミーナ。君はどこの企業と繋がっていて、何を目的としているんだ。本当の所が分からないと俺達も依頼の遂行が出来ない……ここで手を引かれては君も困るだろう?」


 ミーナの視線は泳ぐでもなく、トッドをまっすぐに見ている。

 大筋を誤魔化すつもりはなさそうか――勘に過ぎないが、トッドはそう感じた。

 ステフはソファの背もたれに寄りかかって、笑顔のままミーナを見つめている。くつろいでいるように見えて瞬き一つせず、何かあれば即座に単分子ナイフを抜けるように手は腰の辺りにあった。

 ミーナはそんなステフを少し見やってから口を開く。


「そこまで掴んでいるのでしたらお話しましょう」


 息をついて、足を組んでからミーナは続けた。


「私はオメガインテンションからセカンドバベルに派遣されている工作員の一人です。主な目的はこの地における他の七大超巨大企業セブンヘッズへの工作及び、非合法な社会からの情報収集です」


 EUに本拠地を置く七大超巨大企業セブンヘッズの一つ、オメガインテンション。

 エネルギー開発に重点を置き、セカンドバベルにおいても宇宙空間で使用する高効率な太陽光発電機材を納入し、他にも様々な場所で発電所を設置してはエネルギー問題の解決に一役買っている。


 そこから来たと言うミーナ・レッティは、簡単ながら自己紹介をすると、いつナイフを抜くか分からないステフに一言断って、バッグから親指大の機械二つ取り出した。

 どちらも現行で普及している端末へ有線接続出来るコネクタが付いているが、データチップとしてはかなり大きめである。


「私の目的はこれをEU本社、もしくはセカンドバベル中央区画にある支社へと届ける事です」


 セカンドバベル中央区画は、その名の通りこの人工島の中心部であり、軌道塔そのものが建設されている場所だ。

 軌道塔の規模と構造上、中央区画に何かあれば全人類規模の問題が発生する可能性もある為、中央区画の警備は極めて厳しくなっている。

 そこにある施設と言えば、軌道塔とその管理・防衛部門、宇宙への往復に使うリニアレールのステーションと言った国連関係施設の他には、大国の政府代表部や七大超巨大企業セブンヘッズの支社くらいだ。

 周辺区画とは長さ一キロもある七本の橋以外では通行が出来ず、その橋も緊急時には切り離せるようになっている。

 周辺区画から観光に行くだけなら容易いが、中央区画での荒事など七大超巨大企業セブンヘッズですらやろうとしない。国連直轄の警備軍や監視ドローンがそこかしこでガウスライフルを構えて見回っているような場所では、目立つことは出来ないのだ。

 噂ではあるが、七大超巨大企業セブンヘッズ同士も中央区画限定で不戦協定を結んでいるとの話もある。

 それほどまでにセカンドバベルの中核たる軌道塔はデリケートな存在であった。


「ま、確かに中央は安全だな。あそこにゃSADは入れないだろうし、他の企業も目立つような非合法活動が出来るような場所じゃない……こいつの中身は聞いても良いか?」


 トッドは二つの小さな機械を指差す。

 光沢のある灰色の樹脂でカバーされたそれは、事情を知らなければ場末の故買屋にダース単位で転がってそうな物だ。


「国連の関連機関で作成中のセカンドバベル……いえ、東太平洋第一軌道塔の第六次開発計画と、まだ建設予定段階にあるインド洋第二軌道塔の第二次開発計画試案です」


 ミーナの言葉に、トッドの表情が引きつった。

 震える指を立てながら聞き直す。


「今、セカンドバベルどころかサードバベルの話したか……?」

「はい。七大超巨大企業セブンヘッズがこれを必要としている意味もお分かり戴けましたか」


 セカンドバベルで人類が受けた恩恵は、エネルギー関係を初めとして多岐に渡る。七大超巨大企業セブンヘッズに限らず幾つもの企業や国家が個別に出した試算の殆どが、計画中のサードバベル――インド洋第二軌道塔の建設による恩恵は、セカンドバベル単独によるものを上回る結果となっている。

 そしてセカンドバベルとサードバベルの相乗的な経済効果やその他の恩恵は、単純に足し合わせた以上のものになるとの予想も出ている。

 その開発計画が事前に分かっていれば、どこまで食い込めるかも変わってくるだろう。


「この二つは、コピー不可能なデータが収められたデータチップと、それを読み出すのに必要なハードウェアキーの二つからなっています。その為、この二つはどちらが欠けても意味が無くなってしまいます。これをSADが手に入れた時に、私がそれを知る立場にいたのは幸運でした。」


 この手の機密情報は守る側も解く側も、様々な手段でお互いを出し抜こうとする。古典的な防御手段ではあるが、偽装したキーを作成されるまでは安全と言えよう。


「SADはこんなものをどこから手に入れたんだ。そこらに転がってるような代物じゃないだろ……」


 トッドは無精髭の生えた顎をさすりながら呻いた。ミーナは肩をすくめて、冷たい片笑みを浮かべる。


従業員・・・候補として引っ掛けた女が、これを持ち出せる立場にあったそうで……たかがドラッグとセックスで身を持ち崩すような女をその様な部署に入れるなど、我が社としても気をつけねばいけませんね」


 今頃、その女がいた部署では大慌てで行方を捜しているであろう。だが、SADの手に落ちたとなれば、よくて廃人、悪ければもう生きてはいない。

 中央区画で働く職員は周辺区画行きを制限される場合もあるというが、そんな決まりを破る奴はどこにでもいる。


「ミーナのお仲間は今もここへと向かっているのか? 随分と念入りに秘匿した方法で連絡していたようだが」


 セーフハウス内の監視は分かっていたのだろう、ミーナは驚きも


「ええ、オメガインテンションの工作員が私を探しています。出来れば合流して中央区画に向かいたいので――」

「あたしらにはその間の捨て駒になれ、って?」


 黙っていたステフが口を挟む。姿勢は変わっていないが、ステフの手には単分子ナイフが握られている。だがそれを見ても臆する事なくミーナは言う。


「当初はその予定でした。今は違いますが」


 ミーナは組んでいた足を解いて居住まいを正した。


「改めて、お二人に依頼内容の修正と承諾を戴きたい。お二人が得がたい戦力である事は分かりました。不手際でお二人を軽視していた件での謝罪も兼ね、依頼内容の修正により依頼料はお約束の六倍をお支払い致します」


 六倍ともなればかなりの金額だが、七大超巨大企業セブンヘッズの一つを真っ向から敵に回すと考えれば、悩んでしまう位の金額ではある。

 今までの支出を考えれば、一も二も無く頷くのが得策ではあるが、トッドは少しだけ考えて疑問を口にする。


「得がたい戦力、ね。どこでそれを判断した? あんたの前じゃ俺達はSADを一回退けただけだぜ」


 依頼料の増え方と言い回しに引っかかるものがある。ここで断って逃げられる状況とも思えないが、疑問点をそのままにしてはおけない。


「私の知る、暴力に長けた同僚と比較してのお二人――特に貴女の動きは素晴らしい物があります。あれほどの動きの出来る同僚はそういません。特に予算をつぎ込まれた重サイボーグであっても、あの動きをするのは苦労するでしょう」


 興味深げなミーナの視線は横に座ったステフに注がれている。

 見ていやがったか――トッドは心の中で舌打ちした。ステフも動くと踏んで、守るだけでなく視線を遮る目的もあってミーナに覆い被さったが、そこまで注目していたとは油断していた。


「あれほどの運動性を持つサイボーグともなれば、それに見合った報酬を出すのは当然の事と思います。……どこの製品か聞いても?」


 ナイフを持ったステフの手が動こうとしたのを、トッドは手で制した。


「そいつはT&Sトラブルシューティングの企業秘密だ。おいそれと口外するような事じゃあないのさ。あんただって、自分のどこにどの製品使ってるかなんて俺達に言えやしないだろ?」


 工作員であるなら、自分の体に関する情報は生死に繋がる事もある。程度はともかくサイボーグである事も隠せるなら隠したいのが常だ。


「それは言えませんね。失礼をしました」


 ステフの持つナイフの切っ先が自分へ向く前に、ミーナは苦笑しながらもすぐに話題を取り下げた。もし食い下がるようではれば、ステフは自衛の為にミーナを殺すだろう。そうなったらトッドにステフを止める術はない。

 自分から話さない限りにおいて、ステフは自分の素性を知られる事を極端に嫌っている。トッドも探ってくる相手を止めるのは一度のみで、それ以上はステフの対処に任せている。

 それ程にステフが警戒する理由をトッドは知っているので、止める気が起きなかった。


「引き受けては戴けますか?」


 結論を引きだそうとするミーナに、トッドは思案する振りをしながらステフを見やる。

 いつの間にかナイフをしまっていたステフは小さく頷いた。


「当初の七倍。そのうち三割を今すぐ払うなら、引き続いて依頼を遂行しよう。出来ないなら無しだ」


 かなり強気の条件だ。前金として貰う割合も通常一割が相場だが、三割ともなれば当初の依頼料の倍を超えている。それも今すぐ動かせる金額として請求しているのだ。ここからどこまで下げてくるか、どこまで譲歩するかが交渉というもの。

 トッドとしても無茶をする分の報酬は確保しておきたかった。


 しかし返答はあっさりとしたものであった。


「分かりました。Pカードでの支払いとなると今すぐは難しいので、口座での振り込みでしたら。口座は前に教えて貰ったもので宜しいですか?」


 Pカードは二十一世紀から大きく広まっていった電子マネーカードの発展系だ。銀行等特定の場所にある端末でないと作成出来ないが、現金の代わりにも使われ、小切手と違って支払いが保証されている。

 これで払ってもらう方が足が付きにくく色々と都合は良いが、のんびりと銀行に行っている暇もない。


 トッドが頷くと、ミーナはバッグから出した端末を操作して前金を振り込む。それを確認するとトッドは膝を叩いた。


「OKだ。確かに前金は確認した。引き続き、依頼は遂行させてもらおう。となれば、足が付かないうちにここを出て……いや、今すぐ出なきゃいかんようだな」


 セーフハウスの周囲に設置した監視機器に引っかかった者がいる。自動で空間投影された幾つかのモニタには、アフリカ系の男達の姿が映っていた。手にはそれぞれ銃やナイフなどの武器を持っているが、周りを全く気にしていないのか監視機器に気づいてはいないようだった。


「ちょっと早すぎ……どこで足付いたかな」


 ステフは立ち上がると、腰回りに手をやって武器を確かめる。トッドは大きな体をのそりと揺らしながら立ち上がり、手持ちの端末を操作して周辺の地図と男達の配置を確かめる。


「分からん。分からんが、それを調べる暇は無さそうだ。ミーナ、出るぞ。ここに踏み込まれる前に脱出だ」


 懐から出したガウスガンの残弾を確認してからしまい直すと、大股に歩いてセーフハウスへ来るのに使った車に乗り込んだ。

 ミーナが続き、ステフが最後に乗り込むとトッドはスイッチを入れてモーターの調子を確認する。

 発車前の自己診断システムは平常の値を返しているが、それも疑ってかかる。


「ミーナ。こいつに手は出してないな? 何かしたなら今言ってくれないと困る」

「いえ、この車には何も。お二人を見捨てるにしても、この車以外を使う予定でしたので」


 涼しい顔で平然と言ってのける。

 普段使いしているこの車はトッドが一番金を掛けてあった。トミツ技研傘下にある会社が作ったSUVの系譜で、一世紀以上前から頑丈な事で有名な車であり、防弾コートを初めとして様々な場所に手を入れ、操作性も生存性もトッドが気に入るように仕上げてある。

 これに下手な細工をされては、更に追加金額の上乗せも考慮したくなるほど大事にしていた。


「ダディ。SMG出すよ。相手多いし、いいでしょ?」


 言いながら、トッドの返事を待たずにステフは座席の隙間に手を入れると、大型拳銃サイズのガウスガンを引っ張り出した。


「今回は数が多い。無駄弾撃つなら俺が代わるからな」


 トッドは周辺状況を確認しながら、車が乗ったリフトを起動する。音も無くせり上がる車内で、トッドは首だけで振り返った。


「ミーナ。例の物、俺達が預かるか?」


 駄目元で聞いたが、やはりミーナは首を横に振った。


「車が動いたら、そのバッグを大事に抱えて身を低くしててくれ。防弾とは言え、ガラスくらいはぶち抜かれる事はよくある」


 リフトが上がりきると、小さくランプが点灯する。

 男達の動きを確認していたトッドは、太い指でハンドルを何度か叩いた。


「よし来いよーし来い、そこらに来い……」


 アクセルを踏み込みモーターの音を響かせると、男達は小走りに車のあるコンテナへと向かってくる。


「出るぞ! 掴まってろっ!」


 スイッチを押してコンテナの扉を勢い良く開放すると、トッドはギアを繋いで一気に車を発進させる。

 途端に何発もの銃弾が車体に火花を散らせるが、それを物ともせずハンドルを切り、三人ほど男達を跳ね飛ばしながら車は加速していく。


「このまま一気に中央に向かう! ステフ、追ってきたら遠慮はするな!」


 夜の港に響く銃声を背に、三人の逃走が始まった。

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