5. 存在意義の再定義

 西村さんを見送ったあと、僕は茶室を片付けて、抹茶の入った缶と釜を後輩たちに返した。後輩たちは広間の和室のほうで部活中だ。こちらの茶室のほうは普段の練習のときには使わない。


「ありがとうね」


「いえいえ。あ、今日はこのあとお点前を見ていただけますか?」


「申し訳ないけど、このあと教授と話があるから、また来週のお稽古のときでいいかな?」


「分かりました。ありがとうございます」


 部のほうを引退してからも、時間があるときに茶道部の後輩たちのお稽古を見てあげている。研究室にいても作業が捗らないときは、研究から解放されて、息抜きにここへ来るのだ。


 さて、と。


 僕は後輩と少しばかり言葉を交わして研究室に戻った。そろそろ卯花垣教授は授業を終えて戻ってくるはずだ。


 ガチャ


「お、左門くん」


 扉を開けて教授が入って来た。


「お疲れ様です、卯花垣先生」


「いやいや、さっきは悪いね。急にお願いして。前回分の授業の資料を間違えて印刷するとは、私としたことが」


 そう言って卯花垣先生は口髭を触る。


「卯花垣先生、少しお話ししたいことがあるのですが、お時間よろしいでしょうか?」


「ほう。改まってどうした? そうだね、進路のことかい?」


 髭を触りながら、そう微笑んだ。


 いつも、専門のことで質問すると

「あぁ。構わないよ。手短にね」

 というが、こういうときは学部生のときから親身になって聞いてくれた。


「はい。もし仮に、僕が祖父の仕事を、政治家を継ごうとするなら、先生はどう思いますか?」


「そうだね。応援するかな。君は科研費を集めてくるのが得意だからね。向いているんじゃないかな」


「え... あ、そうですか」


「どうした? てっきり、ここに留まるように、とでも言われると思っていた顔だね」


「先生はお見通しですね」


「やはり、そうだったのかね。正直なところ、私は左門くんをここの研究室に置いておきたいところではある。

 ただ、それは宝の持ち腐れなんだよ。

 かつて日本は、技術立国、教育立国を目指していた。だがそれも、私が学生だった頃の40年ほど前までの話だ。それ以降は徐々に日本は研究機関への支出を渋り出した。

 昔なら、君を助教として受け入れるところだろうし、そうしたい。だが今では、できてせいぜい期限付きの博士研究員。予算が足りないから人件費削減。他の大学も研究機関もどこも同じようなものだよ。いや、基礎研究系はもっと悲惨だとも聞く」


 そう言うと、卯花垣教授は手に持っていた授業用資料を棚にしまった。


「今日、ここに若い女性が君を訪ねて来たようだね。聞いた服装と、今の話からして、凡そ、左門飴也先生のところの秘書さんだろう?」


「はい、そうでした。その方に、祖父の地盤を引き継いで、貴族院の議員にならないか、と言われました」


「左門くん、君自身はどう思うのかね?」


「僕がこれまで研究者として学んできたこと、やってきたことは、議員になってしまえば何も使えない知識や経験になると思うんです。ですから、もっと文系の政治を学んできた人間が政治家をするほうが、適材適所というものなのだと思います」


「なるほどねぇ」


 そう言って卯花垣教授は顎髭を触りながら、考え込んだ。


「あ、先生。お茶、淹れますね」


「あぁ、うん。ありがとう」


 奥の小さな給湯室で、薬缶を火にかけた。


「日本の国会議員で、理系の人間はどれぐらいいただろうか」


 卯花垣教授が後ろから僕にそう話しかけた。


「......え、えっと、医学系とかなら多いんじゃないでしょうか?」


「確かに、医学系や歯科学系なら何人かいたな。だが、工学や理学系はかなり少ないのではないだろうか。いたとしても、学部卒だろう。博士、いや修士まで入れても数えるほどだろう。だから、理系の研究の必要性が理解されなかったり、軽視されたりする側面もあるのではなかろうか」


「そうですね......」


 確かに理系研究の価値を文系が上から目線で決めつけてくるのはおかしいし、腹が立つときもある。

 そう考えていると、薬缶の湯が沸いた。

 振り返ると卯花垣教授は執務机に戻って作業をしていた。


 急須で緑茶を淹れながら、ふと思う。

 そういう形で、日本全体の科学を支えることが僕の存在意義なのかもしれないと。


「卯花垣先生、お茶が入りましたよ」


「ありがとう」

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