創世生活(3)

 謎の大災害が発生し一瞬にしてナイリスの町は消滅した。おそらくは魔王の力によるものと推察されるが、イニジエにはその確証を得ることは出来なかった。

 ただ一つ言えることは、自分は死んでいない。その事実だけだ。

 更地となったナイリス。絶海の荒野となったナイリス。その土塊をごばっとかきあげイニジエは姿を現す。土に埋もれ若干の意識を喪失させていたが今はクリアな感覚となって周囲を見渡し怜悧な思考を巡らす余裕を得た。

「てて……どうやら助かったようだな」

 しかし辺りには何もない。イニジエはこきっと首を鳴らすと立ち上がり深呼吸を一つ。

「魔王め……随分ナメた真似やらかしてくれやがる。反則だろ……」

 ぽきぽきと拳を鳴らし、その後で自身に傷がないかを調べる。どうやら多少の擦過傷はあったようだが、骨折もねんざもないようだった。

 なら戦える。イニジエは剣を抜き、荒野を駆けた。

「ナイリスの仇は俺が討つ!」

 それは英雄としての本能か、はたまた持ち前の性格故か、義憤にかられた感情を魂の奥底にまで宿して、それを剣に置換させて――次の町をめざすのだった。

 ふと、そこで目撃する。モンスターだ。見たところ筋骨隆々で全身赤茶色。どことなく体がレンガっぽく構成されている。だが注視したのはそこではない。

 そのモンスターが抱えている女の子の存在だ。イニジエの中に眠る正義の炎がちらりと揺れ、彼女を救わねばという義務感が胸を焦がす。

 疾駆。イニジエは剣を前に構えモンスターの元へ駆けた。




「よおし! さっすが主人公! 復活できたよーっ!」

 執筆を終え、あたしはぱちんと指を鳴らす。

 それは絶対ともいえる歓喜によって。

 さすがイニジエは主人公だ。ちょっとやそっとのことじゃビクともしない。

 この世で最もゲームオーバーから遠い人間、それがイニジエなのだ。

 この有様にスミルナも大喜びだ。

「流石ですわね、弥美! これならいけますわ!」

「うん、このままイニジエにリアンを助けて貰おう。その後で紙様に関する所をごまかして別れさせる」

「どうやってですの?」

「リアンを村人Aとして扱わせ、適当にお礼の会話をさせた後お金を渡す。それでイベント終了させるんだよー」

「なるほど、冒険のシステムを逆手に取ったわけですわね」

「うん、そーだよ」

 これで物語に沿いつつリアンを助け出すことが出来る。

 だが、イズミルは何も言わなかった。

「…………」

 じっと黙って目をあさっての方向に向け、表情をさとらせまいとしている。

「あれ? どったのイズミル?」

「……うるせぇ」

 その声は震えていた。

 理由は――流石にわかる。

「イズミル……ごめんね、でもこうしないとリアンを助けられないの。わかって」

「……わかったよ」

「ありがとうイズミル。大丈夫。この物語の本当の主役はイズミル、君だからね」

「……本当か?」

「勿論だよー」

 それは嘘じゃない。

 この物語の主軸を成しているのはイニジエだが――一歩上の視点から見た場合、イニジエは主人公には見えない。

 何故なら執筆するという物語において、主軸を担っているのはイズミルだからだ。

 この執筆劇において、イズミルは開始を告げ、経過を練り、そして結末へと導いている。あたしはただそれを書き留めているに過ぎない。

 もっとも、そんな理屈を、彼は心の底では信じて貰えないようで、表情こそ見えないが、震えた拳がちくしょうと雄弁に語っていた。

 空気が重くなる。まずい。

 それはスミルナも察してくれたようで、話を進めてくれた。

「あのモンスターはどこに向かっているんでしょう?」

「このままだとトネイロの村まで行くね」

「ならそこで今度こそイニジエを休ませましょう。リアンはトネイロの村に住む、という風にごまかして」

「それがいいねー」

 イズミルは何も言わない。

「…………」

 あたしは震えているイズミルの拳を、両手でそっと包み込んだ。

「イズミル」

「わかってる。……くそっ」

 唾棄。でも我慢してくれた。

 ならばそれでいい。それだけでいい。

 あたしは万年筆たる人差し指を天にかざした。

「じゃ、紡ぐよー」




 モンスターは鈍足だった。その巨躯故かそれとも女の子を担いでいるが故かは知らないしイニジエにとってはどうでもいいことだった。

 ただ一つ間に合った。それだけが絶対的に正しいことなのだ。

「待て!」

 イニジエの一喝を受けてモンスターは足を止め、ゆっくりと踵をめぐらす。彼の向こう側にはトネイロの村が見える。あそこに辿り着かせるわけにはいかない。

「お前に何の用があってトネイロの村に行こうとしているかは知らん。だが魔王に組みするお前をここで許すわけにもいかない。それと、その女の子についてもだ」

「グルル」

 モンスターは言葉を発せられないようだった。下等生物が。イニジエは心の中でそう唾棄し、ちゃきっと剣を正眼に構える。

 その殺気を受けてモンスターも危険を察知したのか、腰を落とし、視線を合わせてきた。だが女の子は担いだまま。それが隙だとも知らないで。

「かあっ!」

 気合一閃。モンスターは当たり前であるが人ではない。人を相手にするのであれば撫でるくらいでも十分殺傷力を持つ剣であるが、レンガじみた硬さを存分に見せつけ、三メートルはあろうかという体躯を有する化物を相手にするには多少心許ない。

 かといって魔法は使えない。モンスター全体に効力が及ぶことで女の子に波及することを恐れたためだ。

 だからこその剣。そしてその威力は――絶大。

「グガオウ!」

 鈍い咆吼。モンスターにダメージがあるのをイニジエは確信する。ならばと追撃を試みる。だがその前にモンスターの拳がイニジエの頬を射貫いた。

「くっ……やるな」

 倒れこそしなかったが歯はぐらつき、どうやら一本折れてしまったらしい。口元に溜まった血と一緒にぺっと歯を吐き捨てると、もう一度攻撃を敢行する。

「グルグ……ガ」

 言葉も解せない下等生物であるが痛みと感情はそれなりに持っているらしく、イニジエに向ける明らかな敵意には恐怖と悲痛がドレッシングされていた。

 ならばともう一撃。狙いは首。渾身の力を持って切り落とす。この剣は単なる刃物ではない。イニジエの血統を受けて決して刃こぼれすることなく、またあらゆる堅牢な物体さえも衣のように柔らかく、そして確実に切って捨てることが出来る。

 しかしモンスターも木偶ではない。意思を持ち、己が考えで行動することが出来る一個の生物である。彼はそうはさせまいと拳を突き出してきた。直突き。横から遠心状に凪ぎる軌道よりも早くイニジエの顔を撃ち抜こうというわけだ。

 だが――遅い。

「はあああっ!」

 イニジエの剣戟は光のごとし。モンスターの拳が鼻先に当たるや否やというタイミングに腕ごと首を切断してのけた。

「――――」

 言葉も発せられなくなり、モンスターはこの瞬間、単なるオブジェと化した。

「俺の勝ちだ」

「あて」

 女の子がするりと落ちる。イニジエは剣を鞘に収めると早速とばかりに彼女に手をさしのべた。

「大丈夫だったかい?」

「え……えと……」

「ああ混乱しているんだね。俺……こほん。僕はイニジエ。魔王を討伐するべく国王陛下の命を受けた勇者だ」

 イニジエは努めて優しく囁き、女の子から恐怖心を取り除こうとする。

「うち、えと、その……」

 何か言いたげであるがなんと言っていいか分からない様子だ。その仕草は妙に愛しさを覚え、イニジエはぷっと吹き出しそうになる。

 だがそんな感情をぐぐっと押さえ、優しく女の子をお姫様だっこする。

「ああ動かないで。怪我しているかもしれないからね。すぐそこにトネイロの村がある。そこに送ってあげるよ」

「は、はぁ」

 彼女に抵抗はなかった。イニジエのなすがままじっと体を預けてくれ、安全にトネイロの村へと辿り着くことが出来たのだった。

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