08 懐かしい光景(1)

 その時、米美の腹の虫が鳴く。せっかく胸に強く誓ったところだったのに、部屋中に響き渡る情けない音。米美は顔がかぁっと熱くなるのを感じた。


「あはは、盛大に鳴ったね米ちゃん」

「……う、うん」

「買い出し行こっか。美緒も起きたことやしね」

「そうやね、行こうか」


 2人は支度を始めようと、美緒を抱いたまま寝室へ向かった。2人の寝室には3人分の衣装ケースが収納されている。米美はいつもの感覚でふすまを開けて驚いた。ケースの中には、捨ててしまったはずの当時着ていた服がしまわれていた。本来はここにはお年寄りが好むような服しか入っていなかったはずだが、30代の頃に好んでよく着ていた服たちが綺麗にたたんでしまわれている。米美は服をひらき「おぉっ」と声を出して懐かしんだ。次々にひらかれていく服。あっという間に、米美の体は服で埋もれた。


「よ、米ちゃん?」

「あっ、ご、ごめん! すぐ支度するかい!」


 冷ややかな目で米美を見てくる繁雄の視線と言動に我に帰り、急いでお出かけ用の服に着替える米美。


「米ちゃん、商店街に行くだけやとにそんなおしゃれすると?」

「へっ!?」


 米美は鏡の前で、都会にでも行くかのような小綺麗な格好をした自分に見入っていた。あまりおしゃれもしなくなった年齢となった米美は、久しぶりの綺麗な服たちにテンションが上がり、思わず着飾ってしまったのだ。当時流行っていた花柄のワンピースに赤いコートを羽織り、鏡を見ながらイヤリングを耳にあてていたところだった。更にこれにハイヒールでも合わせようかと思っているところだった。


「あ、こ、これはその、久しぶりすぎて」

「久しぶり? ああ、夢の続きね」

「いやだから、それは本当の話で」

「ほらほら早くせんと、日が暮れちゃうやろ」


 さらりと繁雄に流されながらも、米美はカジュアルな服に着替えなおし、パーマをかけたような癖っ毛をひとつにまとめる。メイクボックスを開けると、そこには当時使っていたメイクセットたちが音を立てて現れた。米美の心は踊るようだった。もう一度、人生で楽しい時期を味わえるとは思いもしなかったからだ。米美は記憶を辿りつつ、メイクを始めた。こんな田舎で年を取っていくと、化粧をすることから遠ざかってしまいがちだ。米美もそのひとりだった。特に繁雄が亡くなってからは、特にそうだった。米美は鼻歌を歌いながら化粧を施す。とはいっても商店街に出るだけなので軽めにしておく。久しぶりの感覚に、米美はとても楽しく感じた。

 支度の終わった2人は美緒を連れ、外へ出る。米美はその景色に「わぁぁっ」と声を上げる。40年以上も前の高千穂町。78歳の米美の世界ではやっとコンビニが出来てきたくらい。ぶわぁっと視界に飛び込んでくる青々しい景色。田んぼのにおいが広がり、とても懐かしく思った。美緒を抱っこしたまま、繁雄と並んで歩き出す。


(あ、ここのご主人は亡くなってしまったからは取り壊されてないんよね。あぁ、懐かしい、ここはこの頃まだ田んぼやったんやねぇ)


 米美は元の時代と比較しながら、当時の光景を楽しむ。小学生が虫を追いかけ走り回る。公園では中学生らしき若い子たちが遊具を使い、遊んでいる。汗を流しながらせっせと畑を耕す農家の人々。まだこの頃は、これだけ若い人に溢れていたのだと思うと、40年後の高千穂町を思い出し、寂しくなった。都会に憧れ、どんどん町を出ていく若者。高齢化が進むこの町をどうにかしたいと立ち上がったのが、役場の町おこし課である。

 米美はこの神々の町と言われたこの高千穂町が好きだ。自分が生まれ育った町でもあるし、町の人たち、みんな本当に優しく、もっというと家族のような存在なのだ。


「あ、繁雄くんと米美ちゃんやないかぁ。美緒ちゃん可愛いねぇ」

「美緒ちゃんおとなしいねぇ。はよぉ大きくなるんよ」

「あんたらは本当に、いつ見てん仲が良いねぇ」


 すれ違う人たちがそうやって声を掛けてくれる。時には『栄養とりなね』と自分たちが作った野菜を分けてくれたり、買い物に行くと『まけちゃるね安くしてあげるね』と言って、とても親切にしてくれる。

 観光名所としても有名で、高千穂峡たかちほきょう天岩戸あまのいわと神社はこの町の自慢である。

 だからこそ、この町がもっと賑わいをみせてほしいと思う反面、町おこし課ができて繁雄が忙しくなったのは事実。また本来休みだった日に突然入った仕事のせいで、繁雄は事故にあった。非常に複雑な心境であった。

 そんなことを考えながら歩いていると、いつのまにか商店街に入っていた。商店街では米美たちを見かけた町中の人たちが、手を振って挨拶をしてくれる。米美たちはこの町の中でも大変評判の良い、いわゆる〝おしどり夫婦〟。結婚を機に出て行く者が多い中、繁雄と米美はこの町で生涯生きていくと誓い、美緒を出産した。それだけでも、この町の住人からすると、未来を支えていく若者たちとなるのだ。その期待に応えたいという思いは、この頃から十分に備わっていた。

 この時代のこの町には、まだスーパーというものは存在しなかった。商店街の八百屋や肉屋で食材を購入する。仕入れたばかりのこの町の野菜はとても新鮮で、安くて美味しい。都会では想像もできないほどの安さである程度の食材が揃ってしまうので、家計にもとても優しい。


「シゲさん、何食べたい?」

「そぉやねぇ。米ちゃんのご飯は全部うまいもんなぁ」


 そんなことを言いながら、買い出しを済ませる。今日も八百屋でキャベツ1玉をサービスしてもらった。おかげさまで、本当に野菜には困らない。米美はもう一度思う、あぁ、この町が好きだと。

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