よねとしげと、おがたまの木

太陽 てら

01 米美と繁雄(1)

 もしあなたの最愛の人が、当然いなくなってしまったとしたら。

 遺されたあなたは、どう感じ、これからの世界をどう生きるのだろうか。

 これからの長い人生ともに歩み、笑い合い、もっとたくさん話をしたかったと、悔やみながら生きていく人もいるだろう。


 この町に、ひとりの老人が住んでいる。

 老人もまた、若い頃に愛する者を亡くしていた。

 老人は後悔していた。

 なぜもっとこの人との時間を大事にしなかったのだと、自分を責めた。

 そんな老人はある日願った。


 ――叶うなら、もう一度、あの人に会いたい。


 そう、の下で。


 ⚫︎⚫︎⚫︎


 蒸し暑い夏が終わり、日が短くなる季節。緑一色だった山々の一部は赤に黄に、茶色に染まろうとしていた。

 自然豊かな緑に囲まれた九州にある宮崎県高千穂町たかちほちょう。神々の住まう町として観光地としても大変有名な土地。宮崎の観光雑誌の特集ページを賑わさない日はない。この町にはコンビニもほとんどなく、車で15分かけてようやく到着したファミレスは夜の21時に閉まる。都会の綺麗な住宅とは違い、昔ながらの知識を生かした家並みがまだらに建てられ、野菜を片手に高齢者がお隣さんの自宅を訪れる。さっきまで畑仕事をしていたような格好のお爺ちゃんお婆ちゃんがだだっ広い農道を並んで歩き、ふらふらと自転車をこぐ高齢者に声を掛ける。やっと出会えた若者は、髪をきっちり結び真っ黒に肌の焼けた中学生らしき部活動生、校則をきちっと守った制服のスカートの丈、そして化粧を知らない素肌の学生。

 急ぎ足のサラリーマン、スマホを片手に歩く茶髪で睫の長いミニスカートの学生、夜も眠らないネオン街はここにはない。

 そんな田舎町の一角にあるとある一件建ての一軒家。きれいに整備された庭に女性物の洗濯物が数枚かかっている。防犯なんて言葉はこの町に存在しないかのように開放的で広い家の庭から、明るい年端もいかぬ女の子の声がした。


よね婆ちゃん、これなんやと?」


 女の子の声は何かに興味を持っているような様子だった。そんな女の子が話しかけているのは、黒木くろき 米美よねみ。御年78歳となる。


「これ白黒じゃけど、写真なんよ」


 米美は白く抜け落ちた髪を後ろでひとつにまとめ、着物を身に纏い、畳の部屋で正の座を組む。腰は軽いを描き、しわだらけの手で写真を持つ。そんな米美の優しい声が女の子の鼓膜を震わせる。そよ吹く秋風が網戸から入り込み、ふたりの髪を揺らす。子供が指差すのは白黒写真。今ではカラーで撮れるものだが、この写真当時の技術だと白黒でも十分に驚かれた。米美の真横に座り持つ、米美の持つ写真を覗き込む女の子。


「これ誰? 男の人よね?」

「この人はね、婆ちゃんの旦那さんよ」

「へぇ。米婆ちゃんのだんなさんね。今どこにおると?」

「そうねぇ。こん人は、婆ちゃんの手の届かんところにおるとよ」


 女の子は一瞬きょとんとした表情をした後、ちょっと悲しそうな顔に変わり、米美の袖を掴んだ。


「手の届かんとこってどこ? 会いたくないと? 寂しくない?」

「会いたいし、寂しいけん、今の婆ちゃんには明美がおるかい大丈夫よ」


 子供の髪を撫でながら米美は答える。女の子はそんな米美の優しさに甘えているかのように、たくさん話しかけた。そんな子供ながらの純粋な問いかけに対し、米美は嫌がることなく笑顔でこたえていく。


明美あけみ。明美、どこ?」

「あ、ママの声だ」


 そんな時、若いが大人びている女性の声がした。『明美』と呼ぶと女の子が反応する。


のところにおったとね? 探しちょったとよ」

「ごめんね、ママ」

「すまないね美緒みお。あたしが呼び止めてしまったから」


 美緒みお、米美の一人娘である。そして美緒の子供、明美。数年前に結婚した後、同じ宮崎県に住むが車で1時間半ほど離れた延岡市のべおかしに引っ越しをした。それ以来、米美はこの家にひとりで住んでいる。

 いくら呼んでも返事をしない明美に少しイラついた様子の美緒。明美が怒られないように、米美は自分のせいだと述べる。


「はいはい。そう言うけん、どうせまたお母さんのせいじゃないんやろ? いつもそうやって明美を甘やかして」

「甘やかしてないわよ。あたしは明美とお話ができて楽しかったしねぇ」


 米美はふわっと微笑んで明美の小さい頭を撫でる。それが嬉しいのか、明美は子供らしい素直な表情を見せる。


「まったくお母さんってば」

「悪かったね、急いでるんやろ?」

「うんちょっとね。職場で使えそうな小物を取りに帰ってきただけやから」

「そうじゃったね」


 美緒は小さい頃遊んでいたおもちゃを鞄いっぱいに詰め込んでいた。美緒の職場は保育園。今度園の中で行われる、出し物の参考にするという。


「ゆっくりご飯でも食べて行けばいいとに」

「ごめん、そんな時間ないわ。またいつでも帰ってくるかい」


 美緒は喋りながら明美の手を引き、玄関に向かう。『またいつでも帰ってくる』、これは米美の中で聞き慣れた言葉だった。帰省した娘と少しでも長く喋ろうとしていた米美だったが、今回もまた、それは叶わなかった。

 米美なりに急いで立ち上がり、その後を追うが、足腰が少し弱っている米美にとって、美緒の歩くスピードについて行くことすら困難であった。


「そうは言っても、あんまり会えんくなってきたかいね」

「そうやね。あたしも今年から副園長になったやろ? あたしも忙しいとよ。ほら帰るよ、明美。お婆ちゃんにバイバイは?」

「米婆ちゃんばいばい」

「うん、またの。ばいばい」


 明美に靴を履かせた美緒の手は、久しぶりの母に会えた嬉しさに浸り、別れを惜しむ様子もなく簡単に玄関の戸を閉めた。ぴしゃっというその余韻の中、米美は玄関の手すりを持ちながら立ち竦む。


「また、の」


 米美は寂しそうな手で、片手に持った白黒の写真を握りしめた。

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