新米忍者は大変なんです…!!

半蔀ゆら

第1話 新代『葉月』

『次期当主となる者を殺め』


 大きな美しい満月を飾る夜空に。

 静かな暗闇の中を駆ける闇より深い人影。

 トッ。

 細くて華奢な影が、立ち並ぶ建物の上を飛び越える。

 眼に止まらぬ速さで静かな街を疾走する。

 たった一つの命令のために。



「長がお前を呼んでいる。お前の初めての仕事だ」

 この日。元服を終えて、初めての仕事が与えられた。

「…お呼びでしょうか、長」

 しかし、私は低い立場であるため、長の姿を見ることができない。声すらも。

「……来たか。長から命令が下ったのは存じておるな」

「はい。…しかしながら、その内容はまだ伺っておりません」

 下っ端の輩である私を迎えて下さったのは、長の右腕とも言われる側近。

「それを今言う」

「はっ」

 私は片膝をついて頭を下げた。

「…お前――『葉月』に命ずる」

 初めての仕事はどのようだろう。握りこぶしに力を入れる。

「……次期当主となる者を殺め」

 私は、耳を疑った。

 ――殺め。つまり、殺して来い。暗殺して来い、と。

 あまりの大きな仕事に戸惑う。初めての仕事がこれか、と。

 微かに震えている唇を開いた。

「…恐れながら、次期当主とは」

 唇だけではない。体、神経のほとんどが、小刻みに震えている。

 けれども側近は淡々と答えた。

「うむ。この国の四大財閥の一つ、朱雀家の嫡男だ」

「……財閥、……朱雀家」

「そうだ」

 朱雀家は、この国の南の土地に屋敷を構えている。残りの財閥家は、北に玄武家、東に青龍家、西に白虎家である。

 昔、隆盛を誇った一つの財閥家が、繁栄のために東西南北に分裂したといわれている。しかし、その裏では、実は経済破綻の状況から抜け出すためにやむを得なく分裂させた、あるいは、その当時、その家には子どもが四人おり、後継者争いが激しかったために分裂させた、などとの噂がある。

「…期限は」

 暗殺するためには、時間をかけて下調べをする必要があるため、猶予を与えられる。

「この週のうちには」

 この週が終わるまで、あと六日。これだけの日数で準備ができるだろうか。

「…葉月よ。このぐらいのこと、その名を持つ忍にとって容易いことだろう」

 上から注がれる声や視線を真っ向から受ける。『葉月』を名乗れる忍なのだから。

「……はっ。私にお任せを」

「その答え、聞きたかった」

 私は、頭を深く下げ、その場を後にした。


 私は自分の部屋へ戻る途中で、かつて一緒に様々な試練を乗り越えた二人の友に会った。すると、先ほどまでの緊張が少しほぐれた。

「よう、ひ…葉月。久しぶりだな」

 長身のたくましい体をした男が、私の古き名を呼ぼうとした。

「ああ。お前も元気そうだな。…髪もかなり伸びているな」

 長髪のその男は言った。

「…結んだほうがいいか?」

「まあ、そうしたほうが邪魔になりにくいと思うよ」

 私はその男の綺麗な髪に見とれる。彼の金色の長い髪はまるで絹の糸のようだ。

「ねぇ、葉月。大がかりな仕事を頼まれたんでしょ」

 もう一人の友が尋ねてきた。彼女は、艶やかな黒髪を肩まで伸ばしている。

「! 何で知っているの?誰から聞いたの?」

 自分はまだ誰にも、この仕事について話していないのに。なぜ。

 私より少し背の高い少女は言った。

「だって、顔に書いてあるもの。ずっと一緒にいれば、自然と相手に伝わるものよ」

「…そっか、ずっと一緒だったものね」

 私は、二人に笑顔を向けた。その瞬間、二人の友は悲しそうな顔をした。

「……どうしたの?」

 私の尋ねに、二人は顔を見合わせた。そして、男が言った。

「…やっぱり、お前は『葉月』じゃないよ」

 驚きの答えに私は、女の顔を見た。

「そうね。その笑顔を見ると、あなたに相応しい名は、『葉月』じゃない」

 二人の言っている意味を把握できた私は目を伏せた。

「…そう言ってもらえると嬉しいよ。ありがとう」

 二人は、再び顔を見合わせる。心配そうに。

「大丈夫だよ、二人とも。たとえ、葉月の名を語っているはいえ…」

 心は私だよ。と二人に告げられなかった。その自信、確信がないからだ。

 顔が曇っていることに気付いた彼女が声をかける。

「…私たちでは、どうにもできない。でも、私たちはあなたの力になりたいから」

 その言葉に私は顔を上げた。

「…一人で抱え込むなよ。調べものとか何でも手伝うからよ」

 私は二人の優しさに触れて、体だけでなく心までスッ、と軽くなったのを感じた。

 友の顔を交互に見た。二人は、微笑んでいた。

「……っ、ありがとう。薫、海翔。私、頑張るよっ」

 私は溢れそうになる涙を堪えながらそう言い残して、自分の部屋に向けて急いだ。

「……全く。あいつは、人に頼ろうとしないんだ? 今、言ったばかりだそ」

「ふふっ。私たちから、あの子のところに手伝いに行かないとだめそうね」

 友二人は、駆けて行った友の先を見つめたあと小さく笑った。


 

 私が長から『葉月』として仕事を与えられる一か月ほど前まで遡る。

「…よく聞け。これからのお前のことだ」

 武道を指導して下さっている師匠から真剣な面持ちが浮かび上がる。

「……? 何でしょうか、師匠」

 私は手裏剣の練習を止めて、師匠の傍まで近づき、彼の目の前に座った。

「………………」

 師匠は、なかなか口を開こうとしない。

 だから、私から尋ねた。

「師匠、何かありましたか? 私の故郷から何か知らせが…」

「長が、お前を認めた」

 私が尋ねている途中で、師匠は私の言葉を遮った。

 そして、今の師匠の言葉が頭の中で繰り返される。長が、私を認めた。どういうことだろうか。

「…長が、お前を『葉月』に任命された」

「⁉」

 『葉月』。その名は。

「何故、私が『葉月』など…っ。師匠、私は…私は…」

 『葉月』。それは、ただの仮の名。

「長が私を認めて下さったことは、とても光栄なことですが…っ。しかし、この私が…」

 『葉月』。それは――――

「落ち着け。確かに、その名はお前にとって辛いかもしれん。今のお前ではな」

 師匠が、混乱している私を宥めた。

「……っ、今の私では、ですか? 師匠」

 なんだろう。今、とても寒い。一生懸命、練習に励んでいたから、そのときの汗が一気に引いてしまったのだろう。

「…いつか…いつか、『葉月』の名に相応しい忍になってしまうのですかっ……」

 私は立ち上がった。このままでは、自分の感情が抑えきれない。心の落ち着ける場所へ。

「…失礼します……っ」

 こんなんじゃなかった。立派な忍になるために沢山の努力をしてきた。その結果が、これか。

「待て」

 練習場を立ち去ろうとしていた私に師匠は告げた。

「来週、長の館に寄れ。これを門番に渡せば通してくれる」

 師匠は、袖元から文を出した。どうやら中に入っているのは証明書のようだ。

 私はそれを受け取った。証明書を覆っていたその文の裏には師匠の名と印が載っていた。


 ―――前代『葉月』 承認


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