第27話 赤、痛恨

「おい、女! お前、いい加減にしろよ! あんまりフザケタ真似すっと、俺の親に言いつける……」


 レツさんは首をこきりと回すと、木刀を屋上に振り下ろす。がすんという音とともに地面が乾燥しきったお餅のようにひび割れていく。


「い、ぃやぁあおう!」


「さぁて、もういっちょ、どかんといってみようじゃねーか!」


「ま、ん待ぁて!! ぅ動くな!! そこから動くんじゃない!! これ以上、ぼ、僕に近づくと、お前の男をここから突き落とすぞ!!」


 そう。情けないことに僕は望月にチョークスリーパーをかけられていた。屋上の手すり越しに、望月の左腕が僕の喉を締め、右腕で頭を固められていたのだ。レツさんの登場に見とれていたばかりで、さっさと手すりを乗り越えなかったことに僕は後悔していた。自分のヘナチョコ振りに反吐が出そうだ。


 それでも、もし、この体勢で望月が手放し、後ろからひと突きされれば、間違いなく落ちる。


「つつ、つーか、ぁ、謝れよぉ!! ぼ、ぼぼ、僕に、ぁ謝れよ!! そ、そそ、そしたら許してやる!!」


「クソダセえな、お前」


 レツさんは吐き捨てた。


 僕も同じことを思った。


「っぇせよ!! 早く、謝れよ!! ゆ、許してほしいんだろ!!」


「……どうするよ、牛乳?」


 彼女の問いに、僕は百点満点の回答は得られない。そんなことは知っている。なぜなら僕は臆病だから。僕の身体はガンジーでできているから。非暴力と非服従がモットーだから。


 非服従。


 今、僕はガンジーの勇気を心から思い知る。その偉大なる精神こそ、彼を英雄たらしめてきたことを。


 僕は到底ガンジーにはなれない。そんな器じゃない。百も承知だ。


 けれども。


 この最低男に屈従なんてしてたまるか。こんな無様な男にレツさんを屈従させてたまるか。


 僕は手すりの隙間を縫って、望月の腹に肘打ちを食らわせる。


「んぉぷ」


 その手が緩んだ隙に、頭を引いて、後頭部を望月の鼻っ柱にぶっつける。


「が、んがあ」


 望月がどうなったかは見えない。だが、身体は自由になった。


「はは!! 牛乳、やるねえ!! 善いどっかんだ!! あたしも負けてらんないねえ!!」


 レツさんは無造作な体勢で木刀を投げると、それはブーメランみたいにくるくると回転して飛んでいく。そして、足下が覚束ず、ふらふらしている望月の背中に直撃。望月はサイコロのように屋上を転がっていく。


「れ、レツさん、ありがとうございます!!」


 僕は手すりを握って、乗り越えようとする。


「うん!? いや、まあ、あたしが蒔いた種でもあるからね」


 レツさんは若干照れ臭そうにうつむいて、ぽりぽりと頭をかいていた。


 高山さんが叫んだ。え、高山さん?


家路いえじくん、危ない!!」


 あれ、なぜ高山さんがこんなところに?


 って、おや、望月の彼女? のルナって女子じゃないか。どうして女子が髭剃りの親玉みたいなの持ってんの? いつの間に僕の正面に立っていたの?


「ウザ。さっさと死ねばいいじゃん?」


 次の瞬間、手すりを握っていた僕の手が青白く光る。バリバリと音を立てて、手すりから弾かれる。


「早く落ちろっつの」


 それは軽いキックだった。まるでじゃれつくような、それまで悪級劣ワルキューレから受けていたものと較べたら、子供だましも同然だった。


 でも、充分だった。僕が屋上から落ちるには、十二分過ぎた。


 高山さんの悲鳴がこだまする。


「牛乳!!」


 レツさんがルナって女の顔面をグーで殴りつけた。


 ああ、レツさんて、こういうときは男女平等なのな。


 ルナの顔がひしゃげている。その手のキャンディーポップが僕を追いかけて落ちてくる。


 レツさんが手すりを乗り越えようとする。制止しようとする高山さんを引きずりながら。


 姉さん、貴方にそんな顔は似合わないっすよ。


 その先は真っ白になった。ちょうど空に浮かぶ雲のように。

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