第20話 お姉さんと黄色

 あっという間だった。痛みも触られた感覚すらなかった。


 それでも僕は目の端で、メスや鉗子を捉えていた。丸椅子に座った姿勢のままで。その技術が途轍もないことは素人の僕でもわかる。


「……これで完了。糸は体内吸収されるから気にしなくていい」


 先生は手術道具を白衣の内側に仕舞うと、黒い金属片をゴミ箱に捨てた。


 ちなみに、


家路いえじくん、早まるな! これは非常事態用の緊急通信で、そのテストに使っただけで、別に悪ふざけで使ったわけじゃなくてじゃな……」


 が、脳内校長ノイズの最後の言葉。


「……他にも怪しいモノ埋め込んでないっすよね?」


「ない」


「GPSとかマイクとか」


 ぴぴぴゅううと、保健のお姉さんはぎこちない口笛を吹いた。白々し過ぎる。


「取ってください!」


「……校長がお金払うってホントだよね?」


「払わせます! ったく、どこのディストピアっすか!」


 そんなわけで、いろいろ余計なオプションは根こそぎ廃棄しました。おかげさまで真っ当な身体に戻りました。本当はヒーロー黄色成分も取って欲しかったけど、それはさすがに無理とのこと。まあ、いい。とりあえず、校長の目から逃れられるようになっただけでも感謝だ。


「私はさ、人体実験もできたし、お金ももらえたからいいよ。別に今どきのインフォームドコンセントとか良心なんて気にしてないもん、どうせ無免許だもん」


 お姉さんは未練がましく、うじうじとコーヒーを啜っている。


「先生も先生ですよ。腕は良いんだから、きちっとしてくださいよ。大人なんでしょ?」


「……はーい」


 こいつ、絶対反省してねえな。こんなダメな大人にだけはなりたくない。そうだ。どうせ、成長して大人になるなら、僕を助けてくれたヒーローのようになろう。人のためになる立派な人間になろう。なりたい。なれるといいなあ。


「それはそうと、家路いえじくん。体育の時間でしょ。戻らなくていいのかしら? 私はこの時間、暇してるからどっちでもいいけど」


「いいんすよ、古文ですから。受験対策以外、やる意味ないし」


「へえ、古文か。懐かしいなあ。私はやって後悔はなかったけどね」


「え、大人になっても古語なんて使うことあります?」


「……全然。でも、だからこそ、学んでおいた方が良いことってあると思うんだ。私の医術は確かに必要不可欠で実践的、でも古文はその逆だからこそ勉強した方がいい気がする。世の中、必要、不必要で単純に切り分けられないことだらけで、不必要だから必要なことって存外にあるの。ちょっと難しいか」


「……へえ」


「何?」


「すみません。先生のこと、少し馬鹿にしていました。やっぱり先生は大人なんだなと思います」


「ふうむ、よくわからんけど、青春は楽しんだもん勝ちだから、頑張りたまえ」


「あ、はい」


「にしても、体操服とは随分とアグレッシブな古文ね。もしかして最近は、下一段活用体操なんてあったりする? よかったらお姉さんに教えてくれない?」


「ああ、それはですね……」


 僕は事の顛末を話した。昨日の帰り道のこと、黒い集団のこと、僕を救ってくれたヒーローのこと、できるだけ詳しく。


 先生は眼鏡を深くかけ直すと、真剣な面持ちで僕の話に聞き入った。いつの間にかノートパソコンを広げている。


 モニターで何かのグラフをクリックし、ふむふむと頷いている。


「確かに、君の言う通り、その時間帯に君の位置情報から音声情報まで全部がロストしている。エビルサインの出現時の兆候と一致している」


「全然わかんないっす」


「掻い摘んで説明する。エビルサイン、つまり悪の集団ね。どうして彼らは存在するのに、彼らをとらえた映像や画像、音声データは見当たらないのか? この情報が溢れ返っている現代において、彼らの情報が何一つ存在しないのか? 幽霊やUFO、UMAですら情報で有り余っているのに」


「むぅー、悪の集団を記録することができない?」


「ビンゴ。連中はいかなる記録媒体をも拒絶する。ただし、文字情報を除く」


「ああ、そういうことっすか。つまり町中を監視カメラで映しといて、映んなくなったところに、悪の集団がいるってことですね?」


「正確には、衛星写真ね。この町を写した衛星写真の中でノイズが発生した部分を拡大していく。そうやって連中の現在位置を突き止めている。いかんせん、AI化していないからタイムラグは生じるけど」


「……うん? ちょっと待ってください。じゃ、昨日、僕が襲われたのって、校長とかみんな知ってた?」


「ううん、今、知ったとこ。AさんとBちゃんにもメールしたとこ」


「え、でも時間差でも、悪の集団の発生ってわかるんですよね?」


「だって、夜だったじゃん。みんな、帰ってたから」


「おい、そこの大人!! しっかりしろ!! ちゃんとやれ!! きちんと仕事しろ!!」


「大人には労働基準法ってのがあるんだよ」


「こっちは死にかけたんですよ!!」


「でも、君は死んでいない。それでいいじゃないか。結果がすべてだよ。……安心なさい。不思議なことに悪の集団サイドにも労働基準法というか、紳士協定があるらしい。連中は少なくとも君の家を狙うことはない。夜はぐっすり眠れる」


「どういうことっすか?」


「正義のヒーローが悪の組織のアジトに乗り込むことはあっても、悪の構成員一人ひとりの家に押し掛けることはないでしょ。それと同じ。連中はヒーローの活動場所や基地を襲っても、自宅には目もくれない。暗黙のルールってヤツよ」


「なるほど。つまり先生は僕にヒキコモリになれと」


「ハッハー、残念でしたー。あんまり家に引きこもっちゃうと今度は自宅が基地と見なされる可能性もある。だから適度に外出する必要がある。無難に学校生活を送りなさいってこと。……だけど、君らヒーローのHiヒロニウムエビルサインを呼び込むのは事実。だから、この学園は、とある施設からのHiヒロニウムを打ち消す波動で守られている。注意するべきは登下校ね。とくに下校中」


「校長ので送迎とかやってくれないでしょうか?」


「ハッハー、それもダメ。適度にHiヒロニウムを発散しなきゃって言ったでしょ。それじゃ家に引きこもってるのと同じになる。おっと、Bちゃんからメッセージだ。家路いえじくん宛てだ。君の下駄箱の中に新しい制服を用意したって。ヒーロー専用の超頑強な繊維だって、いいね、お金の匂いがするね、羨ましいね」


「マジっすか!?」


 お姉さんは冷めたコーヒーに口を付ける。ほんの少しだけ優しい目に見えた。


「正直、いろいろと大人の事情も絡んでいる。だが、私達のヒーローサポートは本物だ。それだけ信じて欲しい。私は自分の命とお金が大好き人間だが、その次に悪を憎む心がある。一応、君にも死んでもらいたくない。何しろ、人類初の養殖ヒーローだ。君は私の子供と言ってもいい。おいで、私がママよん」


 まぁた調子に乗りやがったと思ったところ、ちょうど一限目終了のチャイムが鳴った。なんとなく腑に落ちないところもあったが、僕は腰を上げることにする。いつまでも体操服もなんだしね。


「それはそうと、暮内くれうちくんとのコンタクトに成功したそうじゃないか。やるねえ。彼女は世界で四人の一人、天然のヒーローだ。放課後、一緒に基地まで来たまえ。今後について話し合いたい。できればサンプルの提供とか」

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