エクソシストイ

挨拶表現

第1話 N村

南仏にあるN村は、牧羊以外、特筆すべき名物はない。

静謐を好んで南方へと旅する者たちも、この村は避けて通るくらいだ。

県の観光課も、N村は十数年を待たずして消滅するだろう、と陰口を叩いている。

村の現状を知った若者たちは、後を追うようにして村を出ていく。


そんな、誰にも相手にされないこのN村に、一週間前、ある若い男がやって来た。

詰襟の黒衣をまとったその男は、誰の目から見ても、神父そのものであった。

村民の多くは、珍しい客の姿に、好奇の目を向けた。

この村の教会は、既に二十年以上も前に、廃墟となっていたからだ。


当時、九十を超えていた老神父は、お勤めのために、ある老婆の家を訪ねた。

翌日は日曜礼拝に当たっていたが、村民がいくら待っても、老神父は現れない。

心配になった村民は、教会を出て、四方、老神父を探し歩いた。

神父は、見つかった。

件の老婆の家の前の溝の中で、老婆の愛犬を抱いたまま、一緒に固くなっていた。

神父にも、また、犬にも、外傷もなく、争ったような痕跡も見られなかった。

町から派遣された数人の刑事が、老婆に会見当日のことを尋問した。

老婆は「あの日はお見えになりませんでした」と繰り返すばかりだった。


ただ、近所に住む鍛冶屋の6歳の息子の証言が、多少の事件性を帯びていた。

鍛冶屋の家から老婆の家までは、僅かに数十歩という距離にあった。

少年は、その日、外の瓦礫置き場で、いつものように遊んでいた。

日も沈みかけて、心細くなった少年は、鉄くずを捨てて立ち上がった。

顔を上げた時に、老婆の家の垣根の前に、老神父が佇んでいるのが見えた。

家に入るわけでもなく、声をかけるわけでもなく、ただ佇んでいたそうだ。

少年は、家に入って、玄関のドアを閉めた。

その刹那、戸外から、若い女性の金切り声が響き渡った。

しかも、一人ではなく、数人の声が、まるで合唱のように、絡み合っていた。

怖くなった少年は、カーテンを少し開けて、窓の端から外をのぞいてみた。

老婆の家が、真っ赤に燃えていた。

そして、数十頭の野犬が、人間のように二本足で立ち上がって、踊っていた。

「あっ!」

と声をあげたまま、少年は気絶してしまった。


少年が6歳という年齢であり、また、気絶していたという事実も、不利に働いた。

少年の言葉は、夢ということで片づけられた。

荒唐無稽な証言の内容は、言うまでもない。

少年の身の上を心配した両親は、少年にこれ以上口外せぬようにと口止めした。

刑事も、もとより、それ以上は、聴取しようとはしなかった。

少年も、数日後には、そんなことは忘れてしまった。


村にも、いつもの日常が訪れた。

ただし、その事件を境に、教会での礼拝は絶えた。

代りの神父がやって来ることはなかったのだ。

敬虔な信者である村民の一人が、県の神学協会に問い合わせた。

協会の担当者は、一言、こう告げたそうだ。

「N村には、そもそも、教会はないはずですが」


「じゃあ、あそこに何十年も前から立っている建物は何なんだ!」

「わしは、他県の神父たちがやってきた光景に見覚えがあるぞ!」

「老神父が昔、バチカンの神学校で学んだ思い出を語ったことがある!」

「みんな、こんな田舎に来るのを嫌がってるんだよ!」

村民たちは、口々に、協会担当者の奇怪な発言に対して、不満を漏らした。

その喧噪も、数日後には収まった。

それぞれの目の前にある生活が、つまり、時が解決したのだ。


その後、二十年近くも、この村には、宗教臭が絶えていたのだ。

久々に目にする僧衣に、好意の目を向けるのも、無理はあるまい。

その若者は、黒い皮のバッグを一つ提げていた。

事件以来、廃墟となっている教会の前までやって来ると、バッグを地面に下した。

そして、割れたステンドグラス製の窓に近づき、中を覗き込んだ。

数人の村民が、半ば興味ありげに、半ば怪訝な気持ちで、様子を見ていた。

何かを探すように、上下左右を覗いていた若者は、やがて何かを語り出した。

あたかも、そこに誰かがいるかのような口吻で、語りかけているのだ。

やがて、若者は、窓の側から離れると、曇った空を仰いだ。

気味が悪くてたまらなくなった村民の一人が、若者に声をかけようとした時、

「アドナイ、ハアレツ!」

若者は、そう叫ぶと、首からかけていた銀色のロザリオを窓に投げつけた。


その瞬間、猛烈な豪雨が村を襲った。

一寸先も見えないくらいの突然の大雨に、村人は四散した。

鍛冶屋の青年を除いて。

それは、あの日、荒唐無稽な証言をした少年だった。

青年は、ずぶ濡れになりながら、凝然と、黒衣の若者を見ていた。

乱暴に顔を打ち続ける雨に必死に抵抗しながら、見ていた。

やがて、若者は、気づいて、青年の方を振り向いた。

若者は、笑顔だった。

そして、全く濡れていなかった。

若者の周囲だけ、明るく、陽が射していた。


青年は、ふと、あるものが窓辺に動くのを認めた。

一羽の鳩が、ステンドグラスの割れ目から、顔を出している。

何も判別できないほどの豪雨の中、なぜか、青年と鳩だけはよく見える。

やがて、鳩が、こちらへ、赤い目を向けたかと思うと、ニヤリと笑った。

「主よ、御心ならば・・・・」

そう口にしながら、青年は意識を失った。

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