先生と破壊の神(その6)


 「フェンリル、気を付けて! そいつの攻撃見えない」


 ソフィアが叫ぶ。タドミールは同じ場所に立ったまま一歩も動いていない。遠隔魔法? それとも光学迷彩?  私には使い魔たちが攻撃された瞬間すら見えなかった。見逃したのか? いや、私には見えていた、正確に言うと私の目には彼らの存在が映っていたのだ。にも関わらずどのように攻撃されたのか分からなかった。


 ――フェンリルがいない!


 いや、目の前にいる。なんだろうこの違和感は? まるで間違い探しのようだ。


 フェンリルの背中に傷が浮かび上がった。ふさふさとした栗色の毛皮が削り取られている。


 「フェンリルーっ! 逃げてーっ!」


 ソフィアが叫ぶ。タドミールは動かない。血まみれの長剣――滴り落ちる血――血だまり――


 主人の叫びにフェンリルが反応した。何も無い空間に向けて跳躍する。体のあちこちに細かい傷が浮かび上がる。何かから逃れようとするように跳躍を繰り返す。

 

 私が感じていた違和感の正体は――血だまりだった。フェンリルが跳躍をするたびに、傷を負うたびに――

 少しづつ血だまりは小さくなっている。

 

 「ソフィア、あれを見て! なんかおかしいっ!」

 

 「それって……、時間が、まさか……、タキオン?」

 

 ぶつぶつと独り言のように呟くソフィア。

 

 「タドミールっ、あなた、過去を変えたわね」


 過去を変える? ソフィアの言っていることの意味が私には理解できなかった。

 

 「さすがですね、ソフィア先輩。からくりに気が付くとは驚きましたよ。いかにも今の私は高速を超えて移動できる超高速粒子タキオンで構成されています」

 

 「を攻撃している、防ぎようがない」

 

 「小娘、どういう事だっ、説明しろ!」

 

 ルシファーさんが二人の話に割って入った。


 「光速に近付けば近付くほど、時間の進み方は遅くなるの、もし光速を超えて超光速を得ることが出来たら、過去に戻ることが出来る。でもそんな物質は存在しないと言われているわ」


 「は? さっぱりわからんぞ」


 「タドミールは、過去に戻って私達を傷付けることが出来るの! 運命を変えているのよ!」


 「防ぐ方法はあるのか?」


 「残念だけど、ないわ」


 「頭の良いソフィア先輩、尊敬します。でもその頭の良さは危険ですね」


 ――うぐっ


 ソフィアが、くぐもった声を出したかと思うとよろよろとよろめく。


 「ソフィア! どうしたの?」


 まさか! まさか、そんな……


 急いで駆け寄った私にもたれ掛かるソフィアを、両手で抱き抱える。ソフィアの背中には赤い矢が突き刺さっている。制服に赤いしみがどんどん広がっていく。

 かなりのダメージを負ったフェンリルがふらふらと、ソフィアの側までやって来た。傷ついた主人に向けて心配するような鳴き声を一声あげると、光の粒子となって消えた。


 「川本さん! 急いで血を止めるのよ!」


 白姫先生が、着ていた白衣を脱ぎ、下着のシャツをビリビリと破った。シャツの切れ端で傷口を圧迫して血を止めようと試みる。幸い出血はそれほど激しくはない。だが早く病院につれて行かなければ。苦痛に顔を歪めるソフィアの顔をみていた私は、心を決めた。

 

 「タドミール、私、あなたの妃になるわ。なんでもいう事を聞く。だからみんなを解放して、ソフィアを病院に行かせて……お願い」

 

 もうこうするしかない、みんなを救うには。

 

 「先生、ソフィアをお願いします」

 

 「川本さん、行かないで」

 

 止めようとする白姫先生を振り切って、タドミールの元へ歩いていく。

 

 「やっと決心したんですね、かすみ先輩。さあ早くここへ」

 

 「約束して、みんなを解放するって」

 

 タドミールの右手に握られていた長剣が光の粒子となって消えた。彼女が何かを口走るとブンという音と共に空間に黒い口が現れた。

 

 「さあ、これでいいでしょう? そこにあるポータルでもとの学園に戻れます。私は本当のところ、かすみ先輩さえ手に入ればあとはどうでもいいのですよ」

 

 これでいい、これでいいのよね。白姫先生、ソフィア、今まで何度もだめな私を助けて、励ましてくれた。今度こそ……、今度こそ、私がみんなを助ける番だ。

 

 「川本さん! お願い、戻って来て!」

 

 悲しげな先生の声が胸に突き刺さる。私は振り向かない。今振り向いてしまったら、先生の顔を見てしまったら、きっと決意が揺らいでしまう。私を出迎えようとしているタドミールの顔を真っすぐに見て歩いていく。顔は変わってしまっているが、どことなく一花の面影が残っている。あのまっすぐな一花はどこにいってしまったのだろうか?

 タドミールの元へたどり着くと彼女の操る蛇たちが私に巻き付いてくる。

 

 「先輩、私達はひとつになるんですよ。私達だけの世界をつくりましょう」

 

 蛇たちに捕らわれ身動きがとれない私にタドミールが語り掛ける。私達だけの世界……か。私も同じことを考えたことあったっけ。

 

 「ディミオス将軍、邪魔が入ってしまいましたが侵攻の準備をお願いします」

 

 「御意!」

 

 タドミールはここで、何かを思い出したように首を傾げた。

 

 「あ、そうでした。私が投稿した動画に映っていたあの雷――廃ビルを燃やしちゃった巨大な落雷のことですが、あれは人間界のものではないのでしょう。私はとても美しいと思ったんですよ。すべてを包み込む輝く光――もう一度見たいと思いませんか、先輩」

 

 「一花っ、あなた、何を!」

 

 私を締め付ける蛇の戒めが力を増す。もう逃がさないというように。

 

 「トニトルス、フルメン、キュムロニンバス、蒼白き地獄の稲妻、鋭き夜のやいば、愚かなるものをうち据すえるべし……」


 タドミールがゆっくりと呪文を唱え始めた。この呪文は? 思い出せない。どこかで聞いたことのある言葉なのに。


 「暗黒の雷ユルルングルサンダーを打つ気か!」


 ルシファーさんの声は事態が切迫していることを表していた。


 「エヴァちゃん、その娘をこっちへよこせ! ポータルへ走るぞ」


 「はい、わかりました」


 ルシファーさんがソフィアを背負って、白姫先生と一緒にポータルへ走り出す。真っ黒い雲が私達の上空に現れてぐるぐると渦を巻き始めた。


 「アンゲルスサルコファグス天使の棺


 天使の結界がタドミールとディミオス将軍、そして私を包み込む。そうだ、あの時――先生とソフィアが戦った――あの時、私が――


 「泉より現れ、その声を聞かせたまえ……」


 私の記憶と、タドミールの声が重なりあった。全てを焼き尽くす悪魔の言葉。


 行かなくちゃ! もう誰も傷付けたくない。体が熱くなり力がわき上がってくる。私を捕らえている蛇の力が弱まり、体が解き放たれる。


 「川本さん! あっ!」

 

 私の様子に気をとられた白姫先生が足をとられ、倒れこんだ。


 「エヴァちゃん、立て! 急げ!」


 ルシファーさんが振り返って叫ぶ。


 「ルシファー様、ソフィアさんをお願いします! 早く、早く行って下さい!」


 「くっ、すまん、エヴァちゃん」


 意を決したルシファーさんは、再びポータルに向かって走り出した。


 「地に落ちよ、暗黒の雷ユルルングルサンダー!」


 私は、倒れている先生に向かって走った。


 黒い雲に眩い光の束が集まってくる。ゴゴゴと唸るような音が聞こえてきた。


 「先生!」


 「川本さん!」


 先生の体に自分の体を覆い被せた。ごめんなさい、先生。また、先生を救えなかった。でも、私も一緒ですよ。ずっと――二人で。


 ――遥か彼方から、それはやって来た。まるで彗星のように長い尾をひいて。白く輝く光の塊は、タドミール、ディミオス、ルシファーさん、ソフィア、白姫先生、私、大勢のアサシンたちを明るく照しながら大空を流れる。


 一瞬で頭上の黒い雲が飛び散った。柔らかい光の粒が無機質なこの世界に瞬く間に拡がっていく。その姿はまるで――

 

 この世界――アルカディアに舞い降りた女神のようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る