ラスト・クエスト

 雰囲気をがらりと変えた聖霊ネネイより告げられた『宣告』。

 目的を達し、全てを終えた筈のエルスに課せられた「クエスト」と言う言葉に、彼は呆然自失の表情でネネイを見つめた。

 そして再び、静寂の時が訪れる。

 声を出す事の出来ないエルスに対して、冷めた瞳で彼を見つめるネネイは先を急ぐ事無く、ただ無言を貫き通した。


「……ど……」


 随分と時間が経過して、漸くエルスが声を絞り出す。


「……どういう……何が……いや、クエストってどういうことですか?」


 何をどう聞こうかまだ整理しきれていなかったエルスだが、何とか質問する形で話を区切ることに成功した。

「クエスト」とは様々な依頼の事であり、公私様々な種類が存在する。

 王政府公式依頼もあれば、王族の個人的な依頼もあった。

 ギルドからの依頼もあれば、住民の懇願だった事もある。

 また、聖霊ネネイや他の亜人種妖精等のお願いもあったし、「神」からの依頼もあった。

 エルスはそれ等の依頼クエストを、可能な限り熟して来たはずである。

 今更、クエストとはどういうことかと問う必要等無い。

 しかし、今この時に新たな「クエスト」を言い渡されるなど、流石の勇者であっても思いも依らない事であり、彼の気が動転する事も仕方ない事であった。


「言葉通りの意味です。あなたには、本当に最後の……『ラスト・クエスト』を受けて頂きます」


 エルスの問い掛けに対して、聖霊ネネイはその瞳と同じ寒々しい声音でもって、もう一度そう説明した。

 余りに別人の様な物言いに、エルスの混乱は増すばかりであった。


「この『ラスト・クエスト』は『神託』です。あなたに拒否権はありませんので、心して聞いて下さい」


 呆然として事態の整理に躍起となるエルスへ、ニィッと口端を吊り上げた聖霊ネネイが淡々と付け加えた。

 笑顔……とはお世辞にも言えないその笑みに、エルスは戦慄の様な物を覚えて思考を止めた。


「……その前にエルス、あなたに一つ問いたいのですが」


 どの様な「無理難題クエスト」が言い渡されるのか身構えていたエルスだったが、それをあざ笑うかのようにネネイの口からは違う話が持ち出され、エルスはやや肩透かしを食う形となった。


「……何でしょう、ネネイ様?」


 ただし彼の心中に響く「警報」は、更に激しさを増していた。

 何故なら、ネネイの表情は更に楽し気な表情を浮かべており、その声音は甘く纏わりつくようであったからだった。

 彼の記憶でも、彼女がこの様な声を発する等無かった事だった。


「あなたは……勇者の『その後』をどれだけ知っているのかしら」


 今にも笑い声を溢しそうな彼女から投げ掛けられた質問。

 エルスも直後は、「何故その様な質問を?」と疑問に思ったが、即座にハッとなりすぐには応えられなかった。


 ―――何故なら、その答えが見つからなかったからだ。


 勇者の武勇伝は、この世界に幾つも存在している。

 それこそ、幼い頃よりこの世界で暮らしていれば、数多ある勇者伝説のどれか一つくらいは耳にすると言うぐらいに。


 悪しき存在に悩まされる、人の住む世界……。


 そこで立ち上がる、神に選ばれし勇者……。


 勇者は世界の為、人々の為に、艱難辛苦を乗り越えて旅を続ける……。


 そしてやがて、世界を……人々を苦しめていた根源を断つのだ。


 本当に、誰もが知っている伝説、伝承……またはお伽噺の一節……。

 それを知らない者の方が珍しいだろう。


 だが……しかし……である。


 世界を救った勇者の「後日談」が明確に語られた物語は、エルスの記憶にはなかった。どの話も、「世界は平和になりました」と言う末尾で締め括られているものが殆どであったのだ。


 世界を救った英雄……勇者。


 では彼等は、世界を救った後……どうしたのだ? どうなった?


 幸せに暮らしたのか? はたまた、旅に出たのだろうか?


 では何故、その事に触れた話が存在しない……?


 精霊ネネイに改めて問われ、エルスは深く考え込んでしまったのだった。

 この様な場所で、この様な場合に……と思わなくもないだろうが、彼にしてみれば他人事では無い。


 何故なら、彼もまた「勇者」であるのだから……。


「うふふ……どれだけ考えても、答えなんて出ないわよ……? 何故なら勇者は、世界を救った後……再び世界を救う『クエスト』に身を委ねているんですもの」


 ネネイは再び宙に舞うと、クルクルと周りながら、楽しそうにそう答えたのだった。

 しかしエルスにはその様に楽しい気分になる事は出来なかった。

 それどころか、彼女のその姿を見て、どこか苛立ちをも覚えていたのだった。

 

「勇者は世界を救う存在……それは、魔王を倒した後も変わらない……そうよね?」


 謳うような、揶揄からかう様な問い掛け。

 恐らくはエルスが答えようと答えまいが話は続いて行くのだろう。


「……あ……ああ……」


 だがエルスは声に出して答えた。

 そのままネネイの言葉だけを続けさせれば、彼女の術中に嵌ってしまいそうな錯覚に陥ったからだった。

 ここに至って彼は、聖霊ネネイに対して今までの様な親密な気持ちを持ち合わせていなかった。

 どこか油断できない、警戒心を掻き立てられる存在であると認識していたのだった。


「そう……勇者は……、世界の為に……人々の為に抗い、戦い続けなければならない……。いえ……勇者でなくなった後も……」


「……それは……どういう……?」


 エルスの返事を受けて、ネネイはまるで恍惚とした表情を浮かべて、まるで何かをそらんじる様に語り続けた。

 もはや、エルスの返答など意に介さないと言う様に、彼女の紅潮は留まる事無く語り続けて行く。


「勇者は……勇者は……ああ、勇者は……! いつまでも……何処までも……世界の為に……うふふ……そう、この世界の為に……その身を捧げなければならない……」


 もはや演劇を観覧している錯覚にとらわれたエルスは、目の前で舞う聖霊ネネイを目で追う事しか出来ないでいた。


「例え……そう、例え救うべき世界を敵に回しても……。いえ、いえいえいえ! 例えかつての仲間達に追われ……仲間達から危害を受けようとも……。ああ……ああ! それでも勇者は……勇者であり続けなければならない……世界の……そう、世界の為にっ!」


 最早、エルスは驚愕の表情でネネイを見つめるよりなかった。

 悦に入っているのか、聖霊ネネイは激しく中空を踊り周り、その表情は恍惚として、正常な意識を保っているかも疑わしい程であった。

 しかし、エルスにとっては彼女の奇行など二の次であった。

 もっと注意を払うべき部分が、彼女の言葉には多く含まれていたのだった。

 

 ……と、聖霊ネネイの動きが、エルスの眼前でぴたりと止まった。


 彼の考えがまとまる前に、彼の前に立った聖霊ネネイが、ゆっくりとその右手を彼の方へ向けて持ち上げる。

 その顔は先程までの何かに酔った様なものでは無く、話を始め出した時と同じ冷めた、冷徹さを感じさせる冷徹なものであった。


「あなたには、これを……『魔王の卵』を育てて頂きます。それが『神託』……『ラスト・クエスト』です」


 ゆっくりと広げた聖霊ネネイの掌には、虹色に輝く小さな「卵」が握られていた。

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