4-5

 さくさくと草を踏みしめ近づく音に気づき、リンは顔を上げた。


「よう。そんなとこ座ってたら服汚れんぞ」

「……レグルス」


 何しに来たのよと顰め面を返されることを覚悟したレグルスだったが、リンは少し拗ねたような顔をしていただけで、再び拳を握る様子もない。


 どうやらヨナの言った通りだと一先ず安堵し、レグルスはリンの隣、人ひとり分の空間を空けておずおずと腰を下ろした。

 微妙な空気の中、口火を切ったのはリンの方だ。


「ごめんなさいなら別にいいわよ。どうせヨナに言われて来たんでしょ」


 わかってないくせに、という小声の独り言が、妙に刺々しくレグルスの胸に刺さる。

 ひっそり凹んだレグルスに頓着せず、リンは眉を寄せたまま呟いた。


「いいのよ。あなたのことだから、悪気はなかったんでしょ。薄っぺらいとかぺったんことか平面とか別に失礼だとも何とも思ってないんでしょ、気にしてないわよ全然、わたしなんて、あなた、女だとも思ってないのよね、根に持ったりしないから安心しなさいよ」

「思いっきり根に持ってるじゃねえかよ! 俺そこまで言ってねえだろ!」


 もちろんレグルスだって、リンが生物的に女に分類されるべき生き物であることくらい分かっている。ただ、外見になど無頓着極まりないと思っていたリンが、そこまで自分の体形を気にしているとも思っていなかったのだ。


 どう謝ったものかと必死で頭を働かせていたレグルスは、膝を抱えて俯くリンが小刻みに震えていることに気づき、悲鳴じみた声を上げた。


「泣くなよ! 薄っぺらって言ったのは悪かったって! だけどそういう意味じゃなくて、そんな細いと旅とかつらいんじゃねえかなとか、その、心配で……ん?」


 ――何だか、泣いているにしては静か過ぎやしないか。


 気付いたレグルスが口を噤むと、やがて、ぷっ、と小さく噴出す音がした。


「! おま……」

「……ふ、ふふっ……あはは! 泣いてないわよ、泣けないし! びっくりしちゃった?」


 にやりと笑うリンを見て、「しょうもない悪戯」を確信したレグルスは眦をつり上げる。


「あのな! 人がどんな気持ちでここまで来たと……!」

「まあまあ。それにもう怒ってないわよ。子どもの失言なんて笑って許すくらいじゃなきゃだめよね。ほら、この年齢差で変に意識されてもお互い困るじゃない?」

「そりゃそうだけど、そういうことでもねえ! つか誰が子供だ!」

「ふふん。子どもって言われるのが嫌なところが子どもだって言ってるのよー、だ」

「お前な……!」


 リンに異性として扱われたいかどうかと聞かれると、それはよく分からない。

 しかし少なくとも、どうやってリンの機嫌を取ろうか悩んでいたレグルスとしては、色々納得いかない結果となってしまったのは間違いなかった。


 むっつりと黙り込んだレグルスを見て、さすがにやり過ぎたかと慌てたリンがレグルスの方へ身を乗り出す。


「ねえ、レグルスってば……怒っちゃった?」


 じとり、横目でリンを睨みつけ、レグルスは息を吐いた。


「……ほんとに泣かしたかと思ったんだ。勘弁してくれよ、苦手なんだってそういうの」


 肺の底から絞り出すような深々とした溜息に、リンはばつが悪そうな顔で呟く。


「ご、ごめん……」

「いいよ別に、気が済んだんなら。……俺も悪かった」

「だから、気にしてないったら。心配してくれたんでしょ。ありがと」


 こういうの、くすぐったいわねと笑うリンに、レグルスは漸くホッと表情を緩めた。


「……これ、ヨナからお土産。怖い魔女に遭ったらお供えでもしとけってさ」

「なにそれ。わたし食べ物で釣れるほど単純じゃないわよ」

「要らねえの? じゃあ俺が貰っとこ」

「あっ……た、食べないとは言ってないじゃない! ちょうだい!」


 さっと意見を翻したリンの目は、砂糖菓子に釘づけで、爛々と輝いている。


 それを釣られていると言うのだ。

 いそいそと「お供え」を受け取って膝の上に広げ、やっぱり思い直してレグルスのすぐ隣に座り、二人の間に袋を置いたリンは実に楽しそうである。


「お前さぁ……」

「? なあに?」

「……いや」


 苦笑を零し、レグルスは「何でもない」と首を振った。

 実年齢相応に年寄りぶったことを言おうとするリンも、成人したばかりで「子供」と呼ばれることに反発しがちなレグルスも、結局似た者同士なのだろう。

 しょうもない喧嘩はよくするし、困惑させられることも多いけれど、この魔女の傍は居心地が良い。隷属の魔法が解けたとして、すぐに離れてしまうのは名残惜しいと思うくらいには。


 言ったらどんな顔をするだろう、と思いながら、言葉は喉に引っかかる。

 ……そういうところも「似た者同士」だなんて、お互い知りもしないから。


 どちらからともなく砂糖菓子に手を伸ばし、黙って空を見上げると、満天の星空には半月を少し過ぎた程、昨日より少し太った月が浮かんでいる。

 白く輝く月を見つめて、レグルスはぼんやりと言った。


「今夜は、アクイレギアの心臓、か」

「え?」


 目を見開いたリンに頷いて返し、レグルスはふっくらとした月に指を向ける。


ルーナだよ。丁度あのくらいの月のこと、アクイレギアの心臓って呼ぶんだって。ほら、ちょっと膨らんでるのが心臓の形に似てるだろ」

「……?」


 訝しげなリンの様子に、レグルスは目を瞬かせる。

 勉強熱心なリンが、特に魔女としてあらゆる言語を知り尽くしている彼女が月を知らないなんて。そんなことがあり得るのだろうか。


 何度空を指さして示しても、どんなに言葉を尽くしても、リンには「月」が理解できないようだった。

 もしかしたら、彼女の薄青色の瞳には、月の姿が映らないのかもしれない。


 しょんぼりと俯くリンに、気にするなと言うのも違う気がして、レグルスは目を伏せる。そうして、ぽつんと呟いた。


「案外、あれって本当にお前の心臓なのかもな。塔の上とかなら届きそうな気もする」

「心臓?」

「ああ。ほらお前、心臓ないし、白いし。そういやルーナがお前の名前ってわけでは」


 いくらなんでも自分の名前なら忘れないだろう、と思いながらも、レグルスは首輪に指を引っかけた。

 もちろん外れる気配はなく、リンも困った顔で笑うのみだ。


 肩を竦めて、レグルスは片眉を上げた。


「……ないみたいだな」

「ええ。……でも意外ね。感性死んでるんだと思ったらそういう発想はできるの?」

「……。お前やっぱ薄っぺらって言ったの根に持ってんだろ……」


 溜息を吐いて、気まずさから逃げるように片手を空へと突き出し、レグルスは月を掴もうと試みた。けれども捕まえたのは当然空気だけだ。

 微笑ましげにその様子を見ていたリンが、ふと首を傾げる。


「それにしても、あなたよく塔の上なんて言葉出てきたわね。高いところ怖いくせに」

「……知ってたなら突き落とすなよ。あとそれダサいから忘れろ」


 拗ねた顔で口を尖らせたレグルスに、リンは「今朝聞いたのよ」と苦笑いを浮かべた。


「落としたって言ったらヨナにも言われたわ、『よく殿下ショック死しなかったね』って。だけど、そう言えばそうよ。あなたこそ馬乗れるの? 高いでしょ結構」

「……あのな。一応言っとくけど、誤解だぞ。そりゃ好きではないけど、そこまで駄目なわけでもねえよ。周りが意識し過ぎて逆に迷惑してんだ俺は。これのせいでさ」


 そう言って嘆息し、レグルスは前髪をかき上げる。

 髪の生え際から眉のすぐ上まで、大きく引き裂かれたような痕がそこにあった。


 レグルス自身の顔立ちが際立っているからこそ、余計に目立ってしまう惨たらしい傷痕に、リンは思わず声を潜めた。


「……痛く、ない?」

「十年以上前の怪我だ。痕だけだよ」

「事故?」

「多分な。窓から落ちたんだってさ、母上と一緒に。あんまよく覚えてないけど」


 だからこの話はもう終わり、とレグルスは大きく伸びをして立ち上がる。

 夜も随分と更け、辺りは静けさを増していた。そろそろ帰らないと、ヨナにまた厭味の一つでも言われてしまいそうだ。

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