怒り

 長編映画を見終わった時の気怠さに似たなにかに囚われて俺はしばし我を忘れていた。


 なんだったのだろう。あの日我が家を出て、コンビニ強盗に襲われて、俺の代わりにさやかが瀕死の重傷を負って――そこまでは現実になくもないストーリーだ。


 そこから俺が死神見習いになり、タナトスの下について怨霊化する可能性のある魂を狩る仕事をしたわけだが、その方法は”意味無き死”の増加によりそれはあくまで流れ作業になり果てていて、そんななか俺は無事に死神になって、俺の先代のタナトスは輪廻に帰った。


 こんなことが本当に現実で起こったのだろうか。下手なラノベのような奇抜な設定に、俺はなぜ溶け込めている? これは夢なのではないか? そうだ、俺はきっと長い夢を見ている。


 心の奥にぽっかりと穴が開いたように、俺は虚無に吸い込まれそうになっていた。段々と意識が遠のく。この心地よい眠気に身を任せれば、きっと爽も佐藤翔琉も普通に生きている、あの日常に帰れるのではないか? そんな思いが俺の五臓六腑に染み渡る。


 起きたら母親がまた俺を叱っていて、早く職を見つけろと口うるさく言うのだろう――。


 ――懐かしい。俺はついにその心地よさに馴染めなかった。俺は確かにそんな日々を懐かしいと思った。魂だけのはずの俺にそれがあるのかどうか知らないけど、脳みそはあの日から流れた時間軸を確かに感じていた。


 心地よい永眠に別れを告げて、俺は痛く苦しい現実に戻る。ビリビリと全身にもの悲しい痺れが走った。その痺れに安堵する俺がいた。ああ、”生きている”。


 すぅ、と息を吸った。あの死神が別れ際に言った言葉の意味が多少分かった気がした。この佐藤翔琉の想念は、俺を道連れにして死のうとしていたのではないだろうか。自分を正当化して、自分を一番恨んでいる俺と言う魂を無力化して、全てをなかったことにする気だったのではないだろうか。


 ふつふつと怒りが胃の辺りからこみ上げる気がした。妻を失って、子どもと仕事に追われて、勝手に被せられた仮面のなかで憎悪を募らせるしかなかった?


 俺は手を強く握りしめた。俺には爽がいる。今も死地を彷徨って、俺が忘れている過去を思い出すのを待っている人がいる。


「邪魔をするなあああああぁぁぁッ」


 俺はどこにいるのかもしらない佐藤翔琉の想念に、ありったけの怒りを叩きつけた。風景がぐにゃりと歪んだ。それは余りにあっけなく、砂上の城のように崩れ去った。


 ガラガラと風景が音を立てて崩れて、その破片が俺をまだ試すように音を立てる。未練がましく俺の足元に転がってきたその破片を俺は足で踏んで、蹴り飛ばした。


 世界が開けたように、俺はポツンと立っていた。見下ろすと、爽がいた。病室で苦しみ、担架に乗せられ運ばれていく爽が。俺は座標が固定されたように、爽の頭上に引きずられるようについていった。


 知らぬ間にあの死神が隣に来ていた。


 口吸いをするならICU集中治療室が最後のチャンスだと、その死神が俺の耳元で囁いた。脇を慌ただしく通り抜けていくナースのうちの何人かが、爽の横たわる担架の中空を見ては微かに身震いした。俺は構わず、必死に爽との記憶を洗っていた。

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