黒猫は一体何を示しているのか

 折鶴が白村の元を訪れる数分前。

 1人の男子生徒がビニール袋を右手首にぶら下げ、気だるげな店員の挨拶を背中に受けながら自動ドアの隙間から体をねじ込ませた。

 皇明こうめい学院から緩やかな坂を降りる事2分の場所に位置している最寄りのコンビニエンスストア"Funny mart"は、多くの皇明学院の生徒が訪れる穴場になりつつある。

 実際、彼・滝崎瞬一郎もその内の1人に数えられた。

 登下校中の多くの生徒たちが、昼食や休み時間に摘む菓子類、部活動で消耗した体力を回復する間食を購入する他。文化祭期間中は、夜食や足りない消耗品を購入する駆け込み寺と化す。

 だるような春の陽気が鬱陶うっとうしいほどに立ちこめた外へ足を踏み出した瞬間。

 彼の背中がぐにゃりとねじ曲がり、その口から蒸気機関車のように長く大きな息が吐き出された。

 彼の鮮やかな金赤色の瞳が恨めしそうに遥か上空に位置する太陽を睨み付けた。

 まるでウニのような淡黄たんこう色のツンツン頭をかき乱し、彼は肘までまくり上げたワイシャツを、さらに上へと引っ張った。

 真ん中で分けられた前髪からは、皺の寄った彼の眉間がありありと見受けられる。

 背丈は白村・雛津と比べるとかなりの高身長で、日頃から鍛えられているのだろう。腕や首筋など、普段目に触れる部分だけでなく制服の上からでも体格の良さがうかがえた。

 黒色のワイシャツは、下から数えて2個分のボタンが外されており、すそがズボンに仕舞われる事もなく飛び出ていた。

 青・黒・白・灰色の4色を使用したタータンチェックのズボンのポケットからは、スマートフォンに付けているものだろうか。バイクに乗った特撮ヒーローと、決めポーズをしている戦隊ヒーローのストラップが覗いていた。

 滝崎は4本の棒アイスが入った袋を手にぶら下げたまま、駐輪場へ無造作に止めた黒色のクロスバイクへと迷わず向かった。

「誕生日プレゼントに欲しいものはないか」と長年彼の面倒を見てくれている、所謂いわゆる世話係に尋ねられ初めて粘り強く強請ねだったそのクロスバイクを、彼は気に入っていた。黒い車体に白とオレンジ色のラインが入ったデザインは、自転車屋で一目惚れしたものだった。

 その目玉が飛び出る程の金額に、世話役は慌ててキャッシュカードと通帳を片手にATMへと駆け込んで行ったが。

 滝崎は今でもそのクロスバイクへ乗り、ハンドルを握る度、初めてそれに乗った時のような胸の高鳴りを感じていた。

「たっく、京ちゃんは人使いが荒いな」

 そう愚痴を交えた独り言を呟くと、彼は背中に手加減を知らぬまま突き付けるような日光を振り切るように固定式のスタンドを蹴り上げ、ペダルに足を掛けた。

 僅かな力と共に重心をペダルにゆだねると、クロスバイクはそれに応えるようにしてぐんぐんと緩やかな坂を登っていく。

 どこに寄り道してから帰ろうかと談笑しながら、向かってくる女子生徒3人組の横をすり抜ければ、いつものように自分についての根も葉もない噂話が耳についた。

 だがそれすらも一瞬で切り払ってしまうほど敏速なクロスバイクに乗っている瞬間が彼は好きだった。

 全ての雑音をかき消してくれる向かい風が耳にあたり、轟々と鳴る不快音すら愛おしく思える。

 次第に、その視界には白村が折鶴にガミガミと叱られている姿が入り込んだ。ぼんやりと空を眺め、完全に折鶴の説教を聞き流している白村に滝崎は思わず苦笑を零した。

 そんな2人の様子にいつもの事だと割り切ったように目もくれずパソコンの画面を覗き込んでいた雛津が、彼の姿に気が付いたのだろう。 片手をひらりと上げ、ノートパソコンを閉じた。

「やっぱり、折鶴の迎えが来てたか」

 アイス4個買って正解だなと呟き、彼はしゃがみ込んでいる雛津の近くで地面に両足を着き、クロスバイクを停車させた。

 慣れた手つきでスタンドを蹴り、クロスバイクを歩道の隅に立てると滝崎は早速と言わんばかりに、雛津が好んでやまない抹茶あずきアイスを手渡した。

「おぉ」と感嘆の声を上げ、嬉々とした笑顔を浮かべたものの彼は右手をポケットに突っ込んですぐ、申し訳なさそうに眉をひそめた。

「悪い、持ち合わせがない」

「いいって、俺のおごりで」

 すまないと感謝の言葉を口にした雛津に「いつもの迷惑料だ」と告げ。 彼は折鶴の長い説教を上の空で聞く白村の元へと向かった。

 ちゃんと聞けよ、なんて心の中でツッコミを入れながら、滝崎はわざとビニール袋を大げさに揺らして見せた。

 ビニール袋特有の擦れる音と、聞き慣れた滝崎の足音にそちらへ目を向け、ようやく彼が現れた事に気が付くと。

 先程の浮かない顔から一変。白村はまるで飼い主が帰ってきた時の犬のように、目を輝かせた。

「瞬一郎」

 彼が取り出したラムネソーダアイスを受け取るや否や、白村はありがとうと感謝を告げ、その辺に投げ出していた鞄の中に手を突っ込んだ。黒革の折り畳み財布から湾曲した1000円札を抜き取ると、滝崎へ「お駄賃」と言いながら差し出した。

「今日は俺の奢りでいい」

「今日"も"、でしょ? そう言って、いっつも受け取ろうとしないじゃん」

 金銭を拒む滝崎へ、白村は無理やりにでも彼のポケットや手中に押し込もうと試みたが全てをかわされ、拒絶されてしまい。

 渋々不満げな顔を浮かべながら、白村は1000円札を押し戻していた。

 彼の小銭入れのファスナーにくくり付けられた、紫色のミニカーのストラップがゆらりと体をひねった姿を眺め、滝崎が口元を緩めた。

 その間にも白村は、数え切れない程の彼の"奢り"で受け取って来たアイスn個目の袋をいそいそと開封すると、口内に放り込んだ。

 一瞬にしてだらしなく顔を綻ばせた白村に、滝崎はどこか懐かしむように笑いながら「昔から好きだよな」と零した。

 そんな言葉に白村は力強く頷くも、アイスを食べる手を止めようとはしない。

「白村先輩まだ話は終わっていません。

 大体、進路志望調査票は白紙で提出、生徒会は今日も無断欠席なんて」

 積もり積もった不満からか、説教がより一層長丁場になりそうな折鶴を見遣り、滝崎はビニール袋の中からいちごミルクバーを差し出した。折鶴はアイスと滝崎を交互に見た後、いぶかしげな表情で彼を見上げた。

「何のつもりですか?」

「こうなったら最後、京ちゃんは人の話なんて聞きやしねぇよ」

 まぁ元々聞いちゃいねぇだろうけどと呟き、滝崎は無理やり彼女の手にアイスを押し込めると自らも幼い頃から頻繁に食べている"ギャリギャリみかん"を取り出した。封を開けてすぐ甘い香りが鼻をくすぐる。

「……滝崎先輩は甘すぎます」

「よく言われる」

 これ以上は何を言っても無駄だと理解したのか、折鶴は手中に押し付けられたアイスの袋を開け、小さな声でいただきますと呟いた。

 アイスを口にした折鶴の姿を見守ると、滝崎も躊躇ちゅうちょする間もなく、アイスを口に含んだ。


 白村京羽と滝崎瞬一郎は所謂幼馴染にあたる。母親同士が高校時代からの親友、父親同士も幼い頃に面識がある事。5歳の時からずっと一緒に育って来た事もあってか、友達というよりは男兄弟のような間柄だと白村は以前語っていた。あと2人異性の幼馴染が居ると言うが、白村によれば「どちらも曲者くせものだから」「人格や素行を誇れるような奴等じゃない」と何かと理由を付けては自ら進んで話に出す事はしない。それは滝崎も同様だった。

 今では簡単には切れないほどの腐れ縁のようで、滝崎は毎朝のように寝起きが鬼のように悪い白村を叩き起しては学校まで連行し、白村の再提出のノートやプリントのほとんどを届けたりと、折鶴以上に手を焼いている。高校入学後に親しくなった雛津の変人っぷりにも振り回されているのだから、彼の心労は計り知れない。クラスメイトや友人達からは"白村と雛津の保護者"と呼ばれているようで、同情されたり、更に面倒事を押し付けられている一番の苦労人と言えよう。

「それで京ちゃん、猫探しは順調なのか?」

 そう尋ねると白村はあー、なんて煮え切らない返事と共に目を忙しなく泳がせた。大方、確証に至る事実までは得られていないのだろう。

 滝崎は「やっぱりな」と呟くと、先程の威勢からは一変し大人しくアイスを食べ進めている折鶴へ視線を向けた。

「折鶴、悪ぃが頼みがある」

「……まさか先輩達の探偵ごっこに私まで巻き込む気ですか?」

 1年生の頃から同じクラスの白村・滝崎・雛津の3人は、ある事をきっかけに私立探偵のような活動を始めた。日常のさり気ない会話から些細な依頼を受け解決する……そんな活動だったと思われる。

 最近の白村はすっかりその探偵ごっこにご執心で、生徒会への出席は無に等しい。日に日に顧問の龍崎の目から笑みが消えていくと同時に、苛立った彼がボールペンのヘッド部分をひたすらノックし続ける音だけが生徒会室に激しく木霊こだまするため、彼には優等生らしく振る舞ってほしいものだが……この様子じゃ到底無理そうだ。

「……そもそも猫探しと言っても、さっきからパソコンやスマホを見てばかりじゃないですか」

 意味が分からないとでも言うように、折鶴は頭をふるふると左右に揺らした。

 ただ「確定しきれない事実を語れない」とキッパリ言い放った雛津と、彼を見遣みやり諦めろと言うようにやんわりと首を振った滝崎と白村に、折鶴は小さく息を吐いた。

「……せめて話くらいは聞きましょう。協力するかどうかはそれから決める。

 それでどうです?」

 折鶴の言葉に滝崎は十分だと満足げに口角を吊り上げると、白村に対し説明をするよう促した。

「京ちゃん、頼んだ」

 滝崎の言葉に、当の白村はアイスをくわえた状態のまま突然震え始めたスマートフォンをポケットからまさぐり出した。

 ケースも何も付けられていない剥き出しの状態の黒いスマートフォン(滝崎には『絶対落として割るからケース買え』と口を酸っぱくして言われているらしい)その画面に表示された"鈴音"からの着信を何の躊躇ちゅうちょもなく拒否し、再度ポケットに仕舞いながら白村は「いいよー」なんて緩い返事を零した。

 普段のように渋ることもなく説明を始めようとした彼へ、折鶴が彼の手元を指差しながら開口した。

「電話、出なくて良かったんですか」

 私の電話にもいつも出ませんけど、と釘を刺す事は忘れずに折鶴がそう問い掛ければ。白村は着信相手の事を思い出しているのか、まるで嫌いな食べ物を無理やり口にねじ込まれたような怪訝けげんな顔を浮かべ口を開いた。

「いいんだよ、わざわざ長電話するような仲じゃないし」

 彼にそんな風にあしらわれる人物とは一体、と考えながらも説明を開始した白村の話に折鶴は耳を傾けた。

 その頃には、白村の手に溶け始めたアイスがべっとりと張り付き始めていた。


 その日の昼休み。

 4校時目が体育だった事を思い出し、昼食を取る前に手を洗いに行くと滝崎・雛津へ言い残すと白村は教室を飛び出した。

 弁当箱の蓋の隙間からチラリと顔を出した色とりどりのおかずの数々に、今日も美味しそうだな、なんて早くも味の予想を膨らませながら白村は最寄りの手洗い場に立った。

 すぐ隣を学食や購買で買ったパンやオムライスを抱え、生徒たちが談笑しながらすり抜けて行く。往来の中、ポケットから丁寧に折り目が付けられた紺色のハンカチを抜き取り、それを口にくわえたまま蛇口を捻った時だった。周囲を忙しなく見回しながら近くの階段を降りてきた1人の女子生徒が、彼の元へと駆け寄った。

「白村先輩!」

 突如声を掛けられた事に白村は思わず肩を飛び上がらせ、慌てて手を洗うと口元からハンカチを放した。隅に白色の糸でつくろわれた"きょうば"という名前の刺しゅうと猫のワンポイントが付いたハンカチで手の平や指の間の水気を拭き取りながら、白村は隣に立つ女子生徒の名前を記憶の引き出しから引っ張り出した。

「ええっと、確か……美化委員長の鎌谷さん?」

「はい、鎌谷深園です。華名子ちゃんがいつもお世話になってます」

 背中辺りまで伸びたパーマがかかった茶色い髪を揺らしながら、彼女は深々と白村に対し頭を下げた。寒がりなのだろうか。季節外れのこの暑い日に、彼女は白色のブレザーの下に焦げ茶色のセーターを着込んでいた。ワイシャツはきっちりと一番上まで閉められており、青と黒のストライプ柄のリボンは結び目が真ん中に来るようにしっかりと結ばれている。模範通り膝が隠れるほどの長さに整えられたスカートからはタイツに覆われた彼女の華奢きゃしゃな足が伸びていた。

「いやいや、折鶴ちゃんを世話する程生徒会に参加してないから。

 ……ええっと、それでどうかした?」

 白村はポケットにハンカチを押し込みながら、ふと鎌谷へと用件を問いただした。

 ゆっくりと顔を上げた彼女の顔立ちは、ぱっちりとした青色の瞳と周囲の生徒と比べると小柄な背丈のせいか大分幼く見える。後ほど折鶴から聞いた話だが、それが愛らしいと男子からは人気のようで2学年の中では"マドンナ"的存在らしい。実際、周囲の男子生徒達からの視線が白村の背に針のむしろのように突き刺さっていた。

「依頼を預かったので……その、白村先輩にご報告しようと」

 そう困ったように眉を下げ彼女はスカートのポケットに手を伸ばすと、そこから小さなメモを抜き取り白村へと手渡した。インコのキャラクターの顔がデカデカとプリントされたメモ帳に小学生の頃流行ったなぁなんて懐かしさを覚えながら、白村はその文面に目を走らせ。やがて小首をかしげた。


 "1年、空閑くが未来。猫を探してほしい。黄緑色の目の黒猫で名前はチロ、生後1ヵ月。"


「空閑……未来なんて子、うちの1年に居たっけ?」

 そう尋ねると、鎌谷は首を左右に振り否定した。

「念のため先に学年主任の川瀬先生に確認してみましたが、1年生にそういった名前の生徒は居ないみたいです」

 メモは今朝机の中に入っていたと答えた後、鎌谷はふと動作を止めた。煮え切らない顔で首を捻った彼女につられ、白村も同じ動作を真似た。

「あの、白村先輩。どうして私だったんでしょう?」

「どうしてって……無作為に選んだ結果、偶然鎌谷さんの机になった……とか?」

 そう答えれば鎌谷は暫く考え込んだ後「そうなんでしょうか」と腑に落ちない様子で白村の言葉をやんわりと否定した。

 何かが引っかかっているのか、ソワソワと落ち着かない様子を見せる鎌谷に何か心当たりでもあるのか訊ねると。彼女は忽ち顔色を曇らせ、声量を押さえながら口にした。

「空閑未来さんと言う名前……私の勘違いでなければ、同じ中学の後輩だったと思います」

 小声で「知り合いって事?」と白村が問い掛けると、鎌谷は言葉を詰まらせた。

「……芽ノ原中出身者の中では有名な話です。

 3年前から空閑未来さんは"行方不明"になっているんです」

 鎌谷の話によれば3年前の春。19時を過ぎても帰宅しない空閑を心配し、両親が中学校に「娘がまだ学校内に残っていないか」確認の連絡を入れたという。空閑未来はどこの部活動にも所属しておらず、授業が終われば寄り道をせずに真っ直ぐ帰って来ると彼女の家族は警察に証言した。友人と遊ぶ約束をした日も必ず一旦家に帰ってから「誰と何処に何をしに行く、何時までには帰る」と母親に伝言して出掛ける几帳面な子だったとも。毎週決まった曜日に花壇に水を遣る美化委員の仕事もその日は彼女の担当していた日ではなかったため、両親からの電話を受け当時校内に残っていた教師数名により校内や学区内の見回りが行われた。

 その結果、空閑の外履きが靴箱に残されていた事や1階教室棟の女子トイレに彼女の鞄や所持品が散乱していた事から捜索は難航した。まさか内履きのまま鞄を持たずに下校するとは考えられない。周辺住民による聞き取りからも不審人物の目撃情報などは得られず。後日、両親から警察に捜索届けが出された。

 失踪日の放課後に彼女の姿を目撃したという生徒たちへの聞き取り調査では「未来ちゃんが教室棟に向かっていく姿を見た」「いつも笑顔の彼女が傷だらけで泣いていた」「左目をずっと押えていた」「友達の曇天寺どんてんじくんと口喧嘩をしていた」などという証言が得られ。失踪前の彼女と最後に接触したとされている友人・曇天寺によれば「徒花を発症していた」「先に帰ったから空閑がその後どうしたかは分からない」と彼女の足取りにつながる決定的な情報には至らなかった。以上の証言を踏まえ、警察は空閑未来が徒花あだばな病患者の突然の失踪事件と同様と推測し彼女の捜索を打ち切った。

 それから3年もの間、彼女がふらりと帰って来る事もなく。芽ノ原中では神隠しにあったとか、呪いだとかさまざまな憶測が噂となり、もう彼女は死亡しているとか亡霊になって校内を彷徨さまよい続けているなんて不謹慎な噂話にまで発展していると言う。

「だから彼女の名前を借りたただの悪戯だとも思って、気にしない事にしようとも思いましたが……」

 どうしてかと問いかければ、鎌谷は神妙な面持ちで口を開いた。

「"黒猫"という言葉が引っかかっていて……どこかで聞いたような気がするのですが」

 3年前から行方不明になっている女子中学生の差出人名で、今朝鎌谷の机に入っていたメモ。

 何故、鎌谷だったのか。

 本当にただの偶然だったのか。

 他の生徒では駄目だったものなのか。

 そもそも、そのメモは空閑未来本人によって書かれたものなのか。

 そして、空閑未来を名乗る人物が探す"黒猫"とは何を示しているのか。

 考え始めてみればキリがないと、白村はやがて肩をすくめた。

「鎌谷さんはそのメモの字が空閑さんのものだと断言出来る?」

 鎌谷は白村の質問にメモの字をじっくりと眺めはしたものの、すぐに首を捻った。

「ごめんなさい、断言出来るかと言われると」

 そりゃそうだ。白村だって、今誰かが適当に書いた字が鎌谷のものではないと言えるほど、彼女の事を知り得ていない。その字が絶対に彼女の物だと断言するには、それ相応の時間と関係性を築き上げるのが必要だ。名前を知っている程度で面識のない空閑の字を判断するのはまず無理な話だろう。

「分かった。鎌谷さんありがとう」

 よろしくお願いしますと鎌谷はもう一度頭を下げると、パタパタと2学年の教室に向かうため最寄りの階段を上がって行った。

 鎌谷さんと何話してたんだ、なんて問い掛けてくるクラスメイトへ「依頼だよ」と告げながら白村は既に昼食を取り始めている2人の元へ駆け込んだ。

 各自の昼食を雑談を交えながら咀嚼していた2人は、戻って来た白村のワクワクした表情と机上に叩き付けられたメモを交互に見つめた。

「む、新しい依頼か」

 塩握りを手にしたままそのメモを眺め始めた雛津を横目に、滝崎は購買で買ったカツサンドの包装紙を丸めながら口を開いた。

「嬉しそうだな」

「そりゃ嬉しいよ。

 俺、依くんの推理好きだもん」

 その推理は真っ白なジグソーパズルを一瞬で当てめるような魔法という表現が近かった。実際、高校1年生の頃に自分の宝物を彼の推理で見つけてもらった恩と信頼感もあってか、白村は嬉々とした様子で弁当箱の蓋を開いた。「美味しそう 」と感想を述べ、白村は鞄の中からスマートフォンを取り出すと、色鮮やかな配置の弁当を写真へと収めた。その瞬間を待っていたのか、滝崎はゆっくりと彼の弁当の中から卵焼きを摘まむとそれを口へと放り込んだ。

「そんなに大事だったか? あのボロ」

 箸を握り、ハンバーグを切り分けながら白村は滝崎の揶揄からかうような問いにムッと口を尖らせた。

「大事だよ。だって、あれには"おまじない"が掛かってるんだから」

 おまじないと彼の口から名前が出た瞬間。滝崎は机に目を落とし、そうだなと弱々しく相槌を打った。床に置いていたリュックサックに付いていたミニカーのストラップに指を伸ばし、滝崎が黙りこくったままの雛津に目を向けた。

「まだ何とも言えないが、疑問点が1つある」

 雛津が口を開いた瞬間、身を乗り出すようにして目を輝かせた白村に「京ちゃん、弁当落ちるぞ」と注意しながら、滝崎は彼の言葉を待った。

「黒猫は一体"何を"示しているのか、って事だ」


「深園がそんな事を……」

 説明を聞き終えた折鶴はそう呟くと、同時に鞄の中からウェットティッシュを取り出し白村へと手渡した。不思議そうにそれを凝視ぎょうしする白村に、折鶴は彼の左手を指差し「アイス、溶けてます」と指摘した。

「あ、本当だ。ありがとう」

 アイスの棒を滝崎の持つビニール袋へ投げ入れ、白村はベトベトになった左手を折鶴から貸して貰ったウェットティッシュを使い「うへー」なんて残念そうな声を零しながら丁寧に拭き始めた。その間にも折鶴は説明を受けている間に食べ終えたアイスの棒をビニール袋へ入れ「御馳走様でした」と一言告げた。

「……生徒会の業務に支障がない程度なら協力はしましょう」

 友人が関わっている手前真相が気になるし、"黒猫"が一体何なのかも分からないままですし、なんて誰の目から見ても分かりやすいその場しのぎの言い訳をつらつらと並べ始めた折鶴に、白村は「素直じゃないよね」なんておどけながら雛津と滝崎に気の抜けた笑みを向けた。

 白村が手を拭き終え折鶴へ感謝の言葉と共にウェットティッシュを返却すると。折鶴は彼に「念の為メモの写真を撮らせてもらいたい」と依頼した。その言葉を快諾し、白村は鞄の中に入れていたメモを折鶴に差し出した。スマートフォンのカメラで撮影を終えるタイミングを窺っていたのか、シャッター音が鳴り終わってすぐ雛津が口を開いた。

「では折鶴と滝崎。2人には鎌谷と同じ芽ノ原中学出身者を1年と2学年分ピックアップしてもらいたい」

「分かった。依くんと京ちゃんは?」

 滝崎がそう相槌を打ち雛津に問い掛けると、キョトンとした顔を浮かべる彼は白村と顔を見合わせ。白村は悪巧みをする子供のように口角を吊り上げた。アニメや映画に出てくる敵キャラのように意地の悪い顔だ。

「ちょっと野暮用……かな。

 終わり次第LINKを送るから、そこから合流しよう」

 言い包めるかのようにやや早口で告げた白村はそれじゃあまた後で、と告げ雛津と共に校内へと歩いて行った。

 丁度、そんな彼らの横を女子生徒2人(確か彼等3人と同じクラスだ)が「雛津くんまたねー」「ついでに白村もバイバイ」なんて茶化しながら通り過ぎて行った。そんな彼女達のあしらいに「嗚呼、またな」と返した雛津の隣で聞き捨てならないと白村は足を止めると「ついで感止めな!バイバイ」と律義にも挨拶を返しては、雛津と目的の場所へと向かうため歩を進めた。

「京ちゃんの奴、また良からぬ事企んでやがるな」

 やれやれ全く京ちゃんは、と言いたげに大きく溜め息を吐いた滝崎はクラスメイトの女子生徒からの「滝崎またね」の声におー、じゃあなと間延びした返事を口にし、ヒラリと手を上げた。

 昨日上がってた新曲、聞いた? なんて共通の話題に盛り上がりながら帰路へと向かう女子生徒達と滝崎の姿を見比べ、さも不思議そうに折鶴が首を捻るとその視線に気が付いたのか、滝崎がムッと口を尖らせ「んだよ」と無愛想な問い掛けを投げた。

「いえ。滝崎先輩が白村先輩達以外の同級生と、しかも異性とあいさつを交わしているのは意外で」

「お前、つくづく失礼な奴だな」

 呆れたように肩を竦めた滝崎に今度は折鶴がいぶかしげな表情を浮かべる番だった。

 あくまでも噂でしかなく、それらのどれが真偽なのかは本人である滝崎が明らかにしないため不明だが。彼の実家が指定暴力団・滝崎組である事が糸を引き、中学時代は手が付けられない程の荒くれ者だったとか。現在暴力沙汰で停学中となっている"あの幸村"と過去につるんでいただとか他校の生徒を半殺しにしたなど。根も葉もない噂が1学年の中で飛び交っていた。おおよそ滝崎組という後ろ盾が大きいのだろうが……2・3年からすれば滝崎瞬一郎イコール白村・雛津の保護者、とか滝崎瞬一郎イコールただの馬鹿なんて方程式が成り立ってしまっているので、そんな噂を聞いても「はいはい、嘘誇張」とあしらってしまう生徒が多い。

「ほぼ京ちゃんと、あいつの友達が関係してクラスの奴等に馴染まれただけだ」

 最初はこうは行かなかったと疲れたように呟きながら、滝崎はガシガシと頭をかいた。

「つうか、悪かったな折鶴」

 当然思い出したように手を止め、そう告げた滝崎に折鶴が「何がです」と問い掛けると。

「京ちゃんと一緒にしてやれなくて」

 そう言ってニヤニヤと揶揄うようにして笑う滝崎に、折鶴は彼が何を言わんとしているのかおおむね理解したのだろう。

 そういうのじゃないです、違いますからと弁明をしながら長い坂道に差し掛かる一歩目を踏み出した。

「それに……"街灯は醜い蛾1匹の事なんて"歯牙しがにもかけていませんよ」

 そんな折鶴の呟きが聞こえていたのか、聞こえていなかったのか。滝崎は風が強いな、なんて当たり障りのない事を口にしながら歩き出した。

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