発症者たち。
リサと別れた後、俺はそのまま以前自分が働いていた橋の修復作業現場へと久しぶりに足を運んだ。
現場では、アレックスがいた頃に比べて作業員の数がかなり減ってはいたが、それでも着々と作業は進んでいるようで、俺がいた時よりも橋はその形を取り戻しつつあった。
俺は辺りを見渡すと、見慣れない作業員達の中から、数少ない顔見知りであるシザーという男を探し出した。
「アレックスはあれから来てないよ。今は現場監督もボブってヤツに変わったし、見ての通りアレックスがいなくなってからここのメンツもだいぶ変わったしな。」
俺に声を掛けられ、猫車を押していた手を止めたシザーは、首からかけていたタオルで額から流れる汗を拭いながらそう答えた。
その肉体はまさに筋骨隆々そのものといった感じであり、日に焼けたその肌の色がより一層彼の体を逞しく魅せた。
「…ロベルトさんは?」
作業現場にロベルトさんの姿がないことに気がついた俺は、シザーにそう尋ねた。
「ロベルトなら今日は隣町の現場までヘルプに行ってるよ。ここも人が少ないってのに、こればっかりは仕方がないよな。どうやら土砂崩れがあったみたいで、しばらくはそっちで仕事をするみたいだ。ところでダグラス、お前はこれからどうするんだ?」
…ロベルトさんがいないとなると…
「アレックスが休んでる間は、俺も仕事に出るのをやめておくよ。ところで一つお願いがあるんだが…」
そう言って俺は、シザーからある場所の住所を聞き出し、そこへ向かったのだった。
「…はい。」
新築のデザインマンションの一室から、俺の押したチャイムに答えるかのように、扉の中からは一人の男が姿をあらわした。
その男はタンクトップに短パン姿という、このオシャレで真新しい建物にはとても似つかわしいようなラフな格好をしており、その顔色はどこか青白く、ボサボサ頭と口元に無造作に生えた無精髭の数々が、以前の健康的で清潔感のあった彼の印象とは全く違う形にみせた。
…まるで、別人だな。
久々に彼の姿を見た俺の率直な感想はこうだった。
俺は、そんな男に向かって、笑顔で声を掛けた。
「久しぶりだな、アレックス。」
玄関口で俺がそう声を掛けた瞬間、アレックスは露骨に不快そうな表情を浮かべると、そのまま無言でドアを閉めようとした。
アレックスのそんな反応からその仕草に変わるまでの一連の動作にいち早く気がついた俺は、咄嗟に閉められそうになったドアに自分の足を挟み込んで、完全にドアが閉められる事を防いだ。
フリーのライターとして活躍していた頃の強引さがここにきてやっと役に立つ。
「どうしたんだよ!アレックス!せっかく来たんだ!一緒に話でもしようぜ!」
そう言いながら食い込ませた自分の足によって出来たドアの僅かな隙間から、無理矢理自分の体をねじ込みながらドアをこじ開けようとする俺に向かって、アレックスは相変わらずドアを閉めようとする手を緩める事なく大声で叫んだ。
「帰ってくれ!どうせお前も俺の事を笑いに来たんだろ!?」
「何言ってるんだよ!アレックス!誰もお前の事を笑ったりなんかするわけが…!!」
そんな俺の言葉など全く聞き入れようとせずに、アレックスは言葉を続けた。
ドアを開け閉めする俺達の攻防は続く。
「分かってるんだ!どいつもこいつも俺に症状が出たと分かった瞬間から、見舞いに来たようなふりをしながら、冷やかし半分に押しかけて来やがって!…あれだけ…あれだけ身を粉にしてあらゆるものを犠牲にしながらずっと働いてきたのに…!!仕事ではいつも仲間の事を一番に考えて、沢山の奴をかばってきたっていうのに…あの症状が出たってだけで後ろ指をさされて、笑われて!みんなまるで腫れ物にでも触るかのように扱いをしやがって…俺は…俺は…!!」
声の大きさと、ドアを閉めようとするその力は決して緩める事なくそう語るアレックス。彼の言葉は語尾に向かうにつれて次第に涙混じりとなっていた。
アレックスの言葉に、俺の脳裏にはエリックさんやアレックスが発症した時の姿、そして例のあの夜に、俺の事を見つめていたウェスカーさんの哀しそうな瞳がよぎった。
「分かる…分かるよ、アレックス。」
「分かるわけないだろ!お前なんかに!」
俺のその言葉に、アレックスはさらに声を荒げる。俺はそんなアレックスの様子には構うことなく、さらに言葉を続けた。
「分かるんだ!俺には分かるんだよ!…アレックス…実は俺も…発症者なんだ。」
俺がそう言った瞬間、ドアを閉めようとするアレックスの手が静かに緩んだのだった。
「…あれから俺の生活もだいぶ変わってしまってな…」
テーブルに腰掛けた俺の目の前に、冷蔵庫から取り出した缶ビールを置きながらアレックスは静かにそう語った。
俺は出されたビールに口をつけながら部屋の中を見渡す。
綺麗な内装までもを台無しにしてしまうくらいに積み上げられた雑誌や新聞、そしてインスタント食品の殻などが、アレックスの言葉の意図を静かに指し示している。
「…あれから…症状は出たのか…?」
「…いや、あれからは全く出てない。だが、いつまたあの症状が出てしまうかもしれないと思ったら、何も出来ないんだ。長時間の買い物はもちろん、人が沢山いる場所にだって行けない。ロベルトの息子の事を考えると、怖くて仕事なんか出来やしないしな…」
そう言って缶ビールを開けると、勢いよく口をつけるアレックス。その言葉に、俺は例のロベルトさんの言葉を思い出した。
「そうだ!ロベルトさんの息子!アレックスは息子さんは仕事中に事故で亡くなったって言ってたが、ロベルトさんは俺にあの症状が出て死んだと言ったんだ。一体どっちが本当なんだ?」
そう尋ねる俺に対して、アレックスは口にくわえた煙草に火をつけながら答えた。
「…どっちも本当さ。」
アレックスのその言葉と同時に、吐かれた煙も宙に舞う。俺もアレックスも無意識にその煙が消え行く様をそっと見守っていた。
「…それはどういう…」
「…つまり、仕事中に症状が出て亡くなったって事だ。」
そう言ってアレックスは手にした煙草を灰皿の端に置きながらそう答えた。
「…あれは確か2年前…俺がまだ見習いの時にロベルトと俺で高台にある発電所の工事をしていた時のことだった。グレッグ…あぁ、ロベルトの息子の名前なんだが、彼も同じ現場で働いていて、ロベルトとグレッグは本当に仲が良くってな。父親想いのグレッグの事を、ロベルトはとても大切にしていたし、本当に誇りに思っていたと思うよ。」
アレックスが灰皿の上に置いた煙草の灰が次第に長く伸びはじめる。
「ある日、一時的だったんだが街で爆発的に例の症状を現す人間が増えた時期があってな…俺達が働いていた現場でも仕事中に何人かが突然症状を現したりしていたんだ。でも医者に行っても原因なんて分からないし、予防策なんてものもなかったから、みんな普通に仕事をしててな…それはまるで何かのクジにでも当たるようなくらいの確率だったんだが、みんなどこかで、「俺は大丈夫。」「病気になるヤツの方が悪い」とまで思い込んでいたフシがあってな。あくまでも病気を発症する人間は運が悪かっただけで、自分や自分の身内にはそんな症状なんて起きないと思い込んでいたんだ。…そんな確証…どこにもないのにな。」
そう言ってアレックスは伸びた煙草の灰を軽く灰皿の上へと落とすと、その煙草を一吸いしてからまたさらに言葉を続けた。
「で、ある日の仕事中に小雨が降りだしてな。すぐに大降りになりそうだったんで、みんな作業の手を止めて帰ろうとロベルトが周りの連中に号令をかけていたんだ。その時何故かグレッグだけが、重い鉄骨を抱えたままボーっとその場に突っ立ってたんだよ。案の定次第に雨足が強くなってきて俺とロベルトが、何度もグレッグを呼んだんだが、グレッグは全く動こうとせず、そればかりかその場に抱えていた鉄骨を落としてしまったんだ。」
そう言って再びビールに口をつけるアレックス。その飲みっぷりにはもう先程のような勢いはない。
「あまりに様子がおかしかったんで、俺とロベルトがグレッグに駆け寄ろうとしたら、いきなり全身を硬直させながら、ブルブルと震えだしてな。」
「…それが症状…」
俺のその言葉に、アレックスは静かに頷いた。
「二人ですぐに病院に連れて行こうと思ったんだ。…なのにアイツは…全身の痙攣はすぐにおさまってたんだ。だけど何故か右手の震えだけは全然おさまらなくてな…必死に自分で右手の震えを押さえながらグレッグは何かを言ったんだ。それに対して近くにいたロベルトがしきりに『違う!』と叫んでいたんだが、グレッグはこちらを見つめたままゆっくりと後退りをしてな…そしてそのまま自分から谷底へと飛び降りてしまったんだ。」
「…なんでそんな…」
アレックスの口から語られたその真実に、そこまで言って俺は思わず言葉をつまらせた。
「…さぁな。それも症状の一つだったのかもしれないし、もしかしたらグレッグの意思だったのかもしれない。どちらにせよこの件は、過労による自殺と言われる事を恐れた会社側が事故として処理をしたからあまり表には出てないんだがな…それからだな。俺もロベルトも現場にいる仲間の動向に常に注意を払うようになったのは。」
そう言ってアレックスはさらにボサボサとなった頭を掻きむしると、吸っていた煙草を灰皿に押し付け火を消した。
「ロベルトさん…辛かったろうな。」
「ロベルトの悲しみようといったら…そりゃ見てはいられなかったさ。あれから人が変わったように顔が険しくなったし、あまり自分から人と関わろうとしなくなった。まるで自分を痛めつけるかのように仕事に打ち込んだりしてな…それでもやっぱりお前さんが来てからロベルトも少し変わったような気がするよ。前よりも少し表情が出るようになってきた。。…あんた…横顔とかが少しグレッグに似てるしな。」
アレックスはそこまで言うと自分の眉間に指をやりながら、突然顔をしかめ始めた。
「大丈夫か?アレックス。」
そんなアレックスにそう声を掛けた俺に対して、アレックスは髪をかきあげながらこう答えた。
「…悪い…あの症状が出始める数日前くらいからかな…悪い夢をやたらと見るようになってな…最近もあんまり眠れてないんだ。」
…悪い夢…
アレックスのその一言に、俺は自分が実際に症状が出る前の日に見たあの悪夢を思い出していた。
「…それは…どういった夢なんだ?その…マルッセル劇場にいる夢とかか?」
思わず自分が見た夢と照らし合わせる。
「いや、俺はだいたい仕事場での夢が多いな。仕事中にゾンビに追いかけられたり、誰かに殺されかけたり…全くたまったモンじゃあねぇよな。」
そう言ってはにかむアレックス。
彼の笑顔を久しぶりに見たような気がする。
…アレックスも症状発症前に悪夢を見ている…
この現象には何か因果関係があるのだろうか。
俺はその事も含めて調べていく事にした。
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