バリー・アンダーソン②
「…なんだよ、コレ…。こんなの絶対に骨折なんかじゃあないだろ…。」
規則的に生存を意味する装置の機械音が鳴り響く病室の中で、俺は思わずそう声を漏らした。
心臓の動きと連動するその機械音さえ聞こえてこなければ、きっと誰もが彼の事を「生きている」だなんて思いもしないだろう。
全身の骨が浮き出てしまうくらいに痩せ細った体に、まるで血が通っていないかのような土色の肌。大きくくぼんだ瞳からは、すでに光が消え失せており、まだらに抜け落ちたその頭髪も重なってか、その姿はとても64歳には見えなかった。
そのくらいにベッドに横たわっているバリー・アンダーソンの姿は、すでにこの世のモノとは大きくかけ離れてしまっていたのだった。
俺は目の前の現実から目を背けてしまいたい一心で、彼の腕から繋がれている点滴の名前を確認した。
だがそんな思いも虚しく、その点滴にはきちんと「バリー・アンダーソン」という名前が記されていたのだった。
彼はその瞳こそかろうじて開いてはいるものの、その目はあまりにも虚ろで、もはや意識があるのかどうかさえも分からない。
「…これじゃあ、まるで…」
…死んでいるみたいじゃないか――――…
思わずそう呟こうとした俺は、寸前で何とかその言葉を飲み込んだ。
そんな最中、まるで異形の者でも見るかのような目で彼の事を凝視していた俺の瞳に、突如として彼の左目尻から、すぅと通りすぎていく一筋の涙の姿が映った。
「…あんた、まさか…」
その涙を見た俺は、思わずバリー・アンダーソンのベッドに駆け寄った。
「…あんたまさか、周りの声が聞こえているのか…?」
そう尋ねる俺の声に反応したのか、彼は相変わらず虚ろな表情のまま、一点を見つめているだけではあったが、僅かにまばたきのような動きをした。
彼がまばたきをしたその瞬間、左目からさらに涙が零れ落ちたのを見逃さなかった俺は、この時彼がきちんとこちらの話を理解出来ているという事を確信したのだった。
「…なぁ!聞こえているなら答えてくれ!一体この街では何が起きてるんだ!?あの劇場で、あんたの身に一体何があったんだ!?」
そう詰め寄る俺の言葉に、彼からの返答はなく、変わりに骨の浮き出た胸元の上下運勢が激しくなり、ただ一層に呼吸が苦しそうになってしまっただけだった。
「…やっぱりダメか…。」
答えを聞けない事実に落胆した俺が、ベッドの柵にうつ伏せようとした瞬間、俺はある事に気がついた。
その呼吸こそは激しく不規則なものへと変わってしまったものの、彼のその口唇だけは、呼吸の動きと相反して、規則的に僅かに動かされているのだ。
その動きは、同じ形の繰り返しであり、口唇の動きがあまりにも小さすぎる為、何を言っているのかははっきりと分からなかったが、どうやら口唇の形状からして、それは三文字の言葉であるらしい。
「…何だ?何を言ってるんだ…?」
彼から必死に発信され続けているその法則に気がついた俺は、すぐに彼の口元に自分の耳を近づけてみた。
…が、残念ながらその彼の口唇からは声が発せられる事はなく、俺の耳にその言葉が届く事はなかった。
俺は仕方なく、耳でその言葉を捉える事は諦めて、彼の口元の動きに注目し、視覚的に彼の言葉を汲み取ろうと考えた。
一つ目の口の動きは多分母音が「あ」となる言葉なのだろう。口をごく自然な形で開いていた。
二つ目の形は、口をつむんだ「ん」の形だった。
そして三つ目の口の形は、一つ目の口の形よりはやや口の開きが少ないようだったが、多分母音は「あ」なのではないかと考えられた。
俺は、幾度となく繰り返される彼の力ない口唇の動きを、じっと真剣に見つめ続けてはみたが、一向に彼が何を言っているのか、全く理解することが出来なかった。
「…頼む!その中のたった一文字でいいんだ!たった一文字さえ分かれば、俺が必ずあんたの思いを汲み取ってやるから…!だから、俺にあんたの言葉を教えてくれ!」
俺のその必死な言葉に、彼の口唇の動きがさらに大きくなってきた。
「…あ…あぁ…ぁ…」
まるで絞り出すかのように、彼の口からは少しずつではあるが、声にならない声が漏れはじめてきた。
俺は再び彼の口元に耳を近づける…。
「…あ…ぁぁ…ぁあ…」
少しずつ大きくなる声に耳を済ませていると、突然けたたましいアラーム音が病室内に響き渡った。
見ると彼のベッド横に置いてあったモニターの波形が激しく乱れている。
彼は目を見開いたまま、ベッドの上で体を強く震わせながら、激しい痙攣を繰り返していた。
「…くそ!!」
彼の突然の容態の変化に気がついた俺は、ベッドにくくりつけてあったナースコールを押すと、すぐにその病室を後にしたのだった。
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