第21話 地下

 世の中には様々な性格を持つ人間が存在し、彼ら彼女らの持つ特技や能力も十人十色で千差万別だ。それは平時に役に立つ能力もあれば、災害や戦争などの有事のときに威力を発揮する能力もある。だが、平時でも必要なのは『危機対応能力』である


 これは何も武器の携帯や取り扱い、護身術などを身に付けることだけを指すものではない。事前に危険な場所や人物や物事を察知して予め近付かない、触れない、逃げるなどといった行動も危機対応能力のひとつだ。


 特に地球には存在しない文化や動物、種族などが多数存在する異世界においては臆病者と笑われようとも危険な存在に対して近付かずに自ら遠ざかる行動を取るのは恥ずかしいことではない。


 しかしながら、世の中には例外も存在する。自分達が獲物だと思っていた相手が羊の皮を被ったバケモノだと考えずに挑発するような行動をとる愚か者達だ。彼らはなまじ自分達が中途半端に強い力を持ってしまったがために、絡んだ相手の隠された真の強さを察知して冷静に分析し理解する能力が欠如してしまっているのだ。

 そしてその例外が今、自分の目の前に立ちはだかっていた……



「なあ、兄ちゃん。

 さっき貰った入場料なんだが、数えてみたら足りてなくてよぉ?

 追加で料金を出してくれねえか?」


「もし払えないんだったら、そっちの別嬪の姉ちゃんを貸してくれればイイぜぇ!」


「はぁ……」



 如何にもなガラが悪く、今どきヤクザでさえ言わないような脅し文句を喋っているのはまるで何処ぞの世紀末のような厳つい格好をした大柄な獣人の男性が2人。しかもこちらの進路を塞ぐように立っており、俺の口からは思わず溜息が漏れ出ていた。


 獣人の男達はニヤニヤと笑いながらこちらに話しかけているが、時折彼らは俺の一歩後ろに下って沈黙のまま控えているアゼレアをチラチラ見て舌舐めずりをしていた。きっと彼らの脳内劇場では既にアゼレアのカラダを好き勝手に蹂躙している映像が再生されているのだろう。



(はぁ。 トラブルを避けるために金を払ったのにこれでは意味がない……)



 ことの発端は治安警察軍が帝都上空に展開させた天馬ペガサス空中騎兵の目から逃れるために帝都東区の端に存在する『東区地下街特別区』、通称『地下特区』という地下街に入るためにトンネルの出入り口を潜って直ぐに彼ら2人の獣人に絡まれたことが原因だった。


 2人の獣人はどちらも2メートル近い身長で威圧感が凄かった。片方は恐らく虎の遺伝子を持つ獣人で虎柄の体毛が体の要所要所に生えていて胸板が凄く厚い。腕も文字通り丸太のように太く、日本のプロレスラー以上の体格だ。


 もう1人は虎の獣人よりは幾分細身だが、身長が高いのは同じで全身の筋肉が引き締まったガッチリした体つきが特徴的で、ムキムキのマッチョな身体つきの虎の獣人とは対照的だった。そして何より特徴的なのは虎の獣人がヒゲと虎耳を持つだけの人間とほぼ変わらない顔のつくりなのに対して、もう1人は狼の顔そのままの獣人だったのだ。





『よお兄ちゃん! おまえさん見ない顔だなぁ? 知ってるか?

 ここは通行料がいるんだぜ?』


『そうそう。

 ここに初めて入る奴は一人当り金貨一枚の通行料を払わないといけねえ決まりがあるんだ!

 ……もちろん、兄ちゃんは知ってるよなぁ?』





 そんな彼らが通路を進もうとするこちらの前に立ちはだかり、『通行料』という名の強請り行為を仕掛けてきた。このとき俺は「今、無駄な争いを起こすのは得策では無い」と考え、殺気を敢えて放たずに俺の後ろで黙ったまま腕を組んで立っていたアゼレアを気にしつつ、彼らの言い値通りに金貨2枚の通行料を支払った。


 このとき彼らは手に入った金貨を見て最初はキョトンとした表情だったが、次第にニヤニヤと笑い出しながら引き下がって行った。しかし、5分も経たない内にこちらを追い掛けて来て先程の強請りの続きを始めたのだ。


 実は彼らはこれまで先程と同じ手口で地下特区に入って来る者達の内、獲物としてをしやすい者を選び出して強請り行為を仕掛けていたのだが、実際に金貨を手に入れたのは今回が初めてだった。これまでは銅貨や銀貨ばかりを恐喝で手に入れていたのに、相手の身なりからダメ元で金貨と言ったらすんなりと現物が手に入ったので、彼らが調子に乗って更なる利益を求めるのは自明と言えるだろう。


 だが彼らはあのとき手に入った金貨で満足しておくべきだったのだ。彼らは今まで自分が生まれた種族の持つ能力や特性に頼って生きてきたが、本当の殺し合い――――いわゆる戦争や紛争などといった有事の場でその能力を活かしたことはなく、集団での盗賊行為や掠奪など常に自分達が優位な場面でしか種族の能力を使っていなかった。


 だからであろう。

 自分達の目の前に思わず転がり込んで来たお宝に興奮し、これまでと同じ優位な立場から更に多くのお宝を獲物から掠め取り、ついでに上手くいけば極上の情欲も満たせると勘違いしている。


 そのため、獲物のひとつである人の良さそうな男から不自然なほどに火薬の匂いがしていたことや、軍服を着ている長身の女が人間種ではありえない赤金色の目を持つ存在であっても彼らは『金貨という利益』に目が眩んで、相手が持つ不自然な点を見過ごしていた。それほどに彼らにとって金貨という利益は魅力的過ぎたのだ。



「ふう……もういいわ、孝司」


「……え?」



 突然、掛けられた声に俺は思わずギクリとしてゆっくりと後ろへと振り返った。それまで沈黙を貫いていたアゼレアが一歩前へと進み出て来ると、そのまま二人の獣人達の前に立つ。



「これ以上、あなた達に金貨を支払う気は私達にはないわ。

 その代わりと言っては何だけれど……私があなた達二人を相手してあげる」



 アゼレアの金を払わないと言う毅然とした態度に最初は顔を顰めそうになった二人であったが、彼女が代わりに対価を支払うという申し出を聞くと、途端に鼻の下を伸ばして顔の表情をだらしなく崩す獣人達。しかし、俺は内心ハラハラしっぱなしだった。



「ほう? こりゃあ聞き分けの良い軍人の姉ちゃんだ。

 じゃあ早速、オレたちのアジトまで来てもらおうじゃねえか」


「兄ちゃん悪いなあ。 

 この姉ちゃん借りるぜえ!

 まあ、そこに突っ立っていてもいつ返せるかは分からねえが……なるべく綺麗に返せるするように心掛けるからよぉ。

 ぎゃははは!!」



 彼らの勝ち誇った薄汚れた笑みが兄ちゃんこと俺に向けられる。周囲を行き交っている通行人達は先程からこちらをチラチラと横目で見ながら我関せずといった感じで通り過ぎて行くが、アゼレアの両隣りを塞ぐように立ったガラの悪い二人の獣人の仕草から状況を読み取ったのか、憐憫の目をこちらに注ぐ。



「言っとくが下手に逆らうんじゃねえぞ?

 こう見えてもオレたちは獣人の中でもそれなりに強いが、アジトにいる兄貴分達はもっと強えからよぉ。

 幾ら軍人でもそんな細っこい体じゃあ、オレたちに敵うとは思ってねえよな?

 逆らうと、そこの兄ちゃんと再会するときに姉ちゃんの顔が誰だか分からねえくらいに殴られて変形してたら、兄ちゃんがかわいそうだからなぁ……って、あ?」


「じゃあな、兄ちゃん!

 姉ちゃんはいつ返せるかは分からねえが、よろしくな!

 おい、さっさとアジトに連れて行こうぜ?

 もうアソコがはち切れそうだ……って、何面白いことしてんだよ?」


「いや、こいつが……フンッ!!」



 虎の獣人がアゼレアの肩に手を回して脅し文句を口にしつつ彼女を自分の傍に抱き寄せようとするが、その行動は叶わなかった。アゼレアはただその場に立っているだけなのだが、まるで地面に固定された銅像のように揺るぎもしない。それに気づいた狼の男は相方の変な行動を見て不思議そうな顔をするが、それを他所にアゼレアは力を入れて自分の側に抱き寄せようとする虎の男の手を取り、二人に問い掛ける。



「ところで先に聞いておきたい事があるのだけれど……あなた達はシグマ大帝国の国民なのかしら?」


「あん? 何でぇ急に?」


「それより早く行こうぜ。 おれもうあんたとヤリたくてたまんねーよ」


「大事なことなの。

 答えてもらえれば、何でもしてあげるから。 ね?」


「オレはザハル諸部族同盟の出身だ。

 とは言っても、ザハルは戦争で無くなっちまったからだがな?

 今は無国籍の地下住民として人生を自由に生きてるぜ」


「おれもコイツと一緒の国だ。 もう質問はいいだろ? さあ、早くイこうぜ」


「あら? あなた達、シグマ大帝国ではなくザハルの出身だったの?

 しかも無国籍……だったら



 二人の獣人男性が両方ともシグマ大帝国ではなく別の国の出身で、尚且つ今は祖国が戦争で無くなってしまい無国籍状態であると聞いたアゼレアはニンマリと嬉しそうに笑みを浮かべた。それに対して、彼女の言動を不審に思った虎の獣人はアゼレアに対して出身国を問い質す。


 

「あん? 一体何のことだ?

 そりゃあそうと、姉ちゃんは何処の国の人間なんだよ?

 まさか人に聞くだけ聞いて、自分はだんまりとかはねえよな?」


「私? 私はもちろんこの格好からして魔王領の出身に決まっているじゃない」


「え?」


「はあ?」



 獲物であるはずの女の出身国が魔王領の出身と聞いて二人の獣人男性は自分達の理解が及ばなかったのか始めはポカンと呆けていた様子だったが、アゼレアが自分の制帽に佩用されている帽章を指し示すと、次第に彼らの表情が強張り、恐怖に慄く顔へと変化して行くのが傍らから見ていてもよく分かった。そして、それは事の次第をそれとなく盗み見ていた周囲の者達も同じだったらしく、誰かが驚きの声を上げる。



「魔王軍……!」


「ま、魔王領の魔族!?」



 ざわざわと周囲が僅かに騒がしくなり始めるが、アゼレアはそんな周囲の者達の様子など知らないとばかりに右手を伸ばして虎の獣人男性の顎に手を添える。



「え?」


「無国籍の獣人が一人くらい消えたところでこの国シグマ大帝国には関係のない事ですものね?」



 アゼレアがそう言った直後に“コキャッ!”っという整骨院で施術をしてもらったときに聞こえる関節が嵌るような小気味良い音が俺の耳に入る。しかし、その音は関節が嵌る音ではなく、むしろ正反対の音だった。



「う……べぇ…………ぅぇお!?」


「て、テメェ!!」



 突如として自分の顎を押さえて呻き出した虎の獣人男性はそのまま地面に膝をついて悶え苦しみ始めた。そして相方に何が起こったのかを悟った狼顔の獣人が怒りで叫びながら横合いよりアゼレアに向かって拳を放つ。



「はぁっ!」



 しかし、その怒りの拳はあっさりとアゼレアの両手によって躱すようにいなされて空を切る。そして拳を回避した彼女は右足で垂直に蹴りを放って狼顔の顎を下から上へと打ち抜いたのだ。



「んべぇ!?」



 至近距離から放たれた重い蹴りを顎に食らったことによって数本の歯と共に下顎を砕かれた狼男の獣人は、女性の蹴りとは思えないあまりの衝撃に僅かに宙を舞って背中から地面に叩きつけられた。



「ふふっ。 さてと、あなた達には色々と聞きたい事があるわ。

 簡単なことよ? 私の質問に素直に答えればあなた達は生きていられる。

 分かったかしら?

 ああ、でも二人とも口が使えないから話せないわね。

 話すことができない者を生かしておく必要はないかしらぁ?」



 地面に大の字で倒れた狼男の腹にブーツを履いた左脚を置き、いつでも内臓と脊椎を踏み潰せる体勢に入ったアゼレアの姿を見て彼は口から血を流しつつ恐怖で顔面が真っ青になり今にも気を失いそうになっていた。傍らでは相方である虎の獣人男性が同じように地面に倒れて顎を押さえて悶え苦しんでいる。


 アゼレアはそんな虎の獣人を横目に狼男の腹の上に置いていた左脚を顔の上へと移動させて足を上げ、そのまま口から血を流し続けている顔面と顎を押さえている両手ごと踏み潰したのだ。



「…………ぅぉ!!」



 顔を踏み潰された狼顔の獣人は即死だった。それはまるで巨大な岩で潰されたかの如き威力であり、“ズドンッ!”という大きな音がした直後、足で踏み潰された箇所の鼻や口の部分はぺしゃんこになり、それ以外の箇所は圧力に耐えられなくなったのか頭蓋骨の頭頂部や耳の穴の内部から脳や血液が勢いよく飛び出して眼球も片方が勢い良く飛び出し、地面の上に転がる。



「っの野郎! ふざけやがって!」



 っと、その時だった。

 遠巻きにこちらを伺っていた野次馬の群衆の中から突如短剣を抜いてこちらに雄叫びを上げて突っ込んで来ようとする男が現れたのだ。

 


「アゼレアっ!!」


「あがぁッ!?」


「フンッ!」



 地下通路に響く銃声と悲鳴、そして裂帛の気合いの声が重なって聞こえたと思った瞬間、周囲に大量の血液が飛び散った。



「うっ……!」


「ひぃぃぃーーー!?」



 自分達の周囲に集まっていた野次馬から恐怖に慄く声が響き、先ほどまで通路の壁際付近に立っていた群衆が割れてそこにはある物体が落ちていることに俺は気付く。そこには激昂し、短剣を抜いてアゼレアへと突っ込もうとしていた男の首が潰れて落ちていたのだ。



「あら? 三人目がいたのね」



 まるで買い物帰りに何かを買い忘れていたことを思い出したかのようにあっけらかんと呟くアゼレアではあるが、彼女のとった行動の結果に俺は驚愕していた。背を向けていたアゼレアに対して背後から短剣で襲いかかろうとしていた豹を思わせる斑ら模様の体毛を持つ獣人の男は咄嗟に反応できた俺が横合いから放った軍用ライフル弾を右の太腿に受けてバランスを崩して短い悲鳴を上げながら前へと倒れていったが、俺の呼びかけに反応したアゼレアが振り向きざまに右足で回し蹴りを放つ。


 普通であれば蹴りを食らった男はそのまま右側へと吹っ飛ばされて地下通路の壁に激突するか、首の骨を折られてその場に崩れ落ちるかなのだろうが、アゼレアの回し蹴りを食らった豹の獣人男性は放たれた蹴りのあまりのスピードと威力に首がもげて頭が体から千切れ飛んで行ってしまったのだ。



「うっ……!?」



 吹っ飛んで行った男の頭部は地下通路の壁に激突し、卵のように潰れて壁にへばり付いていた残骸がズルズルと地面に落ちていく。壁には脳漿の一部と頭皮の一部がくっ付いており、破裂した水風船のような状態になっている。



「さてと、貴方に幾つか聞きたいことがあるの。

 もし答えなかったり、しらを切ろうとしたら……コレを突き刺してはらわたを掻き回すわよ?」



 そう言って虎男の着ている服を抜刀した軍刀で切り裂いて腹部を露出させ、軍刀の切っ先を腹の皮ギリギリまで近付けたアゼレアはそれまでの一部始終を見て顔を真っ青にし、口を押さえたまま首をブンブンと高速で何度も首肯させる虎の獣人を確認すると、彼の顎に左手を添えて外れていた顎を元の状態に嵌め治した。






 ◇






 結局、あの3人の獣人達は全員死亡した。

 最後に生き残った虎の獣人もアゼレアが聞きたいことを全て聞き出すと、彼女は軍刀で彼の首を刎ねてしまったのだ。


 彼らの遺体はもうこの世には存在していない。アゼレアは獣人達の遺体を『地獄の業火』という火炎魔法で骨まで焼き尽くしてしまったからだ。僅か1分足らずで炎が消え去った跡に残っていたのは火山灰のようにサラサラとした感触を持つコップ一杯分の灰が3つだけ。


 先程の惨劇を伝えるかのように残っていた血痕は吸血族が得意とする血液を媒介にする魔法によって跡形もなく消え去った。遺伝子レベルで消え去った彼らの痕跡は最早この世には全く存在しておらず、彼女の殺害行為を立証するには動画として撮影でもしていない限り不可能だろう。



「それにしても、この地下特区という場所は混沌としているわね。

 魔研もかなり混沌としていた印象があったけれど、ここはまた別の意味で混沌カオスと化しているわ」


「魔研っていうのがどれくらい混沌としていたのかは分からないけれど、確かにここは混沌としているね……」



 3人も殺しておきながらあっけらかんとしているアゼレアは先程から混沌、混沌とばかり口にしているが、実際にそれ以外にこの地下特区の状態に当て嵌まる適当な言葉が浮かんでこないのだ。出入り口から入って奥に進んで行くと煉瓦と石材で補強されていたトンネルのエリアはすぐに終わりを迎え、代わりにコンクリートと太い角材の梁と柱、木製の分厚い板で支えられた通路へと様変わりした。


 東京の地下鉄のように地下水が滲み出ている箇所は今のところ全く見当たらない代わりに、幾つか壁の崩落を修繕した箇所が目に入る。地上の季節は日本と同じで、もうすぐ春の季節に入ろうとしているためか日中は太陽が顔を見せている間は暖かいが、ここ地下通路は冷んやりとした空気が立ち込めており、湿度はそこまで感じることはない。


 地面は長年の往来で踏み固められているお陰で土が石のように固くなっている。また、地下通路全体は仄かに明るく照らし出されているため、踏み固められた地面と相まって地上と変わらないほどに歩きやすいのが印象的だった。



「ここは『光明こうみょう苔』を光源のひとつとして利用しているのね」


「光明苔?」


「ええ。 元は長耳エルフ族が集落で使っていた光苔の一種なんだけれど、室内を明るく照らすには光量が不足していたから、彼ら長耳族が長い年月を掛けて品種改良を重ねていった結果、こういうふうに室内だけではなく広い空間も明るく照らし出すことができるようになったの」


「へえ?」



 光明苔は主に室内や太陽の光が届かない閉鎖空間で使用される場合が多く、普通の植物のように光合成ができない代わりに空気中を漂う僅かな水分と生き物が吐き出す二酸化炭素を吸収することで生きているらしい。


 そのためこの地下特区のようなある程度湿気がある空間だと光明苔も育ちやすい環境にあるようで、至るところに光明苔が植えられている鉢が通路の床に置かれたり天井から吊るされたりしている。だが、それでもより灯りが必要な場所は光を放つことができる特殊な魔道具を用いて光源を補っていた。



(てっきりアメリカとメキシコ国境の地下やイスラエルとパレスチナ自治区の地下などに掘られているトンネルと同じように暗くて湿気が凄いと思っていたけど、壁や天井の補強や明りといい……中々どうして立派な地下通路じゃないか)



 そんな地球でも通用しそうな割としっかりとした作りの地下通路ではあるが、通路の途中途中には日本に存在する地方の寂れた商店街のように小規模な店舗がポツポツと営業しており、特徴的な商品が売られている様子がまさに混沌カオスだった。



「これは……剣?」


「大分古い様式の剣ね。 こっちは昔の火縄銃だわ」


「でもって、こっちは虎鋏? 何でこんなモノが売ってるの?」


「こっちには鍋や薬缶が置いてあるわ」



 興味本位で通路に面している店舗の店先に設置されている平台の上に置いてある商品へ、一通り目を通すが、この時点で既に混沌とした様相を呈していた。鍋や薬缶などといった日用雑貨の品物に混じって使い込まれた槍や剣といったオーソドックスな武器に始まり、モーニングスターやメイスなどの中世ファンタジー感いっぱいの武器があると思ったら、短筒や弾弓などのコアな飛び道具の他に虎鋏のような罠猟の仕掛けとかも並べられており、全体的に統一感が全くない。


 しかも、店員は店員で革鎧に兜を着用して外套を羽織っているなど似非中世ファンタジー定番の冒険者っぽい格好をしてこちらに声を掛けることもなく椅子に座って紙巻煙草を吸いつつ新聞を読んでいて、そこから少し離れた場所では壁を背にして通路に座り込んでいる少女がジャガイモと思われる作物の皮を一心不乱に剥いている。



「うーむ、カオスだね……」



 店から離れて再び通路を歩き出す。先程は自分達に強請りたかりで絡んで来たチンピラ獣人のお陰で周囲の人々を観察する余裕がなかったが、こうやって周囲を観察すると地上とはまた違う雰囲気が地下通路にはあった。



「アゼレアが暮らしていた魔王領もこんな感じなのかな?」


「そうねえ……確かに国民の種族や人種は様々だったけれど、服装はそれほど突飛な格好をしている者は見なかったわね」


「あ、そうなの?」



 てっきりビキニ姿のあられもないサキュバスやおどろおどろしい格好の悪魔なんかが当然といった顔で街中を歩いている光景が頭の中に浮かんだが、そうではないらしい。



「そうよ。 確かに頭に角が生えてるとか背中に翼がある種族もいるし、上半身が人間で下半身が蛇や馬など動物の体躯を持つ者達も沢山いるわ。

 それ以外にも顔も体も完全に人間種とは別の魔物や魔獣と同じ状態の種族もいるけれど、あんなふうに棘が生えた鎧を着込んでいたり、無駄に大きく重い武器を持った者は見たことないわね」



 そう言って見つめるアゼレアの視線の先には、棘が付いている鎧を着た怪しい人物や明らかに薪割りに使うものではない厳つい外観を持つ巨大な戦斧を携えている筋肉の塊のような男が歩いていた。他にも自分たちに絡んだ獣人の男達のように獣耳や尻尾、体毛を持つ獣人の種族とすれ違ったりするが、彼らは一様に俺とアゼレアを一瞥すると一瞬驚いた表情を浮かべるが、直ぐに表情を戻して関心がないとでも言いたげに視線を逸らす。


 

(ここは獣人や亜人の種族が多いな。 

 地上の街と比べても明らかに数が多い気がする)



 手荷物検査を終えてこの街に入ったときには目に映る様々な人種や種族の人々を見て興奮していたが、宿に着いて一息ついてから改めて道を歩く通行人の観察をしていると人間種が比較的多く目に付くことに気付いて逆に「あれだけいた獣人や亜人の人々は何処に行った?」と不思議に思っていたが、もしかしたら手荷物検査場の外で見た獣人や亜人達はここの住民だったのかもしれない。



(それにしても、アゼレアのような魔族の姿が見えないな……)



 地下通路ですれ違うのは人間種や獣人、長い耳が特徴のエルフなどばかりで、如何にも魔族といった外見を持つ者は見当たらない。これはいったいどういうことなのだろうか?



「ねえ、アゼレア。

 俺はこの国に来て魔族という種族は君以外に見ていないんだけれど、魔族はどの国にもいたりするの?」


「『どの国にも』という表現は適切ではないわ。

 これは私達魔族だけではなく長耳族や獣人族にも言えることなんだけれど、基本的に人間種以外の種族達は自分の祖国を除けば比較的差別が少ない人間種の国に移り住んで暮らしている者が一定数存在しているのは確かね。

 その場合は配偶者の種族が人間種だったとか、商売など仕事の都合で移り住んでいる場合が多いわ。

 あとはまあ……人間種が好きだとかいう理由で移り住んで行った奇特な者もいたかしら?」


「確か魔王領には魔族だけじゃなく人間種や獣人族などの他種族も住んでいるんだよね?」


「そうよ。 でも、逆の場合は少ないわ。

 獣人族や長耳族の国に住んでいる魔族や人間種も一応いるけれど、基本的に一部の獣人を除けば獣人族や長耳族は国の中でも自分達が所属する部族単位で街や集落を形成して暮らしている場合が多いから、そこに魔族や人間が入っていける可能性は低いわね」


「ふーん……」



 地球と違って人種ではなく、種族そのものが違うのであれば人間が獣人やエルフの社会に入って行くのはかなり難しいだろう。仮に好きになった獣人やエルフ個人と相思相愛になったとしても、彼ら彼女らの種族や出身部族がこちらに好意を抱いてくれるとは限らない。漫画や小説のように初見で異種族が両手を広げて歓迎してくれるわけではないのだ。



「まあだからこそ『ザハル諸部族同盟』や『リーフ大森林連合王国』のような国家を除けば獣人族や長耳族は己の部族以外での横の繋がりが少ないのが弱点なのよ。

 かつてはそこを突かれて人間種の国家に滅ぼされた国……というよりは都市国家ね。

 そういった獣人族や長耳族が作ったや都市国家が滅ぼされた例は幾つか存在するわ」


「確かザハルって名前はさっき絡んで来た獣人が暮らしていた国だよね?」


「そうよ。 ザハル諸部族同盟は獣人達が作った国の中でも最大の国家で、常備軍も備えていた国家としての体裁を整えている獣人達が持つ唯一まともな国だったの」


「でも戦争で無くなったってあの獣人は言っていたよね?」


「恐らくは『リグレシア皇国』の仕業ね」


「リグレシア皇国?」



 ここに来て初めて聞く国名がアゼレアの口から飛び出す。

 俺はリグレシア皇国なる国のことを聴き逃すまいと、アゼレアの話に耳を傾ける。



「リグレシア皇国は魔王領と違って魔族と魔物のみで構成されたへカート大陸に存在する魔族至上主義国家なの。

 このバレット大陸において小さな都市国家を除けば魔族の大半が暮らしている規模の大きい国は『魔王領』と『ツァスタバ王国』だけよ。

 以前はルガー王国という国も存在していたんだけれど、ザハルが無くなったことを考えればルガー王国もリグレシア皇国の侵略行為で無くなっている可能性が高いわね」



 アゼレアの話を聞いた俺はリグレシア皇国の位置が気になったのでストレージから取り出したタブレット端末を操作して世界地図のアプリを起動させる。すると直ぐに自分がいる現在位置が表示されている赤い点が目に飛び込んでくるが、それには構わずに検索機能を利用してリグレシア皇国の位置を調べた。


 このバレット大陸は歪な形をした逆台形をしており、南に向かって行くに従い漏斗の先端のように細くなっていく。そしてその細くなっている大陸の先端部には幅15kmほどの海峡があり、対岸には『へカート大陸』というバレット大陸より一回り小さい大陸が存在している。


 へカート大陸は真ん中から上半分が正三角形、残りの下半分が逆台形になっており、大陸のすぐ左隣には北海道と同じくらいの面積を持つ島が幾つか点在して群島を形成していた。



(で、ここがリグレシア皇国というわけか……)



 へカート大陸の上半分を占める正三角形部分の更に上半分のところに国境線が直線と曲線を用いて歪に描かれているが、この部分がリグレシア皇国の国土であると世界地図は表示していた。しかし、その直ぐ上の部分、『キパリス海峡』と表示されている海峡を挟んだ対岸は『ルガー王国』と表示されているのに国の色はリグレシア皇国と同じ赤色で示されている。


 そしてルガー王国の右隣は『ザハル諸部族同盟』、その上は『ミネベア共和国』と表示されているが、この2カ国もルガー王国と同様に赤色で示されていた。



(これは要するにこの3カ国はリグレシア皇国の領土になっているということか?)



 よく見るとバレット大陸だけではなく、へカート大陸側もリグレシア皇国の周辺国のうち数カ国が赤色で表示されており、他にも飛び地のように幾つかの沿岸国や内陸国が赤色で塗り潰されているのが確認出来た。



(おいおいおい! まさかこれだけの国を手中に収めたってことなのかよ!?)



 帝国や公国、共和国や連合などといった記載がある国が全部で8カ国あるが、それらが全て赤色で塗られており、リグレシア皇国から離れて飛び地になっている属国と思しき国の隣にはリグレシア皇国と軍事同盟又は軍事的友好関係にある国が必ず控えていた。



(これは……同盟や友好関係にある国も含めると面積的にはシグマ大帝国に匹敵するんじゃないのか?)



 リグレシア皇国本国とその国に制圧された各属国に同盟・友好国の部分を指でタップして選択し、それぞれの国の人口と面積を合計すると面積ではシグマ大帝国に一歩及ばないものの、人口は2割弱ほど多い。もちろん全員が戦闘に参加できる軍人ではないが、こうやって数値で見るとバレット大陸の諸国にとってはかなりの脅威になるだろう。



「なるほどね。

 確かにリグレシア皇国がルガー王国に攻め込んで来たのも納得だわ」


「うおっ!?」



 突如、耳元で声が聞こえて驚きで声が出る。すると、両肩に手が掛けられて直後に自分の右肩に何か重いものが置かれる感触を感じたのでゆっくりと首を右側に巡らせるとそこにはアゼレアの顔があった。



「ア、アゼレア!? いったい何をしているの?」


「ん? 何って、貴方と一緒に地図を見ているんじゃない」


「いや、そうなんだろうけどさ。 も、もうちょっとこう……」



 「くっ付き過ぎじゃないのかなぁ?」と言い掛けたところで今度は背中全体に重みが増す感覚が走る。



「もうちょっとくっ付いたほうが良いかしらぁ?」


「ゔひゃい!?」



 そう言われた直後にフウっと右耳に吹き掛けられる吐息。

 反対側の耳はアゼレアの細くしなやかな指で弄られたせいで首筋が痺れて全身に鳥肌ができる。しかも背中には制服に佩用されている勲章や徽章などのゴツゴツ感以外に柔らかな感触が感じ取れた。



「アゼレア、ちょっとくっ付き過ぎだよ!?

 ほ、ほら! 周りの人がこっちを見て呆れているよ!」


「別に良いじゃない。 どうせここを出たら、二度と会わないのだから」



 周囲には俺達と同じように地下通路を歩く人々がいるのだが、彼ら彼女らの目が痛い。ジト目で、ときには殺気を込めた目で睨み付けてくる者もいるが、アゼレアはそういった人々など一切気にすることなく抱きついてスキンシップを図る。



「それでも恥ずかしいよ! それにいったいその行動はどうしたの!?」


「何だかさっきから体のが疼くのよ」


「へ?」



 そう言ってこちらの背中に寄り掛かったままのアゼレアは俺の腰に自分の下腹部を擦り付けるようにしながらさらに密着してくる。彼女の体の何処が疼いているのかがよく分かった。



「ねえ、孝司? そこにちょうど良い暗さの横道があるからそこで……ね?」



 アゼレアが指し示す先にあったのは、光明苔が植えられていない薄暗い路地のような横道だった。何故彼女はアソコへと俺を誘おうとしているのだろうか?



「い、いや! そんなところでは流石に……」


「じゃあ、ソレを行うのに適する相応しい場所なら良いのかしらぁ?」


「ま、まあね……」


「そ。 分かったわ」



 そう言ってパッと俺から離れたアゼレアであったが、こちらを見る目は完全に獲物を狙う肉食獣の目であり、笑顔は何処か怖い。しかも制服を着ていながら全身から強烈な色香を振り撒いており、妖艶という次元を通り越して淫靡な空間を形作っていた。

 


「ハッハッハッ! これはこれは、お暑いことですな」



 突如、背後から笑いを含んだ声が聞こえ来たことに驚いて振り返ると、そこには髭を蓄えた男性がにこやかな笑顔でこちらを見ていた。年齢は恐らく50代前半あたりだろうか?つばが広いボーラーハットから覗く金髪と控えめなカイゼル髭を蓄え、黒い三つ揃いのスーツ背広を着用して右手に杖を持っており、身のこなしや格好から見て彼がかなり裕福な人間であることを物語っている。


 そしてその背後には背が高くガタイの良い男性が1人と、俺の身長と同じくらいのメイド服姿の女性が控えており、一見するとガタイの良い男性は護衛でメイド女性は侍女兼秘書のような雰囲気であったが、恐らく女性も護衛なのだろう。2人ともまるで日本警察のSPシークレットポリスのように油断なくスーツ姿の男性の周囲を警戒していた。



「え? 貴方は……?」


「私はこの地下特区に寄付をしている者ですよ」


「寄付?」


「この地下特区は地下住民達の弛まぬ努力と我々のような有志による寄付によって成り立っているのです。

 以前はゴロツキ共の吹き溜まりのようになってかなり荒れていた時代もありましたが、今はそういった光景も殆ど見なくなり平和になったかと思っていたんですが、ここ最近になって妙な輩が住み着くようになりましてなぁ……」


「妙な輩?」


「そちらの魔族のお嬢さんが殺めた獣人達のことですよ」


「それは良いとして貴方は一体誰なのですか?

 見たところ……かなり裕福な人物とお見受けしましたが?」



 スーツの男性の目がこちらに向くと同時にアゼレアは俺と話すときとは違った硬質な雰囲気で男性に話し掛けながら、彼を頭の先から爪先まで失礼にならない程度に眺めている。



「これは失礼を。

 私は[帝国中央議会]において『勅選議員』の席を頂いている『ステン・トマス・ゾロトン』と申します。

 後ろの二人は私の専属護衛を務めてくれているマガフと護衛兼侍女のアチザリットです」


「勅選議員……!」



 思わず自分の口が動いてしまったが、内心はかなり動揺していた。『勅選議員』とは大日本帝国の場合おいては国家に勲功ある者もしくは学識経験ある者が政府からの推薦に基づいて天皇陛下が任命する終身議員として規定されており、大体の場合において官僚や軍人、財界人の中から推薦されて勅選議員に任命されていた。


 一例を挙げれば、悪名高いことで有名な特別高等警察特高警察を含む警察組織を所管し、大日本帝国において『官庁の中の官庁』と呼ばれて日本全国に対して絶大な権力を振るっていた[内務省]の中でも『内務省三役』と位置付けられていた内務大臣や警保局長、警視総監を経験した者の半数以上が退官後に勅選議員として選出されていた事実がある。


 シグマ大帝国の中央議会がどのようにして勅選議員を選んでいるのかは判らないが、大日本帝国と同じような場合、この男性は官僚や軍人、財界や貴族社会の中でもかなりの実力者であるという証だ。



「私の名前はアゼレア・フォン・クローチェです。

 魔王領国防軍・陸軍より魔導少将を拝命し、国防省保安本部スプリングフィールド出張所所長の席を頂いていました」


「わ、私はギルド普通科所属の冒険者で、名前を孝司榎本と申します」



 相手がこの国の勅選議員ということでアゼレアは敬礼し、俺も姿勢を正して自己紹介をしていた。それに対してゾロトン議員は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに笑みを取り戻してこちらに話し掛ける。



「これは驚いた……いや、失礼。

 まさか魔王領吸血族大公家のご息女だったとは……しかも、国防軍の魔導少将を拝命している方とはつゆ知らず気安く話し掛けてしまいました。 申し訳ない」


「いえ、お気になさらず。 ゾロトン議員」


「もしよろしければ少しお話しの場を設けさせていただければと思うのですが、如何ですかな?

 クローチェ魔導少将閣下?」


「どうしようかしら? 孝司」


「え!? う、うーん……大丈夫だよ。 アゼレア」



 突然アゼレアから話を振られた俺は驚きつつも了解の返事を出す。

 するとほぼ無表情のままゾロトン議員達と向き合った彼女は彼らの誘いを受ける。



「はい。 慎んでお受けします」


「それは良かった。

 では失礼ながら、我々の後について来ていただいてもよろしいですか?」


「分かりました。 ゾロトン議員」


「では……」



 そう言ってゾロトン議員と護衛の2人に道を譲り、俺とアゼレアは彼らの後ろに付いて地下特区の通路を歩いて行った。






 ◇






『地下特区』こと『東区地下街特別区』は地上のシグマ大帝国帝都ベルサとは違って警察や軍隊といった治安組織や部隊は存在していない。それに比例するように国の行政機関も設置されていないため、この地下街には住民達が独自に立ち上げたした自治組織なるものが設置されて一定の秩序が敷かれている。





――――東区地下街特別区自治所





 通称『自治所』と地下住民達に呼ばれているこの組織は簡単にいうと住民達が設立した私設の区役所のような自治組織だ。場所は俺とアゼレアが潜った地下特区の出入り口から約500メートルほど進んだ場所にあり、地下1階と2階にそれぞれの部署が置かれていて一部は上下階をブチ抜いた吹き抜け構造になっている。


 ゾロトン議員曰く、シグマ大帝国の行政や治安機関の介入を防ぐ体裁を保つためにも自治所の存在は不可欠なのだそうで、地下特区の空き物件への入居や出店、などは全てこの自治所が管理運営しており、管理物件の家賃は自治所の収入になって地下特区の運営維持費に回される仕組みらしい。


 ただ、地下特区住民の中には勝手に地下空間を拡張する輩が一定数存在しているため、日々膨張している地下特区の空間全てを把握するのは不可能らしく、中には自治所の職員が立ち入ったことのない通路や空間も幾つか存在するため、地図に記されている箇所以外には絶対に行かないようにと念を押された。


 俺とアゼレアが案内されたのはその『自治所』の個室構造の応接室だった。そこに設置されているソファに俺とアゼレア、テーブルを挟んで向かい側の席に座るのはゾロトン議員と自治所の所長である『ヘルム・グレート・サトゥ』ことサトゥ所長だ。


 そして彼らの背後にはゾロトン議員の専属護衛のマガフさんと護衛兼侍女のアチザリットさんが控えており、更に彼らの左隣には先程自己紹介受けたサトゥ所長の秘書であるソルタム女史が立っているのだが、俺の目は目の前に座っているサトゥ所長に釘付けだった。


 白兎の耳を生やしているソルタム女史の容姿も非常に興味深いのだが、それよりもサトゥ所長の格好が違和感あり過ぎて彼から目が離せない。それもその筈で、サトゥ所長は頭にブリキのバケツを上下ひっくり返したような形状をしたフルフェイス型の金属製兜を被っていたからである。



(あの被っているものって、確か『グレートヘルム』とかいう名前の兜だよな?

 しかもそれを被っている本人の名前がヘルム・グレート・サトゥとか……)



 正直言って非常に怪しい。

 しかもその怪しい人物の姓が『サトゥ』である。何処ぞのファンタジー小説の主人公に通じる名前だが、兜の中は室内の光が射し込んでも何らかのカラクリによるものなのか、中が真っ暗なので本人の顔が見えないために彼が日本人なのかどうか確認ができない。



「さてと……全員の自己紹介が済みましたので話をさせていただきますが、実は私がお二人に声を掛けさせていただいたのは他でもありません。

 実は先程の獣人達を葬る一部始終を遠目から拝見していましてな。

 それを見込んで、是非お願いしたいことがあるのです」

 

「お願いしたいこと……ですか?」


「はい。

 クローチェ魔導少将閣下の噂は魔王領から遠く離れたここ帝都においても轟いています。

 ……いや、轟いていましたと言ったほうが良いですかな?

 確か閣下は二十年ほど前に死亡したのではないかと記憶しておりますが?」



 意味ありげな視線をこちらに向けてくるゾロトン議員。

 まるで、全てを知っているのだと言わんばかりの表情を見せる彼に対してアゼレアはジッとゾロトン議員の顔を見つめるが、このときの彼女の眼光は非常に鋭く、並みの軍人や魔族であれば裸足で逃げ出しかねないほどの迫力を伴っていた。


 そのためゾロトン議員の背後に控えていた護衛のマガフ以下三人は正面からアゼレアの視線を眺めることになり、その迫力に内心気圧されて冷や汗をかいていた。そんな彼女の視線を見つめ返すゾロトン議員は涼しい顔を崩すことなく、彼とアゼレアによる無言の遣り取りは5分ほど続いていた。


 果たして世界が凍り付いたような沈黙を破ったのはアゼレアの方であった。彼女はフッと相好を崩すと同時、おもむろにケピ帽を脱いでリラックスした態度で彼の問いに対して答える。



「ゾロトン議員の仰る通り、私が今の魔王領でどのような扱いになっているのかは分かりかねますが、二十一年前、私は魔王領から姿を消すことになりました」


「では、やはり閣下は……」


「軍機につき、これ以上の詳細はお話しできませんが結果的に姿を消すことになったのは事実です。

 それと閣下と呼ぶのはやめていただきたい。

 名前と階級だけで呼んでもらって結構です。 敬称も必要ありません」


「わかりました。

 では、クローチェ少将に一体何が起きたのかは敢えてお聞きしませんし、何故この国に来たのかも理由は問いません。

 その代わりと言っては何ですが、我々の相談に乗っていただくことは可能でしょうか?」


「相談の内容次第です。 それによって私達が応えることが出来るか判断します」


「わかりました。 では、単刀直入に言いましょう。

 クローチェ少将には、是非ともこの地下特区の掃除を手伝っていただきたいのです」



 ゾロトン議員の口から飛び出したお願いに対して俺とアゼレアは静かに彼の話へと耳を傾けていた。

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