第3話 異世界・街

 宿の扉を開けて中へと入ると暖かい空気が身体を包み込む。

 宿の受付の奥には暖炉があり、じんわりと薪が燃えているのが見えるが受付はおろかロビーにも人がおらず静かだ。



「すみませーん!」


「はーい!」



 声をかけると直ぐに受付の壁際にある扉が開いて中から10代半ばの女の子が出て来たのだが、驚いたことに上はセーターに下はチノパンという地球のそれとあまり大差ない格好というか服装をしていた。



「すみません。 宿泊したいのですが……」


「はいはい、ありがとうございます。

 宿泊期間は何日くらいを予定していますか?」


「そうですねえ……大体1週間ほどでお願いできますか?」


「はい、わかりました。

 当宿の宿泊料金は前金制になりますがよろしいですか?」


「はい、大丈夫です。 お幾らになりますか?」


「当宿は一泊当り銀貨七枚になります。

 一週間ほどのご宿泊でしたら総額で、ええっとお…………何枚ですっけ?」


「え? 何枚って、銀貨四十九枚になりますよね」



 突如女の子が金額を告げる段階でフリーズして、直後に俺が宿泊する代金の値段を聞かれて戸惑ったが、即座に金額を言うと彼女は納得したような顔で頷く。



「そうそう! 銀貨四十九枚でした!

 すみません、わたし計算が苦手で……」


「はあ……」


(計算が苦手って、掛け算も出来ないのか?

 って、ああそうか。 ここは異世界だった……)



 ならば、計算が瞬時に出来ないのはしょうがないのかな?



(でも、宿泊代金を扱う受付の人間がこれでいいのか?

 絶対に嘘の金額を言って宿代を安く上げてる奴がいるだろう……)



 まあ、そうであっても俺がとやかく言う筋合いは無いか……

 それはそうと宿泊代金だが、銀貨1枚が日本円で約1,000円のレートだと仮定して、一泊が7,000円で一週間の宿泊で49,000円ということか……まあ、日本のビジネスホテルと違いクレジットカードなどが存在しないこの世界では宿泊費を取りっぱぐれる可能性があることを考慮すれば、これくらいの価格じゃないと割に合わないのかな?



「わかりました。 10、20、30……40と、あと9枚っと。

 すいせん、お金確認してもらっていいですか?」


「は~い。 失礼しますね……はい、確かに銀貨四十九枚ですね。 

 では、お客様の身分証と旅券と滞在許可証の提示をお願いします。

 あと宿泊台帳への記入をお願いしているのですが、お客様は文字の読み書きは出来ますか?」


「はい、大丈夫です。 日本語で記入すれば良いですか?」


「はい、ニホン語でお願いします。

 それではこちらの宿泊台帳の記入をお願いします」


(ふむ、やはり日本語がそのまま使えるのか)



 名前を記入する為に宿帳を見ると他の宿泊客の名前はカタカナで記載されており、人数を示す文字は漢数字で書いてある。



(ここは俺も彼らに倣って自分の名前はカタカナで書いた方が良さそうだな……)



 下手に名前を漢字で書くと相手が読めなかったり、不自然に感じるかもしれないので、ここは無難にカタカナで書くことにして姓名の表示も地球の諸外国のように前後逆にして名前を書いていく。



「はい。 あとこれ、身分証です」


「それではあらためさせていただきますね……はい、確かに。

 では身分証をお返しします」


「ああ、どうも」


(良かったぁ。 ここでも怪しまれることはなかった。

 仮にここまで来て身分証の中身を疑われたりしたら、俺泣いちゃうよ?)



 ここでも身分証の内容について特に怪しまれることはなかったことに対して内心ホッとしていると、受付のカウンターの上にこれから泊まる部屋の鍵が置かれる。もちろん日本のビジネスホテルとは違って、ゴツイ作りをした金属製のものだ。



(ああ、部屋の鍵だ。

 取り敢えず今日はセマの所に顔を出したら、とっとと部屋に戻って寝よう……)



 ようやくゆっくり出来るところまで来ることが出来た俺は素直に鍵を受け取った。






 ◇






――――3時間程前





「はい、次の方どうぞ?」


「よろしくお願いします」



 ここはシグマ大帝国の帝都『ベルサ』。

 その南門の傍に設けられている[荷物検査場]。

 日本における空港の保安検査場や検疫所に相当する場所の窓口の一つに俺は、立っていた。


 この世界に来て出会った冒険者クラン[流浪の風]の皆仲良くお喋りをしていたついでにこの大陸に存在する[ギルド]という組織と『冒険者』について説明を受けていたら、いつの間にか俺の荷物検査の順番が回って来ていた。


 当初、列に並んでいたときは2時間待ちと言われていた荷物検査も、幾つかある窓口が新たに開放されたお陰で実際よりも早く列が進んだらしい。



「名前を」


「榎本 孝司です。 姓が『榎本』で、名が『孝司』になります」


「ってことは、タカシ エノモトと言うことだな。 では、身分証と旅券を出して」


「はい……」


(ほう? 詰襟の軍服か?

 WW2のドイツ国防軍の軍服とそう大差ないデザインだな……)



 詰襟の軍服という異世界ファンタジーの世界に似つかわしくない服装に内心驚きつつ、口髭を生やした厳ついおっちゃんが待っている窓口へと向かい、係官の指示に従ってこの世界を管理している神ことイーシアさんから貰った身分証と旅券パスポートを提示するためにダッフルコートの内ポケットから身分証と旅券を取り出す。



(冒険者クランのリーダーであるセマからは、自分の国で発行された身分証と旅券で充分だと言われていたが、こうやって本物の係官を前にすると非常に緊張するなあ……)



 イーシアさんからは共通言語は『日本語』だと聞いていたから、会話に関しては問題ないとは思うのだが、文字についてはどうなのだろうか?


 こうやってお互いに日本語を話しているし、ここに来るまでに見た張り紙も『漢字』や『ひらがな』に『カタカナ』を使用していたから大丈夫だとは思うが、この世界に無い表現の言葉が身分証や旅券に記してあったらどうしよう……



(まさか地球の発展途上国の役人のように、この人の個人的な気分で拘束されるとかないよな?)




 そんなことを考えながら、身分証と旅券の両方を目の前の厳つい係官のおっちゃんに恐る恐る提示した。



「ん。 どれどれ……うん、査証も問題ない。

 じゃあ次は、そっちの隣にある窓口で手荷物の検査を受けてくれ。

 問題無ければ直ぐに終わるからな」


「分かりました」


(ほっ。 良かった。

 どうやらイーシアさんから貰った身分証と旅券は問題無さそうだな。

 っていうか、いつの間に査証ビザまで押印されていたんだ?)



 地球と同じように査証が必要ということも驚いたが、イーシアさんから渡された旅券の中身を見たら既に幾つかの国を渡り歩いてきたことを示す名前も知らないような国々の査証が押印されていた。



(さすがは神様だな。 これなら怪しまれないわ……)



 この世界に存在しない国の身分証と旅券だが、これを見た係官たちもまさか神様が偽造した者とは思わないだろう。まあ、ある意味で本物と言えなくもないとはいえ、この身分証と旅券の内容に何か不備があったらどうしようかと思っていたのだが、俺の悩みは杞憂に終わったようだ。



(あとは手荷物の検査だけか……)



 とっとと終わらせるために隣の窓口へと歩いて行くと、女性の職員が待っていた。こちらも口髭のおっさん職員と同じ詰襟の軍服を着用していた。彼女の傍らには槍を持ち、腰に剣を佩いだ完全武装の騎士がこちらに対して鋭い視線をぶつけてくるが、そんなことよりも金属鎧に槍という異世界ファンタジーの格好に俺は少し安堵していた。


 

(こっちは如何にも騎士でございますという格好だな。

 これこそ異世界ファンタジーの王道……いやいやそうじゃない。

 まさか日本の入管窓口と同じように女性の職員もちゃんといたんだ……)



 見渡した限り男ばっかりだったからてっきり女性はいないものだと思っていたが、考えてみれば列に並んでいる者たちの中には女性もいるし、セクハラやプライバシーを考えれば女性職員がいないと不味いのか?



「手荷物の検査をしますので、外套を脱いで下さい。

 あと、鞄の中身も全て出してくださいね」


「はい」



 女性職員の指示に従ってダッフルコートを脱いで自動小銃と共にテーブルに置き、旧ソ連製の綿で作られた襷掛け型のマガジンポーチの中身を取り出す。中から出て来たのは半透明の樹脂で作られたポーランド製のベリル自動小銃用の弾倉が5個と、サイドポケットに入れられていたURG-86手榴弾2個、ダッフルコートのポケットに入れていたF-1破片手榴弾とRGD-5攻撃型手榴弾がそれぞれ2個づつ。


 これらに加えてレッグホルスターに入れているポーランド製自動拳銃PR-15 RAGUNに同じくポーランド製のツールナイフWZ69にロシア製の最新型銃剣6H9-1とβチタン合金製の折り畳みナイフといった各種武器類が机の上に次々に並べられていく。



「これは……武器ですか?」


 並べられている見慣れない武器を前に女性職員はひとつひとつを手に取り、訝しげな表情で俺の顔と武器を交互に見る。



「はい。 一応、全部武器の類ですね」


「魔道具? でも、短剣もあるし……」



 顎に手を当てて何やら小声でブツブツと独り言を言いながら考えているが、果たしてこの女性職員はどんな反応を示すのか……



(やはりここはアレ・・を使うか?

 いやでも、この人が真面目だったらことだな……)



 まだ何か考え事をしている女性職員に対し、俺は思い切って話しかける。



「あの……ところで、職員さんは独身ですか?」


「へ? いえ、わたしは結婚していますよ。

 こう見えても、男の子と女の子が二人いるんです」


 突如としてこの流れをぶった切るように質問して来た俺に対し、職員は鳩が豆鉄砲を食ったようような表情でこちらを見るが、すぐに表情を引き締め少しだけ笑みを浮かべてこちらの質問に答える。



「ありゃ、そうなんですか?

 キレイな方なので、もし独身ならこの後仕事が終わられたら、一緒に食事にでも行きませんか?ってお誘いしたかったんですが……」


「ごめんなさい。

 わたしたち職員に設けられている服務規定でそういうことは禁止されているの……」



 俺が言った「キレイな方」という表現に気を良くしたのか、目の前の女性職員は荷物を検める前の硬い雰囲気から多少フレンドリーな態度へと改める。



「あちゃー、そうですかぁ。

 残念ですねえ……因みにお子さんはお幾つなんです?」


「息子が十歳で、娘が九歳よ」


「本当ですか!? いや、ビックリですわ。

 こんなキレイな女性に大きな子供が2人いるなんて……

 旦那さんは幸せ者ですよねぇ。 こんなキレイな奥さんと子供さんに恵まれてるなんて。

 同じ男として嫉妬してしまいますよ。

 それにしても、お子さんが2人いると育てるのも大変ですよね?」



 まあ、目の前の名前も知らない女性職員の顔は俺の価値基準では普通だし、年齢もそれくらいの子供がいても不思議ではないくらいに年相応であるのだが、これも一つの戦略だ。



「そうね。 最近は自分たちである程度のことは出来るようになったけれど、まだまだ一人前には程遠いし、よく食べるから食費が大変なのよ。

 あら、ごめんなさいね。 

 おしゃべりしてしまって。 

 ところで、これらの武器なんだけれど……」


「おっと、そうでした。 あ、ところでこれ私の身分証です」


「あ、はい。 ……って、え?」



 女性職員に身分証を渡すときに俺は両手で彼女を手を包み込むように掴む。



「まあ、身分証は問題ない・・・・かと思うのですがどうでしょうか?」


「そ、そうですね。 ええ、問題ないわ・・・・・!」

 勿論その荷物も大丈夫だから、片付けたらそのまま隣の窓口に行ってもらって大丈夫よ」


「ありがとうございます。 では、可愛いお子さんたちによろしく」


「ええ、ありがとう。 貴方に会えて良かったわ」



 俺は手早く机の上に広げられた銃器や刃物を素早く身に着けて女性職員に見守られつつ、次の窓口に移って発行された滞在許可証を貰ってから検査場を後にした。






 ◇






「…………ふぅ~! 何とか突破できたか……!」


 検査場から出口に向けて通路を歩きながら後ろを振り返り、誰も追い掛けてこないのを確認してから一息つく。



(いやあ、良かった良かった。

 あの女性職員が糞真面目じゃなくて本当に良かった)



 先程の女性職員の顔を思い出しながら、ハンカチを出して額の汗を拭く。



(人生初めての賄賂か……上手くいって本当に良かった!)



 俺が身分証と共に彼女に手渡したもの、それは数枚の金貨だった。

 最初は上手くいくか分からなかったのだが、彼女に子供が2人いると聞いてもしかしたらと思って賄賂を実行したのだが、上手くいったようだ。



(まあ、あれくらいの子供が2人いるんだから、養育費に金がかかるのは異世界だろうが日本だろうが変わらないだろうしな……)



 もし渡したのが銀貨だったら発覚した時のリスクと天秤にかけて断れるか捕まるかしたかもしれないが、金貨数名であればイケる《・・・》のではと踏んだのだが、どうやら賭けに勝ったらしい……



(本当はこういう汚いことはしたくないんだけど、まあしょうがないか)



 予め装備をストレージに収納しておけば良かったのだろうが、まさか街に入るのに荷物検査があるとは思わなかった。どうやらあの荷物検査の目的は麻薬の持ち込みを警戒してのことらしいが、麻薬でなくともあからさまに見たことない武器があれば警戒されるのは当然のことである。


 因みに荷物検査が終わって次の窓口で渡された滞在許可証に使われている紙には藁半紙が用いられており、てっきりファンタジーにありがちな羊皮紙のような紙で出てくるものと思っていたのだが、発行される過程を窓口越しに観察していたところ、どうやら謄写版……所謂ガリ版と同じ要領で印刷しているようだった。ただし、地球であれば印刷するときに使用される取っ手が付いたローラーの代わりに、パスタの生地を伸ばすときに使う麺棒のようなもので謄写していた。


 入国許可証の文字には漢字とひらがな、カタカナが使われていて滞在期間もちゃんと明記してある。全体のデザインとしては、日本の一般的な賞状に近いものがあるが使われているのが高級紙ではなく藁半紙であるため少し不格好な印象が否めない。


 係官からは自分の身分証と共に携帯しておくこと、紛失したら直ちに最寄りの警備所や巡回中の兵士に届け出るようにと言われた。滞在期間を過ぎた場合には、役所に届け出て所定の手続きと税を収めて改めて滞在の申請をするか、街から出て行かないといけないのだそうだ。


 といっても街から出て行かされるというのは犯罪などを犯した場合など余程のことをしない限り、そういう事態にはならないらしく、滞在延長の申請手続きで治める税の金額も銀貨数枚で済む程度なんだとか。



「こんなことになると分かっていれば、武器はストレージに放り込んでいたんだがなあ……」



 だが、流石に緊急時でもないのに衆人環視のなかでストレージを展開して武器をしまうのは憚られる。見ているのが仲間とか知ってる人間数人ならば問題は最小限で済むが、俺の行動を見ていた有象無象が誰と繋がっているかも判らない状況ではストレージに武器を出し入れするというのは無理な話だ。



「さてと、ここからさっさと離れて宿を見つけるか……」



 そう思っていざ歩き出そうとしたその時、俺の肩をポンポンと叩く者がいた。



(ん? 何だ?)



 何かと思い、振り向いてみるとそこには……


 

「ねえねえ、エノっちはこれからどうするの?」


(げっ、リリーちゃん!?)



 どうやら彼女らのクランも荷物の検査が終わったばかりのようで、リリーの後ろにはクラン[流浪の風]のメンバー3人が控えている。



「え? どうするって、そりゃあ宿を取るけれど……」


「どこの宿に泊まるつもりなの?」


「ああ、さっきの滞在許可証を出してくれた職員の人が言っていた[金の斧]っていう名前の宿に泊まろうかなって思ってるんだけれど……」


「あ、そうなんだ。

 もし良かったら、あたしたちと同じ宿に泊まらない?って言おうと思ったんだけど」


「ああ、それは嬉しんだけど……この後、例の魔道具の鑑定をしに行こうと思ってて」


(冗談じゃねえ!

 俺は早く宿に行って思う存分銃を弄ってゆっくり寝たいんだ!)



 リリーからのまさかの申し出を固辞しつつ、適当な理由をでっち上げて彼女らの誘いをやんわりと断る方向に持って行くように仕向ける。



「そうなの? なんだ、残念……」


「ごめんね」


「それならばエノモト殿、一緒に夕食でも如何かな?

 俺たちがよく利用してる店があるんだが、そこは美味い肉料理を出す店として有名でね。

 もし良ければ、飯でも食いながら色々話をしてみたいしな」


「話……ですか?」


「ああ、冒険者としてはエノモト殿の国の話を聞いてみたくてな。

 それにエノモト殿はこの大陸のことをあまり知らないようであるし、先程オレがギルドの話をしたときに興味深そうに熱心に聞いていたから、他にも聞いておきたいことがあるのではと思ってね?」

 

「ああ、まあ……」



 確かにこの世界の大まかなことはイーシアさんから教えてもらったが、ギルドの仕組みや冒険者などの職業といった細かいことや、各国毎に異なる文化や風俗は教えられていない。


 俺が神様2柱から受けた依頼は最終的にこの異世界『ウル』の全てを回る予定なのだが、先ずは俺が最初に降り立ったこのバレット大陸から調べていくにしても、国を跨いでの活動をしているセマたち冒険者らの話には非常に有意義な内容が含まれていることだろう。



「もちろん、エノモト殿の都合が悪いというのならば、無理に誘うようなことはしないが……」


「とんでもない。 是非、出席させてもらいますよ。

 私としても貴方がた冒険者の話は興味がありますしね」


「では今晩、午後十九時に[飢える噛む]という名の食堂で会おう。

 さっき言ったようにここは肉屋が経営している食堂でな。

 肉料理の種類が多い上に味は折り紙付きだ。

 もちろん、酒も美味いのを多く取り扱っている」


「そうですか。 なら、楽しみですね!」


(っというか、「折り紙付き」って……この世界には『折紙』という概念があるのか? それに[ウエルカム]って、まんま英語表記じゃないのよ!)



 セマの口から出た『折紙』という言葉と店名に若干の戸惑いを覚えつつ、もうひとつの気になった言葉の意味を彼に聞く。



「ところで先程『午後十九時』って言ってましたけど、この世……いや、この国には時計が有るんですか?」


「そりゃあ、あるさ。 ほら、あそこに」


「え?」



 セマが指差した先に視線を合わせるように廊下の窓から外を見ると、そこには4階建ての建物の屋根の上に四方向から時刻を確認することが出来る大きな機械式時計が設置されているのが見えた。しかも、時計の文字盤は地球と同じ12時間表示の上に漢数字とローマ数字を用いて、それぞれ2方向ずつに表記されている。



(マジかよ。 確かにこの世界では日本語が共通語として殆どの国や地域で幅広く普及しているという説明を予め受けていたけど、まさかローマ数字まで存在していたとは……)



 大体、この手の文字や記号はその世界で独自に進化したものが使われているのが普通なのだが、どうやらこの世界では日本人が日常的に使っている言語がデフォルトらしい。



(うーむ、これは惑星『ウル』で日本語が共通語として扱われるよう普及に努めたイーシアさんと御神さんら2柱に感謝するべきなのだろうか?)



 確かに俺と異世界人の双方が日本語を使えるというのはありがたい。

 異世界に転生もしくは転移した日本人がが自動翻訳機能によって異世界人の話す言葉や文字が日本語に翻訳されて聞こえたり話したりするよりも、もっとスムーズに意思疎通が図れるのだから……



「今の時代、冒険者で時間を気にしない奴はいないからな。

 エノモト殿は懐中時計は持っているかい? コレを持っているといないでは大違いだぞ」



 そう言ってセマが己の懐から取り出したのは、細い鎖に繋がれた懐中時計だった。地球の時計と違ってカレンダー機能こそないが、文字盤の印字もしっかりしているし非常に精巧に作られているように見受けられた。銀色に鈍く輝くケース、風防ガラスに少し擦り傷があるところを見ると、彼がこの懐中時計を長く愛用しているのがよくわかる。



(まさか懐中時計まで存在しているとは……

 動力が魔法なのかそれとも手巻きなのかはわからないけれど、秒針の滑らかな動きからして地球の懐中時計と何ら遜色無さそうだ)



 時計台だけではなく手のひらサイズの時計があるということは、壁掛け時計も存在しているということだ。この世界に来たばかりでまだ分からないが、イーシアさん達から教えてもらった以上にこの世界の工業技術は進んでいるのかもしれない。



(実はイーシアさんが知らないだけで、もしかしたら火縄やフリントロック式の銃器以外にボルトアクション式の小銃やリボルバー拳銃なんかは既にこの世界に存在しているかもしれないな……)



 仮にそういった技術の進歩に神様達が気付いていなかった場合、それ自体が無名の神による妨害の遠因になっているかもしれない。



(これは[銃]の性能も合わせて調査する必要があるかもな……)



 技術的に未熟な前装式の銃器やボルトアクション式であったとしても、腐っても銃は銃だ。

 人を殺すのに十分な威力を持っていたらそれだけで脅威足り得るし、よくよく考えればこの世界に転生した元日本人が前世界の知識を使って銃器開発に勤しんでいても不思議ではない。



(ガラスといい、懐中時計といい。

 この世界は魔法だけではなく注目すべき点が無数にあるんだろうな……)



 俺は改めてこの世界が油断ならない場所であると肝に命じていると、そんなことは知る由もないセマが待ち合わせ場所の食堂の道順を親切に案内してくれる。



「食堂の名前はさっき言った通りの[飢える噛む]という店で、場所はこの建物から右へ出て道なりに暫く進んで行けば店がある。

 エノモト殿が泊まろうと考えている宿[金の斧]はそこから更に先へ進んだ所の帝都東区にあるが、もし場所が分からないのなら、近くの警備所で尋ねれば兵士が教えてくれるし、宿泊前に料金を聞いてみて値段が高いと思えば他の宿を探せばいい」


「分かりました。 ありがとうございます」


「[金の斧]はオレたちが泊まる宿と比べて部屋が広くて建物も綺麗だから、エノモト殿のような身なりの良い人間には良い宿だと思うぞ?

 懐に余裕があるのなら、一泊当たり銀貨7枚と若干割高だが、その分安全で従業員の教育もしっかりしているし、食事も美味いからな」


「それは楽しみですね。 色々教えてくれてありがとうございます。

 早速、その宿に行ってみますよ」


(まあ、日本と違って安全やそれなりのサービスを受けるということは、それなりの対価が必要だということだよな。 いくら銃があるとはいえ、寝込みを襲われたらたまらんし……それに何よりメシが美味いというのは捨てがたい)



 まだこの世界の料理を食べたことがないので判らないが、仮に大正・明治の日本より食文化が貧弱だったとしても、やはり少しでも美味しい料理を食べたいというのは、地球で世界一食い意地が張った民族である日本人の性か?


 この後、俺とセマたちは行き先が違うということで通路で別れ、それぞれ別々の出入り口から検査場を後にした。






 ◇


 




――――扉を開けるとそこは異世界だった





 俺が生まれて初めて異世界の街に入って頭に浮かんだ感想だ。

 今までは農道だの門だの建物の中とイマイチ異世界ファンタジーの雰囲気を味わい難い場所ばっかりでさすがに気分が乗っていなかったのだが、この帝都ベルサに足を踏み入れてそんな気持ちは何処かに吹き飛んで行ってしまった。


 先ず目につくのは、沢山の人、人、人の群れ。

 さすが帝都を名乗るだけあって歩いている人の数がすごく多く、様々な人種や種族を見ることが出来る。人間なら白人風や東洋風にラテン風、獣人の場合は猫耳を始め犬や狐、虎に狼系などなど……


 そして歩いている人々をよく観察するとエルフが混じっていることに気付いた。さすがに下半身が蛇だったり、背中や尻に羽や尻尾が生えている種族は目に見える範囲にはいなかったが、それを忘れてしまうくらいに伝わって来るこの活気!


 大通りの両脇には所々に露店が出店されていて、露天商や商店の呼び込みが耳に入ってくる。東京の渋谷のようなただ単に人が多いだけではなく、アメ横のような活気と祭の時の活気が合わさったような、妙にワクワクさせてくれる活気が俺の全身を包み込んで来るのだ。



「なんか既に異世界に来ているのに、今初めて異世界に来たという実感があるけど……」


(服装が地球と比べてもあまり違和感がないな……)


 

 そう。

 異世界に来ていながら、見える範囲には地球というか日本の街中で見慣れた服を着ている人がそれなりの数でいたのだ。



(あれはトレンチコート? あっちはツイードのジャケットにこっちは厚手のセーターか?

 え!? あ、あれって背広じゃないか!?)



 驚いたことに街中を歩く人々のうち、目に見える範囲だけでも半数以上の人がトレンチコートだの背広だのセーターだの日本で普通に見る服装の人が歩いているのだ。デザインこそ日本や欧米の洗礼されたデザインではなく、少々古めかしく野暮ったいところがあるが、それでもここが異世界なのかと疑いそうになる。


 しかし、それとは別のところに目を向けると金属鎧や革鎧、盾といった防具に槍や剣、弓などの武器を携えた兵士や冒険者と思しき集団が当然とばかりに歩いている。こちらはこちらで如何にもな格好なのでこちらだけ見ると異世界ファンタジーそのものなのだ。



(なんだか本当に異世界に来たのか分からなくなるな……)



 道は石畳で舗装されてはいるが、走っているのは騎馬や馬車だけだし、すれ違う人々の中にはケモミミを生やした獣人や皮膚が鱗の者などがいるので地球ではないという認識があるのだが、それでも何処と無く中途半端な感が否めないのも確かだ。



(てっきり、ジーンズにダッフルコートという服装だから目立つかと思ったけど、これなら違和感ないな……)



 思い出してみれば、セマたち冒険者組や街の外で列をなしていた人々は兎も角、手荷物検査場にいた係官たちは詰襟の軍服という服装だった。彼らの私服が目の前の人々と大差ない格好の場合、彼らが俺の服装に疑問を持たなかったのも納得できる。



(まあ、服装で他人の気を引くという恐れは低くなったが、銃に関してはセマたちの件もあるし、注意しないといけないな)



 そんな事を思いながらまずは教えてもらった宿を探すために東区を目指そうと思う。物陰でタブレットPCのアプリで地図を検索すると[金の斧]という宿は確かに帝都東区にあるようで、先ずはさっき潜った南門のから東へと向かう大通りをそのまま道に沿って進んで行けば良いようだ。


 因みにこの帝都ベルサを上空から見た状態だが、まず中央部よりやや北側が皇族が住む王宮とそれを取り囲む城壁と堀で構成されており、堀の周囲に官庁街と思しき大きな建物が存在し、その大きな建物からちょっと離れた所に大きな屋敷が何軒も建ち並んでいるのだが、恐らくこの大きな屋敷は貴族達の邸宅なのではと推測する。


 その屋敷街から大通りを挟んで大小様々な建物がビッシリと建っているのが確認出来るが、日本と違ってソーラーパネルを設置している建物は一つも無い。

 地図によると、このまま現在位置から北上して幾つかの大通りを抜ければ王宮に着くようだが、あいにくと今の俺にはそんな時間はないので、観光と調査は後にしつつ先ずは宿へと向かうことにした。






 ◇






「それにしても、立派な街だなあ……」



 歩き初めて10分。俺は自分の異世界の街という定義と現実の異世界との街のギャップに驚いていた。

 側から見れば、今の俺はキョロキョロと街中を見回す『お上りさんの状態』に見えるだろう。


 こうやって街中を歩いてみて初めて分かったことだが、実はこの街……臭くないのだ。中世の街というと、どうしても個人的な偏見になってしまいがちになり、てっきり地球のそれと同じように汚物を窓から捨てていて、街中が物凄いことになっていると勝手に決め付けていたのだ。


 しかし、こうやって見ると路上には幾つかのゴミが落ちているが、捨てられている汚物は全く確認できないし、人間が出す汚物が全く見当たらないどころか、馬車や荷物を運搬する馬や家畜が出す糞尿も極僅かで、街が清潔に保たれている。


 まあ、すれ違う人の中には香水臭かったり、鼻が落ちそうなほど臭くて酸っぱい匂いを漂わせている人もいたが、街に入るときに並んでいた人々の列と違ってそこまで気になるほどの匂いはない。





――――そして歩いて気付いたのだが、道幅がとても広い





 建物と建物の間には、人ひとりがようやく通れるような路地がある一方で大通りは幅約6メートル前後あり、街の外の街道が土道だったのに対して街中の道は石畳で舗装されており、建物は石造りに煉瓦造りの他に木造と漆喰のような建材で建てられた商店や民家が混在している。


 平家から3階建ての建物まで、殆どが瓦葺きになっている上によく見ると雨樋まで設置されているし、門の外から双眼鏡で確認していたガラス窓もちゃんと嵌まっているのだが、近付いてよく見てみると窓に使われているガラスは地球で使われている一般的な物とは違い、俗に言う昔ながらの『昭和のゆらゆらガラス』で僅かに気泡が混じっているガラスも幾つかあった。



(うーむ、はっきり言ってこれが異世界の街なのだろうか?

 なんだか『とあるヨーロッパの街』と言われても、不思議ではないような気がするなあ……)



 唯一の違いがあるとすれば自動車やバイクが走っていないことと、看板や標識、張り紙などに全て日本語が使われていることだけのような気がしてくる。



(まあ、そのお陰でどんな内容が書いてあるのかがひと目で分かるから良いんけどね。 それにしても、こうやってずっと歩き続けていると……)


「腹が……減った」



 よし、店を探そう!

 どこかの孤独のサラリーマンではないが、思い出してみるとこの世界に来てから未だ食事をしていないことに気付いた。

 そりゃあ、腹も減るはずだわ。



「まずは……俺は一体何を食べたいかだ」



 今いる場所の季節は冬。

 風が吹くとダッフルコートを着ていても寒い。

 ならば温かいものを腹に入れたい。



「温かい食べ物、温かい食べ物……っと、お?」


(あれは……?)


「焼きトウモロコシ?」



 そう。

 俺が見つけたのは露店で売られている焼きトウモロコシのような食べ物。「ような食べ物」と言ったのは、あれが本当にトウモロコシなのかどうかがわからないからである。


 パッと見たところ……焼き台の炭の火の上で転がしながら満遍なく焼いているためか、良い匂いが少し離れたこちらにまで漂って来ている。


 見たところ随分と美味しそうだ。

 子供から大人まで、数人が屋台の周りで美味しそうに笑顔でトウモロコシのような食べ物を頬張っている。



「美味そう……だな」



 思わずヨダレが垂れそうになる。



「そこのお兄さん。 もしかしてお腹減ってるの?」


「え?」


(誰だ?)



 振り返るとそこに居たのはメイド服を着た女の子だった。



(……って、メイド服ぅ!?)



 うそ……まさかこんなにも早くメイド服と遭遇してしまうとは……

 てっきり貴族の屋敷とかで働いていて、そこに行ったときにメイド服を見るものとばっかり思っていたのだが……まさか、異世界に来て早々にメイド服を見ることになろうとは!

 


(と言うか……この娘は誰なの?)


「ん? 君は誰?」


「え? あ、ごめんなさい……お兄さんが焼きモロコシを食い入る様に見ていたから、てっきりお腹減ってるのかなあって思って声掛けちゃった」


「ああ、そうなんだ……っていうか、君は?」


「あ、私の名前はシアっていうの。 家が肉屋なんだけど、今呼び込みしてて……」


「呼び込み?」


「そう! 私の家が肉屋をしててね、副業でお肉専門の食事処も営業しているの!

 で、私は家の手伝いでお腹を空かせた人を見つけてお店に案内してるってわけ」

 

「なるほどねぇ。

 と言うことは、美味しいお肉を食べられるのかな?」


「そうよ!

 うちのお店は牛、豚、鳥って色んな種類のお肉を扱っているんだけど、一番のお勧めは『ベルサ牛』のビフテキかな?」

 

「ベルサ牛?」


「そう。 この帝都ベルサの近郊にある牧場で育てられてる牛のお肉なの。

 皇帝陛下だって食されている美味しいお肉で、帝都の特産品なのよ!」


(ほう?

 要するに日本で言うところのブランド肉ということか……それは美味そうだな)


「じゃあ、君の所で御馳走になろうかな。 肉料理の値段は高いの?」


「ありがとう!

 お兄さん変わった服着てるけど、身なりも良いし声掛けて正解だったわ!

 でも、安心して。 うちの店は肉屋直営で他のお店ほど高くはないから」


「そうか。 じゃあ早速、君のお店まで案内してくれる?」


「もちろんよ!

 あ、私の名前はさっき言った通り、シアって言うの。 よろしくね!」


「俺の名前は孝司だ。 よろしく」



 もう敬語を使うのは目上の人間だけにしよう。

 年下の人間に対して敬語を使うのは……なんだか疲れた。



「タカシさんね。 じゃあ早速、案内するわ!」



 シアに案内されて歩くこと約5分くらいの場所に件の肉屋はあった。



(ん? 『食堂 飢える噛む亭』って、ここかあ……セマが言っていた店か)

 


 看板を見ると、荒々しい日本語で[食堂 飢える噛む亭]という変な店名を見てここがセマ達との待ち合わせ場所である店というのを知り、思わず店名の当て字に失笑が漏れる。



([ウエルカム]って、英語表記じゃなくてこう言う意味だったのかよ)



 確かにセマとシアの言う通り肉屋の隣には直営の食事処があり、建物の造りとしては2階建ての石造りで店内は結構広そうで、外から見た限りだと出入り口のすぐ左に会計が右側にテーブル席が幾つかと奥に厨房とカウンター席があるようだ。



「ちょっと待っててね」と言って、先にシアが店に入って行くのを見送る。そして彼女は直ぐに出て来て「良かった。 ちょうど一人分の席が空いてたわ! こっちよ、入ってきて」と言って手を引いて俺を店内へと誘ない、奥のカウンター席に俺を座らせるとシアはすぐにメニューを持って来た。


「お勧めは、さっき言ったベルサ牛のビフテキだけど……他にも色んな料理があるから、分からなかったら聞いてね。

 タカシさんはどんな料理が食べたいの?」


「そうだなあ……ずっと外を歩いていて体が冷えているから、温まれる料理が良いな」


「じゃあ、このベルサ牛と野菜の煮込みスープなんてどう?

 たっぷりの葡萄酒でお肉と野菜を朝から煮込んで、香味野菜で出汁を取った茶色いスープを入れて夕方まで煮込むの。

 寒い季節にお客さんが夜によく注文する料理なんだけど、多分そろそろ出来上がっている筈だわ。

 このスープにパンを浸けて食べると美味しいのよ!

 一皿銀貨一枚と銅貨二枚で、パンは銅貨四枚の金額なんだけど、如何かしら?」


「ああ、金額は大丈夫だよ。

 じゃあ、その煮込みスープとパンをお願いしようかな?」


「まいどあり~! あ、あとお酒はどうする?」


「酒は遠慮しておこうかな。

 今、酔っ払ったら宿に辿り着けなくなるからね。

 因みに水は有料?」


「そうよ」


「じゃあ、さっき言った通り煮込みスープとパンをお願い」


「は~い! じゃあ、注文してくるわね」


「うん」



 シアが料理の注文のために厨房に行っている間に軽く店内を見回してみる。店内はテーブル席、カウンター席共にほぼ満員に近い状態で、客席の間をシアと同じメイド服の格好をした給仕の女の子が危なげなく忙しそうに料理を運んだり、使い終わった食器を下げたりしているし、カウンターでは男の給仕が後ろの棚に設置してある酒樽から異世界の料理屋に付き物のエールや葡萄酒といった酒を木の杯に注いで給仕の女の子に渡している。


 料理を食べている客達は人間に獣人とその種族も年齢層も様々だが、皆美味しそうに笑顔でこの店の料理や酒に舌鼓を打っている。



「は~い、お待たせ!」


「おお。 ありがとう」



 そうこうしているうちに、シアが料理を持ってき来た。

 俺の前にコトリと置かれた肉料理。


 焦げ茶色の使い込まれた底が浅い壺の形をした食器の蓋を開けると、湯気と共にグツグツとした音が聞こえてきて、料理がアツアツになっているのが一目で分かる。


 見た目的には地球で言うところのビーフシチューそのもので実に美味しそうだ。金属製のスプーンで具を掬うと、ゴロゴロとした大きな牛肉がジャガイモや人参、玉葱などの野菜と共にたっぷりと入っていてかなりのボリュームだ。



(ほう? これはもしかしてコミスブロートか?)



 てっきり異世界ファンタジーにありがちな、カチコチに硬い黒っぽいパンが出てくると思っていたが、これはこれで予想外だった。



「じゃあ、いただきま~す!」


「はい。 召し上がれ」


「うん……美味い!

 この牛肉、脂身が少なくてさっぱりした味わいで美味しいね!」

 

「ありがとう。 そう言ってもらって私も嬉しいわ!」

 

「いや、本当に美味いよこれ。 こりゃあ、体が温まるわ」


「そう。 これで私も安心して仕事に戻れるわ」


「ああ、そうか。

 お客さんの呼び込みしてたんだっけ?

 ここまでありがとう。

 俺はいいから、もう仕事に戻ってもらって大丈夫だよ」


「うん。 それじゃあ、ごゆっくり~!」


「ありがとね」



 そう言ってシアを見送った後、俺は異世界版ビーフシチューをガッツくようにして食べた。サバゲーに行く前に食べた朝飯を除けば、口に入れたのはイーシアさんの家で出されたお茶と水だけ。

 そりゃあ、腹も減る。


 ビーフシチューの味は高級レストランで提供されるような上品な味ではなく、近所の洋食屋で食べるような温かく懐かしい味に赤身の多い牛肉の味がドーン!とパンチを利かせている。


 出されたパンはドイツの軍用パンである『コミスブロート』のような中身がみっちり詰まったパンで、サイズが大きく素朴な味で噛めば噛むほど味わい深くなり、食べ応えがある。



「ふう……美味かった」



 いやあ、やっと食事にありつけた。

 他人に見つからないようにストレージから烏龍茶のペットボトルを取り出して喉を潤し、一息つく。食事をしたことで精神的に余裕が出来たのか、俺はリラックスして今の現状を分析し始めた。



(現状、今すべきことは宿を取って体を休めることだが、まあ今日のところはこれで良いのだろうが、問題は明日からだな)


「先ずは使える武器の拡充か……」



 これは外せないだろう。

 今のところ、使える状態の武器はベリルなどの自動小銃を除けば残りは数丁の短機関銃と拳銃、それと幾つかの手榴弾だけなので、少なくとも散弾銃と汎用機関銃、狙撃銃の他、対戦車兵器くらいは即座に使えるようにしておかなければいけない。


 まあ、これに関してはこれから泊まる予定の宿の部屋で行えば問題ないか。

 あとは……



「被召喚者である日本人の探索とギルドか……」



 そう、こちらの方が本業だ。

 今日は疲れたからモバイル端末での転生者の検索はしないが、明日からは別だ。イーシアさんが異世界への降下場所をあの帝都ベルサに近い農道にしたのは、多分この街に被召喚者がいるからだと思う。


 間違っても適当に降下場所を選んだとは思いたくないが、この街に日本からの被召喚者がいると仮定して……どうやって接触ないし調査をするかだが、これも悩みどころだ。

 それにイーシアさん達による元日本人の転生者の件もある。



(あっちは見た目は異世界人で、こちらは純粋な日本人の外見だからなあ。

 同じ日本人である被召喚者は外見で判断できるから良いものの……)



 こちらが意識していなくても、近付いた段階で相手が俺の存在に気付く可能性もある。問題は向こうが襲ってくる可能性だが……どうだろうか?



(もし襲ってくるとしたら、狙いは俺が持っている武器が目当てだろうから自衛するのは吝かではないのだが、それでも外見や中身が同じ日本人を撃つというのは躊躇われるなあ……)



 まあ、このへんは後の課題だな。


 

「あとは……」


(ギルドだな)



 この世界に来て最初に出会った冒険者クランのリーダーであるセマから聞いた限りでは、通常の身分証を提示した場合の街での滞在期間が1か月なのに対し、ギルドに登録して組合員として活動すると3か月になると言っていた。場合によっては最大1年延長できるとも……



「やっぱり、ギルドに行って話を聞くしかない……かなあ?」





――――異世界に来たら先ずはギルドに行く





 異世界ファンタジーの典型だが、ギルドに加入することによって身分が保証される上に街での滞在期間が延長されるのならば、悪い話ではないだろう。


 それに実際に存在しない日本という国の身分証よりギルドが発行する身分証を携帯していた方が面倒が無さそうだし、これからこのバレット大陸に存在する国々を巡って、元日本人転生者の居るところを訪ねてこの世界に来ているであろう日本の被召喚者の居場所を調査しなければいけないのだから……



「よくよく考えてみると、本当に面倒臭いことに巻き込まれてしまったなあ……」


(まあ、しょうがないか)


「さて、暗くなる前に宿に辿り着かないと。 

 例の[金の斧]の部屋が実は満室でしたなんてことになったら、また一から宿を探さなくてはいけないからな……」



 そう言って俺は席を立ち、銃と持ち物の確認をして出入り口の脇にある会計に向かう。シアの言う通り、金額はビーフシチューが銀貨1枚と銅貨2枚、パンは銅貨4枚。合計銀貨1枚と銅貨6枚の金額だった。



「御馳走様でした。 また夜も来るからね」



 店を出てシアが客引きをしているであろう方角の通りに向かってお礼を言うと、俺は宿を目指してまた歩き出す。



(早く宿を取って、銃を弄ってぐっすりと眠りたい)


「ああ〜日本の布団が恋しいなあ!

 お願いだから、藁葺きのベッドとか勘弁だよ?」



 腹が膨れたことで幸福感に包まれた俺は軽い足取りでその場を後にした。

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