三木


 雑用を含め、すべての作業を一人でこなさなければならなかったきょう一日、そして後片付け中の今も三木は大変忙しい思いをし、疲れ果てていた。

 小さなケーキ屋なのにリピーターが多いことは非常にありがたいが、息つく暇もなく忙しいのは辛い。そのためのアルバイトだったのにいっぺんにいなくなるなど予想していなかった。

 昨日は警察に聴取を受けたので一日休業したが、二日も続けて休むわけにはいかず、きょうは開店した。

 だがこの先、次のバイトが見つかるまで一人忙しさに目を回すのかと考えると憂鬱だった。

「ちっ、あのどんくさい女でも辞めさせなきゃよかった」

 汚れた道具を洗いながら、三木は愚痴を吐き出す。

「にしても、美恵ちゃんがあんな殺され方するなんてなぁ。あれほど夜道には気を付けろって言ったのに――

 もしかして俺が疑われているわけじゃないよな?

 まさかな。でも昨日の刑事の眼つきは気に入らない。警察ってやつはあんなもんかもしれないが不愉快だ。クレーム入れてやろうか? ははは、なんてな。

 ああ、明日はどうする?

 羽衣子を呼ぼうか――いや、きっと余計にイライラするに決まってる」

 ぶつぶつと愚痴を垂れ流し、洗い物を続ける三木の目に洗剤の泡が飛んだ。

「ったく、あのクソ女」

 スポンジをシンクに叩きつける。

 目が染みるのも、一人忙しい思いをするのも、美恵が殺されたのですら、すべて羽衣子のせいに思えた。

 ドジな彼女を雇ったその日から失敗したのだと自分をも責めたくなってくる。

 顔形だけで雇うもんじゃないな。

 袖で顔を拭っていると作業場の入り口に誰か立っていることに気付いた。いつも来店する眼鏡の客だ。

 おいおい、こんな奥にまで入ってくんなよ。って、俺、入口の鍵閉めなかったか。

 そう思いながら三木は愛想笑いを浮かべた。

「誠にすみません。もう閉店時間、過ぎてるんで――」

 最期まで言い終わらないうちに男が目の前に来る。

 突然顔面にパンチを食らい、三木は意識を失った。


 激痛に目覚めた三木は、菓子を作る作業台に横たわっていることに気付いた。

 全身に走る激痛以外、何がどうなっているのかまったくわけがわからない。体を起こそうとしたが動けなかった。

 息も絶え絶えの中、とりあえず唯一動かせる目で辺りを見回し、第一オーブンの前に立つ男の背中を見つけた。

 俺の仕事場で何してるんだ。

 そう言ったつもりだったが歯を全部折られていて空気の抜けるような声しか出せず、血の臭いが鼻を衝く。

 振り返った眼鏡男がオーブンの前から離れ、ガラス窓から火のついた庫内が見えた。切断された腕と脚が入っていた。第二オーブンの中ではもう片方の腕と脚が焼かれ、すでに黒焦げになっている。

 それが誰のものなのか瞬時に理解した三木は絶叫した。


 男は台の下にある袋から小麦粉をすくい、その大きく開いた口内に放り込んだ。

 むせて暴れる三木の頭を抑え込み、閉じた口をこじ開けて容赦なく粉を詰め込んでいく。荒い呼吸のたびに鼻から多量の粉が噴き出し、口の中いっぱいに埋まる頃には三木はもう動かなくなっていた。

 小麦粉にまみれた白い顔に幾本もの涙の筋が流れていた。


              *


 三歳になる息子の誕生日ケーキを受け取りにアンジュミニョンに来た若い母親は、閉まったままの入口の前で佇んでいた。

 公園で起きた殺人事件の関係で一昨昨日は臨時休業していたが、翌日は開店し、定休日以外はもうお休みしませんと店長が言うから予約したのに。

 やっぱり何かしら事件に関わってたのかしら。まさか逮捕されたとか?

 どうしよう。今夜あっくんのお誕生会なのに。

 一緒に連れて来た息子を見下ろす。あっくんは入り口の前にしゃがみこんでいた。

「まま、けーき、けーき」

 息子が入口にかかるロールカーテンの下から中を覗き込んで指さしている。

 いつもはぴっちり下りているのに下から30センチくらい開いていた。

「あっくんだめよ。覗いたりしてお行儀悪いでしょ」

 母親が手を引き立たそうとしたが息子は不思議なものを見る丸い目をしたまま動かない。

「どうしたの、あっくん」

 不審に思った母親もしゃがんで中を覗き込んだ。

 ショーケースの中でケーキのように飾られた店長の白っぽい生首がうつろな目をしてじっとこちらを見ていた。


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