平山

 

「おい柳。これ見ろ」

 名を呼ばれた青年は指をさす平山の横から遺体を覗き込んだ。

 首のない女の脇腹にほかのものとは明らかに違う傷がつけられている。刃物で荒く彫られたその傷が意味のある形に見えるまで柳は左右に首をひねった。

「K、ですかね?」

「アルファベットならな」

 平山が煙草臭い息を吐いた。

「アルファベットでしょ。この前のご遺体はUだったし」

 柳は手帳に何やら書き込んでいる。

「まだ決まったわけじゃない。偶然ついた傷かもしれん」

「そうでしょうか?」

「決めつけるなよ」

 遺体に掛けられていたシートをもとに戻して、平山は立ち上がった。

「一連の事件と似てるんだがな。というかほぼ同じだ」

「?」

「なのに、なぜ前回と今回にはアルファベットだか記号だかがつけられている? ホシは別ってことなのか?」

「偶然の傷かもしれないんでしょ」

「うるさい、独り言だ。返事をするな」

 平山は柳の頭を小突いた。


 数年前から発生している猟奇殺人が、ここ最近数を増してきた。どれも手口と凶器が同じで同一犯だろうと確信しているがすべて未解決だ。

 被害者宅のシャワーを浴び、タオルまで使用している。ゲソ痕も残っているし、指紋を拭き取った跡もない。

 遺留品が多々あるにもかかわらず容疑者が特定できないのだ。

 財布や現金を盗んでいるのでただの強盗殺人と言えばそうなのだが、死体の損壊の仕方は明らかに異常者の仕業だ。

 平山には異常者の心理はわからない。嬉々として殺人を犯す者がいる。死体損壊に喜びを覚える者、遺体を弄び興奮する者もある。当たり前だがどれ一つとして共感できるものはない。

 だがこのホシに言えることがひとつある。こいつは『怒り』を抱えている。ただ怒りだ。勘に過ぎないが、鬱屈した怒りが狂気に走らせている。

 一連の事件と最近の二件の事件はすべて同じだ。『印』を除いて。

 もし同じホシだとすれば、なぜ印を入れ始めたのだろうか。

 平山の脳裏に前回の被害者であるバス運転手の姿が浮かんだ――


「うー。毎回ひどいですが今度のもひどそうですね」

 においの充満した部屋で柳が鼻と口を押えた。

「ははは、お前も随分と慣れたな」

 平山は自分が仕込んだ後輩を見て目を細めた。日に日に頼もしくなっていくと感じる。

「嫌味ですか?」

 先輩の言葉を皮肉と受け取り、柳は手を下ろした。

「本当にそう思ってんだよ。新人の頃は青い顔をして吐きまくってだろ。そのことを思えば今は立派なもんだ」

「やっぱ嫌味でしょ」

 ふくれっ面した柳は意気込んで被害者に掛けられたカバーをめくった。だが、すぐそれを戻し、泣きそうな顔で振り返る。

 今度は平山がシートをめくった。柳が顔をそらす。

「ああ、こいつはひどいな」

 遺体は顔を焼かれていた。見開かれた目の中には眼球がない。耳がそぎ落とされて鼻もなかった。

 口は閉じられないくらい何かが詰め込まれ、あふれた中身が焼け焦げてぶら下がっている。よく見ると黒く焦げた陰茎だった。

「おっ、平さん。ご苦労さん」

 鑑識の福沢がカメラを手に戻ってきた。「な、口の中身見たか」

「被害者のイチモツだろ。ひでえことするなぁ」

 平山は身震いする真似をした。

「それだけじゃないぞ。目玉、鼻、両耳、両手の指に睾丸。切り落としたもの全部が詰まっている。詰め込む時に邪魔だったのか歯が全部折られてるよ。詰め込んでから顔に火を点けたんだろうな。詳しく調べてみないと何とも言えないが、全部生きてた時にやられたみたいだ」

 福沢の言葉にしゃがみこんでゴム手の付けた指で口を広げる。焼け爛れた耳の下で生焼けの眼球がこちらを見ていた。

 平山は声を上げそうになり慌てて飲み込んだ。

「胸部、腹部の損壊は死んでからやったもんだな。いつもと同じでぐちゃぐちゃのミンチだ。

 ただな――」

「ただ?」

「今回一か所だけ皮膚がきれいなところがあるんだ。そこに何か記されているような――まあたまたまそうなっただけで意味はないのかもしれんが」

 福沢はシートを大きくめくった。ミンチ肉を盛った被害者の胴体が露わになる。

 すみませんと言いながら柳が外に出て行った。

 あいつもまだまだだ。しかし無理もないか。

 平山は福沢が指さした脇腹を見た。5、6センチ四方にきれいな皮膚が残されている。血液すらついていない。その白い肌の真ん中に傷があった。

「これなんだ? 福さん」

「さあ。俺はUって見えるんだが、一概にそうとも言えんし」

「まあな――」

 平山もUとしか見えなかった。

 どう見ても意図を感じる。だが今までの遺体にはなかったことだ。福沢の言う通り偶然の可能性が大きい。


 ――あの時はそう思っていたが。

 柳にはああ言ったが、やはりこれは何かを示しているのだろう。

 何か手掛かりになればいいが。

 とにかくこの一連の事件は不思議としか言いようがなかった。拭き取った後がないのに指紋が出ないのもおかしかった。福沢が言うには指跡はあるのだが、普通の指紋が出ないらしい。手袋をはめているのではと疑ってみたがそれでもない。採取したものはすべて不鮮明なべたっとした指跡だという。薬品か何かで指紋を焼いているのかもしれないが、その痕跡でもないというから不思議だった。

 防犯カメラに姿が映っている時もあったが、どんなに解析しても容疑者が浮かび上がることはなかった。

「やっぱり凶器はいつものサバイバルナイフですかね。で、指紋のない手形があちこちに残ってるんだろうな」

 柳がぐるりと鑑識の作業を眺め回す。

「そうだろうな」

 平山は胡麻塩頭をばりばりと掻いた。

 柳の言うとおり凶器だけはサバイバルナイフと判明している。だがその線から当たっても全く容疑者は割れなかった。

 被害者たちに共通点はなく、どうやっても容疑者にたどり着けない。

 女だけを襲う強姦殺人犯なら残った体液からDNA鑑定もできるが、被害者は女だけではなく、男もいる。しかもどちらにも性行為を一切していない。

 平山は眉間にしわを寄せた。

 たぶん体液を残していても容疑者は出ないだろう。犯行現場には被害者や友人知人以外の毛髪が落ちていた。犯人のものとは断定できないが、十中八九そうに違いない。それでも容疑者を割り出すことができないのだ。

 犯人はどんな奴なんだろう。存在している人間なんだろうか。まさか幽霊ではあるまい。

 自分の考えを鼻で笑った。

「平さん、何笑ってんですか?」

「笑ってないよ。もし笑ってるように見えたんなら、自分の不甲斐なさに笑ってんのさ」

 木に引っかかった頭部が発見されたと叫ぶ声が遠くから聞こえてきた。


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