羽衣子
「柴田さんってさ、ほんとどんくさいよね」
美恵がくすくすと笑う。
「すみません」
羽衣子はしゅんとえんじ色のベレー帽を被った頭を下げた。
手作りケーキの店『アンジュミニョン』でアルバイトしている羽衣子はそそっかしくて毎日何かしらの失敗をする。その度に同じアルバイトの美恵に笑われていた。
さっきも大失敗をしでかしたばかりで、作業場からパティシエ兼店長の三木にずっと睨まれたままだ。
羽衣子はカウンターの中でこのまま消えてしまいたいと思った。
「わたしに謝られてもねぇ。まあ、後片付けは手伝わされたけどぉ」
「ご、ごめん――あ、ありがとうございました」
再びくすくす笑う美恵に頭を下げる。
「いいって、いいって。誰でもやらかすことだから。
いや、めったにないか、トレイごとひっくり返す人なんて。それもできたてのケーキ――
あ、お客様、お決まりになりましたか」
美恵は客あしらいもうまい。羽衣子を笑いながらちゃんと客の動きも把握している。
最近よく来る男性客がショーケースのケーキを指さしていく。
「イチゴショートと夜空のチョコケーキ、魅惑のバナナドーム、一つずつでよろしいですか――
かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
手際よく手提げのケーキ箱に詰めていく。
「ねえ、突っ立ってないで早くレジ打ってよ」
「あ、あ、は、はい。ごめんなさい」
羽衣子は慌ててレジ台の前に立ち、ケーキ名を登録したボタンを打とうとした。
「シ、ショートケーキ一つと――夜空、夜空のチョコ――一つ――」
だが、ボタンの位置を把握していないのでもたつく。
「もう、まだ覚えてないの? もうひと月経つよ。定番ケーキのボタンぐらい早く覚えて。
すみません。もう少々お待ちくださいませ――」
美恵は羽衣子を押しのけ、さっさっとボタンを打ち、「大変お待たせしました。千二百五十三円になります」と、客に頭を下げ、すでに箱詰めしたケーキを差し出した。
羽衣子は帽子と同色のエプロンの裾を握りしめ、カウンターの隅で縮こまっていた。
作業場から三木のわざとらしい大きなため息が聞こえてくる。
「ありがとうございましたぁ」
支払いを済ませ自動ドアを出て行く客の背中に声をかけた後、急に美恵が振り返った。
「ねえ今の客、なんか不気味な感じしない? 異常者じみてるというか――」
そんなことを言われても自分の失態ばかりが気になる羽衣子は首をひねった。
「あっ!」と、口を押え美恵が絶句する。
視線を追うと黒縁眼鏡をかけた客はまだ開いた扉の向こうに立ったままで、じっとこちらを見ている。
美恵は陰口が聞こえたと分かり、作業場の奥に逃げた。
客の視線が羽衣子に向けられる。
「す、すみません」
自分がディスったわけではないが深く頭を下げる。
男は何も言わずそのまま立ち去った。
ドアが閉まったとたん美恵が顔を出す。
「やばかったぁ。あのぎょろ眼で睨まれたら怖すぎ。こっち睨んでたでしょ? 怖くなかった?」
「えっ、ううん、別に何ともないよ」
「へー、柴田さん意外とメンタル強いのかもね。あの目はやばいよ~。
あっ、いらっしゃいませぇ」
美恵の意識は店に入ってきた親子連れにすぐ向けられた。
羽衣子はうつむく。
メンタル強くなんかないよ。いつもうじうじ、ぐずぐず――いけない、いけない。美恵さんみたいに早く頭切り替えなきゃ。また失敗しちゃう。
顔を上げると今度は手際よく動けるよう慌ててレジの前に立つ。
ふと頭の隅で何かを思い出しかけたが、「柴田さんっ、レジお願いっ」という美恵の声に消されてしまった。
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