episode1 Welcome to Regaria

1 Welcome to Regaria(1)

 ここは巨大な建物の形をした地上都市、レガリア。もっともこのような都市の形はレガリアだけではない。全国各地に点在している。それはある目的のため。


 人を食らうエアという生き物がいる。それらが町に侵入しないようにする。そのための措置が、一つの建物の中に街を作るというものだった。


 アリアンレガリア支部は今日も忙しい。エアと戦うために、町民が普通の暮らしを送れるように、やるべきことは山のようにあるからだ。今日も建物の中では多くの人が仕事をしている。




 エアと戦う者は「聖戦士」と呼ばれている。普通のアリアン職員は白い軍服だが、聖戦士は黒い軍服を身に着けることでその違いを一目でわかるようにしている。


 聖戦士の大半はエアと戦うために仕事をする。だがこのアリアンレガリア支部には二名ほど、例外がいた。一名はレガリア支部を束ねる支部長。そしてもう一人は――。


「支部長、お仕事、お疲れ様」


 雪のように白い髪は肩より少し上までの長さ。その髪を緩くまとめている。結き損ねてまとめきらなかった後ろ髪が、何故か儚くも華のある雰囲気をかもし出している。


 赤い目は穏やかな光を宿していた。その微笑みはまるで昔話に出てくる天使のような印象。さらに声変わり後も若干高めの声が、可愛らしい印象を与える。


 だがその体は車椅子に座ったままで、身体も痩せ細っている。車椅子を一人で動かすことも出来ず、常に目覚めた時にそばにいた女医が付き添っている状態だ。彼に出来るのは声を出すことだけだった。


「時間は大丈夫?」

「え? あ、もうこんな時間だ。ありがとう、ワイアット」


 聖戦士でありながら白い軍服に身を包み、支部長の補佐をする白髪の青年。彼の名はワイアット・グランバーグ。彼は自分が聖戦士であるなど夢にも思わない。


 ワイアットは支部長であるクレアの養子として、クレアの補佐として、日々仕事をしていた。だがそれが今日この日までのことだと、誰も知らない――。





 外がどんなに晴れていようと、どんなに雨風が酷かろうと、都市という名の建物の中では意味がない。ビルを模した建物の内部からは限られた者しか外を見れないのだから。


 地上都市レガリア。その二階は医療に特化した医療区画。六年に及ぶ長い眠りから目覚めて一週間のワイアットは今、医療区画にあるカウンセリングルームにいた。


 目覚めた時は長かった白髪は、本人の希望で適度な長さに切られていた。その影響でワイアットの第一印象はかなり変わっている。色白の肌とやせ細った身体のせいで病弱に見える。髪色も体つきも弱々しいのに、血のように赤い双眸そうぼうだけが第三者に威圧感を与えている。


 今はまだ指先や足先を少し動かすことしか出来ない。六年も寝たきりになっていたため、筋力が衰えており、身体を上手く動かせないのだ。故にワイアットは一人では移動が出来ない。


 車椅子に乗せられ、ワイアットを担当している女医が車椅子を動かす。ワイアット自身の少し変わった体質のおかげで、六年間まともに動いていなかったはずの内蔵はたったの一週間で普通食が食べられるまでになっている。


 さて、今このカウンセリングルームにいるのはワイアットとその担当医の二人だけ。この状況では個室にいるのとそう変わらない。


「まず初めに、自己紹介をするわね。私はシェリファ。あなたの担当医で、クレアとも親しいの。よろしくね」


 今日一日ワイアットに付き添っていた女医がワイアットの真正面に座る。ワイアットは自己紹介をされて初めて、女医に興味を持った。好奇心に促されるがままに女医の外見を確認する。


 女医シェリファは赤紫色のショートヘアをしていた。癖っ毛なのだろう。毛先が外側に向かってはねている。その姿が、不意に懐かしい姿に重なった。


「似てる……」


 誰だかわからない。姿形だけは思い出せるのに、その人の名前も、その人との関係もわからない。無意識のうちに「似てる」の言葉だけが口からこぼれ落ちる。


 シェリファの目の色はその人と同じ黒色。だが目の形はその人と全然違う。シェリファの目はつり目で、気の強い印象を受ける。だがワイアットの記憶にあるその人は、穏やかな目つきでいつも笑っていた。





 シェリファがワイアットの異変に気がつく。口からこぼれ落ちた言葉を耳で拾い上げた。かと思えば少し動きを止め、白い軍服の内側から一枚の写真を取り出した。


 写真の中にいたのは女の子一人と白衣を着た男性一人。二人して外巻きの赤紫色の髪に黒い目をしている。白衣の男性が女の子を膝に乗せている写真だ。


 シェリファは写真を自分とワイアットの間にある机に静かに乗せた。シェリファの長い人差し指が白衣を着た男性を示す。ワイアットはそれをただ見ているだけ。


「今あなたが似てるって思ったのは、この人?」

「……うん。それにしても、君、すごいね。なんでわかったの?」

「それは秘密ってことにしておくわ。この人はネア。私のお父さんで、ワイアットの担当医だった人よ。あなたの元いた地上都市にいたの」

「ふぅん」


 シェリファがワイアットの思い浮かべた人について説明しているというのに、ワイアットの反応は薄い。さほど興味がないのか、冬眠から目覚めたことによる何らかの障害なのか。このどちらかを知る必要があった。


(もしクレアのことを覚えていないのが偶然じゃないとしたら……可能性はあるわね)


 シェリファは慎重に口にすべき言葉を選ぶ。ワイアットに刺激を与えないように。そして選んだ言葉を声という名の音に乗せた。


「いきなりで悪いんだけど、質問させて。昔のこと、覚えてたりする?」

「昔のこと? うーん。うーーーん。はっきりとは覚えてないね。でも、こうして会話が出来るんだから、そこら辺のことは覚えているんじゃないかな」

「クレアのことは何かわかる?」

「クレア? えーと、確か、支部長ってやつ、だよね。初めて見たと思う。さっきの写真の人なら、少しだけ覚えてるよ。名前とかどんな関係だったかは知らないけどね。『ワイアット・グランバーグ』って名前も支部長に言われたからそう呼んでるだけだし」


 ワイアットの言葉に、シェリファは胸の奥がスーッと冷たくなるのを感じた。今の発言からわかることは一つだけ。ワイアットは、自分が誰で何者なのかを全く知らない。それだけだ。





 ワイアットは昔のことをほとんど覚えていない。唯一覚えてるのはシェリファの父、ネアの姿だけ。恐らくエアのこともアリアンのことも、この世界で生きるのに必要な知識が全て欠けている。


 それに気付いたシェリファはすぐさま立ち上がる。カウンセリングルームにあった巻物とインク壺とペンを取ってくる。そしてそれらを机の上に広げた。


 その巻物は紙であって紙でない。エアという生き物の皮を加工して作られた羊皮紙のようなものだった。インク壺に入っているインクの色は濃い赤色だ。このインクはエアの血を加工して作られたものだった。


 シェリファは巻物にスラスラと文字を書いていく。やがて、あっという間に数字と文字の羅列が出来上がった。よくよく見てみれば一番上に「ワイアット・グランバーグのリハビリ」と書かれている。


 日付とリハビリの内容が淡々と綴られている。だがその期間は歩行訓練や基礎体力向上のような実技と座学を入れて、わずか一ヶ月しかない。六年間寝たきりだった者のリハビリにしてはやけに期間が短い。


「文字とか数字はわかる? わからないなら声に出すから教えて」

「うーん……ワイアット、グラン、バーグ、の、リハビリ。合ってる?」

「合ってるわ。読めるなら読み書きは確認程度で平気そうね。会話もおかしい所はないし」

「一つ、質問。僕、これから何をするの?」

「まず、一人で歩いたり走ったり出来るようにするわ。それと同時に、生きていけるように必要なことを教えるわ。例えば、この建物のこととか、ね」


 シェリファの言葉に、ワイアットか寂しそうに笑う。緩く束ねられた白髪が微かに揺れる。その赤い瞳は、困ったように右に左にと忙しなく動いていた。

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