Fragment:7「菩提樹の下で」

お題:「私は雪の日に死にたい」ではじまり「今日も空が青い」で終わる

   できれば1400字以内で


「私は雪の日に死にたい」

 不穏な言葉にエルマーが顔を上げると、不機嫌そうに汗を拭うアーデルベルトの横顔があった。彼の涼しげな容貌に、流れる汗はまったく似合わない。


 ずいぶん南にやってきた、というわけではなく、おそらく地形のせいで暑いのだ。エルマーは遠くにぐるりと連なる青い山並みをみやった。このところ季節に見合わず気温が上がっているため、その日は早朝に宿営を発ったが、それでも昼前には耐えがたいほどの暑さになっていた。道中には影がなく陽炎がゆらめいていた。馬が不機嫌に鼻を鳴らしはじめた頃、折良く近くに森があらわれたので、立ち寄って休息をとることになった。一同は安堵して上衣をくつろげながら、思い思いに涼しげな場所へ腰を下ろした。

 従者たちが馬から鞍を外してやるのを眺めながら、エルマーは大きな菩提樹を選んでその根元に座った。そこにアーデルベルトがやってきて、すこし離れて座り込むや否やのこの発言だった。


「いきなり物騒なことを言うね……」

「こんな暑さの中死ぬのはごめんだ。きっとすぐに腐って虫が湧く」

 暑さでよっぽど参っているのだな、とエルマーは思った。酷暑のセルジアンナへ遠征したことのある彼女でも疲弊していた。しかし正直なところ、エルマーは死に場所のことなど考えてみたことがなかった。虫が湧いたところでさして問題だとも思わなかったが、それは確かに悲惨な絵面ではあった。

「まぁ、ね」

 億劫そうなエルマーの声音に、アーデルベルトは彼女をちらと横目で見た。

「お前の国もこんな暑さなのか」

「まさか」

 エルマーが湿った髪をかきあげると、森の奥から吹いてきた爽やかな風が、指の隙間の篭った熱を攫いながら通り抜けていった。

「ヴェラーラの方がよっぽど涼しい」

「以前ラビア地方を訪ねた時は、冬とは思えない気温だった。近くではないのか」

「近いけど……あそこは海が、冬でも暖かいんだ。ヴェラーラは高地だから。ウィトマルクと比べればたしかにずっと暖かいけれど、でも冬には雪も降る」

「そうなのか?」

 アーデルベルトは興味をそそられたらしくエルマーを見つめた。落ち着いた印象をもつ切れ長の目なのに、こんな風に見開くと意外なほど少年じみて見えた。わずかな風が梢を揺らし、彼の金色の髪に落ちた木漏れ日がきらきらと揺れた。

「うん、いつか訪ねてみるといい。綺麗な街だよ。その時には、私はいないかもしれないけれど」

 エルマーはなんとなく居心地がよくなって木の幹に頭を預けた。遠くでヨシュカがオランドと立ち話をしているのが見える。幻のように菩提樹の花が香った。

「どういうことだ?」

 少し険しい声で問われて、首をかしげながら再び彼を見る。アーデルベルトは足を崩して少し身を乗り出していた。

「……?外地に赴任したり、オルトにいるかも」

 答えると、彼は意外そうに眉を上げ、視線を逸らしながら「ああ、なるほど」などと呟く。エルマーははたと気付いて笑った。

「もしかして、生きていないという意味だと?」

「……縁起でもないな」

「いや、たしかに生きてる保証なんてないんだ。幸いまだその予定はないけどね」

 エルマーは頓着しない様子で薄く笑い、また木に頭を預けると、瞼を閉じて深く息を吐いた。


 ――雪の日に死ぬ。それは実際、アーデルベルトにとって魅力的な思い付きだった。故郷でも戦場でも構わない。しかし、その時誰が隣にいるのだろう。

 アーデルベルトは、しばらく彼女のつんとした鼻先に木漏れ日が戯れるのを眺めた。それから彼は天を仰ぎ、静かにため息をついた。梢の向こうには初夏の明るさが透けている。当分雨すら降りそうにない。アーデルベルトは眩しそうに目を細めた。

「今日も空が青い」

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