35話【続】

「因幡さん、お疲れ様です」

「ああ、みんなも一日ご苦労だった。―桐生、新しい通信機だ」

「おう」


千尋が先日恐らく父親に踏み壊された通信機が新しく用意されたらしい。千尋は因幡から通信機を受け取ると、ピアスが二つ着けられた左耳に、慣れた手つきで取り付けた。


「壊した方はまだ見つかっていないのか?」

「ああ。家のどっかにはあると思うけどな」

「あ、それなら私がこの間拾って持ってます。すみません、すっかり忘れてて…」

「そうか。いや、あるなら問題無いんだ。どこかへ流れて悪用されては困るからな」


雅はひび割れた虎模様の通信機を因幡に手渡した。因幡はそれを確かに受け取り、何かのケースに収納した。

NOAHの技術が使われたものである以上隠すべきところは隠さねばならないのだろう。


「ところで…蒼亜は?」


会議室を見渡し、蒼亜の姿が無い事に気付いた因幡が言う。話に夢中で気付かなかったが、普段なら雅達が来る前にはとっくに来ているはずである。雅は首を傾げた。


「そういえばまだ来てないですね」


この様子からして特に因幡の方へも連絡は来ていないようだ。思案し始めて数秒後、黒宮が左耳に手をやった。


「連絡すりゃいいんじゃん?―おーい蒼亜…うおっ!」


通信は無事に繋がった様だが、黒宮の反応がおかしい。何か異常事態でも発生しているのかと思い雅が訊ねる。


「どうしたんですか」

「いいから、お前らも繋げてみ」


そう言った黒宮の表情は苦笑の一言に尽きるもので、その様子なら特に問題は無さそうだと一同は安心して通信機のダイアルを0に回した。


〈そうにぃ!次は、杏のこと抱っこして!〉

〈ええ!蒼亜くんおやつ作ってくれるって言ってたじゃん!〉

〈杏、抱っこはおやつを食べたらでいいか?今日はうさぎ型のホットケーキを焼いてやるから〉

〈分かった!はちみついっぱい掛けてね!〉


皆の耳に流れてきたのは無邪気な子供達の声と、普段以上に穏やかな蒼亜の声であった。恐らく前々から話に聞いている『すずのいえ』の子供達だろう。彼を心から慕っているようだった。


「…これは……」

「そ、蒼亜さん?」

〈む、その声は雅か。すまない、今日はそっちに行けなさそうだ。最近こいつらに構ってやれていなかったからな〉


そう言う声の後ろでも、鈴を転がすような可愛らしい声が響いている。つられて雅の口元も緩んでいた。


「分かりました。この通信はみんな聞いてるので大丈夫ですよ、沢山甘えさせてあげてください」

〈ありがとう。任務があれば呼んでくれ。すぐに向かう〉

「ああ。ではまたな」


代表して因幡が告げると、通信は蒼亜から切ったようで、もう賑やかな声は聞こえなくなっていた。

因幡は席に着くと、書類とノートパソコンを広げながら雅達に指示を出した。


「最近都内で原因不明の砂嵐が発生しているらしい。今日からしばらく、四人に調査に向かって貰いたい」

「何かテレビかどっかで見たな、それ」


そのニュースはまだ大きくは無いものの耳に新しい話題である。死傷者が上がっていない事からまだ世間もそこまで気にかけていないのだろう。

放送内容自体も『謎の砂嵐発生!その原因はヒートアイランド現象に関係あり…?』といった実に的外れなものであった。


「四人っていうと…」


雅が黒宮の方を見て、また因幡の方へ視線を戻す。目が合った因幡は一度小さく頷いた。


「黒宮、三人に付いて行ってくれ。私はちょっとやることがあってな」


詳細は分からないが、因幡が何かしらの仕事を抱えている事だけは窺える。黒宮も頷き、背もたれに掛けていたコートを手に取り訊ねた。


「いいっすけど、これって任務なんすか?」

「恐らく字持ちが何らかの理由で関わってはいるだろうが、まだ正体は掴んでいないからな。正式な任務ではないが、フィールドワークもたまには良いだろう?」


NOAHに情報が舞い込んでくるからには字持ち絡みであることはほぼ確実であり、いずれ任務として自分達が解決に当たるのなら前もって動いておくのは正しい判断だろう。

それに、捜査は足を使うものと相場は決まっている。


「了解。もしならその時は副班長の独断っつーことで」

「黒宮のことは信頼しているよ」

「身に余る光栄だぜ。んじゃま、行きますか」


黒宮に続いて、三人は会議室を出た。広く陽当たりの良い廊下を四人で進む。

雅は黒宮を見上げた。


「さっき、蒼亜さんの名前は出てきませんでしたけど、なんで蒼亜さんは外したんだろう?」

「班長のに蒼亜が関係あるんだろ、多分」


何となく腑に落ちない表情を見せる雅の肩に手を置き、灯が言う。


「ま、いいんじゃない?たまにはこういうのもさ」

「そうだね」


灯にそう言われると、不思議と何事もまあいいかと割り切る事が出来る。雅は小さく笑い返し、蒼亜の事は端に置くことにした。


「千尋、さっきから黙ってどうした?」


言われてみれば、因幡が来てから会話に殆ど参加していない。どこかぼうっとしているようだった。

NOAHの外は窓から見ていたのと同様天気が良く、心地よい日差しに千尋の金髪が透けていた。


「ああ、いや…何でもねぇ」

「何か心配事?それか具合悪い?」


雅が訊ねると、ようやく意識がこちらに向いたのか、千尋も雅と目を合わせた。


「いや、そういうのじゃねぇから気にすんな」

「ならいいけど」


黒宮はその様子を注意深く観察しているようだったが、隻眼を二、三度瞬かせたかと思うとすぐにいつもの調子で話し出した。


「調査って言ってもなー。何をどう調べろっつーんだか。さてはアイツ、仕事に集中するために俺らの事追い出したな?」

「それも理由の一つとしては無いとは言いきれないですけど」

「喋ってても始まんないし、とりあえず…と」


灯は携帯を取り出し何かをし始めた。その様子を雅が覗き込む。


「灯ちゃん、何してるの?」

「現代っ子らしく、SNSで直近で砂嵐が起きてる場所がどこか調べてるの」

「なるほど、手っ取り早くていいな」


二人の後ろから黒宮も雅と同じように覗き込んだ。ディスプレイにはリアルタイムでの投稿が並んでいる。その中の一つを選び、灯が添付されていた動画を再生した。


「あった、昨日の14時頃の投稿だ。千丈区で砂嵐発生。うわ…看板飛んでる…」

「ひでえなこりゃ。犯人は字持ちで決まりだな」


再生された動画はビルの隙間から竜巻状の砂嵐が這い出て来て、近くの看板を軽々吹き飛ばすというものだった。

それだけ強靭な風を生み出せる字持ちとなると、長篠芽々のボーイフレンドである久代基の顔が浮かんだが、恐らく彼がそんな真似をする事はないだろう。雅は慌ててその考えを打ち消した。

横にいた千尋も顔を顰めていた。


「しかも昨日って…随分活発だなおい」

「他は?」

「一昨日のもある。松見原で砂嵐発生」


投稿を遡っていくと、投稿は絶えず続いており、前回のものと日にちが空いていないものが多かった。


「ほとんど毎日動いてる…」

「次はどこでおっ始める気だ?」

「今、15時だよね?事を起こすならこの時間帯じゃないかな…」

「武藤、ちょっと画面更新してみてくれ」

「うん。…あ!」


黒宮に言われた通りに灯が画面を更新させると、新しい投稿のポップアップと共に投稿時間が3分前の画像がタイムラインに流れて来た。

本文には『新白あらしろ区で竜巻!近く通る人は気を付けて!』と記載されている。


「新白区だとよ」

「行くか。俺がになる」

「うん。お願い、黒宮」


日差しのせいか辺りの影は薄いが、路地裏だけは濃い影の口を広げてこちらを待っているようだった。

四人は身を隠すように路地裏へ入ると、その影の中へと溶けていった。



*



「っ、よっと…砂が邪魔で移動に手間取ったぜ…」


四人が影を抜けたその先には、その一帯を覆うように砂嵐が吹き荒れていた。砂を吸ってしまいそうになり、一同は慌ててコートの袖で口元を守る。


「誰がこんな真似を…」

「砂でチカチカして空間認識が上手く働かない…!?これじゃ正確な位置も把握出来ないよ…!」

「お目当てっぽいぜ。どうすんだ、


黒宮は眼帯に手をやり、暫し逡巡したが、やがて覚悟を決めたように口を開いた。


「このヤマはここで片付ける。―気ぃ抜くなよ、相手がまだどこにいんのかも分かんねぇ」

「話は終わったか?」

「誰だ!」


黒宮が振り返ると、濃鼠の髪を砂に踊らせながら少女が立っていた。年の頃は雅達とそう変わらない様に見えるが、服装はパーカーにショートパンツで、学生かそうでないのかはこれだけで判断することは出来なかった。


「やっぱり来ると思った」


いたずらが成功した時の様にさも楽しげな表情で少女は言った。

先手必勝とばかりに雅が前に立つ。


「下がってみんな!」

「おっと―」


雅が三人の前に立ち、衝撃波を放つ。―が、それは砂嵐の壁に吸収され少女に届くことは無かった。やはりこの砂嵐は少女が操っているとみて間違いない様だ。


「届かないか…!」

「ふうん」

「お前もしかして…山崎紫乃か?」

「…だったら何だよ」


その一瞬の沈黙は肯定と同義らしい。となると、彼女はNOAHから下った最初の任務にして最後のターゲットということになる。つまり、接触も初めてということだ。

山崎は一歩下がるとその足で地面をたん、と叩いた。同時に皆身構える。すると今まで不規則に舞い上がっていた砂が集まりだし、徐々に何かを形作り始めた。


「これは―」

「おいおい…お伽噺じゃねぇんだぞ…!」


砂嵐は土人形ゴーレムにもよく似た、太く力強い腕を持った人型に形を変えた。背丈は雅達の倍程もある。

その威圧感のある砂人形ゴーレムに一同はたじろいだ。


「潰されたくなきゃ、せいぜい逃げ回るんだな!」


その言葉を合図に砂人形ゴーレムは動き出す。歩むごとに砂塵が舞い、雅達の逃げ道を塞ぐようにまた散らばっていった。

四人は二手に別れ、砂人形ゴーレムからの逃走を図る。走り出して直ぐにずるりと足元が沈む感覚がした。もう何度目かも分からないこの感覚はやはり―


「黒宮さん!」

「どうやら上手く撒けたみてーだな」


黒宮に連れられ転移したこの場所は、どこかの廃ビルの様だった。流石の黒宮でも、この砂嵐の中では長距離移動は出来なかったらしい。


「灯ちゃん達も逃げられてるといいけど…」

「大丈夫だって、千尋がついてんだからよ」


廃ビルの中から見る砂嵐はまるで別世界の様で、雅は息を飲んだ。これ程の規模の砂嵐を起こしていたとは。まるでこの世の終わりの様な光景に、黒宮の言葉が雅に伝わるまで数秒を要した。


「……。まあ、戦力的にも問題は無いと思います。…通信、繋がるかな」

「俺は因幡の方に連絡してみるわ」


左耳に手をやり、いつものように灯へ通信を繋ぐ。コールは直ぐに鳴り止んだ。


「もしもし、灯ちゃん?私、聞こえる?」

〈み…びちゃ…!?よかっ…今…千尋く…いる…〉


灯の声が途切れ途切れに聞こえる。


「やっぱり砂でノイズが…灯ちゃん、こっちは大丈夫。合流出来そう?」


二人は屋外に居るのだろうか。ノイズが激しいが、注意深く言葉を聞き取る。


〈え…もっか…って〉

「合流、出来そう?」

〈がん…る!〉


恐らく「頑張る」と言ったのだろう。灯らしい返事に雅はほんの少し安心した。


「OK。場所は潰れた薬局の前の…うん、そこ」

「伏せろ森山!!」


大きな影が視界を埋めた。

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