17話【傷】

「お、おかえ…おいお前ら!」


ロビーまで降りてきて出迎えた黒宮は、雅と千尋の傷を見て血相を変えた。


「…やっぱ俺も残るべきだった」


以前兄が言った黒宮は他者を庇護したがる、というのはこういうことなのだろうか。

いつもとは反対に、千尋が黒宮を宥めた。


「あ?そしたら若本はどうすんだよ」

「今回は指示を誤ったつもりはない。あの字持ち達では若本にも危害を加えたかも知れないからな」

「黒宮さんが行ってくれたから…私達も安心して任務にあたれました」


灯に支えられながら雅が言う。

皆にそう言われては引き下がるしかないと、黒宮は後方を指した。


「……はぁ。とりあえず手当て、行ってこい。俺らは先に会議室入ってっから」

「あ…はい」

「雅ちゃん、歩ける?」

「うん、ありがとう。大丈夫だよ」


雅と千尋の二人はエレベーターに乗り込み、医務室のある4階のボタンを押した。

独特の浮遊感を感じながら二人は壁に凭れた。


「いっ…て」


雅より千尋の方が傷が深かったのだろうか。千尋は腕が動くたびに顔をしかめる。

雅の方は血は一応止まっているようだった。

気を紛らわそうと雅は千尋に話し掛けた。


「千尋くんは医務室入るの初めてだよね」

「…あ?いや、入局する時に検査しに入った」

「そっか、それもそうだね」


雅が慌てて千尋から目を逸らした。


「…お前どうした?」

「え?…何でもないよ」


千尋は不思議に思ったが、特に何か声をかける間もなく4階に着いてしまったのでそのまま黙って医務室へ向かった。



*



医者はゆったりと構えて座っていた。


「いらっしゃい二人共」

「いらっしゃいじゃねぇだろ」

「彼から手当てをお願いします」


雅は先に千尋を手当てするように言うと、診療室に備え付けられている椅子に腰掛けた。


「分かった。じゃあ君はこっちに座って。…さて包帯は、と」


医者は立ち上がってすぐ横の棚を探った。

消毒液と包帯を取り出し、また千尋の前に座った。


「はい腕見せて」


千尋は黙って腕を出したが、容赦なく巻いていたハンカチを剥ぎ取られ、まだ赤々しい傷が曝されてしまい思わず声を洩らした。


「いっ……」

「あー…でも傷は小さいし縫うほどじゃないね。うん、消毒して巻いとけばなんとかなるよ」


包帯を巻かれている間、千尋は何度も眉を寄せていた。その度に医者は千尋をからかっていたが、これも気を紛らわすためなのだろう。


「君おっきい怪我したことないんでしょ、大丈夫?NOAHのお仕事は大変だよ」


図星らしい、千尋はちっと舌打ちをした。


「…うっせぇ。平気だ」

「はい、終わり。…命は一つ、時間も巻き戻らない。大事にしてね」


医者は子供に言い聞かせるように、ゆっくり千尋の目を見た。まるで暗示を掛けるようなその言葉は果たして、千尋の無鉄砲な戦い方に良い影響を及ぼすだろうか。


「んなことは分かってる。じゃーな」


千尋はそのまま席を立ち、足音を立てて医務室を出ていった。


「それじゃあ次は…森山さん、だったかな」

「はい。お願いします」


雅は先にスカートを太腿まで捲って見せた。


「…あれ?君も同じ字持ちにやられたんだよね?」


それにしては傷が小さかった。―というより、彼に比べて出血の止まった時間も早いことが見て取れる。


「はい」


医者は首を何度も傾げた。


「絆創膏で大丈夫そうだね」


医者が再び棚を探ろうと立ち上がったところで、雅がそれを止めた。

医者の腕を掴む手の爪がぎゅっと食い込んだ。


「待って!……あの…」

「どうしたの?」


雅のあまりの必死さに思わず医者は座り直したが、彼には何故そこまでして止めようとしたのか理解出来なかった。


「あの…千尋くんと同じように、してくれませんか」

「―君は…」

「…私、傷の治りが早いんです……でも、みんなに見られたらきっと怖がられるから…」


きっとそれにも理由があるのだろう。だが、医者はひとまず雅の言う通りにした。雅が泣きそうな顔をしていたからだ。

それに、心療は自分の担当ではない。


「じゃあ、お大事にね」

「…ありがとうございます」



*



「…お」


雅が医務室を出てエレベーターの方に向かって廊下を歩いていくと、壁際に設置されている自動販売機の前に千尋がいた。


「…え、なんでまだ居るの」

「このエレベーターが長いんだよ。もうこれ飲み終わるッつーの」


千尋は缶ジュースを緩く振って見せた。

いくらエレベーターを待っていたとしても、ジュースを一本飲み終えるだけの時間は無いはずだ。彼はきっと自分を待っていたのだろうと思った雅は隣に立って、ブリックパックタイプの乳飲料を購入した。


「うわそんなもん飲んでんのかよ、ガキくせぇ」

「すぐそういうこと言うんだから…」


これが千尋のからかい方だ。


「…ねえ千尋くん」

「なんだよ」

「今まで聞いたことなかったんだけど、千尋くんって生まれつき?」


雅が自分の腕を指した。千尋が先天性かそうでないか聞いているのだ。

千尋は一瞬何のことか分からないという顔をしたが、すぐに意図を察したらしく、少し躊躇ってから答えた。


「あー…そういや話した事無かったな。俺は小五」

「そうなんだ。…ご家族は何て?」


雅がストローを咥えた。聞きにくいことだと思ったことを誤魔化すためだ。


「母親は…泣いてたよ。丁度その時、字持ちの殺人事件があって…ほら、ゲーム会社の社長の。あれで字持ちが危険だッつって騒がれ始めたからさ」


その事件は雅も覚えている。あの事件を境に国は字持ちを危険な存在として認知させ、NOAHに警察権を与えた。


「親父も一時期うつ状態になって、俺を施設に入れるって言ったり―まあ、色々あったよ。俺自身字持ちになった時は自分が怖かった」

「字、使うのが?」

「…俺学校だとあんま人といねぇだろ」

「うん…」

「俺、カッとなるとすぐ手が出るから―小五の時、同じクラスの奴怪我させたんだよ。それで…俺は怖ぇ奴なんだって思って、人とつるむのやめた」

「だから…初めて会ったときも一人だったんだ」


千尋は頷いた。そして、根元の黒い金髪をぐるぐるとかき混ぜた。


「こんな見た目にしてんのも、向こうから寄ってこねぇようにするためだし…結局俺はビビってるだけなんだよな」


根が真面目だとは前々から思っていたが、それ以上に彼は臆病で、それでいて優しいのだった。

誰かを傷付けないために、自分は一人になろうとする。灯と出会う前の雅に、少し似ていた。


「千尋くんは…やっぱり優しいんだね」

「お前らのせいだよ」

「…せい?」

「お前らがこんなとこに連れて来るから、もう一回やり直す気になったんだよ」


雅は思わず噴き出した。それを見た千尋はハッとした。


「ったく、なんでこんな話お前に……あーもう行くぞ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る