対話~伸びる~ あだ名付けばあさんシリーズ

 ここに定期的に通い始めて長い彼女はその日、表情に不安が見て取れた。椅子に腰かけてもそのままなので、私は問いかけてみた。そういう仕事を、私はしている。

「何かありましたか?」

「あの……何と言えばいいか……」

「思った事を話してみて下さい。ゆっくりで大丈夫ですから」

「うつ病になると、その、ホルモンバランスみたいなものが崩れたりしますか?」

「ホルモンバランスは……生活習慣の話なので、うつ病とはあまり結び付かないかもしれません。ストレスがかかっているので、多少崩れたりする事もあるかもしれませんが……何か変わった事でも?」

 私は努めて言葉を選んで話した。例えばここで

『おかしな事でも?』

と聞いていたら、

『自分はおかしいんだ』

と思い込み、そこから次第に重篤状態になってしまう人もいるからだ。

 何しろ、彼らは普通の人間の我慢のゲージ、その限界を既に振り切っている、それ程の我慢を続け、発症した人達なのだ。そこからは緊張状態が解けず、ストレスが溜まる一方だったのを、処方している薬で抑えている状態である。

 更に病院から一歩出れば、病気に見えにくい事から、心ない返事を浴びせられる立場だ。患者によっては説得して前向きな社会活動に挑ませる必要があるが、基本的に油断は出来ない。

「その……ムダ毛が伸びるんです」

「ムダ毛、ですか」

「それも、普通は伸びない様な毛が伸びて来て」

「もし良ければ、伺わせて頂いても? 何か解決方法をお教え出来るかもしれません」

 私は彼女の瞳を見つめ、真面目にそう訊ねた。ここで双方の信頼関係が試される。

 カウンセリングを行う者は、患者に飲まれてはいけないが、同時に患者の心の拠り所にならねばならない。

 ややあって、彼女は言った。

「実はその……ひげが伸びるんです」

「ひげですか……一日にどのくらい伸びますか?」

「前の日の朝に剃って、翌朝にはざらざらするくらいです。

 朝起きると伸びていて、初めはびっくりしてすぐ剃っていたんです。それほど長くはならないんですが、ざらざらするのがとても嫌で……濃くなって来たらそれも嫌なので、マスクをして出かける様になりました」

 なるほど、それは女性からすればとても嫌だろう。

「大丈夫、青白くなったりとか、濃くなってはいませんよ」

 そう伝えると、彼女は少しは落ち着いたのか、表情が穏やかになった。

「前触れの様なものはありますか? 例えば何か夢を見て、その後、目を醒ますと伸びている、ですとか」

「夢は見ないんですが、少しまどろんだりした時に、誰かの手で鼻の下からあごまでを撫でられる感じがするんです。気持ち悪く触るんじゃなく、顔のマッサージみたいな感じで、眠気がそこから強まるので、大体はそこから寝てしまいますが、今は憂鬱で、諦めて寝てしまってます」

「ふむ……ひげは続けて剃って下さい。また、頓服とんぷく(不安抑制)のお薬を、少し強いものにしましょうか?」

「お願い出来ますか?」

「いいですよ。それで少し、様子を見ましょう。

 何かまた変わった事があったら、すぐにお電話を下さい。昼間なら出られます」

 その後、二言三言、言葉を交わし、今回の彼女の診察は終わった。




 数日後、彼女は自宅で、処方された薬を大量に煽り、恐らく朦朧とした状態でだが、鼻から下の皮膚を包丁で削ぎ落とし、手首を切って死んだ。男性であれば、ひげが伸びる部分を全部削ぎ落としたのだ。

 警察から、彼女のかかりつけの医師という事で事情聴取を受けたが、話の途中で聞いた近隣住民の証言によれば、その日の明け方頃、

『私はおかしくない!』

と叫び声がしたのだという。

 私は刑事に、診察の時にもひげが伸びると話していた事、悩んでいた様子だった事を打ち明けた。

 私にはアリバイがあったので、

『また何かご質問をさせて頂く事があるかもしれませんが』

と、お決まりの挨拶をされ、帰る事が出来た。




 それから何日後だろうか。まどろんだ時に、誰かが私のひげが伸びる辺りをマッサージする様に触る。そして、翌朝には1センチほどもひげが伸びているのだ。

……もしや、彼女を悩ませていたのも、この現象なのだろうか。

 これから毎日、ひげの伸びる部分を撫で続け、私を苦しめるのだろうか。

 そして私を追い詰め、やがては彼女の様に―




 私は実家の祖母に電話をかけ、その事を話した。

 電話の向こうからゲームの音が聞こえて来る。多分、最新機種で遊んでいるのだろう。最近は珍しくない、PCや携帯などにも詳しい老人なのだ。ボケ防止にはいいだろうと思う。

 さておき、祖母は一通り私の話を聞いて、こう言った。

「まーんずまんず、そりゃあ『法師ほうし』だもい」

「法師……坊さんなのかえ?」

 私もつい地元訛りで訊ねる。

「そういう様子で現れる事が多いっちゅうから、そう呼ばれちょる。おめえの患者さんや、おめえをしんどい目に遭わせてやろうっつう誰かの気持ちが、そういう風になって、おめぇ達にとっつくのよ。で、ひげを伸ばすっちゅうこっちゃなあ。

 それぬすても、弱ってる人を死なせるたぁ……患者さんはあわれなこっちゃもい」

「わっす、どすればいいのさ、ばさま!」

「だーれ(どれどれ、なあに)、今度そういう事が起こったらばさ、夜、人目のない場所で、月の光を浴びながらT〇レボルーソンのHOT LIMI〇の恰好で身体をよじらせ

『身体ぁ奪えても、心は奪えねんだぞ!』

って、繰り返し呟いてやればいいっさ。言葉に出さねえでも、心の中で唱えればいいっさ。いっか、人目のねえ場所で、なるべくセクスィーにすんだよ?

 すっと、相手は人に好かれねぇ自分が嫌になって、自滅するもい。おっかねぇ目に遭った可哀想な患者さんの敵討ちしたれもい」

 何故その、西〇さんが一番似合うであろう服装限定なのかは不明だが、昔からの言い伝えに詳しい祖母の事だ、確実にそれにも理由があるのだ。

 私はあえて問わず、礼を述べた。

「……あんがとう、ばさま! おら、試してみっど!!」


 私は祖母に言われた通り、その方法を試してみた。

 クセになりそうだったが、繰り返している内に、果たして奴は消え、出て来る事はなくなった。


 しばらくして、同級生が亡くなったという知らせが入った。

 学生時代、私に衆道をしきりに語り、ロックオンしていた寺の息子だった。同級生ばかりか下級生にも恐れられ、一部では

『ケツキラー』

とも呼ばれていたのを覚えている。

 かつてのそれや、日頃の行いが原因だと思われるが、性的に、そして生理的に受け入れられない自分が嫌になり、

『俺が一番セクシー』

と書き残して、首を吊ったのだという。

 私の方に出て来た『撫で法師』はもしかしたら、こいつだったのかもしれない。


「衆道のストレートだと思ったらツーウェイだったのか……面倒くさい……」

 私は自分の部屋で、誰に言うともなく、そう呟き、身を震わせた。

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