第三話

「ははっ、鼻血で出血多量って!! ははっ!!」


「……もうっ、そんなに笑うことはないじゃないの!!」


「いや、心配してくれるのは嬉しいんですよ。けど……ふははっ!!」


「高木くん!!」


 笑い話にしてくれて、少し救われた気分にもなった。

 けれど、それも度が過ぎてしまえば、ちょっとこっちも気分が悪くなってくる。


 頬を真っ赤にしたまま、私は顔を上げると高木くんを睨みつけた。けれど、今一つ威厳みたいなものが足りなかったのだろう、高木くんは笑うのをやめてくれない。

 どうしたらいいのか、と、情けなくなった。私、彼より上級生なのに。


 そんな感情が表情に出ていたのだろうか。


「あ、いや、すみません。迷惑をかけた先輩を笑うなんて、失礼でしたね」


「……あ、いや、そんなあらたまって謝られるようなことでも」


「いや、ぶつかりそうになったのは、俺のうっかりです。すみませんでした。なんにしても、先輩には怪我がないみたいでよかったです」


 そう爽やかな表情で言われてしまうと、これ以上怒れなくなってしまう。

 なんだか、この後輩のペースに飲まれっぱなしである。


 敵わないな、と、思って、また俯きそうになる。

 そんな所に、背後に近寄る気配を感じた。


「おい、こらこら、てめえ、こらぁ。先輩に対して口の利き方って者がなってないんじゃないのか。なんださっきからてめえ、おじょ――天崎に向かって」


 思わず、いつもの調子――文学部でのやりとりのそれ――で、お嬢と言いそうになった浩一こうさんは、慌ててそれを誤魔化した。


 一応、彼と私との関係は、『天眼の衛士』の活動拠点である文学部を除いて、学園内では秘密となっている。今日みたいに、直情的になってボロを出すことも時々はあるが、そこは、文学部の部長と、その部員という立場を、きっちりと線引きして接している。


 とはいえ、こうして話に割り込んでこられては、誤魔化すもなにもない。

 今更、浩一こうさんのおせっかい癖が治ってくれるとは思っていなかったけれど、どうしてここで口を挟んでくるのだろう。


 いや、私が御陵坂学園の『天眼の衛士』たちのリーダーとして、頼りないからか。


 振り返ると、私の背後に立った浩一こうさんが、今まで見たこともない険しい表情をして高木くんを睨みつけていた。

 それに対して高木くんは面を喰らうでもなく、臆するでもなく、真剣な顔で応える。

 彼もまた、真面目なタイプなのだろう。


 これはまずいのではないか。


「……あの、二人とも、喧嘩はちょっと」


「口の利き方がなってないって、どういう意味ですか」


「おじょ――天崎は二年生、てめえは一年生だろうが。敬語を使え、敬語を」


「使ってるつもりですけど」


「んじゃ態度だな。そのクソ生意気な態度をなんとかしろ」


「生意気でしたか」


「……親し気なんだよ。距離が近いんだよ。んだよ、お前。ぽっと出の一年坊主が、なにそんな気軽にお嬢に話しかけてんだよ。○すぞ」


 なんだか話の雲行きがおかしい気がする。

 浩一こうさん。いったい何に怒っているんだろう。というか、怒るところなんだろうか。


 とりあえず、ちょっと下がっていて、と、私は立ち上がると浩一こうさんを保健室の隅へと追いやった。珍しく、興奮冷めやらない感じの彼は、胸を押す私に反抗して、高木くんの方に向かおうとしている。


「ちょっと、浩一こうさん、落ち着いて」


「落ち着いてられるかよお嬢。俺はな、あぁいう、軽薄な感じの野郎がこの世で一番嫌いなんだよ。というか、お嬢もお嬢だ、あんな男に簡単になびきやがって」


「なびくってなんですか」


「あぁいいうのが良いのか。お嬢、あんなチャラチャラした男と一緒になっても、不幸になるだけだぞ。思いなおすんだ」


「チャラチャラっぷりでは、浩一こうさんもそう大差ないような」


「え……?」


 そんな馬鹿な、という感じに顔を歪める浩一こうさん。

 見た目についてはこの通り、言い訳のしようがないヤンキールックだが、その行動についても、結構、学内では問題になっていたりする。

 喧嘩はもちろん、先生への悪態から悪ふざけ。

 外に出れば、他の学校の生徒と諍いを起こし、それでなくても厄介事に自分から首を突っ込んでいく。


 悪いことばかりではない。

 人助けなど――溺れている子供を助けたり、お年寄りを負ぶって横断歩道を渡ったり、絡まれてる女の子を助けたり――も率先してやるので、人から感謝されることもままある。だが、基本トラブルメーカーであるのは間違いない。


 京都府警内に『天眼の衛士』の協力者、及び、彼らの身により構成される部隊が居るから、なんとか騒ぎが表ざたにならずには済んでいるけれど。胸を張って、浩一こうさんは素行に問題のない人間ですと、言い切れるような、そんな人ではなかった。


 本人にはまったく自覚はないのだろうけれど。


「俺は真面目・真っ当・真正直な男じゃねえか!! おかしなこと言うなよ、お嬢!!」


「浩一さん、一度、鏡をよく見てみることをおすすめします!!」


 そんな馬鹿なと呟いて、保健室の洗面台の方へとよろよろと歩いていく浩一こうさん。

 彼は鏡に映る自分の姿を眺めると――。


「……いい男しかいねぇ!!」


 そう言って、ふっと、顎に手を当ててキメポーズを取った。

 こういう所が瀬奈姉曰く、天然なのだろう。


 そんな私たちの後ろで、高木くんが、よっ、と声を上げてベットから飛び降りた。

 脱いでいたローファーに足を通すと、それじゃぁ、世話になったな、と、緑のナップザックに腕を通して私に背中を向けた。


「待って、まだ、話は終わってないよ」


「え、終わったでしょ」


「……君に大切な話が」


「外泊許可申請を出してるんだよ。それに、友人との約束もあるんだ――悪いけれど、その話はまた週明けでお願いできないかな」


 そう言い残すと、高木くんはそそくさと、保健室から駆け出して行った。

 外泊許可申請――全寮制の御陵坂学園では、学生は外泊する際に申請を出さなければいけない。そして、その回数も、慶事や忌引きを除いて厳しく制限されている。


 おそらく、入学してから初めての外出だろう。

 それであんなにはしゃいでいたのか。


 高木君の様子に納得する。

 一方で、少し遅れて、逃げられてしまった悔しさが、じんわりと心の中に広がって来た。


 何をしているんだ私は。

 御陵坂学園の『天眼の衛士』のリーダーではないのか。

 一年も、それをやっているというのに、新入生の一人も捕まえられずに、みすみす逃げられてしまうだなんて。


「……情けない」


 浩一こうさんに聞こえないように呟いて、私は俯く。

 リノリウムの床に暗い顔した黒縁眼鏡をかけた私が映っている。

 とても、人を率いる器の顔ではない。


 やはり、こんな私がリーダーなんて、務まる訳がないのだ。

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