5,人見知りの僕と美しき空の君

 ここは~小田原城おだわらじょうの~桜~並木か~♪ それとも~千葉ちばの~菜の花~畑か~♪ 春が~春が~春~が~来た~受験氷河期の~夏の~たそが~れどき~♪ 乗り慣れた~茅ヶ崎の~オムニバス~♪


 ここで豆知識。旅客りょかく自動車の『バス』は『オムニバス』の略称で、みんなのものという意味だ。


 あぁ、まさか近所でこんなお花畑な出逢いがあるとは___。


「終点ですよ?」


 甘い香りに鼻孔をくすぐられルンルン気分で即興の唄(演歌調)を脳内で口ずさんでいると、ふわりやさしい声が、未曾有みぞうの一目惚れでおかしくなった僕の耳をさやかに撫でる。


 もう着いてしまったのか。普段は車窓を眺めたり車内放送が耳に入るから終点到着には気付くけれど、きょうはそれどころではなかった。


 瞬時に『駅に到着した』という情報のみを理解して顔を上げると、彼女が前傾姿勢で先ほどのように穏やかな笑顔を僕に向けていた。


 ふふぉ、ふふぉおおお!! 声をかけてくれたのは彼女だったのか!! 一瞬気付かなかった!! キュン死する!! 大丈夫か僕の心臓!! なんとか、なんとか持ちこたえてくれ!!


『バスで少女に声かけられ少年キュン死 ~湘南ボーイ悲恋のロマンス~』なんて面白おかしな記事にされかねない!! しかも彼女は殺人容疑で逮捕されてしまうかも!!


「あ、はい、すみません……」


 声をかけられ嬉しくてたまらないのに、人見知りの激しい僕は咄嗟とっさのことでボソッと素っ気ない返事しかできなかった。


 彼女に先導され、中ドアから降車。他に乗客は残っておらず、運転士にも迷惑をかけてしまった。ごめんなさい。


「具合、悪いのですか?」


 ビルの合間から漏れる夕陽に照らされる降車場は市内の他の場所より影が目立ち、歩行者、自動車などが地表をゴオゴオ震わせ、たったいま走り出した東海道線とうかいどうせんの新型車両が放つキーンと高周波な音が一帯に響き渡っている。


「あ、いえ、大丈夫です……」


 あぁ、なんてやさしいひとなんだ。それに引き換え素っ気ない返事を繰り返している僕はさぞ無愛想に映っているだろう。


「ちょっと失礼しますね」


 ひえっ!? という声を思わず漏らしそうになる。


 僕より少し背の低い彼女は上目遣いで手を伸ばし、僕の額にペタリてのひらを当てた。


 うわあああ、なんてやわらかい感触だ。マシュマロ肌とはこれのことか。骨はあるのか? と思うくらい本当にやわらかくて、しっとりしている。吐息がかかりそうな距離と、つやめく髪から漂う妖艶ようえんな香りが追い討ちをかけ、心拍数が熱を帯びて更に一気に跳ね上がる。


「うん、熱はないみたいっ。お風邪を召しているのかと思って」


 彼女は僕と自分の額に交互に手を当て、離して、一呼吸置いて言う。


「私は電車に乗りますが、えーと」


 呼び方に困っているのだろうか。


「あ、えと、清川きよかわっていいます。僕はこの近くの塾なので」


 このタイミングで夕方5時を報せるチャイム、茅ヶ崎生まれの童謡『赤とんぼ』が空から市内全域に流れ、黄昏時たそがれどきを告げている。


「清川さん。私はスターリバービューティフルスカイと書いて星川ほしかわ美空みそらと申します。ご近所にお住まいならまたお会いすると思いますので、よろしくお願いしますね」


 英語で漢字を表現するとはちょっと変わった、いや、なんてグローバルなんだ!!


「あ、はい、えと、真幸まゆきですっ。下の名前っ。真の幸せと書いて。よろしっ、お願いしまっ……」


 下の名前なんて訊いてないかと冷静に推察しつつ、一応告げておく。過度な緊張で噛みまくりだ。もうやだ緊張で胸が詰まって言葉が出なくなるこの症状、早く治したい。


「真幸さん。素敵なお名前ですね! ではまた」


 ではまた!? ふぉ、ふぉ、ふぉふぉー!! それは次の邂逅かいこうを期待しても良いということですか!!


「あっ、はい! またっ!」


 深くお辞儀をしてゆるり背を向け、ざっと50人ほどが行き交う雑踏に混じり、ちょこんとエスカレータに乗った星川さんがコンコースに到着して見えなくなるまで、僕は支柱にもたれずっと見上げていた。


 あぁ、なんて夢のようなひとときだったんだ。


 からだは火照ったまま意識はぼんやりして、当分冷めそうにない。

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