チャプター5 六道邸にて


「ほんとすみませんでした! あたし、頼られると放っておけない性格で……! いきなり男の子に泣きつかれて、『怖いチンピラのお兄さんが、僕のことを枕返しって呼んで追っかけてくるんだ』って言われたから、コロッと信じちゃったんです……。『なんとかおびき出すから、後はやっつけてくれるよね?』『お姉さんに任せなさい!』って……」

 陰陽課の二人と琮馬、それに詠見を前に、礼音は深々と頭を下げていた。

 とりあえず立ち話も何だから、ということで移動した先、琮馬の家の客間である。立派な机にめりこみそうなくらいに頭を下げる礼音の隣には、阿頼耶がそれなりに申し訳なさそうな態度で、かつ顔色を悪くしながら控えている。礼音は放っておけば永遠に謝罪を続けそうな様子だったが、そこに祈里が声を掛けた。

「もういいです。顔を上げてください」

「ですけど、祈里さん……。六道先生と詠見さんの原稿が取られちゃったのも、あたしのせいですし……締切ギリギリで、コピーも取ってなかったんですよね、詠見さん……?」

「う。そ、それはまあね……。先生、どうしても原稿取り返せなかったら、同じエッセイ、もう一回書いてくれるって言ってくれたから……ね? ……それで入稿に間に合うとは思えないけど……」

「ご、ごめんなさい!」

「もういいって」

「……実際、仕方ないと思います。普通の生活をしている普通の学生の方なら、男の子に化けた妖怪がいるなんてことは想像もできないと思いますし――それに、うちの主任、確かに見た目も怖いですし。何ですか、髪が銀色でシャツが黒でネクタイが赤って」

「何度言ったら分かるんだ。これは全部陰陽師的には大事な色なんだよ」

「じゃあせめて態度を改めて」

「まあまあ、お二人とも落ち着いて」

 睨み合い始めた陰陽課コンビをやんわり宥めたのは、台所から戻ってきた琮馬であった。着物の似合う家主は、お盆に並べた六つの湯呑を机へと移動させながら一同を穏やかに見回し、阿頼耶の顔で目を止めた。

「絶対城さん、顔色があまり良くないですが、大丈夫ですか?」

「お気遣い痛み入ります……。体調は問題ありませんが、先程から、ちょっとしたアイデンティティクライシスに襲われていまして」

 丁寧な礼とともに湯呑を受け取り、阿頼耶が大きな溜息を吐く。その青白い顔に、六壬式盤を回していた春明が呆れた目を向けた。

「アイデンティティクライシス? おい妖怪学、何だそりゃ」

「誰が妖怪学だ、陰陽術。……先も言ったが、俺の修めている妖怪学は、妖怪の伝承がいかに成立したのか、その過程や原因を調べる学問だ。つまり、妖怪は実在しないことが前提中の前提。『真怪しんかい』と呼ばれる本物の怪異を目の当たりにしたこともあるが、それらは科学的に説明のできない体質や技術などであり、伝承や創作物に語られる妖怪がそのまま存在しているケースは今まで一度もなかった」

「なかったってお前、さっき枕返し見たろ。あの顔は江戸時代の絵本そのまんまだったじゃねえか」

「だから理解が追い付かず困っているのだ……! それに六道先生、あなたもまた本物の妖怪であられるとか」

「僕のことなら琮馬でいいですよ。見た目はこちらの方が年下ですし」

「いいえ。妖怪学徒として妖怪には敬意を払わねばなりません」

 きっぱり言い張る阿頼耶である。春明が二人に近づき「陰陽師の俺にはタメ口なのかよ?」と聞こえるようにこぼしたが、阿頼耶はさらりと受け流し、正座して琮馬に向き合った。

「先ほどの不思議な眼光はやはり、妖怪としての力なのでしょうか」

「ええ。僕がこの姿のままでも使える力の一つです」

「『この姿』? ということは本来の姿――本性が?」

「はい。僕、実は……」

 阿頼耶の耳元に口を寄せた琮馬がぼそぼそとつぶやく。その耳打ちを聞くなり、阿頼耶は弾かれたようにびくんと震え、細い目をぐわっと見開いて琮馬の顔を凝視した。

「そっ、その名前は……! しかしそれは、創作された妖怪なのでは……? しかも比較的近年に! 具体的には××××年に××××によって、『××××××』に掲載された……!」

「やあ、さすが妖怪学徒さん、お詳しいですね。その通りです。確かに僕は創られた妖怪ですが、創作物は何度も語られることで実体を持つことがあるのです」

「と、ということは……他にも同じような妖怪の方達が?」

「数は少ないですけどね」

「ちなみに京都には伝承だの記録だのに語られる大物がゴロゴロいるぞー」

「お、大物と言うと……例えば……まさかとは思うが……朱雀門すざくもんの鬼や太郎坊たろうぼう天狗など……か?」

「ああ。深泥池みどろがいけの大蛇も元気だし、ぬえ以津真天いつまで土蜘蛛つちぐももピンピンしてる。あと、有名な化け狐の宗旦そうたん狐っての知ってるか? あれとは先週も飲んだ」

「あり得ない……!」

 春明のあっさりした回答に、阿頼耶が頭を抱えて懊悩する。

 いてくれるのは嬉しいが、それはそれとしてあり得ないし、それはそれとして興奮する。

 一言では説明できない複雑な思いを抱えたまま、阿頼耶は「あり得ない」と再度つぶやいた。

「鬼も天狗も化け狐も、俺はその伝承の由来をこの手で解明してきたんだ。なのに、本物が存在しているなんて……」

「なんてって言われてもなあ。いるんだから仕方ねえだろ」

「簡単に言うな! 大体、お前のような陰陽師が一番あり得ないんだ……! 不思議な力を使う陰陽師など、全て後世の創作だろう? なのに……平安時代からずっと京都を守ってきた陰陽師だと……? 何だお前は。何なんだお前は?」

「怯えた目で見るな! 俺は俺だよ! 公認陰陽師の五行春明!」

「うーん。もしかしたら、別の世界が混ざってしまったのかもしれませんね」

 睨み合う阿頼耶と春明をなだめるように、琮馬が穏やかに問いかける。世界が混ざる? 二人の視線を同時に向けられ、琮馬は「あくまで仮説ですが」と続けた。

「お話を聞く限り、僕と絶対城さんと五行さんの知っている世界は、どう考えても別物です。共通しているのは、妖怪が大手を振って歩いていないということくらい」

「それは確かに。俺の知る限り、妖怪はそもそも基本的に実在しないものですし……」

「俺の知ってる京都でも、異人は表向きはいないことになってるからな」

「でしょう? それで、枕返しは夢の世界とこちらを行き来する妖怪ですよね。夢というのは、全ての世界――つまり、重なって存在する無数の平行世界の全部から、等しい距離に存在する別世界であり、道である……という話を読んだことがあるんです。本来、僕や五行さん、絶対城さんの世界はそれぞれ別のものだったのに、枕返しが幾つもの夢を渡って逃げたことで世界の区切りが不安定になり、混ざってしまったのではないでしょうか。一時的に重なった、というべきかもしれませんが」

「……なるほど。一理ありますね。古来より夢はあらゆる時間と場所を飛び越える橋でもあった」

「はー。さすが作家先生だ。考えてみりゃあ、奴さんの盗んだ役小角の天球儀も、転移の際に座標を測定する道具だからな。枕返しの力と合わせりゃ、世界を渡れてもおかしくないし、結果的に世界同士が繋がることもあろうか……って、じゃあなんで六道先生の書いた本のことを妖怪学が前から知ってたんだよ」

「そこは俺も気になっていた。意外に頭が回るのだな、陰陽術」

「バカにしてるだろお前。つうか、今はそんなことより枕返しだ! 奴は何を目論んでて今どこにいるんだ? それに、なんであんたの原稿を奪った? 『千年王国』ってのは何だ? あいつの口ぶりからすると、どうも最初から原稿が狙いだったみたいだぞ」

「それは僕の方が知りたいですね……。あの原稿は、六十年代の妖怪ブームを回顧してくれという依頼を受けて書いたエッセイなんです。当時、多く出版された妖怪事典や、そこで有名になった妖怪などについて書いたもので、正直、これといって特別な内容は全く含まれていません。少し大きめの図書館か、インターネットで軽く調べれば出てくるような事柄ばかりですから」

 そう言って軽く首を捻った後、琮馬は春明の手元の円盤を覗き込んだ。

「占いでは分からないのですか? せめて居場所だけでも」

「さっきから占ってるんだが、なかなか見えてこねえんだ」

「ほう。やはり陰陽術は現実には役に立たないのではないか」

「うっすら嬉しそうに言うな妖怪学。呪うぞ」

「い、いいのか? 本場の呪詛をこの身に受けられるなら本望ではあるが」

「何でそこでそわそわするんだよ。リアクションがおかしいぞ」

「まあまあ。枕返しの目的や居場所は僕にも分かりませんが、こうして知り合ったのも何かの縁です。手はお貸ししますよ。僕も原稿を取り返したいですし」

「そりゃありがたいが……あんた、他に何かできるのか? 枕返しの居場所は分かんねえままなんだろ?」

「ええ、お恥ずかしいことに。どうやら僕の感知できる範囲にはいないようですが……ただ、暗がりへと転移する術くらいは使えますから、少しはお役に立てるかと。絶対城さんもそこには異論はありませんよね?」

「ええ。実在する枕返しを追えるなど、妖怪学の徒としてまたとない機会。帰れといわれても勝手に首を突っ込む所存です」

「いやお前は帰れよ。今のところ全然役に立ってねえじゃねえか」

「そんなことを言うものではありませんよ、五行さん。ともかく、できることがあれば言ってください」

「……すまねえな」

 琮馬に笑顔を向けられ、春明はガリガリと頭を掻きながらぼそりと感謝の言葉を発した。

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