チャプター3 黒衣の妖怪学徒


「今度こそ見つけたぞ、枕返しッ!」

 高架下の小さなトンネルに、春明の叫びが轟いた。その隣には祈里が並び、後ろにはここまで案内してきた琮馬、なんとなく付いてきた詠見が控えている。一同が見据える先には、十歳にも満たない赤ら顔の男児が一人、ぽつんと立っていた。

 天然パーマ気味の髪に、赤いTシャツに半ズボン。見た目はどこにでもいそうな少年であったが、その顔に浮かぶ笑みは明らかに子供の――いや、人の見せ得るものではなかった。口角が少しだけ持ち上がり、外観と似合わないしわがれ声が不敵に漏れる。

「ほほう。よく嗅ぎ付けおったな、陰陽屋」

「手間ァかけさせやがって。見た目と声が合ってねえんだよ! で、何のために天球儀を盗んだ? なんでわざわざ東京くんだりまで逃げた?」

「答えると思うてか?」

「思ってねえしじっくり聞かせてもらうつもりもねえよ。……つうか、何だ、その余裕は?」

「主任、気を付けてください! あと、実力を行使する際はくれぐれも異人法を踏まえた上での対処をお願いいたします。ここは京都の施行規則の適応範囲外なんですから、そのことを忘れないように」

「相変わらず硬いなお前は……! とにかく覚悟を決めやがれ、枕返し! ここが年貢の――」

「――妖怪『枕返し』か」

 春明の堂々とした宣告を、ふいにバリトンの効いた声が遮った。

「就寝中に枕をひっくり返すとされる、童子型の妖怪。稀代の妖怪絵師・鳥山石燕とりやませきえんの描いた――生んだ妖怪の一体でありながら、座敷わらしや夢占い、蘇生術等と絡めて語られることもある。極めて文脈の多い、興味深い妖怪だ」

 地の底から響くような重低音に、その場にいた――枕返し以外の――全員が、同時にハッと息を呑む。

 全ての視線が集中する先、トンネルの奥の闇の中から歩み出たのは、白と黒だけに彩られた長身の怪人であった。

 真っ白のワイシャツに黒のネクタイ、同じく黒のスラックス。黒い羽織をマントのように肩に掛けて、肌は死人のように白く、ボリュームのある長髪は闇で染めたような漆黒だ。モノクロームの怪人物は、枕返しを庇うように立ち、春明や琮馬を見据えて続けた。

「なぜこの少年が枕返しと呼ばれているのか。お前達は何者で、なぜこの少年を手に掛けようとしているのか……。妖怪学を修める者として、捨て置けない謎ではあるな」

「妖怪学……? 何だてめえ? 邪魔する気か?」

「見ての通りだ。俺としてはかかわらない選択肢もあったのだが──あいにく、連れが放っておけないと言うのでな」

「そういうことです!」

 凛とした声を響かせながら、長身の女子が黒の羽織の怪人の隣に飛び出し、並んだ。

 年齢は祈里と同じか少し下くらいだが、身長は頭一つ分以上大きく、手足もその分だけすらりと長い。鍛えられたスレンダーな体躯に纏っているのはタンクトップにショートパンツという軽装で、胸元にはリング型のペンダントが揺れている。スポーツサンダルでトンネルの床を踏みしめたその女子は、一歩前へ進み出て半身はんみの構えを取り、春明達をキッと睨んだ。

「どんな事情があるにせよ、大の大人が子供に手を出すなんて、絶対に見過ごすわけにはいきません! もう大丈夫だからね、僕!」

「あっ、ありがとうございます……、お姉さん、お兄さん!」

 先ほどまでとは打って変わっていたいけな声を発する枕返し。いやお前そんな声じゃなかったろ、と春明と祈里と詠見と琮馬は同時に思った。

「……どうやらこのお二方、枕返しのことを危険な目に遭っている少年と思い込み、僕らから庇おうとしているようですね」

「見りゃわかるよ、そんなことは。おい、誰だか知らねえがそこをどけ!」

「あたしは湯ノゆのやま礼音あやねです! こっちはあたしのか……えーと、とにかく絶対城ぜったいじょう阿頼耶あらや先輩です!」

 タンクトップの女子――礼音が身構えたまま名乗る。阿頼耶を紹介する時少し顔が赤らんだが、そのことに気付いたのは阿頼耶当人だけであった。


[※湯ノ山礼音:メディアワークス文庫刊「絶対城先輩の妖怪学講座」に登場。経済学部二年の女子大生。原因不明の頭痛を治すために絶対城のところを訪ね、なんだかんだで今に至る。背の高さと女子力の低さが悩みの種だったがもう諦めつつある。ニックネームはユーレイ。趣味と特技は合気道。最近彼氏ができました]


[※絶対城阿頼耶:メディアワークス文庫刊「絶対城先輩の妖怪学講座」に登場。文学部四号館四十四番資料室に住み着いている妖怪学徒の青年。怪奇事件の相談に応じたり事件をでっちあげたりしながら、様々な妖怪の伝承の成立過程を探っている。ぶっきらぼうで偏屈だが知人には優しく、博識。最近彼女ができました]


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