「ひとり妖怪大戦争(前編) 六道先生の原稿は順調に遅れています with お世話になっております。陰陽課です VS 絶対城先輩の妖怪学講座」/峰守ひろかず

富士見L文庫

チャプター1 市ヶ谷の出会い


 ……やれやれ、これでどうにか締切には間に合いそうだ。

 日暮れ時の市ヶ谷の住宅街を歩きながら、滝川たきがわ詠見えみはほっと安堵した。


[※滝川詠見:富士見L文庫刊「六道先生の原稿は順調に遅れています」に登場。二十六歳。中堅文芸出版社「千鳥ちどり社」勤務の編集者で、六道ろくどう琮馬そうまの担当。社会の通年をわきまえた常識人だが、セクハラ大御所作家をうっかり殴ってしまう程度には気が強く正義感も強い。趣味はアクセサリー作り]


 詠見が手にする封筒には、受け取ったばかりの原稿用紙の束がしっかり収められている。入稿までの段取りを頭の中で再確認した後、詠見は隣を歩く若者に語りかけた。

「わざわざ駅まで送っていただいてすみません、六道先生」

「いえいえ、お気遣いなく」

 穏やかな笑みを返したのは、年の頃――少なくとも外観は――十八、九歳の着物姿の男子である。幼さの残る童顔は色白で、髪はさっぱりとしたショートヘア。羽二重の小袖に紺の帯を締め、右手には昨年詠見がプレゼントしたシルバーのブレスレットが鈍く夕日を照り返している。デビュー四十年以上のベテラン作家であり、詠見の持つ原稿の作者である六道琮馬は、若々しく澄んだ目であたりを軽く見まわした後、短い髪をくしゃりと撫でて苦笑した。


[※六道琮馬:富士見L文庫刊「六道先生の原稿は順調に遅れています」に登場。見た目は若い着物男子だが、デビュー四十年のベテラン庶民派作家であり、不老の妖怪。人々の鬱屈した思いが生む怪物「物ノ気もののけ」を食らい、そこに込められた念を物語へと変えている。性格は穏やかで人当たりも良いが、原稿は遅い]


「こちらこそ、今回もお待たせしてしまって申し訳ありません。エッセイは久しぶりだったので、勘を取り戻すのに時間が掛かってしまいまして……。六十年代の妖怪ブームの回想というお題は予想外でしたが、懐かしく思い出しながら書かせていただきました。もちろん僕自身が妖怪であることには触れていませんけどね。すみません」

「いえ、謝っていただくことでは。先生が妖怪であることは秘密なわけですし。それはそうと六道先生、先ほどからきょろきょろしておられますけど……もしかして、物ノ気の気配ですか?」

「やあ、さすが滝川さん、察しが良いですね。物ノ気かどうかは分かりませんが、人ならぬ気配がこのあたりに漂っているんです。送らせていただきますと申し出たのも、そのためなんですが」

「物ノ気かどうか分からない? ということは……六道先生と同じ妖怪の方ですか?」

「それが、どうやらそうでもなさそうで――」

 と、琮馬が詠見に応じた、その時。二人の背後から唐突に、怒鳴り声が轟いた。

「見つけたぞ、『枕返まくらがえし』ッ!」

 吠えながら路地の角から飛び出してきたのは、見るからにガラの悪い青年であった。

 年齢は二十代の前半で、目つきが悪く、ぴんぴんと跳ねた短髪は白に近い銀色だ。真っ赤なシャツにストライプの入ったスーツを重ね、少し緩めたネクタイは純白である。あからさまにチンピラめいた風体の若者は、きょとんと振り返った琮馬と詠見をぎろりと睨み、さらに声を張り上げる。

「はるばる東京まで逃げてきやがって、うちは出張の予算なんか組んでねえんだぞ! 自腹で新幹線の切符買う羽目になったじゃねえか! ともかく、ここで会ったが百年目! 京都市美術館の地下から盗んだ役小角えんのおづぬの天球儀を返してもら――って。……おい。誰だお前ら」

 叫んでいる途中で人違いに気付いたのだろう、間抜けな顔で目を瞬く銀髪の青年である。詠見は隣の琮馬と顔を見交わした後、青年を見返し、キッと眉尻を吊り上げた。

「それはこっちの台詞です! いきなり何なんですか、あなた? 失礼でしょう!」

「え? い、いや、六壬式盤りくじんちょくばん異人いじんの気配を捉えたもんで、こりゃ間違いないと思って走ってきたんだが……つーか、そっちの着物の若いの」

「はい。僕でしょうか?」

「他に誰がいるよ。お前、人間じゃねえだろ。何者だ? 詳しく聞かせろ」

「えっ。いえ、僕はその……」

「主任! 駄目ですよ、市民の方にそんな偉そうに!」

 青年に詰め寄られて戸惑う琮馬だったが、そこに凛とした女性の声が割り込んだ。

 声の主は小柄な若い女性だった。年齢は二十歳そこそこ、つまり詠見より五年ほど若く、小柄な体躯にビジネススーツを纏い、髪はアップにしてまとめ、青のフレームの眼鏡を掛け、首には京都市の市章が入った名札を提げている。太い眉と大きな瞳が印象的な、いかにも真面目な公務員らしい姿の女性は、自身が「主任」と呼んだ青年を再度キッと睨んで制した後、詠見と琮馬に向き直り、深々と丁寧に頭を下げた。

「わたしのところの主任がお騒がせいたしました! ほら、主任も謝って」

「……知るか。町中で怪しい気配を漂わしてる方が悪いんだ。大体、こいつ異人だぞ」

「へえ! 異人さんって、東京にもいらっしゃるんですね……って、だからって居丈高に振舞っていいわけじゃないですからね? ここは京都じゃないんですから、というか、京都でも偉そうに振舞うのは良くないですし! 本当に申し訳ありません! うちの主任、公務員なのにガラが悪くて」

「い、いえいえ……。どういたしまして……?」

「それで、あなた方は?」

 戸惑いつつもとりあえず当たり障りのない答を返す詠見の隣で、琮馬がおっとりと問いかける。それを聞くなり、眼鏡の女子はハッと顔を上げ、「申し遅れました!」とまた頭を下げた。

「わたし、京都市役所環境福祉局いきいき生活安全課――通称『陰陽おんみょう課』の主事補、火乃宮ひのみや祈里いのりと申します。こちらが同じく陰陽課の主任で、京都市の公認陰陽師の」

五行ごぎょう春明はるあきだ」


[※火乃宮祈里:メディアワークス文庫刊「お世話になっております。陰陽課です」に登場。京都の街で人間に交じって生きる妖怪たちのための部署、通称「陰陽課」の新人職員(配属二年目)。頭が硬く真面目で元気で順法精神が強い。好きな言葉は「全体の奉仕者」]


[※五行春明:メディアワークス文庫刊「お世話になっております。陰陽課です」に登場。平安時代以来、名前や身分を変えながら京都の霊的治安を守り続けている、京都唯一の公認陰陽師。人間ではない。京都の怪異や霊に詳しく、顔も広い。陰陽術の腕は良いがガラが悪い]


 祈里と名乗った女子の自己紹介を受け、腕を組んだ銀髪の青年がぶっきらぼうに言い放つ。陰陽課に公認陰陽師? 聞き慣れない名称に詠見と琮馬は思わず顔を見合わせた。

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