数える意味

 ルーシーは、いや、明良は、泣き叫ぶ母を宥めていた。

 母は、自転車の事故で、子を失った。

 加害者もまた、中学生の子供。葬儀に参列をしようとして母が出席を断っていた家族連れがいたから、おそらく、あれがそうだったのだろう。


「息子は、何か悪いことをしたのでしょうか、福田さん。息子は、ただ買い物をしに出かけただけなんです。それなのに、こんな」

 父親が、よさないか、と言っても、母は聞かない。

「どうやって、あの子の死を受け入れればいいの。どうやって、あの子を轢いた子を許せばいいの」

 父親は、返す言葉がなく、それきり黙ってしまった。


「相手の子が死にでもしない限り、許すことなんてできない。うちの子を殺しておいて、よくも葬式になんて来れたものよ」

 子を失い、悲しむ母の顔に、夜叉の影がよぎった。

「おい、滅多なことを言うな。彼が、わざとやったわけじゃないんだぞ」

「あなたは、誰の味方?あの子の死が、悲しくはないの」

 明良は、心のそこから悲しみを汲もうとする良心的なスタッフの顔で、

「心中、お察しして余りあります。お辛いことと思います」

 と言って深く一礼をし、退室しようとした。


「福田さん。申し訳ありません。妻は、動転してしまっているのです。この度は、ありがとうございました」

「滅相もございません。では、これにて」

 控室の引き戸に、手をかける。

「あんたの恨み、買ってやるよ」

 そう、呟いて。

「え?」

 という顔をして、母は顔を上げた。そこには、親切で気のつく信頼できる葬儀社のスタッフの顔があった。

「四十九日のご法要の段取りなど、のちほど別の者が説明に参ります」

「そうですか、ありがとうございました」

「どうぞ、お嘆きのあまり、お体に障られませんよう」


 この場合において、葬儀社のスタッフというものは、遺族より先に退出することはない。

 だが、明良は、先に退出した。

 彼には、別の仕事があるからだ。



「あんた、恨みを、買っているな」

 次の夜、少年の前方の影に、ルーシーは立った。それだけで、少年は、何のことかを察したらしい。

「ごめんなさい」

 ルーシーは、答えない。

「ごめんなさい。許して下さい」


 少年の本能が、危機を告げる。しかし、身体は動かない。

「急に、通りの角から、あの子が」

 ルーシーと少年の距離が、詰まってゆく。影の中から、少年の立つ光の中へ、ルーシーの身が滲み出た。

「避けようがなかったんです。ほんとうです。ごめんなさい」

 重なった。

 ルーシーの表情が、少年に見えた。

 そして通り過ぎ、離れた。

 離れてゆけばゆくほど、手にべっとりとこびりついた温かなものが、冷えていった。



「あんまり、いい気分じゃないな」

 伸である。あれから、ややルーシーに怯えているが、ルーシーはいつも通りだし、伸もいつも通り、ルーシーの手伝いをしている。

 コンビニの弁当を広げ、ぬるい漬物を口に運んだ。


「あんた、好き嫌いとか、無いの」

「無い」

 伸も、同じ漬物を食べた。

「何故、そんなことを聞く」

「いや、俺、あんたのこと、何にも知らないから」

「知って、どうする」

「いや、変な意味じゃない。これだけ一緒にいるから、なんとなく気になって」

「──そうか」

「ごめん、言いたくなければ、いい」

「好き嫌いは、特にない」

「いいね。健康的だ」

「何を食っても、同じ味がする」

「味が、分からないのか?」

「同じなんだ」

 何の味がするのか伸は一瞬考えて、気分が悪くなりそうなのですぐにやめた。


「言いたくなければいい。あんた、誰なの?」

 ルーシーは、答えない。漬物を噛む音だけが、下らないテレビの声に混ざってゆく。

「俺の姉貴を殺した奴をあんたが殺せば、俺たちももう会わなくなるのかな」


「俺は、誰でもない」

 ルーシーが、伸のはじめの質問に答えた。伸は、意外だという顔をした。

「俺は、既に死んでいる。だから、誰でもない」

「ははっ、珍しいな、冗談か。死んだ奴が、人を殺すのか」

「そうだ」

 ルーシーの箸が、止まった。

 彼の眼には、ある光景が浮かんでいる。


 

 いくつもの笑い声が、聞こえる。

 その眼が、見下ろしてくる。

 体中を襲う痛み。

 一人が、そばに屈み込む。

 耳元で、何かを囁く。

 また痛み。

 そして笑い声。

 ──おい、こいつら、死んだんじゃねぇのか。

 ──やり過ぎだ。

 ──どうする。

 ──河に、捨てよう。


 水の音。

 ふわふわと浮かび、引きずり込まれるように沈み、また浮かぶ。



 浮かんだルーシーは、伸の部屋にいる。

 漬物から唐揚げに伸びようとして止まっていた箸を、再び動かす。

「俺のは、見つかっていない」

「なに?」

「いや」

 ルーシーはそこで話をやめ、唐揚げを口に入れた。


 脂の滲み出る感覚。

 濃すぎる塩味えんみ

 そこまでは、分かる。

 そこで唐揚げの味はぷつりと途切れ、遠い記憶の中のそれを探り当てる動作を脳が始めるのだ。

 味覚とは、塩味、酸味、などのことで、我々が「味」と表現するものの多くは嗅覚に頼るところが大きい。だから、ルーシーは、味覚というよりは嗅覚が効かないのかもしれない。


「ルーシー」

 顔色を伺うよにして伸が言う。今日は、やけに多弁である。

「怒らないでくれよ。俺、だんだん、怖くなってきた」

 伸はルーシーを少なからず信頼している。信用はしていない。だから、自分の感情のことを話した。


「怖いとは、何が」

「人殺しさ」

 ルーシーは、逆である。伸を信用してはいる。それゆえ、自分の仕事を手伝わせている。しかし、信頼はしていない。だから、コミュニケーションをする必要を感じないのだろう。


「人殺しが、怖い?」

「そうさ。人が死ぬというのは、大変なことだろう。それを、俺たちが決めてもいいものか、って。こないだ、俺が襲われたことがあったろ。あれは、あんたがした殺しが生んだ、新しい恨みなんじゃ?」

 ルーシーは、米を口に運ぶ。長くは噛まず、ペットボトルの茶で流し込むのがいつもの癖だ。


「なあ、ルーシー。人の恨みを晴らしても、恨みは減らないのかな。別の恨みに変わって、やがて俺たちに襲いかかってくるんじゃないのかな。もしかして、この世にある恨みの量は、神様か何かが初めから決めていて、一つ消える度にリサイクルされて、また使われるのかな」

 そのようなことに、ルーシーが答えるはずはない。伸は、独り言のつもりで言った。


 ペットボトルが汚れたテーブルに置かれた。

「──っている」

 ルーシーは、伸の呟きに呟きで答えた。

「なに?」

「知っている。知っていて、やっている」

 殺しを、である。

「どうして。あんたは、怖くないのかよ」

「別に怖くはない。それに、俺たち、と言うのはよせ」

 伸が怪訝な顔をする。

「殺すかどうか決めるのは俺。殺すのも、俺。お前は、ただインターネットで俺の知りたいことを調べていればいい」

 伸は、ルーシーに突き放されたような気がして少し残念であったが、同時に、ちょっと首を傾げたいような気分であった。


 優しさ?いや、違う。ルーシーに、欠片でも優しさがあるなら、人を殺したりできるはずがない。


 先程の口ぶりからは、ルーシーは、わざと、この修羅のようなわざから伸を遠ざけようとしたようにも思える。

 ルーシーが殺す対象の住所などを特定し、情報を与えればそれは立派な殺人幇助である。もし、ルーシーが捕まれば、伸もただでは済まない。二人はよほど上手くやっているのか、今のところ警察には目を付けられていないが、それがいつまで続くかも分からない。


 ルーシーは、これだけ多くの人を手にかけているから、まず極刑は免れまい。その場合ならば、公訴時効はない。命ある限り、ルーシーは裁かれるのだ。

 それとはまた別の概念的な部分において、ルーシーの罪は消えない。たとえ、彼が死のうとも。


 だから、彼は、数えるのだ。

 数えて、積み上げて、その先にどうするのかは、今はまだ見えてはこない。


「だから、お前がそれを考える意味がない」

 ルーシーは、自分の他に伸しかいない部屋で、そう言った。

 あとは、半分ほど食った弁当の残りを、容器ごとコンビニの袋に放り込む音。

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