砦のダンジョン その10

 聖女は揺り籠のような優しい微睡の中で夢を見ていた。


 とても素敵な夢だった。メルティがヴィデオという物を見せてくれたのだ。

 それは時間を切り取って保存し、好きな時に過去の出来事を映し出して鑑賞することの出来るという素晴らしい道具。

 

 過去の映像……宙に映し出されたのは地下ダンジョンに訓練で入って来たと思われる女戦士達だった。全員がピッチリとした上着やズボンを着け、手には棒状の武器らしきものを持っていた。それぞれ種族や肌の色は違うが、映っている彼女達には共通していることがあった。


 全員が鍛え上げられた素晴らしい肉体をしていたのだ。


 武器を振るたびに盛り上る上腕二頭筋や大腿四頭筋。

 力を入れるとほんのりと背中に浮き出る僧帽筋や広背筋。

 全員が本当に、本当に素晴らしい筋肉だった。聖女の鼓動は知らず知らずにのうちに高鳴り、体が震え血が沸騰しそうなほどの激しい興奮を覚えた。


 そして何よりも、聖女が一番魅力的と感じる部位、六つに割れた……。


 突然、聖女は自らの顔に異変を感じた。何か熱く赤い液体が凄まじい勢いで噴き出していくのだ。急速に意識が遠のいていく……。


『う、嘘! ク、クロエ! これは貴女のコレクション・・・・・・・・・の中では大したことの無い方でしょう? いくら久しぶりとはいえ興奮しすぎではないかしらっ!?』


 ――たいへん素敵な腹筋でした私は幸福な気分です。


 聖女モーリィは最後に、メルティの悲鳴と誰かの声を聞いた。


 ――――――


「ありがとうお母さんっ!」


 モーリィは謎の言葉を口走りながら目を覚ます。豊かな胸の谷間から驚いた顔で見下ろすフランと目が合った。


「あ、あれ……フランさん?」

「え、ええ……大丈夫ですかモーリィさん……その、色々な意味で?」


 ソファーに寝かせられていた。良い匂いに後頭部には柔らかいが芯のある感覚。どうやらフランが膝枕をしていてくれたらしい、モーリィの額の上に優しく乗せられた手の平は柔らかいのに適度に硬く、まるで母の手のようだ。


 それと顔に当たったフランの服越しでもわかる胸部装甲と、プニプニすぎるお腹も母のようであった。


「クロエ~この女達が虐めるのよ~助けてぇ~」


 メルティの助けを求める、しかし緊迫感のない声が聞こえた。


 モーリィが膝枕されたまま顔だけ横にして見たのは、影のような不思議な紐に体中をグルグル巻きにされ床に座らされているメルティと、その周りを腕組みしながら取り囲むミレーと女騎士の四人だった。モーリィは吃驚してしまう。


 幼い獣人少女と、それを取り囲む武装した怖いお姉さんの図だったからだ。


「メルティ! ちょ、ちょっと皆さん止めてくださいっ!」


 モーリィはフランの太ももから頭を起こしソファーから立ち上がった。その途端に酷い目眩を起こして床に膝をつき座り込んでしまう。フランが慌てて体を支え、それを見たミレーが悲鳴を上げた。


「モ、モーリィ! まだ動いちゃダメよ! この女にチューチュー血を吸われて、危ないところだったのよ!?」

「へっ……血を吸われて? は、はい?」


 貧血の症状……心当たりのあるモーリィの鼻は酷くムズムズした。


「だーかーらー! それは誤解だと先程から説明しているでしょうに、この小娘!」

「誰が小娘よ! この小娘っ! それに嬉しそうにペロペロしていたじゃないペロペロとっ! 羨ま……汚らわしいっ!」

「そ、それは……わ、私の舌を通してクロエに治癒用のナノマシンを送り込んでいたのよ。決してやましい気持ちがあったわけではないわ……」

「嘘つきっ! この変質者っ! 意味わからないこと言わないでよっ!!」

「へ、へん、なんですってっ、こ、この小娘がぁっ!!」


 腰に手を当てたミレーと縛られたままのメルティが、言葉途切させることなく顔を突き合わせて言い争っていた。疲れたような女騎士達の様子から察するに長いこと口論を繰り返しているのだろう。ポンポンと返されるその応酬に、傍目だと喧嘩するほど仲の良い姉妹のようにしか見えない。

 

「あの、取りあえず私から全て説明しますので、メルティを解放してもらえますか? 彼女は決して危険な存在ではありません私が保証します」


◇◇◇◇◇◇


 影さんから解放されたメルティが指を鳴らすと、ソファーが消え大部屋に人数分の椅子とテーブルがどこからともなく現れた。その光景にモーリィとメルティ以外の全員が驚きの表情を浮かべる、魔力や魔術的な反応が全くなかったからだ。


「進んだ技術は魔術と変わらないらしいよ?」


 ミレーが口を小さく開けて呆然としているので、モーリィはそう伝えてメルティに視線を向けると彼女は年不相応な大人びた表情で笑う。ミレーは頬をプクッと膨らませてドレスに戻っていた影さんに慰められていた。


 モーリィの両脇には当然のようにミレーとメルティが椅子に腰を下ろし火花を散らす。聖女にその状況を楽しめるような特殊な感性や精神性などは勿論ない。


 全員が椅子に座ったところで、モーリィはこの部屋に飛ばされてからの経緯を簡単に説明する。ただ最後に意識を失ったところだけは濁した。あの恥ずべき出来事は言えない、封印である。


 テーブルにはいつの間にか人数分のケーキとお茶が置かれていた。


 驚きの声はもう無く、ここまで来ると全員がそういうものだと受け入れた。非日常が日常の砦街住人の適応能力は非常に高い。喉が渇いていたモーリィも、ありがたくお茶を頂くことにした。


 贅を凝らしたような作りのケーキと薫りだけで高級品とわかるお茶。食器が小さく鳴る音だけが聞こえる、美味しすぎる甘味に誰もが黙々と食べていた。


「ケーキのお代わりはいかがかしら?」


 メルティが鈴の鳴るような声で聞いてくる。ミレー以外の全員がお代わりを頼むことにした。エルフのフランなどはブンブンと頭を振って頷いている、彼女のお腹は順調に育っていて、エルフ種族という高スペックな体でも、誤魔化しきれなくなるのはそう遠い未来ではなさそうだ。


 ミレーは意地と甘美の狭間で迷っているらしく苦悶の表情を浮かべていたが、メルティは全員分・・・のケーキを出してくれた。


「ケ、ケーキ……ありがとう」

「くふふ、どういたしまして」


 ニヤニヤっと笑うメルティにぐぬぬという感じでケーキをフォークで崩すミレー。それでもお礼はちゃんと言える良い娘である。自分の分のケーキをミレーに分けようかと考えていたモーリィはそのやり取りにクスリと微笑んだ。


 その後、五個目のケーキを食べながらフランがメルティに質問をしていた。


 モーリィが気を失っている間にダンジョンについての説明などは聞いていたらしく、それ以外の外の世界の技術がどうとか、今の魔術主体の精神特化型の文明だと光る壁を作るのに、四千年は掛かる云々などという話をしている。


 モーリィの視線が隣に座るミレーに、正確には彼女が纏うドレスと、その背後でクラゲのように宙を漂う影さんに向けられた。


「彼女は影さんよっ!」


 まったり幸せそうにお茶を飲んでたミレーが薄い胸をはって答えた。彼女の後ろにいた人の形の影……影さんも同じように胸をはっていた。二人ともそこはかとなく誇らしげである。


 モーリィは何となく通じているけど通じていない感じがしたので、話が一段落付いたらしいフランにも質問してみることにした。


「ええっと……影さんですか? 私の従姉・・がドレスに封じ込めた……ある種の召喚魔獣のようなものと思っていただければ」

「召喚魔獣……私が着ていたドレスにですよね?」

「はい、本当はモーリィさんの身に危険が迫った際の保険として着てもらっていたのですが、まさか体だけを転移させられるなんて想像もしていませんでしたよ」

「そうそう。凄い心配したんだから」

「うん……心配かけてごめんねミレー」

「ううん、いいの、モーリィが無事で良かった」


 ミレーはモーリィの肩に手を置くと、彼女越しに反対側に座るメルティを軽く睨みつける。


「それに悪いのは全部そこの女だからね!」

「あら、酷い言い草ね?」

「実際に本当のことじゃない!」

「くふふ、私はすっかり悪者ね、困ったわ」

「ミレーいくら何でも言い過ぎ、メルティに失礼だよ」

「う……だって、モーリィ」


 苦笑しながらも宥めるモーリィに、ミレーはバツの悪そうな顔をした。

 そんな二人を見ていたメルティの長い獣耳と目じりが僅かに下がる。その顔は遠くを見るような、懐かしいものを見るような優しいものであった。


「ごめんなさい……謝るわメルティ」

「いいのよ気にしていないわ……それに貴女の言うとおり非は私にあるのだから」

「何のことですメルティ?」

「このシェルター……ダンジョンにクロエが入ったのを確認してから、機能が全て活性化し、眠りについていた私が目覚めるように設定されていたのよ」


 彼女はテーブルにつく全員の姿をゆっくりと眺めていく。


「時間がなかった……私にはクロエがここに来るのを待っている時間がなかったの」

「メルティ……時間って?」

「……強制的にクロエを転移させてしまったことを許して」


 メルティはモーリィの質問には答えず、ただ謝罪をした。


 全員が沈黙する。彼女がどのような気持ちで眠りについたのかはこの場の誰にも分からない。悲し気な様子からはクロエという人物に対しての並々ならぬ思いがある事は理解できた。先程まで噛みついていたミレーですら同情するような顔だった。


「あの、大丈夫ですよメルティ。結果的にみんなこうして無事なんですから」

「ありがとうクロエ……あっ! そういえば機械式の転移装置のことでも貴女に謝らなければいけないわね」

「機械式? なんですか?」


 メルティは本当に申し訳なさそうな顔になると再びモーリィに謝罪した。


「転移させるのに以前残っていたクロエの生体データをそのまま使用したのだけど、どうにも誤差があったらしく、そのせいで悪酔いさせてしまったみたいなの本当にごめんなさいね」

「えーと、よく分かりませんがそれも大丈夫です。体調ならもう問題ないし……あ、そういえば衣服とかを転移出来なかったのもそのせいですか?」

「ああ、それは私が、貴女の生まれたままの美しい姿を見たかっただけで……いえ、違うわ。ええ、機械の不調、その通りなのよクロエ?」

「……………………」

「ああ、ほら、クロエ、皆も他に何か質問はないかしらっ!?」


 全員の何とも生ぬるい視線がメルティに絡みつき、彼女はうろたえる。


 腕を伸ばした影さんが、メルティの肩を叩きながら頭を左右に振っていた。優秀な影さんは皆の気持ちを代弁してくれているようだ。モーリィはため息をつく。


 ――自分の周りには何で残念な女性が多いのだろうか?


 話し合いは終わり、モーリィ達は今度こそ地下ダンジョンから出ることになった。この時、獣人少女の微笑に僅かな陰りがあったことを誰も気づくことはなかった。


 ◇◇◇◇◇◇


 一行は機械式の転移装置を使い第一階層まで転移。

 メルティを入れた七人で出口を目指し歩いていた。


「この階層の魔物は出ないように制御済みよ。警戒しなくても問題はないわ」


 メルティの言葉に斥候を務める女騎士ドライツェーンは頷くと短剣をしまい、索敵移動をやめて普通に歩き出す。その後ろにミレーとツヴァイの順で続くがこれにはわけがあった。


『モ、モーリィなにその格好っ!!』


 いざ帰りましょうかで全員立ち上がったら、いきなりミレーが奇声を上げだしたのだ。キャーキャーだったかオフフフッだったかは本人の名誉のために伏せておくが、彼女が叫び出したのはモーリィのドレスが原因。上はともかく下は太ももの中程しかないフレアスカートだったからだ。


 自らも人前に出るには難のある格好であることに改めて気づき、頬を染め慌てて太ももを手で覆い隠そうとするモーリィと、その恥らう姿に激しく興奮した様子のミレーさん。指摘しなければ少し抜け気味の聖女はそのままトコトコ歩いたのに。


 ミレーはメルティとの張り合いに夢中で今まで気づいていなかった。

 本当に今回の彼女は主人公体質である。


 女騎士達はそのことには気づいていた。しかし玄人である彼女達はその程度のことで騒ぐような軽い感性は持ち合わせてはいない。モーリィの看病をしていたフランも当然気づいていた。しかし彼女は指摘どころか盛大な勘違いを炸裂させた。


 ――今の若い子の間ではこの短さのスカートが流行っているのかしら? わ、私も頑張ればいけるかもしれませんね……!!


 斜め方向の解釈だった。第五騎士隊隊長フランのムチムチなミニスカート姿。

 喜ぶ者は多いだろうが、その結果今まで積み上げてきた彼女の信頼の消失と割に合うのかは不明である。


 ちなみに彼女は、知り合いの魔族女性に井戸端会議に着ていけるフォーマルな服を聞かれて、流行遅れふだんぎババ服を貸し出した前科持ちだった。


 砦街のフランシス女史は家事が苦手だが衣服関連も苦手な女子である。


 ともあれモーリィのスカートが短すぎた結果、胸の中で燻っていた冒険心的な何かを完全燃焼させてしまったミレーがスカートを捲ってこようとするのだ。


 モーリィとしては、あの高貴そうな勝負下着を見られたら一生モノの恥辱である。


 背嚢の中からズボンを取り出そうとしたら、ミレーが背嚢ごと奪い走り去ってしまう。追いかける訳にもいかず、それを見送る困り顔のモーリィの頭を撫でてくれたのは女騎士ツヴァイ。聖女は少しだけ乙女メスの顔になった。


 何の解決にもならなかったので、メルティに他に衣装がないのか聞いてみれば。


「あら、くふふ、女の子は見られて綺麗になるのよ? 今のクロエはそういう部分が薄いみたいだからいい機会だわ」


 けんもほろろである……ちなみに彼女はモーリィと同じような形状のドレスだが胸をはって女性らしく堂々と歩いていた。女子としての年季が違う。

 

 妥協案としてミレーには先に行ってもらった。


 捲れないようにスカートの前を押さえながら小さい歩幅で赤面して歩くモーリィ。チラチラと肉食獣のような目で肩越しに見るミレーと、それらを見ながら微笑み横を歩くメルティ、フランはブツブツと何か考え事をしているようである。

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