砦のダンジョン その2

 モーリィは結界を抜けて地下ダンジョンの中に入ることが出来た。


 他の者も試したが結界を通り抜けられる者はいなかった。

 何故モーリィだけが結界を通り抜けることが出来たのか、聖女というクラス以外にこれといった理由は見当たらない。


 モーリィに協力してもらい、結界の壁の調査を行った結果いくつか判明したことがあった。


 ・モーリィと手をつないだ状態なら結界を通り抜けることが出来る。

 ・ただし入ることが出来るのは女のみで、男は結界の壁ではじかれる。

 ・入る最大人数も決まっており、モーリィを含めた女性六人までである。


 地下ダンジョンには女しか入ることの出来ない特殊な結界が張られており、探索を行えるのも女のみであった。


 女のみでの限定された戦力。


 この国で、下手をしたら周辺諸国の中でも砦街に集まっている女性陣以上の面子を望むのは難しいだろうという、丁度良いのか悪いのか判断のつかない結論に達してしまった。

 戦力を底上げしている最大の要因は、体格のいい騎士達を片手で吊り上げることの出来る女騎士ごりら達。そのまま腹パンしつけしている光景は砦では比較的よく見かける日常だ。


 まずは女のみで内部の調査から始めることになった。


 その日は夕刻も近く、碌に準備もされてない状態で調査に入るのは危険である。万全な体勢を整えるためにも翌日に繰り越されることとなった。


 ◇◇◇◇◇◇


 モーリィは結界の調査のあと、特別に騎士宿舎の共同風呂を貸してもらえることになった。手ぬぐいである程度拭いていたが、髪や衣服の中にまで入り込んだ泥を取るためには全身を洗う必要があったのだ。 


 共同風呂の入り口にはルドルフとライトが見張りに立っている。

 外にも女騎士達が巡回して騎士達が覗かないように鉄壁な警戒網を構築していた。


 すでに何人かの騎士さるが拘束され転がされていた。いつもなら裏池に沈められるはずだが現在は水を抜いている。恐らく砦内の高所から紐なしバンジーをやらされるのではないだろうか?


 女の城である特別宿舎と違い、騎士宿舎の共同風呂は毎日湯を沸かしていた。


 これは周辺警戒任務の騎士のためで、危険な魔獣を発見した際はそのまま戦闘になることが多いのだが、状況によっては先手を取れないと命に関わる危険性がある。彼らは風下から近寄るという基本戦術のほかに、体臭などにも出来る限り気を使っていた。


 そのような理由から周辺警戒任務中の騎士は毎日風呂に入るのだが、水風呂で体調を崩され任務に支障が出ると困るということで湯を沸かしている。しかし砦の騎士が風邪を引くようには思えない。

 実際の理由は冷たい水風呂だと周辺警戒任務中以外は、まともに身を清めないような物臭ぶたばかりなので衛生面くさいから湯を沸かしているのだ。


 男所帯ぶたごやとはよく言ったものである。


 モーリィは湯をかぶり体を手早く洗う。隅々まで洗わなくてはいけなくなったので、熱い湯を使えるのはとても有り難かった。


 地下ダンジョンの結界調査を長時間行ったせいか、髪に粘土質で砂っぽい泥が所々こびりつき中々取れない、耳元や胸の周辺も泥が凄かった。

 脱衣所で服を脱いだ際に、胸の谷間から大量の泥が床に落ちたのを見て何故かツボにはまってしまい、モーリィはしばらくお腹を押さえて一人で笑っていた。


 そして床に落ちた泥を一人で掃除しながらひどく落ち込んだ。


 お湯を何度もかぶり、苦労して体の泥を全て洗い流し終える。

 騎士宿舎の湯船は大人数で使うためかなりの広さがある。

 特別宿舎の湯船より遥かに大きい湯船は独り占めしたらさぞかし気分がいいだろう。


 迷ったが湯船には入らずに直ぐ風呂を出ることにした。


 そろそろ外回りの騎士達が戻って来る時間、しかしモーリィがここにいると騎士達は入浴出来なくなるからだ。

 髪の毛の水分を絞り、体を拭いて脱衣所に向かうと換えの衣服が置いてあった。先ほど女騎士が脱衣所まで持って来てくれた物だった。


 衣服を手に取ってみると男物でかなり大きい丈。ここから特別宿舎のモーリィの部屋までは距離がある、騎士から衣服を借りてくれたのだろう。


 衣服を鼻に近づけるとモーリィはクンクンと匂いを嗅ぐ。


 これといって匂いはしない。どうにも最近の彼女は、鼻が前より鋭敏になっているせいか物の匂いを嗅ぐのが癖になっていた。


 そういえばと思い出すモーリィ。


 田舎の母親も取り込んだ洗濯物でよくやっていた。

 年に一回、遠方から家に訪ねてくる伯母と従姉も似たようなことをしていた。

 ひょっとして白銀髪一族の女性共通の癖なのだろうか?


 モーリィは考えながら更に昔のことを思い出す。



 幼い頃のこと……家の中で白銀髪の女性達が揃って、長期放置されたチーズをお皿に乗せて持ち上げ囲み犬のように匂いをクンクン。


『うーん、ねえ二人とも、これはまだいけると思うかしら?』

『どうかしら、姉さん、ここは一つ試してみましょうか?』

『お母様、叔母様、少し危なそうですけど、いけますわ!!』


 白銀髪の女性達の様子は正直かなりみっとも無いものがあった。

 ああはなるまいと幼心にモーリィは思ったものだ。食い意地の張った彼女達は美味しい美味しいと言いながらワイン片手にチーズをパクパクと食べてしまった。


 そのすぐ後、三人の白銀髪の女性達はお腹を下しモーリィと父が看病をした。



 男物の衣服を着ることには何も問題はなかった。

 それはモーリィが聖女になってからも、男時代の衣服をターニャに仕立て直してもらい着ているからだ。むしろ女物の衣服を渡されるほうが困る。


 下穿きの下着はそれほど泥に濡れてなかったのでそのまま履いたが、胸当ての下着は泥まみれで着けられそうになかったので彼女は諦めた。


 長袖は大きく袖や横幅も余り膝上まで隠れるほどの丈がある。

 ズボンにも足を通してみたが大きすぎてかなり捲くらないと歩けそうにない、上手く着れないか試してみたが、紐でしばってもずり落ちてしまった。


 時間だけ無駄に過ぎる。諦めて長袖だけ着て共同風呂から出ることにした。

 どちらにしろ一回自室に戻らなくてはいけない、この格好は小さい女の子のスカートみたいだが、特別宿舎まで歩く程度なら問題はないだろう。


 そんな風に気軽に考えていたが、傍目にかなり扇情的な姿であることをモーリィは気づいていなかった。

 男の頃のモーリィならもっと人の目に注意を払っていただろう。

 しかし聖女になり女騎士の護衛がつくと、悪い虫は寄ってくる前に叩き潰され、皮肉なことに女になってからの方が警戒心は薄くなっていたのだ。


 モーリィに女性的な感性……女性的な羞恥心が全くといっていいほど育っていなかった。不幸なことに彼女の周囲には、普通の女性として参考になる人はターニャ以外には誰も存在しなかったのである。


 荷物をまとめたモーリィは脱衣所を出てから短い通路を歩く。扉のない共同風呂の入り口を、塞ぐように横並びで立つルドルフとライトの広く分厚い背中が見えた。


 モーリィは少し観察する。


 口数が多いほうではない二人の男はポツリポツリと話をしていた。非常に穏やかな空気、落ち着いた大人の男同士の雰囲気、何だか羨ましいと彼女は感じた。


 お喋りなモーリィにはこの雰囲気を作り出すのは難しいだろう。

 

「すいません、お待たせしました」


 モーリィは二人の後ろから声を掛ける。

 会話を遮るようで迷ったが、ぼーと見ているわけにもいかない。


「ああ、早かったなモーリィ、もっとゆっくり入っても……」

「いえ、全然待っていませんよ、むしろ、早すぎるので……」


 二人の騎士は同時に振り返り、そして同時に驚愕。

 聖女モーリィが男物の長袖一枚しかつけていなかったからだ。


 いつもとは違い、首元でしばらず流したままの絹糸のような白銀色の髪。

 薄く染まった顔と細く華奢な首筋や鎖骨は美しい。

 大きい長袖から伸びる、膝から下のほっそりとした白い足は眩しく。

 袖から指先しか出ていないのも、男の庇護欲を誘い地味に破壊力が高い。


 湯上りであることも加わって、何とも言えない清楚な色気があった。


 ライトは慌ててモーリィに背中を向けた。

 ルドルフは片手の平で顔を覆うと天井を見上げた。


 そんな二人の様子を見てモーリィは疑問を浮かべる。


「二人ともどうしたのですか?」

「いや、どうしたってモーリィ……お前な」

「…………?」


 天井を仰いだままのルドルフは困った声。

 ライトは背を向け黙ったままである。

 二人とも煮え切らない態度だった。


 モーリィはライトに近づき彼の肩に手を乗せると、横から前にひょいと上半身だけ乗り出すように回り込んだ。以前の看病で彼の体にはよく触れていたので、その気軽さで手を置いてしまう、うつむくライトの顔は真っ赤だった。


「ライトさん、体調でも悪いのですか?」


 心配げな声と肩に乗せられる手の感触とその心地よい重さ。そして風呂上りの女性特有のとても良い匂いに、ライトは思わずモーリィを見てしまった。

 モーリィが着ている長袖の首元が垂れさがり、彼女の豊満な胸の谷間がいい感じでのぞかせていた。モーリィは長袖のボタンを締めていなかったのだ。


 ライトは無表情になると拳を振り上げる。

 そして彼自身・・・を強打した。


「ぐおあああああああああああああああっっっ!!」

「ラ、ライトさん!?」


 モーリィは突然のライトの凶行に吃驚。

 いつもは感情をあまり表に出さないルドルフさえも表情を歪めた。


 股間を押さえ膝からゆっくりと前のめりに崩れ落ちるライト。

 以前見たモーリィの生たわわを思い出して危うく知能を失いかけた彼は、最適行動を無意識に導き出してためらうことなく実行したのだ。


 もちろん、そのような事情はモーリィには分からない。


 ライトのあまりにも凄惨な有様に、彼女は心の中で悲鳴をあげた。

 彼はいきなり自らのナニを自らの手で殴ったのだ。

 モーリィのナニもないはずの股間がキュとなる。

 傍で見てても滅茶苦茶に痛そうだった。いいや確実に痛いだろう、元男であるモーリィにはそれが痛いほどよく分かる。


 モーリィは蹲り脂汗を流すライトの真横に急いで膝立ちで座る。

 彼女は彼の腰を後ろから優しくポンポンと叩きながら、持っていた手拭で額の汗をぬぐってあげた。焦りのあまり聖女の力を使うことすら思いつかない。


 生まれつきモーリィが女なら気づいたかもしれない。しかしその場合は長袖一枚で人前に出ることはなく、悲劇自体が起きなかっただろう。


 二人の様子を見ていたルドルフは、なぜライトがこのような行為に及んだのか騎士として、同じ男として理解出来てしまう。しかしあまり口が上手くない彼はどのようにモーリィに説明すればいいのか迷っていた。


 ルドルフが躊躇している間に第二の悲劇が起きた。


 ある程度痛みの引いたライトは、股間を強打した男が望む介抱の仕方をしてくれる、女神のようなモーリィの存在があまりにもありがたく、蹲ったまま下から見あげてしまう。


 腰を浮かせ膝立ち座りするモーリィの長袖の裾がまくれていた。

 見えたのは白く柔らかそうな太腿と、その付け根をおおう白い下着……。


 ライトは上半身を起こすと、振り上げ組んだ両こぶしでを強打した。


「があああああああああああああああああぁぁぁぁ!!」

「ひええぇぇぇぇぇぇぇ!?」


 モーリィは両腕を万歳させると声に出して悲鳴をあげた。

 ナニもないはずの股間とお尻までもがキュとなった。

 股間を押さえて転がりながら獣のように呻き悶絶するライト。

 そんな彼にどう接すればいいのか分からず、あわあわと狼狽する聖女。


 ルドルフはモーリィの腕を掴み立たせると通路の端にまで連れて行った。


「え、あ、あの、ルドルフさん? ライトさんが、あのままでは!?」


 治療行為に関して豊富な経験を持ち肝が据わっているはずのモーリィが、珍しく慌てた様子でキョロキョロとしている。

 突然正気を失ったと思えるライトの行動に混乱しているようだ。

 正直言うとルドルフもかなり混乱していたのだが、自分より更に混乱している者がいると冷静になれるというアレな状態だった。


「あー、モーリィ」

「は、はい?」


 ルドルフには何を言えばいいのかやはり上手いこと考えつかない。


 こんな時は口から先に生まれてきたような幼馴染トーマスにいて欲しいと思った。

 しかし、そうすると余計に収集がつかなくなる可能性のほうが高いのではないだろうか。いや、むしろトーマスは喜んで場を掻き乱すだろう。

 

 ルドルフは何故あの男と親友をやっているのか、よく分からなくなってきた。


「あー、たとえばだ? 男だった頃に、お前が聖女になる前に、ミレーに、目の前に、今着ているような格好で立たれていたら、お前はどう感じたと思う?」

「え…………?」


 ルドルフの上手くはないが、一言一言を確かめるような説明にモーリィは自分の姿を見下ろす。


 長袖の胸元からのぞく胸の谷間に、裾がまくれて見える太腿。


 ルドルフの言いたいことを、水が布にしみこむように理解した。

 何故、騎士ライトが狂ったような自傷行為を繰り返したのか理解してしまった。


 ――つまりライト・ウォーカーはわたし・・・に対して欲情をしていた? 


 モーリィの頬が一瞬で真っ赤になった。

 彼女は悲鳴をあげ脱衣所に逃げ込んでしまう。

 

 それを見送ったルドルフはため息をつき、ピクリとも動かなくなったライトを診てやることにした。

 真面目すぎるのも考え物だ……そんな自身の性格を棚に上げるようなことを考えながら。


 その日、聖女モーリィは生まれて初めて女としての羞恥心を学んだのである。

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