探し人 その2

 騎士たちは来た道を戻った。


 いまだ深い闇の森の中。


 騎士たちが普通に歩けば森の外までは半日程度だが、あくまで彼らのみでの場合だ。

 今は拾い物のお荷物がいるので、魔獣の横を鼻歌交じりに通り抜ける芸当などは不可能となっている。

 例え時間がいくら掛かったとしても、丁重に一つ一つ根気よく、魔獣の群れをやり過ごしていく必要があった。

 そうしないとあっという間に全滅するだろう。


 魔獣と人族との間には、生き物としてそれ程の差があるのだから。

 

 その道中の途中、魔獣の群に遭遇して隠れているときに、貴族の青年が気絶から目を覚ます。

 魔獣の姿を見て青年が騒ぎ出しそうになるのを、ライトが咄嗟の判断で首に手を回し絞め落として気絶させた。

 この男、緊急時の対応が驚くほどに冷静で正確である。


 ――ハハッ、いいぞっライト!!


 騎士たち全員が素敵な笑顔でサムズアップした。


 そのような喜劇コントを何度も行い、時間を掛け、忍耐強く、慎重に進む。

 そうして、ようやく初めの痕跡を見つけた野営跡まで騎士たちは戻ってきた。


 誰ともなく一斉にため息をつく。


 まだ安全ではないが、ここから先は森の外まで比較的温厚な魔獣の生息地域である。

 見つかれば当然襲い掛かってくるが、最悪食われることはない。

 それにどちらかというと感覚の鈍い種が多いので何とかなるだろう。


「魔獣が来る……こいつは大きいぞ……」


 そう考え、僅かに安堵したのも束の間、斥候を務めていた騎士から接近してくる魔獣の知らせが入る。

 音を聞く限りかなりの大型種らしい。


『グオオオオオオオオオオオオオオオオゥゥゥゥゥゥゥゥ』


 咆哮をあげながら、木々を薙ぎ倒す破壊の音と共に近づいてくる一匹の獣。

 移動速度がやたらと速い。

 今から避けるのは無理だろう。

 そう判断してルドルフが手をあげると、全員が一言も喋らず、申し合わせたように木や岩の影に潜み気配を殺して周囲に溶け込む。


 ルドルフは木の影から接近するモノの姿を確認した。


 それは黄土色をした凶暴で有名な大型魔獣。

 討伐対象の中でも危険度の高い肉食の竜種。

 本来ならばこの周辺にはいないはずの種だった。

 頭部から前に突きでた特徴的な二本角……の筈なのだが一本は中ほどから折れている。

 顎が大きく体は全体的に平らで横に広い。

 硬い鱗の生えた四足の大型獣で前脚は太く長く、成人男性の体より遥かに大きかった。


 体中の鱗が所々剥がれ血が流れ、酷い傷を負っていた。

  

 何モノから逃げてきたのだろうか?

 手負いのせいか酷く興奮気味に移動している。

 太い巨木が乾いた音を立てあっけなく折られ、振動が大地を揺らす。

 逃げだす無数の小動物。

 飛び立つ鳥の騒がしい音と甲高い鳴き声があたりに響いた。 

 暴風のような魔獣に、荒事に慣れている砦の騎士たちとはいえ生きた心地がしない。

 鋭い刃物のような牙や爪はもとより、あの勢いと重量で接触されたら、それだけで命にかかわるだろう。


 岩後に潜んでいたトーマスはルドルフに目で合図する。

 ルドルフがうなずくのを確認すると、腰の革紐のホルダーから術を刻んだ札に手を伸ばし魔力を通す。

 魔術の札がいつでも発動できる待機状態になった。

 トーマスが選んだのは閃光の魔術を放つ札。

 最悪の場合の時間稼ぎにはなるだろう。


 大型魔獣は彼らの潜む手前にくると急に巨体を止めた。

 騎士たち全員に緊張が走る。

 魔獣は潰れたような形状の鼻を大地につけて臭いを嗅いでいる。

 息をのむ騎士たち。

 しばらくすると魔獣は、騎士たちの潜む場所とは違う方向に首を向けて体の向きも変えた。

 そのまま歩きだそうとする魔獣に、騎士たちが緊張を維持したまま安堵したその瞬間。


「う、うわあああああああああああぁぁぁっ!!」


 大型魔獣の動きがぴたりと止まった。

 同時に、騎士たちの視線が一斉に同じ場所を見た。


 それは気絶していたはずの青年貴族の叫び声。


 騎士ライトは極悪と名高い大型魔獣と対峙した緊張で、青年の様子までは見ていなかった。

 失態を犯したライトを責める騎士はもちろんいない。

 目を覚ました青年は、今まで抑えていた恐怖を全て解放するかのように叫びつづける。

 魔獣の扁平な顔が、その細い目が、青年貴族をぎろりと捉えた。

 騎士たちがライトをフォローしようと動きだすより早く、事態は動いた。


「ふんっ!!」


 ライトが青年の首に手を回して絞め落とし再び気絶させた。


「うおおおおおおおおおおおおおっっっ!! こっちをみろろおおおおおおおおおっっ!!」


 そして青年が発した声以上の雄たけびをあげたのだ。

 ライトはその場に青年の体と荷物を落とし、木々の合間から飛びだした。

 予想もしないライトの行動に呆気にとられる騎士たち。


「まじか?」


 トーマスが思わず漏らしたつぶやきが全員の心情を代弁していた。

 ライトは、そのまま騎士たちが潜んでいるのとは反対方向……大型魔獣に向かって駆けだした。


『グアアアアアアアアアアアアアアアア――――!!』


 大型魔獣は自らに近づいてくる者に気づき、咆哮をあげながらライトを叩き潰そうと鋭い爪の生えた前脚を振りおろした。

 ライトはそれが分かっていたかのように前方の地面に飛びこんで、くるりと前回り受け身をしつつ回避する。

 わずかに鎧に掠る爪。

 続く魔獣の逆の前脚を、体を横回転させて当然のように避けるライト。

 地面をごろごろと転がりながら大型魔獣の下を潜り抜けると、大きく平べったい胴体に手をつき勢いよく押して、バネのように立ちあがって巨体の横を駆け抜ける。

 魔獣の大樹のような尻尾が、ライトを跳ね飛ばさんとばかりの凄まじい勢いで、轟音と共に振られた。

 しかし、その上を美しいフォームで飛び超えて手足で着地すると、脇目も振らずにライトは逃走に入ったのだ。


 騎士たち一同ポカーンである。


「何あれ、すげえ?」


 またしてもトーマスが騎士たちの心情を代弁した。

 あまりにも手際の良すぎるアクロバット逃走劇に、正直、なんだかとてもお得なものを見てしまった気分だ。

 騎士たちはお互いの顔を見合わせて、何とも言いようのない引きつった笑いを浮かべた。


 こんなときじゃなかったら拍手喝采していたかもしれない?


 一番早く我に返ったのはルドルフ。

 ライトの逃げていった方向を見ると、大型魔獣も彼を追いかけていったようだ。

 この状況で最も被害を最小限にできる方法……ライトは自分が囮になるつもりだ。

 読み違えたと、ルドルフは思わず舌打ちをした。

 ライトはルドルフが思っていた以上に優秀で勇敢ばかな男だった。


「トーマス、ついて来い! ジョー、お前が班の指揮を頼む。打ち合わせ通りに指定した休憩地点で待機だ。俺たちが合流できない場合でも構わず野営地に帰還してくれ」

「了解だルドルフ! 二人とも幸運を!!」

「あいよ、お前らもなっ!!」


 互いに二本指の騎士敬礼。

 そのまま別れると騎士たちはそれぞれ迅速に行動を開始した。


 ◇

 

 しばらくの時間、二人は無言で駆け走りライトの後を追った。

 先ほどまで聞こえていた大型魔獣の立てる轟音がまったく聞こえない。

 最悪を想定し二人は顔を曇らせる。

 しかし、それからすぐにライトは見つかり、そして生きていた。

 ライトは荒い息を吐きながら地面に片膝をつき、腰から抜いた小剣をその手に持っていた。


 ライトの目の前には血に染まる大型魔獣の亡骸があった。


 アレほど暴力的な生命力を発していた魔獣は、首筋から大量の血を噴水のように噴き出して、あっけなく倒れ伏していたのである。

 二人はその光景に目を疑いライトが倒したのかと思った。

 先ほど見た逃走劇のあまりの鮮やかさに、やつの有能さならあり得なくないかなと考えてしまったのだ。


 いくら何でもライトさんに対して無茶ぶりがすぎる。


 違うことにはすぐ気がついた。

 倒れ伏す魔獣の背後に別種の大型魔獣がいたのだ。

 森の影と、その魔獣の漆黒の鱗ですぐには分からなかった。

 ルドルフとトーマスの背中に鳥肌と大量の汗が瞬時にでた。

 自覚できるほどの恐怖であった。

 それは闇の森が生みだしたこの世界最強の生物。


 闇竜。


 漆黒の巨体に長い首と強靭な四脚。

 鱗の一枚一枚が闇光で輝き、その静かな佇まいは、先ほどの大型魔獣と比べても明らかに生命としての格が違った。

 遠くで見ているだけなら、ある種の芸術作品のような、幻想的で美しさを感じさせる勇壮な姿であろう。

 だが二人とも、すぐ近くで闇竜を見てしまい固まった。

 竜の眼前にいるライトも言うまではないことだろう。

 そして、その闇竜には片目が無かった。


「お、おいおい、ルドルフさんよ……つかぬことお聞きしますが、あれってやばい感じのネームドじゃないか?」

「あ……ああ、間違いないな。片目傷の闇竜。ネームド……最強ポチだ」


 ネームドとは闇の森に棲む闇竜、その中でも強力な個体の何匹かに与えられている識別名。

 更にその中で最強と言われているのが片目傷の闇竜。

 最強もしくはポチと呼ばれている個体……ポチの名の由来は不明であった。


 ――人族の者よ 汝ら おれと戦うつもりか?


 それは穏やかな声であった。

 三人の体がビクリと跳ねる。

 頭の中に声が直接届いたのだ。


 念話……闇竜たちが使う思念を送る能力。


 これが闇の森の魔獣の中でも闇竜が特別視される理由の一つであった。

 ライトはともかく、二人は闇竜との会話・・は初めてではなかったが、それでも慣れずに驚きはある。


「そのつもりは、ない……俺たちは、その男を迎えにきただけだ」 


 ルドルフは恐怖を飲み込みライトを指さした。

 闇竜は知性が高く、慈悲深い生き物である。

 遭遇しても運が良ければ生き残れる。

 運が悪くても死の苦しみを味合わせず一瞬で仕留めてくれるはずだ。


 運とは闇竜の機嫌しだい。


 二人からはライトの背中しか見えないが、身じろぎし震えているところを見るとまだ無事であるらしい。


 ――そうか ならば良し その者を連れて 早急に森より立ち去るがいい


 闇竜は大型魔獣の太い首に自らの鋭い牙を易々と突き立てる。

 硬いはずの鱗がまるで柔らかいパンのようであった。

 魔獣の重さ自体を感じてないのか、闇竜は口に咥えて軽々と持ちあげてしまう。

 

 ――我は唯 我が領域を侵そうとした この不遜なものを追ってきたのみ


 闇竜の背中が盛りあがり、周囲に莫大な量の魔力が放出される。


「うわっ!?」「うわっぷ!?」「ぐっ!?」


 濃厚な魔力に悲鳴をあげる三人。

 闇竜の背中に巨大な二対の……計四枚の羽が生え、その羽から更に魔力が解放された。

 羽ばたくと凄まじい風が巻き起こり周囲の枝や葉を吹き飛ばす。

 三人は地面に這いつくばり、飛ばされないように必死に耐えた。

 そして闇竜の最強は、三人の目の前から遥か上空へ悠々と舞いあがり、やがて遠くに飛び去っていった。


 呆然と見あげていた三人は同時に座り込むと大きく息を吐いた。




「ま、無事で何よりだライトさんよ!!」


 ライトはトーマスに笑いながら背中を叩かれ、頭をクシャクシャにされた。

 ルドルフにはよくやったと褒められた後に肩をつかまれ。


「しかし、次に勝手な行動をしたら命令違反で罰則だぞ」


 と真面目な顔で指差されながら言われた。


「は、はい、すいませんでした!!」


 敬礼し、かしこまるライトを見て、何故かルドルフは困り顔で頬をかいた。

 トーマスはそんなルドルフに呆れた口調で呟く。


「だからルドルフ、お前の冗談は分かりにくいんだって……」


 そして三人はその場を後にし、指定した地点で騎士たちと合流することができたのだ。


 ◇◇


 それから丸一日ほどかけて、全員が無事に闇の森から抜け出すことに成功した。


 大型魔獣と闇竜のおかげで魔獣たちの生息域が大幅に乱れ、より慎重な移動を余儀なくされたために時間がかかり、それでも何とか外の世界に戻ってこれたのだ。

 闇の森から野営地に辿り着いたころには夜もかなりふけていた。

 騎士全員が汗と泥にまみれ、ヘトヘトの状態で次々倒れ込む。

 そんな彼らに見張り番の騎士が慌てて駆け寄り、野営地に捜索班帰還の歓声があがった。



 騎士たちがここまで疲弊する原因の一つが青年貴族だった。

 彼は何故か魔獣と遭遇しているときに限って目を覚まし、騒ぎだそうとするのだ。

 あるいは危機感知能力に優れていて、冒険者として大成する資質を持っているのかもしれないが、現時点において迷惑以外の何物でもなかった。


 最終的に、青年には猿轡をして手足を縛った。


 その上で魔獣に遭遇した際は、青年が目を覚ます前にライトが絞め落とすことになった。

 そのことに最初は渋っていたライトも最後の方では、いかに簡潔シンプル芸術的アートに落とすかを試行錯誤するほどになっていた。

 絞め落とすたびに拍手をしそうな満面の笑みを浮かべる先輩方に、ライトも得意げに拳を握り笑顔を返した。


 まったくもって愉快な連中だよ。


 疲労でハイになっていたとはいえ、本当に酷いよ砦の騎士こいつら


 青年の外套の気配消しの術式も十分な効果を発揮していたのだろう。

 それと遭遇した魔獣たちが感覚の鋭くない種類であったことも功を奏した。

 そうでもなかったら、一人も欠けることなく戻ることは難しかったはずだ。

 もしかしたら、この幸運も青年の持っていたものなのかもしれない。

 それならば、ますます冒険者として大成しそうではあるが、少なくとも自分たちとは関わりにないところで冒険してくださいと、砦の騎士たちは心の奥底から思った。

 そうやって、騎士たちが死んだ魚の目で、受け取ったかび臭い水を飲んでいたときである。


「みなさんお疲れさまでした」


 女性にしてはやや低い……しかし、聞き心地の良い落ち着いた声がした。

 少女である。

 にっこりと笑いながら歩いてきたのは輝く白銀色の髪をもつ聖女。

 騎士たちは予定より大幅に遅れて帰還をした。

 なのにすぐでてきところを見ると、深夜だというのに心配して待っていてくれたのだろう。

 よく見ると微笑む彼女の目の下に薄くクマができていた。


「今、すぐに食事の支度をしますね。みなさん、本当にお疲れさまでした」


 再び微笑む聖女モーリィ。

 仕事で疲労困憊ボロボロになった後に、美しい少女が優しく声をかけてくれる。


 それは男たちにとっては最高のご褒美であった。


 十四名の騎士さるたちは感動のあまり、その場でひざまずくと、あああ……と言葉にできず聖女を拝んでしまった。

 お、なんだ生きていたのか?

 という感じで聖女の後ろから来た女騎士ごりらたちは彼らには見えていない。

 それから直ぐにモーリィと女騎士たちによって温かい食事が用意され、激務を果たした騎士たちはようやく一息つくことができたのだ。


 ◇◇◇


 翌日のことである。


 モーリィは微笑みながら冷や汗をかいていた。

 原因は目の前の若い男である。

 貴族のご子息らしいが、モーリィが強く出ないのをいいことに、髪や肩を触り褒めながら言い寄ってくるのだ。


「なんと麗しい方だ。貴女こそはまさしく天使! いいや地上に舞い降りた女神だ! 僕と一緒に王都に来てください! そこで式を挙げましょう!!」

「あ、あの……非常に申し訳ありませんが、そのようなことを言われても困りますので、ご遠慮していただけませんか?」

「おお、なんと奥ゆかしい方だ。貴女はご自分が貴族ではないことを危惧しているのですね? ご安心ください、僕が必ず父上を説得してみせます!!」


 この青年、耳が遠いのかまともに話を聞いてくれない。

 このままでは聖女は夫人にされてしまう。

 それ以前に、男としての感性を未だ残すモーリィとしては、男と結婚なんて本気で御断りなのである。

 そしてなによりもだ……モーリィはルドルフあにばかの様子を見るのが怖かった。


「なあ、トーマス」

「んだ、ルドルフ?」

「今回の闇の森の捜索で生存者は発見できなかった・・・・・・・・……そうだな?」

「あー……」


 ルドルフのその問いかけにトーマスは首筋をかくと、近くにいた女騎士を何となく見た。


『こいつどうしたらいい?』『しらん、私に聞くな』


 お互いに肩を竦めるだけの動作だったが何故か会話できた気がした。


「ルドルフ」

「ああ?」

「生き残りはいなかった……そのとおりだ!!」


 トーマスはサムズアップしながら屈託のない笑顔で答えたにげた


 この後『ひっ、な、なにをするやめろー!』という青年の叫びと『ル、ルドルフさんダメです落ち着いて、いくらなんでも不味いです! だ、誰か止めてー!!』という少女の悲鳴があがる。

 そして青年貴族の首根っこを捕まえ引きずり、腕をモーリィに抱きつかまれながら、再び闇の森に向かう騎士ルドルフの姿があったという。

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