石の虹(2)

 イド・シヴロ特別捜査顧問の居場所は、いつも決まっている。

 つまり地下室。

 第三備品倉庫、と書かれた部屋に、彼はいる。


 なぜなら、万が一にも部外者にその姿を見られるわけにはいかないからだ。


 俺が部屋のドアを開けると、冷えて湿った空気に出迎えられた。段ボールやキャビネットや机、椅子などが雑然と詰め込まれた部屋だ。

 その一番奥には、大きな水槽がある。

 淡い緑色をたたえた水が、いまにも零れそうなほど満ちた水槽だった。


「お前、マジでふざけんなよ」

 俺はその水槽に向かって、悪態をついた。

「朝五時に叩き起こしやがって、現場に直行させて、そんですぐに帰って来いって? 何様のつもりだよ。俺はお前の部下じゃないんだぞ――おい。聞いてるか、シヴロ」


 決して、こいつは独り言ではない。

 この緑色に濁った水こそが、イド・シヴロ特別捜査顧問。俺の相棒だ。

 忌々しいが、それは動かしようのない現実だった。


 彼はスライム、という種類の生き物らしい。

 異世界に住む、幻獣の仲間だ。

 シヴロに言わせれば『幻獣』というのは差別的な言い方で、エルフもドワーフも、人間でさえ『幻獣』の一種に分類できるという。が、俺にはどうだっていい。

 どちらかといえば、こいつがどうやってスマートフォンを操作しているのかとか、そっちの方が気になる。


『では、説明しよう』

 シヴロは俺の悪態を、まったく聞いていなかった。

『バジリスクやコカトリスは肉食で、メドゥーサは雑食だ』

 ごぼごぼと泡立つような音とともに、冷静すぎてムカつくほどの言葉を続けている。

『しかし共通していることがある。彼らの消化器官では石を食べることはできない』


「だから、なんだよ? これ以上俺をおちょくるつもりなら、水槽にフタして帰るぞ」

『彼らは石を食べないのだ。これでわからないか?』

 シヴロの声に、憐れむような響きが混じった。余計にムカついた。

『そもそもの話をする。バジリスクなどの石化スキルを持った生物が、どんな目的でそれを使うか思い浮かべてみるがいい。相手を食べるためではない』


「そりゃそうだろ。お前の話が本当なら、やつらは石を食べない」

『では、もうわかる。きみが度し難いほど愚鈍でないのなら』

「いちいち俺をディスらなきゃ説明できねーのかお前は」

 俺の文句はまた無視された。シヴロにとってはどうでもいいのだろう。


『バジリスクやコカトリス。彼らが石化スキルを用いるのは、逃走や防御のためだ。にもかかわらず、今回の被害者は全身に攻撃を受け、破壊されていた。石化を《解呪》されるケースを危惧したためだろう。確実に殺そうという意図がある』

「――要するに、なんだ? 結論を言え」

『この犯罪は、意図を持って他者を攻撃できる、知性を持つ存在がやったのだ』

「人間の仕業ってことか?」


『私はその表現が好きではないが』

 シヴロはごぼりと不服そうに水面を泡立たせた。

『きみに譲歩すると、そういうことだな。相手を石化させるスキルを発症した、『ニンゲン』だ』

「ちっ」

 俺は舌打ちをした。

 そんなもん知るか、と言いたい。


「だったら、どんなスキルだ? 誰がやった? なんで被害者が狙われたんだ、おい」

『質問が多いな。順番に行く。一つ目の答えについては、《邪眼》というスキルがある。神経鈍化、麻痺、石化などの現象を引き起こす、【呪術師】症候群クラスのスキルだ』

 こうした知識こそが、シヴロをウチが飼っている理由だ。

 やつは異世界の常識に詳しい。本人曰く、【賢者】なのだという。


『二番目と三番目の答えは連動している。重要なのは、被害者の身元だ』

「俺の《鑑定》スキルを当てにしてるなら、そいつは無駄だぜ。相手が死んでる場合、所属も症候群クラスもわからねえ。俺の《鑑定》は【司祭】みたいな本業じゃねえんだよ」

『頭脳労働の類については、もともときみを当てにはしていない。すでにこちらで調査を済ませた』

 ムカつくなこいつ、と俺は改めて思った。


『被害者は関雄介。無職。茨城県在住。ただし、最近は都内で活動していた――とある組織に所属していたからだ』

「さっさと結論を言えよ。どこに所属してたって?」

『やつらは《聖剣党》と自称している』


「ああ」

 その名前は、聞き覚えがある。

 俺たち公安部異事対が、常日頃からマークしている組織の一つだ。テロリストに近い。やつらの目的は、異世界人の国外追放にある。


 背景はこうだ――異世界との交流がはじまってから、様々な問題が増えた。

 お互いの世界における価値観の相違は、ときに暴力に発展することもある。この二十年間でエスカレートしてきた。

 これを嫌うあまり、異世界人の排斥を掲げる運動は『攘異』と呼ばれている。


《聖剣党》は、その過激派だ。

 異世界からの来訪者を追放するために、積極的なテロ行為を行っている。

 エルフ大使館に火を放ったり、ドワーフの軍人を殺害したり、それはもうなんでもやる。迷惑極まりない連中だった。


「死んだのが《聖剣党》のメンバーってことは、なんだ、その」

 そんな過激派テロ野郎を殺すのは、よほど気合いの入った人間だ。俺は一番ありそうな可能性を口にする。

「異世界人を襲って、返り討ちにされたとか? 死ぬほど間抜けだな」

『返り討ちか? もしエルフどものことを言っているなら、やつらはこの程度――相手を石化させて殺す程度では済まさない。絶対にだ。またドワーフは【呪術師】症候群クラスに罹患しない』


「じゃあなにか、最近噂の、あいつら。芹沢の。辰巳浪士会が仕留めたのか」

 俺があげたのは、最近、警察が組織したイレギュラーな対テロ特別組織のことだ。チームの性格としてはウチに近いものがある。

 噂によると、テロリストの暗殺まで担当するという話だ。

『辰巳浪士会。彼らならば、もっと手荒くやるはずだ。魔剣を使えば済む。つまり日本政府側ではなく、可能性があるとしたら、その逆だろう』


 ここまで来れば、俺にもわかった。

「《聖剣党》の内ゲバ。粛清か?」

『恐らく。調査が必要だ。まずは被害者の交友関係と、組織での立場を――』


「いや。もういい。面倒くせえ」

 俺は水槽の淵を叩いて揺らし、シヴロの言葉を止めた。

 そんな悠長なことはしていられない。

「やつらを直接当たってみる。《聖剣党》の拠点は割れてるんだ」

 以前からマークしていた組織だ。踏み込むだけの価値がなかっただけで、東京近辺のおおむねのアジトは割り出している。

「まずは新宿の支部からだな」


『あまり知性的な調査方法ではない』

 シヴロは抗議するように、ごぼごぼと水面を泡立たせた。

『きみは慎重さを身に着けるべきだと思う。私は反対だ』

「無駄な時間をかけるなって言ったのはお前だ」

『情報が揃っていれば、の話だ。無駄足にならなくとも、《邪眼》スキルの使い手が待ち伏せているかもしれず、危険性は高い』

 俺は無視した。シヴロに命令されて動くのは気に食わないし、こいつにはその権利もない。


「魔剣の携行許可を取るぞ。行ってくる」

『待て。私も行く』

「反対じゃなかったのか?」

『きみと私は相棒だ。よって同行する』

 シヴロは取り澄ました声で言った。その言い方が余計に腹立たしい。

『いつ出る?』


「いますぐに決まってる」

 俺はペットボトルを差し出し、水槽に突っ込んだ。八つ当たりに近い。

「ついてくるなら、さっさと入れ」

『ペットボトルは狭いので、好きではない』

「知るか」

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