第21話 試練

 マルファ率いる分隊は昼過ぎに『晶ガス』の出る洞窟の前へと参集していた。

 彼女の分隊は、全員が女性から成る部隊である。その人選は、隊長であるニーカによる審査はもちろん、マルファによる推薦によって行われていた。


 すなわち。

 朱国の女性兵の中でも、取り分けて忠誠心が高く、そして、作戦行動能力の高い面々である。銃火器が発達した昨今においては、単純な筋力や身体能力などよりも、集団としての行動能力の方を高く問われる。


 その点において、彼女たちは強い絆で結ばれていた。

 さらに中でも取り分けて、彼女たちを率いている隊長――マルファと彼らの繋がりは極めて深く強いものがある。


 下卑た話になってしまう。

 だが、彼女たちは全員、マルファと肉体関係を持っていると、もっぱら特務部隊内では噂になっていた。


 それについて、噂の渦中にある分隊長は、あえて否定することはなかったし、肯定することもなかった。


 極めてプライベートな事案である。

 軽々しく、それについて口にすることは差し控えるべきだろう。

 それは、尋ねる方も、尋ねられる方もだ。


 というのが、個人的な見解でもあり、特務部隊としての実質的な見解ではあった。

 そのことについて、マルファに直接意見を具申した者は、この特務部隊の中には、少なくとも居ない。


 ただ、それを否定するような行動を、あえて彼女たちが取らないことから、おそらく、そういうことはあるのだろうと僕は考えていた。

 実際、彼女と僕の主人は肉体関係にあるのは事実である。

 それが、姿の見えない噂に、妙な色を添えているというのは、多分にあるだろう。


 凛とした乙女たちが、襟を正して、肩を並べている。

 彼女たちの前にニーカと立つと、マルファは部下を鼓舞するように声を張り上げた。


 金色の前髪に隠された、ケロイドに侵されている右頬が激しく揺れる。


「諸君!! これより我が分隊は、アドリアン分隊の後任として、洞窟内の探索作戦を引き継ぐこととなった!!」


 隊長の言葉に、真剣に彼女の旗下の乙女たちは視線を向けていた。

 その言葉にざわめき立つ者たちは居ない。もとより、彼女たちの練度は、この隊内随一であり、なにより、先述の通り深い信頼関係で成り立っている。


 マルファは続ける。


「この洞窟の奥には、多くの固体『晶ガス』の埋蔵されていると考えられる。同時に、その瘴気に当てられたバケモノたちも多く居るだろう。先日、ムルァヴィーニにより、アドリアンの分隊が被害を被ったのは事実である」


 ここにアドリアンが居たら、その言葉に舌を鳴らしたことだろう。

 しかし、否定したところで事実は事実だ。実際、アドリアンの分隊は被害を出した。

 そのことは、今更、どう取り繕っても変えられない事実である。


 そしてそれによりニーカから信頼を失った――か、どうかは分からないが、後方に回されたのも事実であり、それによりお鉢が彼女たち分隊に回って来たことも事実だ。


 マルファは事実を淡々と告げる。

 冷徹と言うよりは、冷静と評するべきだろう。

 このような女軍人が居る辺り、朱国は人材の豊富な国のように僕は思う。


 そして、それを引き上げて、懐刀として重宝しているニーカにしてもそうだ。旭国でも、彩国でも、軍人は皆、男であった。文化の開明の違いだろうか。

 能力主義――実際、僕は軍人として、目の前の女性に勝っている部分は、軍曹という肩書を除いて、一つもないのではないだろうかと思った。


 そんな僕の思いなど露ぞ知らないことだろう。

 女分隊長のマルファは、語気を強めて言う。


「役目を仰せつかったからには、我々は全力でそれに当たる。いいな、なんとしても、最深部へと到達し、このガス田の全容を把握する」


「――はいっ!!」


 戦乙女たちの声が重なり合って、大音声が森に響き渡る。その光景に、満足気な表情を向けたニーカは、一歩、マルファの前に出た。

 その行動に、思わず動揺したのは――悲しいかな僕だけであった。


「親愛なる我が女性兵たちよ。いや、姉妹たちよ。私は、貴方たちが、無事にこの任務をやり遂げていることを確信している」


「――ニーカ隊長」


 マルファがニーカの肩に声をかける。

 しかしそれは、その叱咤激励の言葉に感謝してのものではなかった。混乱と動揺がその表情からは見てとれた。


 隊長の普段は見せないそのような動揺に当てられたのだろうか、隊員たちも、少し肩を震わせた。だが、すぐに彼女たちは、いつもの規律のとれた先頭集団へと戻る。


 それを満足気に確認して、ニーカは更に言葉を紡いだ。


「資源乏しきこの朱国を、大国へと押し上げたのは『晶ガス』技術以外の何物でもない。いわんや、ガス田はすべて国家のものであり、しかるべき手で管理されるのが道理である。諸君らの働きにより、国家に潤いが与えられるのを期待してやまない」


 では、行け。

 ニーカはそういうと、再びマルファの後ろへと下がった。


 ほっとしたような、どこか、それでもまだ心配なような顔をするマルファ。

 再び、分隊の女性兵たちの前に立った、彼女は――では、出発する、と、声を大きく張り上げて、洞窟の中へと先陣を切って入って行った。


 分隊の、最後の女性兵が洞窟に消えるのを見送って、ニーカが俺の横へとやってくる。どうして、彼女の顔には、理由不明の邪悪が宿っていた。


 なんなのだ、その表情は、と、背筋が凍る。


「さて、今度は何人が戻るだろうか」


「……ニーカ。まさか、信じていないのかマルファのことを」


「彼女の腕前は信用しているわ」


 しかし、困難を乗り越えてこそ、人間の生というのは輝くものよ。


 哲学的なことを言ったようだが、ようは、この少女は、この状況を楽しんでいるのだ。

 にんまりと、邪悪がその口にたゆたっている。


 見ていたくないな、と、僕は目を伏せた。

 どうしてその残酷性を隊内の人間に――味方にまで向けることができるのか。


 ふと、その時、すん、と、彼女が鼻を鳴らした。


「しかし、私の黒い走狗よ」


「……なんでしょう」


「他の女の匂いを染みつかせて、私の前へと出てくるとは、お前もいよいよ度胸のある男だな。昨晩は、そんなつもりでお前に時間を与えた訳ではないぞ」


 彼女が抱えている邪悪な心根が、僕に向かって発せられるのではないか。

 そんな思いが頭を過って、思わず喉が空気を求めた。しかし、ニーカは、そんな僕の狼狽える姿を一笑に付すと、再び洞窟へとその視線を向けた。


「私とマルファの関係に嫉妬したのか、可愛い奴め」


「……そんなつもりは」


「マルファの奴を元気づけてやるために、あれは必要な行いであった。その程度のことで私はお前を捨てぬよ、可愛い旭国の黒狗よ」


「では、どのようなことがあれば、私を切り捨てるおつもりか」


 どうしてそんなことを聞いたのか。

 聞こうと思ってしまったのか、自分でも分からなかった。

 けれども、口を吐いて出てしまったその言葉に、くは、と、我が主は、その腹を押さえて笑い始めた。


 どうしてそんなに笑うことがあるのだろうか。

 僕も、アドリアンも、彼女の一挙手一投足を気にしている。彼女が何を考え、何を思い、そして、いつ自分たちに銃口を向けるのかと、戦々恐々としている。


 きっと、マルファにしたって、そうなのだろう。


 この得体のしれない、そして、底のしれないバケモノの娘を、どうして、僕たちは恐れずには居られない。


 けれども、そんな彼女はどうしてか、少しだけ顔色を翳らせると、それまでの邪悪さを顔の中から取り払って、僕に向かって優しい視線を投げかけた。


「切り捨てはしないさ。私は自ら、人を切り捨てることなどしない」


「……切り捨てているだろう。事実、貴方は」


「国家に反逆する者は別だ。背信には必ず死がもたらせなければならない」


 ただ、それとは別に、私にも心はある、と、寂し気に言うニーカ。

 どうだかな、と、僕はそんな彼女の素振りを、どこか冷ややかな目で眺めていた。


「私は常に愛を欲しているのだよ、キリエ」


「貴方は愛のために時に人を試す。それはよくないことだ」


「試す? 試してなどいない。それが私の愛情表現なだけだ」


 どういう環境で育ってくれば、そのような歪な愛情表現になるのか。

 思っても流石に口に出して言うことはできなかった。

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