第19話 脱出

 アンナの体は極上というにはほど遠く、その薄い肉付と、浮き出ている肋骨に、何度となく僕は萎える思いをすることになった。

 しかしながら、ここ最近については、中央育ちの肉付きの良い体をした、少女の体ばかり味わっていたからだろうか。それはそれでと、どこか楽しんでいる自分が居たのは紛れもない事実であった。


 三度、熱い迸りを彼女の中へと放って、繋がったまま、しばし僕たちは藁の上に広げた、絹製のシーツの上で息を整えた。


「……今更だが」


「なに?」


「こんな上等なシーツをどこから調達したんだい」


「ここに集まるように、村の娘たちに言ったオジサマが用意したものよ。私たちが集めたのは、密造酒と真新しい藁くらいよ」


 なるほどダニイルの用意のいいことだ。

 今回の行軍に際して、そんなものをひっそりと携行しているとは。もし、ニーカが彼のことを高く買っていなければ、銃殺刑に処されていても文句はないだろう。


 だが、悪くない品を用意したものだと思う。寝心地は、下が藁だというにも関わらず、それほど悪いものに感じなかった。


 ねぇ、と、そっと体を離して、アンナが言う。

 彼女はさんざ爪を立てて、掻き毟った僕の背中を、その指の腹で優しく愛撫しながら、エメラルド色の虹彩をこちらに向けて、静かに問いかけてきた。


「一つ教えたのだから、私も一つ教えて欲しいの」


「何が知りたい」


「貴方たちはいつまでここに居るつもりなの?」


 分からない。

 具体的な期日については、洞窟の探索が終わらない限りには、なんとも言うことは出来なかった。アドリアンの不首尾を考えるに、おそらく今回の駐留は長くなるだろう。


 感覚的なものを答えることはできる。

 だが、正確な日数を数えて述べることは難しそうだった。


「長くなることだけは間違いない」


「どうして」


「村長たち一家がどういう目にあったのか、話は聞いているだろう」


「風の噂程度には」


「そういうことをしなくてはならないくらいに、この地にあるガス田の闇は深い」


「私たちには関係のないことだわ」


 少し、怒気が籠った口ぶりだった。

 勝手にやって来て、勝手に洞窟を掘り返しているのだ。そして、今まで慎ましやかではあるが平穏そのものであった村の暮らしが、今まさに僕たち極東軍特務部隊の手によって揺らいでいる。

 彼女たちが怒るのもまた、無理からぬ話のように思えた。


 所詮、国のためだとなんだといいつつ、僕たちがやっていることは、不用意にその均衡を乱す行いに違いない。前総司令ヘッケンのように暗黙の了解を彼ら村人に与えた方が、幾らか彼らの気持ちを和らげることになっただろうと思う。


 ただ、それを決めるのは僕ではない。

 そしてニーカでもない。


 国家という僕たちを包括する捉えどころのない社会規範であり、血の通わないシステムがそれを許さないのだ。あの悪辣非道の少女である、『偉大なる同志』の第十三女もまた、その代弁者の末端の一つにしか過ぎない。


 この国では、全て、『晶ガス』のガス田は国家の所有物でなければならない。

 その所有を個人で認めない。


 そう、この国を支配するシステムが言うのであれば、規定するのであれば、それに従わない訳にはいかないのだ。

 この国で生きていく限りにおいては。


 そんなことを、腕の中で肋骨を揺らす少女に言ってみたところで、理解できるとは思えない。社会的な哲学など知らぬ、このような極東の奥地にある寒村に住んでいる少女には縁遠い話であった。


 そっと、僕は少女の髪を撫でた。

 くすぐったそうに、少女は笑う。痩せた体と違って、彼女の心は健康そのものだ。不健康を純粋培養してできあがった、どこぞの銀狼の娘と違って、その反応は極めて人間的で、温かみを感じさせてくれた。


 日に二度も出すことが精一杯の僕のそれが、逞しく頑張ったのは、そうい彼女の性格があってのことかもしれない。


 なんだか無性に愛おしい気持ちになって、離れた彼女をもう一度手元に引き寄せる。シーツの下の藁がかさりかさりと音を立てて軋むと、僕は彼女の、薄く紅色がかかった唇に吸い付いたのだった。


 情熱的に、そして行為とお互いの体をを慈しむように、彼女は僕の中へと分け入ってくる。ニーカがする、侵略するような激しいそれとは、また、趣が違っていた。


「ねぇ、一つ教えてあげましょうか」


「……もう、僕が君に教えてあげられることは、それほど多くないんだが」


「いいのよそんなこと。私が話したいだけなのだから」


 では聞こうか、と、僕は彼女を胸の中に抱いて言う。

 僕の胸板に顔を押し付けて、匂いを嗅ぐように頭をよじらせながら彼女は、この村の乙女たちが、我々に求めている遊びの対価について語りはじめた。


「みんな、この町で生きていくことに不満を持っていないわ。けどね、もし、今よりいい暮らしができるというなら、そんな暮らしをしてみたいと、誰も思っている」


「人間としての当然の欲求だな」


「この国では、それを否定しているけれど。つまりね、ここに集まった娘たちは、この村から脱出したいと願っているのよ」


「脱出?」


「ここよりいい何処かへ、より、豊かな生活ができる所へ。そんな場所へ連れて行ってくれる男を求めている」


 遊びの対価にしては、求める所が大きすぎるような気がした。

 そんな話をうっかりとでも聞かされれば、多くの若い兵たちは萎えて、その夜、使い物にならなくなってしまうことだろう。


 それは遊びではないではないか。

 けれどもそうか、どうして金払いのいい、女慣れしたアドリアンが敬遠されるのか、遊び相手として距離を取られたのか、その理由が分かった気がした。


 遊び慣れた彼はきっとそんなことはしないだろう。

 男の目から見ても、それは明らかだった。


 それでもなんとか相手をしてくれる娘を見つけたらしい。隣の壁から聞こえてくる嬌声に、僕は、はっと我に返った。


 ねぇ、もう一度、しようか、と、僕のそれを握りしめて言うアンナ。

 どうして今日はこの、どこか牧歌的な感じのする、黒髪の少女に、我を失うほどに溺れてしまいたい、その気分は変わらなかった。


 それがニーカの行動によるものか。

 それとも彼女の魅力によるものか。

 あるいはそのどちらもなのか。


 まだ、酔いが残っている頭ではそれを明瞭に切り分けることもできない。

 ただただ彼女の息遣いの中に、溺れていくことしか、その時、僕にはできなかった。


 夜の帳は深く降りている。


 元村長の家にあてがわれた自室に居なかったことを、僕は明日咎められるだろうか。

 恐ろしい飼い主は、走狗の火遊びを許さないだろうか。


 今はそれも考えるのを止めた。

 思い切り、目の前の女に溺れたい。


 それだけを思って、俺は彼女の体に覆いかぶさった。

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