第17話 村娘

 ダニイル・モニソフは三人いる伍長の中では最も歳を食っていたが、先任伍長という訳ではなかった。というのも、彼は長らく前線には立たない裏方専門で、主に兵站部隊での任務を行ってきていたからだ。


 目立った戦果のないもの――要するに戦下手が軍隊内でのし上がるのは難しい。

 しかしながら、軍隊内で幅を利かすのは比較的容易である。


 彼の最も面白い点は、その異様なまでの人脈の広がりであった。

 それは彼の生まれた家が、極東方面でそこそこに幅を利かしている大商家であることも関係するからだろう。とにかく、戦闘面においての実力は皆無だが、色々な裏方仕事で、彼は重宝された。

 そして、その見返りとして、なぜか彼は地位を求めることをしなかった。


 その能力を面白がって、特務部隊に籍を置かせたのは外ならぬニーカである。


 彼女が自ら欲しいと乞うて手に入れた人材は、マルファとダニイルの二人だけだ。

 アドリアンは、たまたま、志願と特務部隊設立の時期が重なったがために、先任伍長の地位を得ているに過ぎない。運がよかったと言えばそれまでだが、ある意味では、最も立場的に危うい位置に居るともいえる。


 故に、マルファに軍務を横取りされたことに、少なからず警戒していた。


「あの少女に、好かれたいと思っている訳ではない」


 そう言って、村娘が用意してきた密造酒を煽ったアドリアンは、甘ったるい息を僕に向かって吐きかけた。

 けれども武功で彼らに劣っているなど、自分は思っていない。

 そう言いたげに、彼は荒々しく盃の底でテーブルを叩いた。


 女遊びができるとアドリアンは言った。

 だが、ダニイルが協力を要請して、この小屋に集めた村娘たちは、そのような素振りを少しも見せはしなかった。彼女たちは、幾つかの古ぼけたテーブルを小屋の中に用意して、自分の家から持ち出してきたのだろう密造酒を振る舞ってくれるだけだった。


 甘い酒の匂いはさせても、その身を売ろうという素振りは見えない。

 あるいは、遊ぶためには彼女たちに気に入られる必要があるのかもしれない。

 色街の商売女たちと違って彼女たちは自由意志でここに来ているのだ、そこはそれなりの交渉力が必要になってくるのだろう。


 ただ、なんにしても密造酒とはいえ、酒を飲むことができるのは助かった。

 今宵は、どうにも素面で寝られる気配はなさそうだったから――。


「キリエ軍曹。私は貴方が羨ましい」


 突然、そんなことをアドリアンが言った。

 彼は女遊びと共に酒もそこそこに嗜んでいるようだったが、酔いが回るのは驚くほどに早かった。いつもは感情を一つも出さない、その顔を朱色に染め上げて、僕に向かって噛みつかんばかりに、その熱い双眸を向けてきた。


「私が」


 少しとぼけた調子で彼に返してみる。

 えぇ、と、アドリアンは忌々し気に舌打ちをして、再び杯を自分の口へと運んだ。


「あの少女の寵愛を一身に受けている。それが妬ましい」


「君はそのような趣味があるのか」


「いいえ」


「では、別にそんなことは些末なことのように思うが」


「旭国ではどうかは分かりませんが、軍隊で上官から好かれるということは――信頼を勝ち取ると言うことは何においても優先されることです」


「彼女に今回のことで見捨てられたと思っているのなら、それは君の思い過ごしだろう。あの、『偉大なる同志』の第十三女殿は、残酷で容赦はないが、使える駒は最後まで使うお方だ」


「……どうだろうか」


 近くで見ている私が言うのだから、それは間違いない。

 と、僕は不安げに空になった杯を眺めているアドリアンに慰めの言葉をかけた。


 彼は僕の置かれた境遇を羨ましいと言ったが、それは大きな誤解である。


 確かに軍籍上は軍曹扱いであるが、僕については例外だろう。

 乞うて近くに置いている、そのために軍曹の地位につけたのは間違いない。

 だが、彼女は特段、軍事的な能力について、僕に何かを求めているようではなかった。また、そのようなことを期待する発言を受けた覚えは、一度としてなかった。


 情けない話ではあるが。


 なるほど階級で考えた時に、ニーカに乞われて特務部隊に籍を置いている人間の中で、確かに僕が一番よい立場に居るのは間違いない。

 マルファやダニイルのことばかりに頭が行っていたが、そういう風なモノの見方も、彼らからするとできるのか、と、意外な気分になった。


「貴方はどうやってあの少女の信頼を手に入れた」


「別に信頼などされていない」


「でなければ、褥を共にすることなどないだろう」


「あの少女は物珍しいものが好きなのだ。どうせ、飽きれば犬のように捨てられる」


 彼女はきまぐれに僕のことを『私の黒い走狗』と呼ぶ。

 結局のところ、彼女にとっての僕の価値はその程度のものでしかないのだ。


 少し、胃の中に刺すようなわだかまりを感じた。

 蒸留が不完全なのだろうか、微かに白く濁っているアルコール液を胃の中へと流し込むと、僕はけふりと甘い息を吐き出した。


 そんな様子を見ても、アドリアンの猜疑の視線は決して緩まることはなかった。


 なんにしても、マルファとダニイルは特務部隊の中でも、比較的に融通の利く立場にあった。多少の横柄や軍規違反があったとしても、乞うて彼らを呼んだ手前、それをニーカが咎めることはない。


 今こうして、村娘たちの協力を得て、酒が飲めているのも、その立場のおかげだ。

 もっとも今のところ僕の耳にここの情報は入っていない。

 ダニイルは上手くやっているようだった。


「そういうことは、僕よりも、ダニイルに聞いた方がいいのではないだろうか。彼は、僕なんかよりも、よほど人生経験がある。なにより、君と同じ朱国の人間だ」


「あのような男が腐ったような奴に教えを乞うのだけはごめん被る」


 話を逸らそうとしたが、どうやらそれは難しいようであった。


 と、その時だ。

 不意に小屋の扉が開いて、冷たい風が中に吹き込んできた。

 警戒して僕とアドリアンが視線を向けたが――そこには。


「……貴方は」


 村に僕たち特務隊がやって来た時、自分たちはどうなるのだろうか、と、僕に訊いて来た、褐色の少女がそこには立っていた。

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